居酒屋『遊楽亭』
 Author:◆ghfcFjWOoc


528 :居酒屋『遊楽亭』 ◆ghfcFjWOoc :2008/09/18(木) 02:34:26 ID:N6g5mznJ

 この界隈に店を開いて随分経つが毎日色々な客が訪れる。
 そんな客との会話がこの仕事の醍醐味の一つだ。
 それがただの愚痴だったとしても。

 カウンターに顎を乗せて、一人の男がくだを巻いている。

「娘がさ、男を家に連れて来たんだよ。その男がどうにもいけすかない奴でさ」

 そこまで言って猪口に注がれた酒を一気飲みする。
 その横には空になった徳利が四つ。

「旦那、ちょっと飲み過ぎだよ」
「減らしたかったらもっと強いの用意しろ!」

 やれやれと嘆息しながら徳利を取り出す。
 今相手をしている客は常連という程ではないが、ちょくちょく顔を見せる男だ。
 店に来る時は大抵の場合、今回のようにぐでんぐでんに酔っ払って愚痴を漏らす。
 愚痴の内容は大体が家庭の話で占められている。
 何でも、婿養子なので家の中では立場が弱いらしい。

「娘は娘で「なんだ、いたの?」って目で見てくるし。確かに仕事で家を留守にする事は多いけどさ」

 猪口に注ぐ事が面倒になったのか、徳利に直接口を付けて飲み始める。
 仕事の詳しい内容は聞いた事がないが海外への出張が多いらしい。

「その仕事も幸先が悪いんだよ。用事があるから会いに行った奴は留守だし。これもそれも、あのクソガキのせいだ」

 何処の誰かは知らないが、不幸な青年がいるものだ。
 もし店に来る事があれば奢ってやるのもやぶさかではない。



529 :居酒屋『遊楽亭』 ◆ghfcFjWOoc :2008/09/18(木) 02:35:38 ID:N6g5mznJ
「嫁は日和った事を言うし。何が「若いっていいわね」だ」
「でも、あれだろ? 娘さんも高校生なんだから父親を煩わしく思い始める頃なんだよ。下着を一緒に洗濯するなって言ったり」
「昔は一緒に風呂に入ってたんだけどな……。俺風呂嫌いなのに頑張ったんだよ」
「諦めるしかないんじゃないかね。娘を持つ父親の共通の悩みだな」

 実は客の中にはこの手の愚痴は少なくない。
 娘が援助交際をしているらしいだの、フリーターと結婚すると言い出しただの。
 本当に深刻な場合だと、声もなく泣き出すので愚痴として吐き出せる内はまだ気軽に付き合える。

 まあ、酒を飲むだけで料理を一切注文しないのは、料理人の端くれである自分にとって、もどかしいものがあるが。

 ふと、男が横を向き、視線が一ヶ所で止まっている事に気付く。
 その視線を追ってみると壁に張られた一枚のポスターに向いている。


 まだまだ先の話だが、地域住民にとっては一大イベントなので今から宣伝が行われている。

「五年前のに娘が出てたな」
「へえ。娘さんの晴れ舞台だし、写真とか撮ったのかい?」
「知り合いも動員してあらゆる角度から撮影して高画質、高音質で保存してある」

 男は得意げに立てた親指を突き出す。
 親バカだ。
 むしろバカ親だ。

「今年の祭は見るのかい?」
「どうしよっかな。それまでには仕事が片付くだろうから高杜にはいられないかも。
 それに、どうせ娘はあのクソ野郎と見に行くとか言うんだろうなぁ」

 残念ながら、父親と一緒に祭に行く女子高生というのは少ないのではないだろうか。
 他の客との会話等を鑑みるに友人、あるいは恋人と一緒に出歩くのが一般的な気がする。

 鬱になったのか、男はカウンターに顔を伏せる。

「旦那、今晩は付き合ってやるよ」

 その日は閉店時間を過ぎても店の明かりが消える事はなかった。



530 :居酒屋『遊楽亭』 ◆ghfcFjWOoc :2008/09/18(木) 02:36:52 ID:N6g5mznJ
以上です

居酒屋『遊楽亭』
高杜モールの本通りから外れた裏通りに居を構える居酒屋。
面倒見のいい店主がおり仕事帰りのサラリーマンに人気である。
おでん、焼き鳥、刺身、唐揚げ、漬物などの定番メニューは大体取り揃えられている。




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最終更新:2008年09月23日 01:12