365 :『杜を駆けて』 ◆k2D6xwjBKg :2008/09/12(金) 18:40:35 ID:hwJEMsq0

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鮮やかな剣の一閃。

横笛の旋律が止むと同時に、魔物はばったりと崩れ落ち、一瞬のおごそかな沈黙のあとで、割れるような喝采が高見神社の境内を包む。

ここまで、見事に紫阿童子を演じた将也は、鳴り止まぬ拍手を浴びながら舞台を降りて、控えの白いテントに入った。

世話役達がにわかに緊張に包まれる。いよいよ祭事の華である『杉登り』の開始だ。

山車に乗った見事な杉の木が、ガラガラと運びこまれ、眦に朱を引き、砂色の羽織に長いたすきを掛けた『狐』達が舞台に上がる。

「栗本さん、宮野さん、しばらくは団子、売れないから、君達も観て来なさい。」

神主の言葉に、アルバイトの巫女達も笑みを交わして舞台に走る。

そして、短い休憩を終えた将也が、そのきらびやかな装束を整えて舞台にむけて歩き出すと、全く同じ衣装に身を包んだ『先手』と『中手』、二人の紫阿童子も姿を現した。

「…さて、前座の奮闘でも、見学しようか。」

将也の聞こえよがしの大声に、了たち狐がどっと笑った。しかし、緊張で蒼白な『中手』伊東の隣りで、高杜第一小学校から来た『先手』坂田剛は、傲然と将也を睨んで応える。

「…オメーら出番無えからさ、団子でも食ってこいよ…」

尊大さと愛嬌が同居した、どこか将也に似た風貌。
険悪な空気が流れ、温厚な伊東がさらに青ざめたとき、『杉登り』の開始を告げる太鼓が、低く、厳かに鳴り響いた。再び、拍手と歓声が舞台を包む。

「せいっ!!」

気合いの声と共に、ゆっくりと『狐』たちが杉の木を秋空高く立ててゆき、穏やかな風に先端の椿がゆらゆらと揺れる。


「義母さん!! 始まったよ!!」

車椅子を押した弥生の言葉に、ハツエは精一杯曲がった腰を伸ばし、次第にせり上がる杉の木を見つめた。先に逝ってしまった夫、そして息子が、見事に椿を掴んだ遠い日の興奮が、老いた体を駆け巡った。

「先手、よしっ!!」

今、剛が狐の背を蹴って、そそり立つ杉の幹に食らいつく。

ここで紫阿童子と、盟友たる狐たちに危機が迫る。 童子の剣に倒れた魔物は、息を吹き返し、童子を追って杉の木を登ろうとするのだ。

かくして杉を支える狐達と魔物は揉み合い、ひたすら椿を目指す童子は必死で揺れに耐える。


「…なるほど、魔物の中身は大人ね… 児童の安全確保と演出のために…」
熱狂する群衆のなか、ファインダーを覗いて呟く『部長』に、眼鏡をかけた手下がツッこむ。

「部長。夢のないこと言わないでください…わっ!!」

驚くべき敏捷さで、すでに杉の幹のほぼ真ん中まで登り終えた剛に観衆は熱狂し、世話役の制止もむなしく前へ前へと殺到し始めた。

「お義母さん、危ない!!」
揉みくちゃにされた弥生は必死に車椅子を押さえ、ハツエを宥めつつ後退しようとする。

「剛!! 剛が!!」

ハツエの叫びに、かろうじて見える舞台に目をやると、剛がじりじりと、杉の幹を滑り落ちるのが見えた。

『…靖夫さん、どうしよう…』

弥生が初めて、息子と義母のため、亡き夫に助けを求めたとき、ぬっ、と太く逞しい腕が彼女の前に伸びた。

「近藤…さん!?」

エプロンを着けた『リトルフォックス』の無口な従業員は、軽々とハツエを抱え上げ、躊躇なく群衆の波へ歩を進めていった。

「なんだテメー!?」

湧き上がる怒号も罵声も、近藤の魁偉な風貌と迫力の前にあっけなく霧散し、彼はしずしずと最前線の柵までハツエを抱いて進む。

辛うじて幹にしがみつき、腕の痺れに耐えていた剛は、揺れる視界のなか、観衆の中央で大男に抱かれた祖母の姿を認めた。

「婆ちゃん!!」

子守歌代わりに飽きる程聞かされた父の、そして祖父の武勇伝。
祖母の誇り『杉登りの紫阿童子』の栄誉は今、剛のすぐ頭上に揺れる。

「ボケっとすんな高小!!椿だけ見るんだ!!」

突然の大声に、伊東は驚いて将也を見た。

「幹揺らして、反動で体勢直すんだよ!! 大丈夫、二小の『狐』を信じろ!!」

将也の檄に、剛は九月の高い空をキッと睨んで這い上がる。
椿だけ。椿だけを見て。
狐達が雄叫びを上げる。その勇ましい声とひとつになって、剛の指はしっかりと一輪の赤い椿を掴んだ。

歓喜に沸き立つ群衆の先頭で、孫の勇姿を瞼に焼き付けたヒサエは、この無口な恩人のエプロンを、溢れる涙で濡らしてしまったことにふと気付いた。

そして彼女は、涙の跡が点々と残るエプロンの胸に、かわいい刺繍のキャラクターを見つけ、驚きと感謝に再び頬を濡らす。
「…狐さま……」


舞台では、一輪の椿を手にした紫阿童子が狐達の祝福を受け、照れた笑みを浮かべている。

そして、倒れた杉の下敷きになった魔物が最期を迎え、震える尻尾がパタリと倒れたとき、まるで魔法のように、紫阿童子の傍らには華やかな赤い着物の椿姫が立っていた。


「…狐に混じってたのね。砂色の風呂敷か何か被って…」
「…だからそういう、夢の無いことを…」


例年より少し小柄な椿姫は、『先手の紫阿童子』の傍ら、少し緊張した顔で舞台の下をキョロキョロと見回す。そして口をへの字に曲げたもう一人の紫阿童子を見つけ、彼が苦笑いしたのを見てにっこり微笑んだ。

その愛くるしい姫の笑顔に、観衆はもう一度、どっと大きな喝采を送った。


END








370 :『杜を駆けて』 ◆k2D6xwjBKg :2008/09/12(金) 18:48:51 ID:hwJEMsq0
投下終了

登場頂いたキャラクターの作者様、有難うございます。


登場人物

坂田剛
高杜第一小学校六年生

坂田弥生
剛の母親

坂田ハツエ
剛の祖母

伊東
高杜第二小学校六年生




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最終更新:2008年09月16日 15:09