542 名前: 普通の日常 [sage] 投稿日: 2008/09/19(金) 01:15:55 ID:fK1+jcW0
◆
一人の少年が国立図書館の玄関先で壁に背をもたれかけ、待ち人を待った、
単語帳を手に取り片手間でテスト勉強に勤しみながらも、かれこれ1時間以上の時が経ち、思わず不満の声が漏れる。
背には風呂敷包みの長物を抱え、中身が壁と触れるたびにかちりと音を立てた。
「やれやれこの調子じゃ、次のテストが思いやられるよ
まったくもう、生徒会長も人使い荒いんだから……」
一人ぼやきながら不意に目を上げ、目的の人物が国立図書館から出て行くのがみえると、重い腰を上げ尾行を再開する。
『松田五郎』現在マークされている要注意人物の一人、小金井が一通り彼の経歴を読んだ感想を言えば目立たない男だった、
女子との間にうわついた噂もなければ、勉学に勤しむ様子もなし、運動レベルも並以下である。
それゆえ彼が学園について調べまわることに大した警戒もしてはいなかったのだが……。
(あまりに手際がよすぎる……
この場合、わざと目立たないように行動してると考えた方が自然だよね)
薄く考え事をしながら、五郎と距離を取り尾行を続けていたが、突然五郎が脇道へと走り込むと、
あわてて少年も彼の姿を追った、店の路地裏を突き進むと、途中でぷっつりととぎれ、道は行き止まりとなっている。
呆気に取られ頭をかく少年の背後から迫る黒い影が彼の視界の隅に入ると、素早く身を翻しその場を飛びのいた。
「!?」
「おっとぉ、落ち着いて、小金井君」
「――松田さん、タチの悪いジョークはよしてくださいよ」
「そりゃーこっちの台詞だよ、誰か尾行してくるもんだから
ちょっと確認しようと思っただけだよもん……でもあれだね、いま凄い飛ばなかった?」
とっさの判断の行動だったため、不信感を覚えた五郎を説得するように、
小金井は苦しい言い訳を考えるとその場を取り繕うようにごまかす。
「実は僕、逃げるのだけは得意なんです」
「オリンピック目指してるの?」
「あ、ありませんよ! そんな競技!」
「カバディ、カバディ……」
◆
怪しげな動きでまとわりつく五郎を無視すると、しばらくの話し合いの後に
『マクガフィン』にて話し合いの場がもたれることになった、本来マークされている人物との接触はご法度だが、
双方に敵意がない上に、尾行がバレた今となってはやむをえない状況だった。
二人が席に着くとウェイターの牧田が現れ、なにげなく注文を取り始める。
「らっしゃーやせー」
「な、何してるんですか? 牧田先輩」
「これも任務のためだ、見逃してくれ、守……今月ピンチなんだよ」
「めっちゃ、私情ですね」
あえて牧田の存在を無視しながら、二人はコーヒーを頼むと、五郎が持っていたカバンからメモ帳をゆるりと取り出し
テーブルの上におくと小金井の質問に対して受け答えを始める。
「それで……尾行をしてまで、この松田五郎に何のご用件ですかな?
愛の告白以外なら、何でも受け付けておりますよー」
「あなたに対する尾行に関しては生徒会長、ひいては学園長の指示です、
我々生徒会には生徒の安全を守る義務も含まれていますので……。
松田さんが今調査されている件は危険をはらんでいるんです」
「学園長? 俺が過去の資料を引っ張り出して、調査すると不味いことでも何かあるのかい?
