663 :早明浦観測会 ◆ghfcFjWOoc :2008/09/27(土) 23:44:28 ID:572OYTap

 うっかりしてた。
 寮に帰り、ドアを開けて中に入った瞬間、御上は冷蔵庫が空っぽだった事を思い出した。
 朝は覚えていたのに学園にいる間にすっかり忘れてしまっていたのだ。

 財布の中身を確認するとあまり手持ちがない。
 買い物の前に銀行に行かなければならない。
 頭の中で予定を考えながら制服を脱いでハンガーにかけ、私服に着替える。



 向かったのは高杜モールにあるスーパー。
 惣菜などが安いのでこちらに来てからは重宝している。

 米二キロとレトルト各種、カップ麺を数個に二リットルの飲料水と冷凍食品、あとお菓子も少々。
 もっと買いたかったが、一人では限界がある。

 両手に買い物袋を下げて高杜モールから出た御上はその直後、腹部に突然の圧迫を受けた。
 不意の衝撃に視線を落とすと、すぐにその原因が判明した。
 何という事はない。
 子供がぶつかってきたのだ。

 小学校低学年か中学年くらいの少女で、長い髪に華奢な手足、人形のように整った顔立ちは可憐で愛くるしい。
 ぶつかった時のダメージから結構な勢いで走っていたと思われるが、不思議と少女の息は切れていなかった。
 その少女は驚いたように目を瞬かせ、御上に何度も頭を下げる。
 人通りの多い往来で子供にそんな事をされてはばつが悪い。

「ごめんなさい」
「あ、いや、別に怒ってないし」

 宥めようとする御上だが、少女は相変わらず謝るばかり。
 彼等の背後で買い物帰りの主婦がひそひそと会話を始める。
 その空気に耐えられなくなった御上は、少女を抱えるようにしてその場から退却する。


 後で人から聞いた話だが、その日、高杜モール周辺に女児誘拐犯が出没したらしい。
 物騒な話だ。






664 :早明浦観測会 ◆ghfcFjWOoc :2008/09/27(土) 23:46:04 ID:572OYTap
 逃げ出した御上はモール近くの公園にあるベンチに座る。
 夕日が沈み始める時間なので遊んでいる子供の数も少ない。
 ビニール袋の中を漁って買ったばかりのスナック菓子をさっそく開封する。

 少女は最初、初対面の相手の出した物に警戒したのか、なかなか手を付けようしなかったが、暫くすると少しずつだが、手に取って食べるようになる。

「美味しいか」
「……うん」
「そりゃ良かった。勝手に連れてきちゃったが、どっかに行く予定とかあった?」

 少女は無言で首を横に振る。
 良かったと内心で安堵した御上は、肝心な事を忘れている事に気付いた。

「そういえば、名前聞いてなかったな。俺は御上、御上錬冶」

 少女はまたしてもだんまりだったが、肩から下げていたポショットから一枚の名刺を取り出した。
 迷子になった時の為に親が持たせていたのだろうか。
 その名刺には大きな字で「雨都みか」と書かれその上に小さく「あまさと みか」と書かれていた。

「へえ、みかちゃんか。よろしくな」
「……うん」

 それから二人は色々な事を話した。
 とは言っても、御上が一方的に話し続け、みかがそれに相槌を打つという形だったが。

「ロリコン」

 突然の声に誰だよ、と振り向くと、公園の入り口から一人の女がこっちを見ていた。
 高杜学園高等部の女子の制服、肩口で切り揃えられた黒髪。
 左手で鞄を持ち、右手で日傘を差している。
 同級生の九条恭華だ。
 日傘って何処のお嬢様だよ、と思うが実際に恭華はいいとこの令嬢だったりする。

