88 :普通の日常:2008/10/03(金) 18:58:54 ID:JTIPG41i
朝靄の中、夏の暑さも薄れ秋の穏やかな空気が流れ込んでくる
中央市街の『小金井道場』の軒先で
頭首である小金井弦蔵が緩やかな動きで巻き藁に構えた刀をそえる、そのそえた三寸の距離で目を見開くと
手を返し一閃、一気呵成の呼吸により、振りかぶることなく陶物を見事に両断してのけた。
小金井家次男である豊はその幻術とも見まがえるような人知を超えた技の前に言葉を失う。
「なにを締まりのない顔をしておるか」
「あ、と……申し訳ありません」
「門下の者がおらぬ所ではそう他人行儀で振舞わなくともよい、
今日呼んだのは他でもない、道場の家督を継ぐものを決めておこうとおもうてな」
「跡継ぎですか……」
「うむ、流石に年寄りの身で警護の頭と道場を取りまとめるのは楽ではなくての、
警護に関しては、御館様をこの身朽ちるまで守り通すと誓った身ゆえ退くことかなわぬ。
それゆえ道場に関しては豊、お主に任せようと思うのだが?」
とつとつ切り出す穏やかな口調に内心穏やかならぬ重圧を感じた豊は
顔を上げると、本来であるならば跡継ぎとなるはずであり、志半ばに妖に倒された父のことを思い返す。
「な、なぜ私なのですか? こういってはなんですが、私は剣の腕に関しては厳兄には敵いませんし、
守も妖を相手取り、実力に関して言えば……」
「確かに……長男の剣の才覚に関しては活目すべきものがある、まさに剣を振るう為に産まれてきたような男よ、
しかし、勇猛無比であるが故に他の者と迎合することを知らぬ、剣の腕と人を纏め上げる能力とは別だからの」
「では、守は?」
「あやつは憑かれておる――」
そう弦蔵が言葉を放つとその意味をはかりかねたのか互いが顔を見合わせると、
しわがれた手で縁側に手を着きその場で腰を下ろした。
「両親が妖に討たれたとき、お主らは泣いておったな、
しかしわしは忘れんよ、あの時の守の顔を……余程、父を討った妖が憎かったのだろう。
幼子でありながら次の日には倉から真剣を持ち出し、血が滲むまで剣を振るっておった」
「しかし妖を討つことは、我らにとっても本分の筈……」
「あやつは妖を手にかけ祓うことに、なんら疑念を抱いてはおらん、
闇を斬るのが我らの本懐としても、憎しみだけで妖を斬るあやつの剣は闇に染まりすぎている。
場合によっては修羅にすらなりかねん……ゆえに守にはいずれ剣の道から身を退いてもらおうと思っておる、よいな?」
「――はい」
豊は腰を上げ祖父に一礼するとその場を立ち去り玄関先へと向かう、先ほどの祖父の言葉を思い返し、
鬱積した心境を吐く息で流し、先のことをとりとめもなく考えはじめると、
慌てふためきながら玄関先から一組の兄妹が飛び出してくる。
「あっ、おはよう兄さん!」
「お、おぅ!」
「もう、ちぃ兄様が寝坊するから! 早く行かないと私まで遅刻しちゃう」
「んじゃ、いってきまーす!」
疾風の如く二人が駆け抜けていくと、一転して周囲が静寂に包まれる。
豊は口元を吊り上げ薄く笑い、頭を掻きながら玄関扉を開けると、さきほどの祖父の言葉を思い出し言葉を漏らした。
「修羅……か」
高森モールに店を構える『応龍飯店』ではランチタイムを向かえ、訪れたサラリーマンや事務所に対する大量注文をこなす為、
店員達が慌しく動き回っていた。相当の重量であるスープの入った胴鍋を一人の男が軽々と抱えあげると、
再び厨房に追加の注文が入る。
「三嶽営業所から注文入りましたー」
「おい、新入り悪いが手が離せねぇ、揚げ物の様子見といてくれ」
「はい厨房長! この松田にお任せを!」
「返事がいいのはいいんだが……まぁいい、しっかりやれよ」
大量の揚げ物を油から引き上げると、再び材料の切り分けを行い慣れた手つきで下ごしらえの終えた材料を、
ボウルの中へと放り込んでいく、さらには洗い物へと戻ったかと思うと、慌しく廃棄するゴミを持ち裏口へと捨てに向かった。
「今回の新入りさん割りによく動くわねぇ」
「なぁに、すぐに音を上げるさ。
しかし、なんでまた店長はこんな時に学生を雇い入れたんだ?」
「なんでも両親が亡くなって天涯孤独、唯一の親類である妹さんを食べさせる為に
どうしてもお金が必要だからって……店長この手の話に弱いからねぇ」
「うぅ……な、泣かせる話じゃねぇか」
「あらら、弱い人がここにも一人」
昼の嵐が過ぎ去り勤務時間を終えると、不法就労を終えた五郎が裏口からタッパを抱え歩いてくる。
不意にテコテコと迷子のようにさまよい歩いてきた山姫とばったり出会い、互いに声をかける。
「ごろうはっけん」