――それとも高杜、ひいては
高杜学園で頻繁に起こっている失踪事件に関することかな」
「そこまで調査されてるのなら話は早い、仰るとおりです」
小金井のその言葉を聞いた瞬間、五郎から感じられる視線の質が変化する、
さきほどまで飄々としていた男から感じられるものとは全く異質なものである。
小金井の一族は代々、高杜に根を張り暗躍している剣客の一族であった、兄弟は全て高杜学園に通い
生徒会執行部としての責務と学園長から与えられた恩義に報いる為に働いてきた。
そして、その累々たる血脈にからくる本能がその殺気を否応なく察知したのだ。
「こ、怖いな……勘弁してくださいよ、松田さん」
「ん、なにが?」
「失踪事件に関しては生徒会の中でもたびたび問題になっています、
僕の兄も……10年ほど前に該当する事件に出会ってまして、その事を非常に悔やんでいました
これらが一定周期で増加傾向にあるのはこちらでも掴んでいますが……」
「失踪の原因に関しては不明、という事かな?」
「えぇ、そうなります」
五郎がいつものような気の抜けた目付きに戻ると、小金井はほっと胸を撫で下ろし苦笑いする、
コーヒーを飲み干し、トイレに松田が席を外すと、小金井は車の流れる街並みを眺めながら帰りを待った。
――10分後――
「お、遅いなぁ……松田さん」
「なんだ守、まだいたのか? 連れの人ならさっき店から出てったぞ?」
「そういう重要なことは早めに教えてくださいよ、牧田先輩!」
「泥水2杯のお会計、しめて630円です」
「しかも食い逃げッ!?」
◆
淡い色彩を放つ追憶、公園の緑あふれる景色のなかで小さなてのひらとてのひらを結んだ二人は遊歩道を歩いていく、
ゆるゆると流れていく時間、そこには二人だけの時間が広がっていた、澄み切った青空を眺め談笑するうちに
二人は小指を絡ませ、ゆびきりをすると一つの約束を誓った、一人にとっては他愛もないこと。
だが、もう一人にとってはそれが人生の全てだった。
『指きりげんまん嘘ついたら針千本飲ます……指切った』
◆
屋外の電灯に火が灯る、引き寄せられた蛾が電灯に幾度となくぶつかると、かつかつと音を立て周囲に響いた。
街並みから流れてくる重低音の耳鳴りを聞きながら、五郎は真夜中の公園に辿りつくと、いつものベンチへと座り込む。
周囲には人気もなく、時折風に吹かれた木々の枝葉が音を立てる、高杜の植林された木々の中で
この公園は最も自然に近い形で今もなお、生き続けている。
五郎は胸元のポケットを探り、両切り煙草の最後の一本を取り出すと、鼻に下にタバコを横になぞらせゆっくりと臭いを嗅ぐ、
ライターで火をつけゆっくりと肺に満たすと、虚空に向けて煙を吐き出した。
「――五郎さん」
「……!?」
後方の木陰から声が聞こえてくる声、被っていた帽子を脱ぎ黒髪を露わにすると、芳乃は五郎の背後へと近付く、
手に持ったランチバックを長い時間持っていたせいか、握った手のひらが赤く染まり、顔には疲弊の色が見える。
いつもの休日、いつもの時間、彼女はこうして現れることのない人を待ち続け休日を過ごしていたのだろう。
「今日はたくさんお弁当を作ってきたんですよ、
少し……冷えてしまいましたけど、ハンバーグはお好きですか?」
「竹井さん……」
「ち、ちょっと失敗して玉子焼きの形を崩してしまったんですけど、
でも……あ、そうそう、麦茶は――」
「竹井さん、あまり俺に構わないでください」
ランチバックからお弁当を引き出そうとしていた芳乃の手がぴたりと止まると、小刻みに震え始める、
吉乃が顔を上げ五郎の横顔を見つめると、理由を問いただした。
「な、なぜですか? 松田さんは……やっぱり長岡さんと?」
「いえ、関係ありませんよ、ただ、俺はこうしてあまりよくしてもらえるのは、
気がねすると言うか……」
「嘘、嘘ですそんなの……私はただ松田さんの為に
喜んでもらおうと、頑張っただけなのに」
「長岡の奴とは中学からの腐れ縁で友人の一人なんで、これと言って親密な関係じゃないですよ、
竹井さんも俺の友人として、それで仲良くやっていければ――」
言葉の先を待つ前に芳野は五郎の袖口を掴み体を寄せ、甘えるような仕草で頬を寄せた、
