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ほぼ4万人のアイヌの人々は、北海道、千島列島、樺太の至る所に住んでおり、そのほとんどは島の南半分である。特に北海道に多くの鹿や鮭がいるように、アイヌ民族は天然資源の豊かな地域を占めていた。アイヌ文化は狩り、漁、食用植物の採取、そしてアイヌ民族が依存する自然世界の現象との複雑な霊的関係(カムイ(アイヌの神)の具現化)によって特徴付けられる。アイヌ民族はまた、長い英雄の史詩や、ユーカラを含む豊富な口述伝説も発展させてきた。その主な宗教儀礼がイヨマンテで、そこでは、地域の人々が集まって、神の魂(たいていは熊)を神々の土地へと「送り返す」。もっとも、その儀礼がいつ現在の様式へと発展したのかは論争問題となっているが。経済活動は河川系に基づくはっきりとした狩りや漁の場(iwor)において行われ、

そしてその経済活動は貿易黒字を生み出す最低限の生活の糧を超えていた。

貿易網は樺太、千島列島を通して、南、アジア大陸の両方へと拡大した。それは、カムチャッカで日本の貨幣や物が発見されたことで証明されている。社会組織は、地位ではっきりと区別された父方、母方の血縁集団に基づいていた。その組織は統率者(kotankorokur)によって統治されていて、その統率者は遺産と能力の両方に基づいて選出され、貿易では先導的な役割を担い、慣習的な法に基づいて口論を調停したりした。日本人との貿易が発展するにつれ、いくつかの地域では強い力を持った統率者たちが、河川系の範囲内で周りの地域を支配するようになった。アイヌ民族は広域な文化的言語的類似点を共有していた一方で、方言や文化における地域的な違いは明らかであって、特に、アイヌ民族が他の北方の人々と親密に接していた樺太と千島列島においてはそれが顕著であった。全般的にいえば、初期のアイヌ文化は、霊的に複雑で、また、ほとんどの時代において物資に恵まれていた生活様式を支えていた。そうはいってもやはり、彼らの南方の隣人の視点では、彼らは未開人野蛮人にすぎなかったのであった。
最終更新:2008年05月11日 17:36