512 名前: 普通の日常 [sage] 投稿日: 2008/09/17(水) 19:47:55 ID:HcYsiGID
高杜学園の午後、寄りかかるように背をもたれ、五郎は時折かたわらの資料を眺めながらあごを撫でる。
不意に目を移すと教室のドアから中ほどから顔を出し、梅子がにやついてるのが目に入り、
その場でどたりと突っ伏し、たぬき寝入りした。
「ちぃーす、ゴロー何やってんのぉ?」
「……寝てます」
「今までおきとったやろ! かなんなぁ、
まぁ、ウチが気になって思わずそないなこと言うんも分かるけどなぁ」
「何人だ、お前は」
「実はウチ関西人やってん、家にたこ焼きのプレートもあるし……」
梅子の寒いギャグを五郎がスルーすると、シャーペンの芯を数える作業を再開する、
横で梅子がスカートをなびかせてふりふりと踊りながら、ツッコミ待ち待機している為に集中することが出来ない。
「なんだアレか……出番欲しさにテコ入れでもしたのか?」
「もぅ、わかんないかなー、いつもよりスカートの丈が短いでしょ、
チラッてパンツが見えちゃうかもしれない期待感、むっつり助平のゴローには刺激が強すぎたかしらん?」
「お前のハミ毛なんぞ見て、何が楽しいの?」
「ハ、ハミ出てない! ハミ出てないよ!?」
頭にびしりと手刀が打ち込まれると、五郎はそのままわざとらしく机に卒倒し眠り始めた。
喧騒と笑いに包まれる教室内の空気を避けるように、廊下の窓際に立つ少女は二人の姿を見つめている、
芳乃は自分で作った二つのお弁当箱を手に持ったまま軽く唇を噛むと、俯きながら自分の教室へと帰っていった。
◆
放課後、芳乃は部室へと向かう通路から窓を眺め、一つ溜め息をつくとぼんやりと思案にふける、
心に靄がかかったような焦燥感のなかで、向かう足はついぞ動かなくなっていた。
不意に顔を上げると、先ほどまで廊下で談笑していたはずの生徒や、部活に向かう者達の姿もいつの間にか消え。
澄んだ空気を通して、聞こえてくる奇妙な旋律を耳で捉えた。
「――ピアノの音色?」
一歩また一歩と音に近付いてゆくうちにその音はますます鮮明になってゆく、
階段を登りきり、今まで入ったことのない区画へと足を踏み入れる、各教室には札がかかっておらず
床には細かい埃が積もっている、その全てが空き教室なのだろう。
「こんな場所があったのね……」
なぜここからピアノの音が聞こえてくるのか不審に思いながらも、埃の上を歩くように音のする方角へと引き寄せられ、
行き止まりとなっている、一つの扉の前で芳乃は足を止めた、古くなっている他の扉とは違う、真新しい扉に手をかけ横に引くと、
外界と隔絶されていた部屋に空気が流れ込み、細かな塵が風にあおられ部屋に舞い上がる。
天窓から差し込む光に当てられ、まるで雪のように塵が揺らめく薄暗い部屋の中央には、ピアノを爪弾く一人の少女の姿があった、
背は芳乃よりも低く、制服からのぞく雪のように白いその指が止まると、吉乃の元へ顔を向けた。
同姓ですら息を呑むような流れるような黒髪、紅のかかったような唇がうっすらと開く。
「555曲のソナタ」
「え?」
「曲の名前、素敵な曲名でしょう?」
少女は薬指を鍵盤の上に置くと透明な音が部屋に響き渡る、芳乃が困惑してはにかむと、優しげな微笑で彼女は答えた。
「申し訳ありません、練習のお邪魔をしたみたいで……」
「いいのよ、芳乃さん、この曲はいつでも弾けるから」
「――私の名前?」
「不思議ね……」
彼女がこちらへと近付くと、怯えるように身をすくめる芳乃のあごに手を沿え互いに見つめあう、
