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初期の大和朝廷の北東の国境を越えた地域に住んでいた民族は、その最も初期の記録では、エミシやエビスと呼ばれていた。
エミシとは野蛮人を意味し、東部の野蛮人という中国の表意文字(異なる表意文字はほかの3つの方角の野蛮人を示すのに使われた)
を具現化したものとして書かれていた。野蛮人の概念は、6世紀から8世紀の間に生じた中国の文化や思想の莫大な輸入の一部として
日本に伝わった。古典的な中国の用語では、野蛮人とは毛皮に身を包み、洞窟にすんでいる、毛むくじゃらで人間的ではなく、
獣の肉を食べる未開人であった。けいこう天皇(71~131年)の統治について書かれた日本書紀(西暦720年頃に編纂された)
の一節に、大和の東部に通じる島の住人についての最も古い記述の一つが書かれている。


これらの東部の未開人の間では、エミシは最も力強く、その部族の男女は、乱交的に一緒に住んでいて、
父と子の区別もつかないものである。冬になれば彼らは穴に住み、夏になると、動物のねぐらのような所に住む。
彼らの衣服は毛皮でできており、彼らは血を飲む・・・
山を登るときは、彼らはまるで飛んでいる鳥のようであり、草原を通り抜けるときは、
群れになった四足動物のようであった・・・
彼らは仲間同士で集まって辺境地域を侵略することもあれば、
収穫の時期をうかがっている人々から略奪する事もある。
古代から、かれらは王国の文明化の影響をうけることはなかった。


文明化された社会につながったり、その構成員を野蛮人からわけ隔てたりするこれらの「王国の文明の影響」は、
書き言葉や、天から認められた道徳的な優越感を共有して身につけていることによって成り立っている。
この道徳的秩序は、儒教に由来するものであるが、「五穀」の消費するように文明の慣習に反映されている。
衣服の着方や髪型、肉の摂取(これは6世紀に成立した仏教の伝来の後は禁忌とみなされた)などのように
異なっている習慣は遅れている道徳的に劣ったものとして軽蔑された。
同様に重要なことは、野蛮人は中央権力の直接的な支配に服従しない人々、すなわち、従わない人々(まつろわぬ人)であり、
それゆえ道徳的な秩序を持たないとされた。このように政策や文化、道徳は、野蛮人といった他の分類に組み込まれたのである。
最終更新:2008年07月06日 02:10