興奮状態にあるのか、呼吸は荒く、目は虚ろになり五郎の目を見つめる。
「松田さんにとって遊びでもいいんです、
私は傍においてもらえるだけで、だから……私を――」
「悪いですけど、こればかりはどうにも」
「――なぜ? どうしてッ!!」
しがみついてくる芳乃に引き倒されるように二人はベンチから転げ落ちると、五郎は地面を転げながら芳乃と距離をとった、
火のついたタバコを地面に取り落とし、若干困惑の表情を見せる五郎が周囲を見渡す。
芳乃の周りにある空間が文字どおりに『歪んでいく』のが目に見えて分かる。
「もう、一人ぼっちは、嫌なんです……」
「!?」
右腕に違和感を覚えると、何も無い空間から波紋が広がるように五郎の腕が変形していく、
本能が危険を察知したその瞬間、体に衝撃を感じると、二人の影がもつれあいながら、
公園の丘の下へと転がり落ちていく。
「小金井!? さっきのコーヒーごっそさんっした」
「んな、のんきな事言ってる場合ですか! 彼女になにをしたんですかッ!!」
「なにもしなかったら怒られた」
「また、意味の分からないことを……」
二人が恐る恐る丘を登ると、芳乃の姿は既に見えなくなっていた、
小金井は携帯を懐から取り出し電話をかけるが、繋がらないのかそのまま電源を切ると、
五郎に話しかける。
「菅原さんに繋がらない……こんな時に、松田さん一体何があったんです?」
「君が隠してることを教えてくれれば、協力するよ」
不意に交換条件を提示された小金井は迷った様子を見せたが、しばらく思案したのちに重い口を開いた。
「――紫阿童子の伝承はご存知でしょう?」
「あぁ、知ってるけど?」
「人間に化けた魔物から椿姫を守る為に紫阿童子が戦う、
ここまでが口伝の伝承で伝えられていること、問題は姫を攫う魔物の動機です」
「人を喰うだとか、単純な理由付けじゃないのか?」
周囲を走りながら見渡すが芳乃の姿はどこにも見当たらず、二人は肩を下げて顔を見合わせる。
「僕は詳しいことは分からないんですが、死者に魅入られるといった方が適切ですね、
椿姫が伝説通りの人物なら、周囲は彼女に対してどうすると思いますか?」
「我侭な姫様らしいから、いやいやながらも従うが、腹の底では疎ましく思うだろうな」
「つまり、妖に惹かれやすい人物というのは、周囲から孤立する人なんです」
「……そうか、成る程な」
「どこで引き込まれたかは分かりませんが、ひょっとしたら学校にいるのかも……
僕、ちょっといって来ます!」
◆
夜の公園を飛び出し、深夜の街中を走ると二人は高杜学園へと辿りつく、月明かりは雲に隠れ、周囲は静寂に包まれる。
二人は小金井の持っていた鍵で校舎内に進入すると、辺りを見回し芳乃の姿を探した、
校舎の教室内からは時計の刻む音がかすかに聞こえ、二人の足音が廊下に響いた。
「幽霊でも出そうな雰囲気だな」
「害の無い霊ならいくらでも出ますよ、ここじゃないのかな?」
「多分、上の階じゃないか?」
階段をかけのぼると、どこからとも無く悲しげなピアノの旋律が聞こえてくる、
小金井が周囲を警戒しながら歩調を落とすと五郎が先行して最上階の教室へと辿りついた。
「こんな場所に教室は無かったはず、それにこの曲は?」
「――555曲のソナタ」
「とにかく先を急ぎましょう、手遅れになる前に!」
◆
廊下に積もる埃を舞い上げながら、廊下を駆け抜けると行き止まりにある扉を開く、
天窓から差し込む月明かりに照らされる少女、そしてその傍らには芳乃の姿があった。
芳乃は驚きの表情を見せみじろぎすると、先ほどの五郎とのやり取りを思い出し、顔を赤く染めて俯いた。
少女がピアノを弾く指を止め、その場で立ち上がると、小金井は背負っていた風呂敷包みから刀を取り出し、
半身に構えると少女に向かって話しかける。
「あら、今日は随分とお客様が多いのね、嬉しいわ」
「あんたが何者なのかは知らないが……その子を渡すわけにはいかない!」
「面白いことを言うのね、この子は自分からすすんでここに来たのよ、
私以外に誰も頼る人がいない……なんて可哀想な子」
少女が芳乃の体を抱き寄せ子供をあやすように頭を撫でると、五郎が歩みを進め、少女の元へと近付いていく、
