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アイヌの日本化が可能であるということは、19世紀半ばはじめから、蝦夷地からの旅行者や調査者によって指摘されていた。儒教と同様の死に関連する禁忌である、左側で衣服を留めるという野蛮な(鬼のような)文化を参照すると、ひとつの記事が書きとめられている。
教育が一貫されていない土地では、その住民は子供とまったく違わないのである。左手の方が都合がよいと気づいた人は左側で結びし、右手の方が便利だと気づいた人は右側に結ぶ。蝦夷の中では、教えられることなく衣服を右側で結ぶ人もごくまれにいる。もし、彼らが教育の光にさらされていれば、彼らが我々日本人と同じであるだろうということに、なんの疑問も抱かないだろうか?
同様の記述が、アイヌの教化を個人的活動として捉えていたように思える調査者のMogami Tokunai(最上徳内)(1754-1836)によって表された。
それらの同化への援助を強化するために、これらの著者たちはアイヌと日本の表面上の文化的言語的な比較に基づいていた「共通の起源」を強調することをしなくなった。
最終更新:2008年06月15日 23:47