「なんで外に出てきてるの? ちゃんとおうちでじっとしてなさいって言っておいたでしょ、
俺みたいな人に拉致されたらどうするの!?」
「たべもの」
タッパの中のブツを凝視しながら鼻をならす妖怪にタッパを押し付け、二人は駐車していた原付に乗り込むと
住んでいるアパートの一室へと走り去っていく、辿りついた頃には日も傾き、タッパの中のブツは一つ残らず消え去っていた。
五郎は部屋に入りちゃぶ台の前に腰を下ろすと、認定試験の問題集を開きながらぼそぼそと暗記していく。
両親の残した遺産はあるものの、手を付けることを五郎が拒んだため、二人は母方の親戚が経営しているアパートに入り込んでいた。
アニメを見ながら一人盛り上がってる山姫に目を移し五郎は深く溜め息をつく、
不滅の存在になったとはいえ、唐突に抱え込んだ姉に似た姿の少女の存在が彼にとっては億劫となっていた。
ふと目を移し銃創がついた左手を眺めていると、少女は傍らに擦り寄ってくる。
顔の血色があまりよくないのか、唇が蒼白くかたかたと震えていた。
「ごろう……さむい」
五郎が近くにおいてあったナイフを腕に押し付けると、山姫は彼の首を指差し腕を制止する。
「くびがいい」
あきれ返った表情で五郎は溜め息をつきつつ、首に刃を押し付け勢いよく引き抜き、首から赤い鮮血を滴らせた。
少女は男に抱きかかえられるように飛びつき、首筋の傷に唇を合わせ溢れ出す血液を飲み、口の中で咀嚼するように血の味を楽しむ。
見る見るうちに顔色に血色が戻ると、高潮した頬を寄せ五郎の首筋へと更に歯を立て齧りついた。
「体に悪いもんばっか食ってると腹壊すよ?」
「おいしいからいいの」
何を思って妖と血を交わしてしまったのか、五郎にも解りかねていた、気がつけば彼女に向けていた銃で掌を撃ち抜き
自らの血を与えていた、姉に似ているから? 洞窟で一人漂っていた彼女に同情したから? その答えは彼自身にもわからなかった。
次第に山姫の体から力が抜けくたりと倒れ込むと、その場で寝息を立てながら眠り始める。
「……」
「喰うだけ喰ったら寝るとか、赤ん坊か君は……」
寝室へと体を移し布団をかけてやると、枕元で女の寝顔を見つつ立ち上がる、この先探索を続けることを決めていた彼にとっては
望まれざる来訪者の存在は邪魔になるだけだろう、眠る相手が気付かぬように印を組むと静かに『虚空』を発動させた。
以前の自分であれば眉一つ動かすことなく眉間を撃ち抜いたことだろう、しかし彼の心中で葛藤が巻き起こると
印を組む手がぴたりと止まり、苦い表情をみせ汗を流す。
(何故手が動かん? こんな女の一人や二人
――俺にはやらねばならない事が)
不滅の魂に霊体をも貫き滅する陰陽の術、必要な物は揃っている、姉を妖の道へと引き込んだ者を探し出し
この手で塵に還すまでは立ち止まってなどはいられない、焦燥に捕らわれ止めた腕が震えだす。
見下ろしていた少女は柔らかな布団に包まれ、遠い昔の夢を見ていた。
――――――
母に背におぶられた、少女が眠っている
とんびが空でくるくると回ると、村に冬がやってくる
一昨年の冬が来ると「ゆうかく」にいって、お姉ちゃんがいなくなった
昨年の冬が来ると「ほうこう」にいって、お兄ちゃんがいなくなった
そして――また冬がやってきて、少女は産まれて初めて白いお米のおにぎりを食べた
母に背におぶられていた少女が目を覚ますと、そこは山の中
冬の山中で少女は自分の身に何がおきたのかも分からず
母を捜し歩き続けた
―――――――
山姫がうっすらと目を開くと視界がぼやける、何か悲しい夢を見ていたようで、涙を浮かべた目を擦りながら周囲を見渡す。
そこには無表情の男が一人いて、その場で膝をつきしゃがみこみ、何故か自分の事を見つめていた。
「ごろう?」
少女は友達の名を口にする、色んな物が走り、色んな食べ物があって、ちかちかする綺麗な色が一杯に満ちた世界、
きっとここは母が言っていた天国なのだ、『ごろう』は天国に来て初めて出来た友達、山姫は朦朧とする意識の中で手を伸ばす。
あれからどれほどの時が過ぎたのか、どれほどの間母を探し続けていたのか――
虚空を掴もうと、もがく彼女の小さな掌を五郎はしっかりと握り締めた。
高杜の郊外、正法院の庵に休日を利用して弟子の一人が訪れる。走りよる凛が胸に飛び込み、
志鶴が優しく抱きかかえると、見慣れない指輪を紐に通し首からぶら下げているのに気付いた。
「お師匠、この指輪は?」
「あぁそれは、ついこないだ松田君がふらっとやってきてね、
凛ちゃんの父親から譲り受けた形見を届けに来てくれたんですよ」
「え!? でも松田の奴って退魔師に追われてるんですよね?
