地元の倭人の間での強く否定的な態度の広まりを考えてみると、幕府の役人達が、アイヌ民族をロシアに対する同盟者として雇いいれるという、より広い意味での戦略の一環として同化政策を強化しようとしたときに場所から相当な反対を受けたことは驚くことではない。
彼らのアイヌ民族への強い反感があれば、契約者達とでかせぎは特にアイヌ民族が等しく新しい日本人(シンシャモ)(長谷川注:シンシャモが良く分かりませんでした。なんでしょうね?)であるという考えへの歯止めとなった。彼らがそれまで長い間軽蔑していたものが自分たちと等しいものであると考えられなかったことは別としても、日本化がアイヌ民族を制御することを難しくし、その結果として倭人の経済的利権を危機にたたせるのではないかという心配はあった。ロシアの脅威が後退し、1821年に蝦夷地が松前藩の手に戻ったときに、契約者達がまずやったことは日本化政策を廃棄し、日本語と日本の習慣を使用することを禁止する規制を再び導入することでもとの華夷体制に戻ることであった。
contractorを契約者と訳しましたが、他の何者かである確率が高いです。そこは各自で補完願います
最終更新:2008年06月29日 20:49