これらの矛盾したイメージは18世紀と19世紀に現れ増え始めたアイヌ民族に関する歴史的な著作の中にはっきりと見ることができる。
これらの記録は大きな2つの範疇に分かれる。
1つめとして蝦夷の地域へ外部から入ってきた人物達、すなわち冒険家、旅行者、大抵は幕府の使節団の団員として蝦夷地に訪れた官吏、が残した記録がある。これらの人物達の姿勢は徳川家、今度は彼らが影響を及ぼすようになったのだが、の軍事的保安および地域の発展への関心によって定められた。それらは当座のその地方の政治的経済的関係の範囲を越えて、アイヌ民族をより広い地政学上の存在としてみなした。
松前と蝦夷地の地元の倭人住人の記録とは対照的である。
それらの人々――つまり、交易者や放浪の労働者、そして松前藩の藩士達――は、アイヌ民族を異なった観点、すなわち実際の日常的な征服や利益の搾取の体験を反映した観点から見ていたのである。
両方の集団がアイヌ民族を蛮人として見ていはしたが、その一方で彼らの異なる経験と優先事項が彼らをして異なった蛮人像を強調させたのである。
最終更新:2008年06月01日 21:09