289 :twin ◆wQx7ecVrHs :2008/11/07(金) 17:56:14 ID:LQ50g5V9
柔らかな夕陽が優しく高杜の街を包み込んでいる。学校の門の前で、彬は歩む足を止めて、空を仰ぎみた。遠くの
空から群青色が段々とこちらに靡いて来るのが見える。そうして茜色の空を侵食して行き、次第に色彩は黒に近付い
て行く。彬はその光景が濁っているようだと思った。夕陽が綺麗だと一般的に云われるのは何故だろうとも思った。
空はこんなに汚くなる。まるで絵具を滅茶苦茶に掻き混ぜているかのようである。彬はこの空を綺麗とは思わない。
ただ、太陽だけは、綺麗だと思っている。
行くか、と一人呟き、彬は遂に空から目を外して歩き出した。ところへ、ポケットの中に入れている携帯電話が振動
した。先刻までは委員会に勤しんでいたから、電源は切っていたのだった、と思い出し、彬は電話がかかってきたの
か、メールを受信したのか、どちらとも云えぬ携帯電話を取り出して、画面を見る。そこには、一通のメールが受信さ
れた事を示し出すように、封筒のアイコンが点滅して自己主張を続けていた。
「今日は早く帰って来なさい。理由は敢えて云わないけど、とにかく早く帰って来てくれないと困るから。どちらにし
ろ遅くなるんだったら晩御飯は作らないから、自分の身の為にも早く帰った方が好いかもね。」
メールの中の文章にはそんな事が綴られていた。差出人は云うまでもなく琴音である。彬は一人溜息を足元に落とし
つつ、何で自分が脅されないといけないのかと思案している内に、晩飯が恋しくなって、しょうがないと自分に云い聞
かせながら歩き出した。空はもうすぐ漆黒に包まれる時分である。群青の空は茜色の空を侵食する。太陽の威厳が、月
の優雅さに打ち消されようとしている。彬はその関係と同様に、自分にも大きな変化が訪れるのではないかと、人知れ
ず危惧した。が、その危惧も所詮は勘である。大して気に留めるような事もせず、飽くまで気楽な足取りで帰路を
辿って行った。
◆2
高杜神社は山の麓から、比較的長めの階段を登った先にある。その神社の離れ――とは云ってもそれなりの距離は
離れているが、それが彬が住まう家である。祖母が逝去してからは、色々と世話になっている琴音の家に近い方が何か
と都合が好かろうと、琴音の両親が提案したのである。彬もその好意を蔑ろにする事なく、その提案を受け入れた。
それから彬は神社の中の住人となった。故に、自室へと戻る前に、彼は晩飯の相伴に預かるべく、琴音の家に赴くの
である。
「ただいま」
見慣れた戸を開き、家の中に入ると、真先に迎えたのはエプロンを身に付けた琴音であった。珍しく慌てた様子で、
お玉なぞを片手に持ちながら、玄関の前に躍り出たものだから、彬は呆気に取られてしまった。
「おかえり! 早く入りなさいよ!」
云いつつ彬の手を引っ張り、琴音はどんどん歩を進める。何が何なのか分からないまま、彬は引き摺られて行く。
居間を横切った際にその光景を見た琴音の両親は互いに顔を見合せながら、穏やかな笑みを見せる。そうしてあまり慌
てるなと柔らかに注意したが、その時には既に彬と琴音は二階へと続く階段を上がっていて、注意も耳に入っていなかった。
「琴音! 琴音ったら!」
「いいから早く来なさい!」
急な階段を駆け上がりながら、漸く彬は抗議の声を上げる。が、それを一寸も聞き入れてくれない琴音はやはり彬の
手を強引に引いて行く。此処で進行を拒絶すれば事故は免れないと彬は判断し、仕方無く引っ張られるがままに付いて
行った。――そして、琴音が足を止めた時には不必要な疲労が足に溜まってしまった。目の前には見慣れた扉がある。
彬はこの扉の中が琴音の部屋だという事を知っている。だからこそ何故慌てて連れて来られたのか分からないでいた。
「はぁ……一体どうしたんだよ」
「細かい事気にしないで、取り敢えず入って」
先刻からことごとく問いに答えてくれないので、既に諦念の感を感じた彬は仕方なしに扉の取っ手に手を掛けた。
よもや害虫の類が出たから退治して欲しいなんて事ではあるまい。だとしたら何があるのだろうかと、彬は様々な
猜疑を持ちつつ、遂に扉を開けた。――果たして、そこには彬と瓜二つの顔をした一人の少年が、彬と同様に驚いた
顔をして、そこに立っていた。眉の形、目の形、鼻の通り方も唇の色も、肌の色白さまで、全てが酷似している。
ただ一つ違うのは、茶に染まり、整髪料で盛られた髪の毛である。多少の変化はあれど、彬には一目でその人物が
誰なのか察する事が出来た。
「翔! お前なんでこんな所に居るんだよ!」
「はは、色々とあって、こっちに戻る事になっちまったんだよ」
軽く笑って見せて、彬と翔は互いに抱き合った。
琴音はそんな微笑ましい光景を、微笑を湛えながら眺めている。
「全く、相変わらず仲の好い双子」
呆れたように云われた言葉も、優しい響きを持っている。
そうして、双子の弟、藤堂翔は、唐突に彬の元へと現れた。
空は漆黒に包まれている。ただただ純粋な闇は、漸く彬の情操を刺激するが、現在の彼にそんな暇はなかった。
――続
【藤堂翔(とうどう しょう)】
- 彬の双子の弟。
- 茶髪で髪の毛を盛っている。一見不良、というよりはチャラ男、でも彬と同じ童顔なので怖くない。
- ある理由があって高杜に戻ってきた。
最終更新:2008年11月10日 23:46