179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/05(金) 17:53:08 ID:q+j/hDIp

「全く……恥ずかしいなんてものじゃなかったわよ」

 昼休み、持参の弁当を広げたり、購買で買ってきたパンを食べたりして、夏休みの時の思い出をそれぞれで語り
合ったりする生徒達が大半の教室の中で、琴音は深い溜息と共にじろりと彬を見遣った。彬はと云うと、勝手に待って
いてくれたのだから自分に責任を問われても仕方がないと云いたくなったが、彼女なりの親切心で遣ってくれた事だと
強引に解釈して、ごめんと一言謝った。教室の喧騒は途絶える事が無い。久し振りに再開した友人への話題は累々と積
み重なっているのだから、それを消化するには多少の時間を要する。そのような中で、夏休みの事には一切触れない二
人の会話は何処か不自然であった。

 二人は遅刻の確定をありありと示唆する時間帯のバスに乗り、既に始まっている始業式の中に飛び込んだ。本来は遅
刻したら職員室にて、遅刻の手続きを取る事が原則とされているが、その事をすっかりと忘れてしまっていた二人は一
目散に体育館へと向かったのだ。閉じられた体育館の扉を勢いよく開け放てば、学校長の話を静聴している生徒達が一
斉に振り向くのは仕方がない事である。結果、息を切らせながら体育館に転がり込んだ二人は同情に満ちて、怪訝な眼
差しを一身に受ける事となった。学園長が規則やマナーに対しての指導が厳しいのは、全生徒が知っている事実で
あった。
 それから何時から此処の学園長を務めているのか、有り得ないほどに若々しい学校長に直接壇上に上がるように命じ
られ、全生徒達が立ち並ぶ前にて直接説教を受けた二人は、一瞬にして有名人になり、同時に恥晒しとなった。二人を
知る友人達は、始業式が終わった後で夫婦みたいだと囃し立てられたり、まるで知らない生徒から指で指し示されて笑
われる対象となった。自分に視線が集中する中で、彬は今朝幸先が悪いと思ったのは間違いでは無かったと痛感した。
余談ではあるが、学園長の猛烈な説教後、二人の頭の中には琴音と同じくらいに黒い髪の毛を伸ばした学園長の、冷静
に見えるようで何処か末恐ろしい端正な顔が焼き付いて離れなくなった。――もう遅刻はするまい。彬は心の中に
誓った。

「まあ、もう過ぎた事だし僕は忘れる。学園長の顔、思い出したくないし」
「……同感。あんなに怖いなんて思ってなかった」

 同時に安堵の溜息を落として、二人は各自の机に広げた弁当に箸を付けた。色鮮やかな料理が敷き詰められた弁当は
琴音の手造りである。両親を早くに亡くし、以来祖母と二人で暮らしてきた彬には絶望的なほどに家事を熟す事が出来
ない。頼りになる祖母も、一年前にこの世を去った。
 それからは古くから幼馴染の関係にあった琴音が彬の弁当を作っている。誰からも好かれた人の好い彬の祖母から何
かしら頼まれたと彬は聞いていたが、その詳細は知れていない。ただ、自分が家事を熟せないのは既に分かり切ってい
た為に、琴音の好意に甘える事にした。それが夫婦と周りから囃したてられる一つの要因となっているのだが、だから
と云って琴音がそれを止める事もなく、彬は止めさせようとする事も無かった。

「あ、藤堂君」

 二人が取り留めのない会話を交わしながら弁当を食べ進めていると、不意に彬は背後から声を掛けられた。人懐こそ
うな、独特の愛嬌を孕んだ声は、夏休みに入ってから以来聞かなかった懐かしい声である。彬はすぐに後ろを振り返り、
声の主の顔を確認した。地毛だと云い張る、肩に着くほどの亜麻色の髪の毛、常に柔らかな光を湛えた瞳、綺麗に伸び
る鼻、美人と云うよりは可愛い方に近い少女――栗本華は、にこにこと人の好い笑みを浮かべながら立っていた。

「なに?」

 彬も笑顔で応対すると、華は一層笑みを深くさせる。そうして近くの椅子を彬達の近くに持って来ると、そこに腰掛
けた。その様子を彬は嬉しそうに眺め、琴音は何処か不機嫌な面持ちで眺めている。だが、華はその二つの顔を別段気
にする事なく、話を始めた。

「今日委員会あるんだけど、一緒に来てくれないかな、って。夏休み明けたばかりだから忘れられてるかなーって
 思ったから声掛けてみたんだけど、どうかな?」
「一か月じゃ流石に忘れないよ。ちゃんと覚えてるから、一緒に行こう」
「ありがとう! それじゃ後でね」

 華はそう云って可愛らしく笑うと、教室の入口の所で待っていた友人達の元へ駆けて行った。彬はその後ろ姿を何と
なく追ってみたが、数人の友人にからかわれながら華は行ってしまった。仕方なしに顔を元の位置に戻すと、不機嫌な
面持ちで自分を睥睨する琴音と目が合う。余りに恐ろしい形相に見えたので、彬の肩は思わず跳ねた。

「……ど、どうしたの?」
「別に。……ご馳走様、私トイレ行ってくる」

 まだ半分以上も残っている弁当を机の上に残し、琴音は足早に教室を出て行った。冷や汗を背に流しながら彬はその
後ろ姿を、華を見送った時とは全く違った心境で眺めていたが、やがて琴音の姿が見えなくなると安堵にも似た諦念の
溜息を吐いた。そして、自分にしか聞こえない程度の声量で「なんだよ」と呟くと、琴音の弁当を片付けてから、自分
も残っている弁当を食べ進めて行く。教室内に居た生徒の誰かが、「夫婦喧嘩」だとからかったが、彬には聞こえてい
なかった。


――続



【藤堂 彬(とうどう あきら)】
  • 気弱、知らない人と話すのは苦手。
  • 西条 琴音と幼馴染。
  • 祖母が亡くなった時に別れた双子の弟が居る。

【西条 琴音(さいじょう ことね)】
  • 強気、彬の世話を焼くしっかり者。
  • 藤堂 彬と幼馴染。
  • 高杜神社の巫女。

【栗本 華(くりもと はな)】
  • 少し天然の明るい性格。誰にでも仲良く接する。
  • 高杜モールの中にある定食屋の娘。
  • 藤堂 彬と同じ、図書委員所属。




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最終更新:2008年11月10日 23:46