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出稼ぎ自身はアイヌ人との関係をいかに理解したかに関して記述された記録をまったく残していない。しかし、彼らがどのように行動したかは当時の記録に残されている。Toyuki(東洋への旅の記録、1783年)は、蝦夷地で貿易をしている船の乗組員は「教育、道徳が不十分で、蝦夷地の人はみんな無知で、だまし、盗むというのを当然だと考える男たちが一般的だった」と述べた。
Tokai Santan(東洋の海での3つの物語、1806年)は出稼ぎを「無法者、難民、あるいは、親類に非難された者」と書いている。残虐行為や強姦は日常茶飯事だった。1789年国後での争いの主な原因は、少なくとも1人のアイヌ人の女性が殴り殺された残酷な体制だった。最上徳内は、倭人は略奪をし、だまし、「(アイヌ人を)動物のように扱った」と述べた。1808年、長万部である観察者が、厳しい寒さのなかで薄い服しか着ずに働き、監督者に殴られているアイヌ人を見て、「犯罪者を罰する激高した王の海岸での悪魔のような拷問者」というイメージの現在の悪魔のような固定観念を変えた。アイヌ人は犬だという信仰に加えて、日本の村落の民話の重要な部分である悪魔や部外者の迷信やイメージもまた、出稼ぎによってアイヌ人が理解された方法に影響したようだ。
最終更新:2008年06月29日 14:07