白い腕をついと差出し、五郎へと向けると、先ほどと同じように五郎の周囲の空間が歪み、
腕を捻る動きに呼応するかのごとく激しい衝撃が五郎の体を襲った。
「がぁッ!?」
「やめてッ! 松田さんは関係ないの!」
芳乃の体が少女から僅かに離れたその瞬間を見逃すことなく、小金井が鋭く床を踏み抜くと
少女の元へと襲いかかり、肩口から袈裟に振り下ろすように斬りかかる。
「まぁ、怖い」
「!?」
切っ先が少女の体に触れる直前に、中ほどから二つに折れ、小金井の放つ剣戟が虚しく空を切る、
振り向きざまに剣を振るおうとした、小金井の脚が急激に感覚を失い、完全に硬直する。
「クソッ、身動きが取れない! 竹井さん逃げてッ!」
「無駄なこと、もう一人はまだ元気のようだけど」
ゆっくりと立ち上がる五郎に向け腕を広げた少女は、何かを思い直すような仕草を見せ、
指を一本だけ立てると、五郎の周囲に小さな歪みを作り出した。
「芳乃さんの心をもてあそんだこの男に罰を与えましょう、
これで分かるかしら? 『孤独』に追い詰められた者の気持ちが……」
次々と繰り出される衝撃圧の連激が五郎の体を襲うと、芳乃は少女の腕を振り解き、五郎の体を寄り添うように支えあげる、
その光景を見た少女はその眼に、より一層の深い憎悪を浮かべると、
五郎の体を弾き飛ばした。
「もうやめてッ! 私はこんなこと望んでなんかいないッ!」
「う……ふふ、ははは、そうよ……そうよね、結局は好きな人が大事!
芳乃さんには救いがあるんだもの、御伽噺の世界と一緒! 妖は救われないのよ、いつだって!!」
「どいてくれ――竹野さん」
「え……?」
五郎は庇う芳乃の体を突き放すと、ゆっくりとした足取りで少女の下へと歩き出す。
「鬱陶しい!!」
打ち込まれた衝撃で膝をつき、五郎の顔が歪む。
「もういいわ……茶番はここまでよ! それとも本気で死にたいのかしら!?」
数度打ち込まれた衝撃に五郎は膝を付くことなく立ち上がる。
「なんなのあなた? それ以上近寄ったら、首の骨をへし折るわよ!!」
五郎は少女へ向かいゆっくりと小指を立て手を差し出す。
「――約束」
「!?」
五郎は誰にも見せることのなかった笑顔を少女に向けると、
彼女の白い指に手を触れる、どことなく懐かしいその温もりに少女の心は落ち着きを取り戻した。
◆
ラジオから幾度と無く繰り返されるピアノの旋律、変わらない毎日
高杜学園に在籍していた少女は生涯の大半を、病院から窓の外を眺めて過ごした
外出許可の出た休日には、公園の緑を眺めていた
ある日、一人の少年と友達になった
お互いに手を引いて、二人は小指を絡ませ、ゆびきりをすると一つの約束を誓った
『大きくなったら迎えにいくから』
一人にとっては他愛もないこと
だが、もう一人にとってはそれが人生の全てだった
◆
「五郎ちゃん?」
「ずっと待ってたけど来なかったから……捜してた、遅くなってごめん」
あの頃の少女に身をあずけると、いくぶんか大人になった少年は彼女の手を取った、
在籍していた学園から唐突に姿を消し、行方知らずとなった少女を捜し歩いた。
休日の日にはいつものように公園で待ち続けた、ただ一目でも彼女が幸せになれたのだと知りたかったから。
「そんな、こんなことって……」
「はは、御伽噺の世界と一緒だね」
「私……大変なことを」
「俺のこと嫌いだった?」
少女が首を左右に振ると、五郎は彼女の頭を胸に抱きしめる、
ずっとこうしたかった、ずっとこうされたかった、二人の想いが互いに交じり合うと、
小さな少女の体が、淡い光に包まれると月明かりに舞う塵と共に霧散していく。
五郎自身こういう結果になることは分かっていたのかもしれない、
未練を残して妖になるのなら、その思いが消えれば同じくして消えるのだと。
彼女が消えてしまう前に五郎はずっと伝えたかった言葉を口にした。
「――ずっと、好きだった」
少女は戸惑いながらもにっこりと口元に微笑をたたえると、天窓から空へと塵となって消えた。
芳乃と小金井が五郎の元へと歩み寄ると、
涙を流す五郎に慰める言葉も見つからぬまま、その場に立ち尽くす。
薄暗い空に朝日が昇り始めると、今日も普通の日常の始まりを告げた。
最終更新:2008年09月23日 01:07