そのまま返しちゃったんですか?」
「それはまぁ、小金井道場の人と刃を交えて相打ちで済むような人ですからね、
漬け置きのたくわんをあげたら大人しく帰ってくれました」
にこやかな笑顔を返しながら笑う師匠の行動に疑問を抱きながらも、志鶴は周辺を見渡す。
いつもはいる筈の眉毛がいないことに気付き将之に問いかけた。
「今日は……義明の奴いないんですか?」
「義明君なら、裏で打ち込みをやってますよ」
志鶴が裏庭へと足を向けると田亀は三才式站椿にて、その場で身動き一つすることなく静止している。
站椿を解くと目の前の木人と向かい合い、手足の柔軟を行いながら三戦に構え摺り足で間合いを詰め、
教授された十二形拳と空手を複合した、しなやかな筋力から繰り出される突きがうねるように木人の体を捉えた。
(――騰蛇)
その場から一歩踏み込み、木人に対し肩口から体当たりを行うと、地面に埋め込まれた木が根元から折れ
地面へと叩きつけられた。圧倒的に不利である素手の戦闘では最大火力で敵の反撃を待たずして捻じ伏せる必要がある。
深く息をついた男はその力の代償に腕に彫りこんだ刺青の文字を眺めると、その場を振り返った。
「義明どうしたのそれ? 似合わない刺青なんてしちゃって……」
「え!? あぁこれっスか、使うと出てくるんですよ
まだ二つしか入ってませんけどね、ほら……やっぱ素手だと限界あるし」
「ちょっとあんた、十二天将を全部体に刻む気じゃないでしょうね?
資質能力を持ってるあたしですら三十六禽全ては扱いきれないのに」
目を細め問い詰める志鶴に対して苦笑いをしながら男はごまかすと近場の岩肌に腰を下ろした、
凛がひょっこりと顔を出し、田亀のそばへと走りよるとポケットから飴を取り出す。
「ん……」
「あはは、どうも」
「前々から聞きたかったんだけど、なんであんた退魔師なんてやり始めたの?
