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ポリグラフメモ


 泉野は、出棺の折、高橋を連れ出した。似合わない礼服を着た高橋は、恋人の葬儀だというのに、妙に半笑いで立ちつくしていた。泉野は、高橋を数度平手打ちにした。そうしないと気が済まなかったからだ。泉野が手を引いて歩き出すと、高橋は理解した、意図の通じた子供のような無邪気な顔をした。気にくわなかった泉野は彼の頬をもう三度張った。
 葬儀場の近くは、悲しく寂れていた。商店街の喫茶店に腰を落ち着けても高橋はぼんやりとしていたが、やがて話し出した。
「なあ、泉野、深海は言ったんだろう、来るなって言ったんだろう。死なせてくれって。静かに死なせてくれって」
 そこまで分かっていて高橋が何故来たのか、泉野の理解を超えていた。机を叩いた。しかし高橋の話は続く。
「俺が深海の葬儀に出なかったら、それでフイになるとでも思ったんだろうな。深海は俺のことを、許さないだろうし。俺も最後はほとんど付きまとっていた訳だ。分かってるよ。あいつと俺はもう恋人でも何でもないんだ、病で引き裂かれる男女もありきたりでな。先回りして言っておくけれど、俺はそういうおもしろおかしい筋書きに従ってた、深海には悪いと思うけれども、今でもそうか、焼香しようと俺が出て行ったらお前すげぇ剣幕で俺を睨んでた。知ってるぜ。これで、泉野、お前も引っかかったな、って思ったよ。ああ、今まさにお前はシナリオに服従し始めるぞって。いけ好かない友人のストーカーの書いた文脈に、乗らざるを得ないんだ、苦しいなあ、お前」
 今度は拳で殴った。それでも高橋の笑いは崩れない。グラスが倒れ、店員が替えの水を持ってきた。店員はこちらを警戒するようにわざとゆっくりとテーブルを拭いていた。その最中も、高橋の話は続く。途切れない。
「あいつ俺が花束もってお見舞いに行ったらすげえ睨んでくるんだぜ。そりゃそうだな、深海も死ぬんだ。死ぬんだよ。深海は一人になってみたかったんだ、そういうシナリオだ。人が死ぬ前にそういう演劇をこなしてやることで、人の死は装飾されるわけだ。泉野お前はどうだ?自分の生に粉飾を施したことはないか?悲しいときには泣いていたか?うれしいときには笑ったか?そういう姑息な慰めが誰の生にもある。中身のないものってな、実はお前らの生に、なにも踏み込まないんだよ。だから書き割りを殺してみることにした。現実を力ずくで捏造しようと思う。俺はな。深海には毎日会いに行った。抱きしめてもやった。キスもする。もっと。それが深海を傷つけるだろうことは分かっていたが、同時に深い献身ともとれたはずだ。俺は仕事を辞めてしまったから。深海と俺は、仲が良かっただろ?週末にはデートもして、何年だ、もう覚えてないぐらい長い時間を共有してみたんだから。俺は深海のために俺を捨てることが出来たはずだ。といっても、そんなに自信があるんではないよ。実際、俺の振る舞いだって書き割りだったから。俺だってありふれているんだよ。深海が死んで悲しいし、お前にぶん殴られて痛い」
 店員は話し続ける高橋の目を見てから、引っ込んだ。通報してくれないかと泉野は願った。
「なあ、俺は悲しんでいるはずだろう?悲しまなければ、おかしい。いや、そういう言葉を使いたいだけだと言うことは俺にだって分かっているし、お前もそこが気に入らない。俺は深海を冒涜したんだよ。俺の感情は、あー、「高橋の感情」は、だな、高橋の感情は高橋のものではないし、装っているぎこちなさが見え隠れしている。気持ち悪いことなんて俺だって分かってる、分かっているんだよ。もう一度聞くぞ、泉野。俺は悲しんでいるんだろうか?俺は深海を想っていたか?――」
「うるさい」
「なあ泉野俺は――」
「うるさいっつってるだろうが!馬鹿が!」泉野は激昂した。高橋のネクタイを掴み引き絞った。涙がぼろぼろ零れた。「そういうのが気持ち悪いんだ!」
「お前がどう考えていようが深海は深海だった!深海が死んだのは深海が死ぬからだ!下衆野郎!お前は深海がどう思っていたか知らない、全然分かってないだろうが!分かった気になってるのが気持ち悪いんだ!人の死から搾り取りやがって!死んでからも奪いやがって!返せよ!深海を返せよ……!」
 泉野の言葉は消沈していった。もうだめだ。泣き崩れた。高橋は下衆だった。哀れすぎた。




 ウラジミールは紙面の上で展開される物語を読んだ。しかし読み進むに従って方々に散逸する物語の流れから、何を得ようと言うのか。ハイネケン女史から渡された文書はウラジミールを悩ます。彼女の友人が書いた小説だった。査読と、ちょっとした感想を求められている。
 こんな物語だ。主人公は男で、誰か、恋人らしき人を探しているのだが、男は一人ではなく複数だった。別々の名前をもち、自分の持ち場が来ればそれぞれに勝手な話題が展開してゆく。彼らは共通して恋人を求めている。しかし男が別々の時間と空間で求める人、つまり「君」は、異なっている。おそらく、おそらくという所がまさに奇怪な点なのだが、彼女は名前が異なっているのだ。
 登場人物の名前をまとめようと彼は手帳を開いた。作中に登場した人物の名前を書いてみる。名前を書くことは出来た。しかしそれらはいたずらに行を埋めるだけだ。
 読めば読むほど彼らは繋がっていかない。ここで起こっていることが理解できない。彼らが何をしようとしているのか、朧気な輪郭だけが分かる。しかしそれらははっきりとした個人を持とうとしない。いや持とうとはしているのだ。彼らが別々の人間であるのは、エピソードがそれぞれ区切られ、アスタリスクによって分割されていることからも類推できる。しかし、それらは一つの文脈によって人物と文脈が相互に反発し合っている。あるいは、人物が文脈を拒否している。しかし、彼らは独立しては存在しておらず、また存在できない。相互に張り巡らされた文脈に依存している彼らは物語っているからだ。彼らは、冒頭におかれた断章的な句から物語を借用したがっている。それは語彙においても同じことだった。モチーフは極めて象徴的に扱われており、それらによって筆者はこの文章群を纏め上げようと意図しているのだった。彼らは「君」を物語自体から引き出してきて、それを各々の名前にはめ込んでいく。

最終更新:2011年10月24日 19:56
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