上記のように徳川幕府の成立は、数年後松前藩の成立に続くのであるが、アイヌと倭人の関係の新局地を展開した。倭人とアイヌの領地の明確な線引きは逆行的に、また多少紛らわしく鎖国とよばれていた地域的な変化であった。その境界での支配された接触についての幕府の方針は琉球諸島、長崎におけるオランダや中国、対馬を通しての韓国をみると明らかであった。
地理的な境界に関連して、蝦夷地の倭人はアイヌが日本の言語や髪型、服や雨具を使うのを禁止するためにどんなことでもした。
ホンダトシアキはこう記している:
家を建てるときに使う刃のついた道具や5つの穀物の種を運ぶのを禁止されている。土人に日本語を教えることもだ。これらの嘆かわしい禁止事項はその他諸々によって補われ、すべて野蛮人たちを今の状況に永遠に押しとどめるためにもくろまれたことだ。
最終更新:2008年06月14日 18:27