その瞬間、背筋に何かが這いずるような感触を感じると、光を失った彼女の瞳に魅入られたまま、動けなくなってしまった。
「あなたは今『孤独』を感じている、そしてとても恐れている……」
「……」
「あなたのお父様は、あなたの『孤独』を埋めてはくれなかった、
拒絶され、離れ離れになり、そのことでとても傷ついているのね」
「ぁ……あ」
自らの家族でしか知りえない秘密を見透かされたように暴かれ、言葉を失った芳乃は身を引こうとするが、
まるで自分の足に鉄の棒をねじ込まれたかのような圧迫感を感じ、身をよじることさえ出来ない。
「――可哀想、あなたはお父様と体で繋がって愛されたかっただけなのに、
お母様がそれを許さず、引き裂いてしまった……」
「やめて、やめ……て」
「感じるわ、とても綺麗で純粋なあなたの心に黒いしみが広がって、あなたの中を穢していくのを」
「違う! 私は……!!」
少女はにこりと微笑みながら、放心状態になった芳乃に顔を寄せた。
「このままでは同じことの繰り返し、あなたにも私の血肉を分けてあげる、さぁ、口を開けて」
「……」
「彼が欲しいんでしょう?」
戸惑いながらも芳乃が薄く口を開くと、少女は唇をぷつりと噛み切りお互いの唇を合わせた
少女が背中をさする内に抵抗を失った、芳乃の中へと舌を差し込み絡ませると、
芳乃の口の中にも血の臭いが伝わってくる。
恍惚とした表情で体を震わせながら身を任せると、唐突に視野が暗転し芳乃の意識は途切れた。
――雑音に叩き起こされるように吉乃の体がびくりとはねる、
そこには先ほどの廊下で窓を見つめたままの状態で固まっていた自分がいた。
辺りを見渡すと廊下に座り込み喋りこんでいる生徒や、駆け足で部活へ向かう生徒達であふれている。
「……夢?」
「竹井せんぱーい、部活始まってますよぉ!」
「あ、あらあら、ごめんなさい……すぐ行きますね」
ホッと胸を撫で下ろした芳乃は後輩の声に呼ばれ、茶道部の部室へと向かう途中
ふと、あのピアノの音色が聞こえたような気がした。
◆
『学長室』
学園長の執務室、皮椅子に小柄な体をすっぽりと収め、肘をかけた学園長が椅子に座りなおすと、
サクマ式ドロップスを片手に生徒会執行部からの報告を受け取っていた。
「では、牧田……現状はどうなっとるかの?」
「はい、例の件に関しては、我々執行部も情報を集めています」
「先のことを読めぬようでは後手後手に回るだけじゃ、
該当する生徒の監視をより一層強めるようにな、ところで小金井をみかけぬようだが?」
「まだ情報収集から戻らないようで連絡が取れていません……」
学園長はふむと一息入れると、カラカラとドロップを振り、小さなてのひらにカラフルな飴をいくつか乗せると
牧田に向かって差し出す。
「大儀であった、飴ちゃんをやろう、好きなものを選ぶがよい」
「は、はぁ……じゃぁ黄色で」
「む、ぱいんか? ぱ、ぱいんはたしかに美味いしの
高級感あふれる味がするよのう!」
「あ、えと……では赤を」
「い、いちごと申すか? わしも大好きでな……いちご!
ふるーてぃで甘酸っぱい感じが何とも言えぬ!!」
「では、ハッカ味で」
「うむ、そうか」
しぶしぶとハッカ飴を受け取り、学長室を退出しようとした牧田を学園長が呼び止めると、
整然とした口調で警戒をうながした。
「ゆめゆめ油断するでないぞ、あと――」
「学園長、何か問題でも?」
「――深く座りすぎて椅子から尻が抜けなんだ、手を貸してくれ」
(大丈夫か、この学園……)
最終更新:2008年09月23日 00:53