しかし、北東アジアにおける大きな政治的発展が、今それらを蝦夷地で感じさせるようにし始めた。
18世紀の半ばまでに、ロシア帝国の東部の地域で仕事をしていた冒険家や毛皮の商人たちは千島列島に入り始めた。
北部の国境は、幕府にとって急を要する関心事となった。明らかなロシアの脅しに対する徳川の返答のひとつの側面は、
蝦夷地の野蛮人に対する道徳的な協定の談話であった。バショウで広く認められている考えとはまったく異なり、
幕府は野蛮人たちを親切さや文明の恩恵で勝利するための潜在的な協力者だとみなしていた。
最終更新:2008年06月02日 05:15