やたら苦労して鍛えてるみたいだし、あたしには理解出来ないわ」
志鶴の言葉を聞いた義明はあの日のことを思い出す、学校では虐められ居場所のない自分、
彼に対する虐めはさほど過酷なものではなかったが、それでも彼の精神を捻じ曲げ、
自分が生きる価値のない人間だと思い込ませるのにはそう時間はかからなかった。
「師匠が教えてくれたんスよ――」
不登校となり親からも罵声を浴びせられるようになると、彼はあてもなく夜の街を放浪することが多くなった。
そんな折、喧嘩に巻き込まれ、彼は偶然自分が恵まれた体躯の持ち主であることを知る。
喧嘩を売ってきた相手を返り討ちにし、馬乗りになり自らの拳を振り下ろすと、相手は鼻孔から血を噴き出して助けを乞うた、
全ての悩みが晴れたような高揚感が頭を覆い、今までに感じたことのない爽やかな気分で少年は相手の顔面を殴り続けた。
下には下がいる――そいつを潰してしまえばいい、群れの中で一番最初に死ぬのはいつだって一番弱い鶏だ。
自分より強い者に逆らう奴などこの世には一人もいやしない、自分より弱い鶏を探して縊り殺しているだけ。
いつしかそれが少年の信念となり、卑屈になった精神はますます捻じ曲がっていった。
「俺が馬鹿だったってこと」
いつもどおり夜の街に繰り出した少年は今までみたこともないような怪異と遭遇した。
強大な体躯に面妖で醜悪な顔、妖が怒号を上げ地面のアスファルトを脚で軽々と捲りあげると、
少年は死を覚悟した、弱い奴は喰われるのみ、強い奴には逆らえない、屈服する以外に道はない。
その時、一人の青年がまるで散歩をするような軽やかな足取りで、妖と少年の間に入り込むと、
真言を唱えた刹那、火を放たれた妖は一瞬にして炎に包まれ、断末魔の叫びを上げた。
吹けば倒れるような青年が振り向き、ずれた眼鏡を元に正すと、少年を気遣うように声をかけた。
(――自分より強い者を越えてこそ人間なんだ)
その時、庵の炊事場から何かが割れる音が響くと田亀は現実へ引き戻されたかのように
その場から立ち上がり、何かをやらかしたと思われる師匠に対し声をかけた。
「師匠!? 大丈夫ッスか!」
「あはは、お茶菓子用意しようと思ったんだけどね……
ちょっとばかり手が届かなかったみたいで」
「そ、そういうことなら俺がやりますって!」
一回りも背の高い少年は背中から泥を払う師匠を助け起こすと、ひょいひょいと皿を取り、
地面に散らばった皿の破片を竹箒で掃きだす。
「どっちが師匠なんだかわかりゃしないわね」
志鶴はその様子を眺めながら呆れるように眉をしかめると、二人に聞こえるようにぼそりと呟いた。
高杜の街から遠く離れた郊外の洋館の前に一台の高級車が門の前に辿りつく、訪問者を招き入れるように扉が開くと
玄関先へと横付けされた車から一人の少女が降り立つ、給仕達が玄関を開き礼をすると
少女は脇目も触れることなく階段を上がり執務室のドアを叩いた。
「お母様、只今戻りました」
「随分と早かったわね、入りなさい」
執務室のドアをくぐるとスーツに身を纏った艶やかな容姿をたたえた女と、娘である少女とが向かい合う、
その少女『銀谷美雪』は肩にかかる髪をはね、続く言葉を紡いだ。
「お母様、いつまでこの地に留まるおつもりなんですか?」
「何を怒ってるの?」
「私にはこの街が我々にとって有用であるとはとても思えません、
件の退魔師たちとも接触しましたが、どれも取るに足らない小物ばかり……」
「我々がこの地に住まう者たちに苦汁を飲まされ続けてきたのは事実なのよ、
経済的に重圧をかけ、街を焼き払う戦火の中でも、この地に住む者たちだけは決して屈することがなかった。
数百年もの昔から……あの小娘一人の為にね」
女は窓際に立ち、延々と続く深緑の先にある高杜の街をガラス越しに指で撫でると、
目を閉じ娘に向かい語り続けた。
「盤上の駒を操るチェスとは違う、薄汚れた土地をわざわざ争ってまで手に入れる必要はないわ、
必要なのはこの場所、この高杜の地だけは如何なる手を行使してでも手に入れなくてはならない――」
「教会からの指示なのですか?」
「そうよ……この世に神は幾つも必要ない、頂点に立ち存在が許されるのはいつの世もただ一つの神のみ。
未開の蛮族共が崇める邪教の神々など滅してしかるべきでしょう。全ての人々が心を一つにし、
唯一の絶対神を信仰することにより『真の秩序世界』生まれるのよ」
「この地に住まう『神』を討て……ということですね」
銀谷が目を伏せ、机に置かれた一振りの西洋剣を握り締めると、女は冷徹で抑揚のない声で言葉を返した。
「――『邪神』よ」
高杜南地区にそびえる『三嶽工業本社』の高層ビル上にいくつもの人影が浮かび上がる、
虚ろな眼の喰屍鬼達を従えた男、蓼島の体から赤黒い血管が伸びアスファルトを覆うように展開させ始めると
深夜のネオンサインの灯りが途絶え、街並みから人が消え去り、ビルの一角のみが隔絶された結界空間。
すなわち捕らえた獲物を喰らう為の蓼島たちの胃袋と化した。
「さて、久しぶりにな、久しぶりによ……派手に暴れまわ、わるぜ」
月明かりすらも見えぬ新月の夜、狂った男の咆哮が赤く染まった空に響くと、
高杜の異変を察知した者達が長きに渡る歳月による因果に導かれ、再びこの地で合間見えようとしていた。
最終更新:2008年10月06日 22:10