倭国についての中国の記録の中にある毛人(もうじん)(毛深い人々)についての古い文献は別として,大和朝廷の北方に暮らす民族について十分に書かれた最初の記述として一般に認められているものは,日本書紀の斉明紀の節に登場した.659年あるいは663年に大和朝廷からの使者は男女の蝦夷(えみし)一人ずつと共に唐(618-907)の朝廷を訪れた.その斉明紀にはまた,658年から660年の間に先導した3度の北方探索において蝦夷と呼ばれる多種地域に住む民族と遭遇した、阿倍臣(あべのおみ)の冒険についても記してある。彼の訪れた地域のうちの一つである渡島は今現在北海道として知られている島である可能性は十分にあるだろう.その時以来,渡島は日本の地理上の意識の外の境界として現れるようになった.その渡島蝦夷(わたりしまえみし)は658年から893年の間の文献に時折登場し,そして東北蝦夷が馬を取引に用いていたのとは対照的に毛皮や皮革の「ささげ物」(より貿易に近いもの)を贈る点で他の蝦夷と幾分異なっていたように思われる.日本人の領土拡大による圧力下で他の蝦夷の集団が崩壊していく中,彼ら(渡蝦夷)は帰属意識を保つことができ,そのことによって幾らかの学者たちは彼らを,遠く離れた北東北や北海道に住む擦文文化を担う人々と結びつけるようになった.
jave
最終更新:2008年07月29日 01:14