「可哀想なまきちゃん。まさかあなたが幼女趣味だったなんて」

 失礼な事を言いながら隣に座る。

「部活の帰りか?」
「ええ」

 人の買い物袋の中からペットボトルを取り出して当然のように飲み始める。

「腕の立つ弁護士を紹介してあげるし、慰謝料が払えないならといちで貸してあげる」

 こいつの中では自分は完全に性犯罪者扱いだ。

「俺はペドじゃない」
「さあ、お姉さんと一緒に帰りましょう」

 御上の言葉を恭華は無視。
 鞄の取っ手を手首にかけ、日傘を持ち替えて空いた手を差し出すが、みかは顔を伏せて無反応。
 しばらくそうしていたが、手を掴まれる事はない。
 気まずいのを誤魔化す為か、恭華はスナック菓子に手を伸ばす。

「これガーリック味? 私は嫌いなんだけど」
「知るか。いや、知ってるけど」

 勝手に飲み食いされた挙句に文句を言われたのでは堪ったものではない。
 一度手に取ったものを戻すのは抵抗があるらしく、恭華は渋々と言った表情で口に放り込む。

「飲み物、スポーツドリンク以外にないの?」
「ない。欲しかったら自分で買え」
「じゃあ、いいわ」
「お前、飲み食いした分は金払え」
「そうだ。記念に写真撮りましょう」

 自然に聞き流して鞄の中から携帯を取り出してこちらに向ける。
 対象は自分ではなく、みかだろう。
 本人の了承を聞かぬまま、携帯はパシャリと音を鳴らす。

「聞いてなかったけど、名前は? 私は九条恭華」

 尋ねるが、みかはもじもじするだけでなかなか答えようとしない。
 人見知りでもするのだろうか。
 仕方ないので代わりに御上が答える。

「雨都みか」
「あまさとみか……どんな字?」
「空から降る雨に京都の都にみかは平仮名だ」
「ふーん」

 呟きながら親指を素早く動かして携帯に文字を打っていく。

「そんなの記録してどうするつもりだよ」
「別に深い意味はないけど」

 記録が終わったのか、携帯を鞄に仕舞って再び日傘を持ち替え、こちらを向いたまま後ずさりする。

「じゃあね、みかちゃん。また会えるといいわね」

 鞄を持った手をぶんぶん振りながら公園から出ていく。
 慌ただしい女だと御上は嘆息する。
 昔からあの行動力には振り回されっぱなしだ。
 まあ、あれで意外と体が弱く、貧血で倒れる事もしばしばあったが。

「……あの人、怖い」
「はは。取って食ったりはしないさ。っと、こんな時間かそろそろ帰んないとな」

 公園内の時計を見ると意外に時間が経っていた。
 それだけ熱中していたという事か。

「送っていくよ」

 こんな時間まで付き合わせた以上はそれが最低限の礼儀だ。
 しかし、そんな御上の思いとは裏腹にみかは首を横に振る。

「大丈夫。一人で帰れる」
「まだ小さいだろ」
「近いから」
「だとしても暗くなってきてる」
「暗くてもちゃんと見える」

 そんな問答が一頻り続いたが、遂にみかは根負けし、御上が送って行く事を承諾した。



 みかの家は南部の住宅街にある一軒家だった。
 なかなか立派な家だと感心しながら表札に雨都とあるのを確認。
 玄関の前には植木鉢が並び、ドアには手製のネームプレートがかかっており、そこには「香々斗、瀬尾、みか」と書かれていた。

「……」

 家の前に来た時から気になっていたが、もう暗いのに、家に電気が点いていない。

「二人とも居ない」

 悲しげにみかが説明する。
 共働きか。
 まだ小さい子供がいるのにどうかとは思うが、人様の家の事情にまで首を突っ込む訳にはいかない。

 みかは鍵を開けてとぼとぼと家の中に入っていく。

「なあ、みかちゃん。また、今度一緒に遊ぼう」

 振り向いた時の彼女の表情が今でも記憶に残っている。
 冷凍食品は自然解凍されていたが些細な問題である。








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最終更新:2008年10月04日 21:24