しかしながら、開拓史の時代の間、権力者たちは大まかに言うと、昔の倭人地と札幌という中心地を除くと、農業的な入植と工業的発展には成功しなかった。
この時代の経済の支えは昔と同じように漁業であった。
1869年に「バショウ」が廃止されたが請負人たちはまだ多くの漁場を経営して、豊かなニシン、サケ、トラウト(サケ科の一種)の蓄えを搾取していた。
1880年には漁業の利益は730万円を超えた。
一方すべての農作物の価格の合計は786922円だった。圧倒的な量の収穫物の積荷は、本州の市場に運ばれた。小樽の港を見物していたある人は1日に本州行の魚を積んだ200隻の大型船を数えた。
最終更新:2008年10月14日 22:16