産業政策は地方の自給自足、石炭や硫黄の採掘の発達、海産物や農産物の加工に専念していた。採掘業は、一般の罪人だけでなく敗北した西郷隆盛反乱軍の兵士たちも含む囚人奴隷の利用により発達した。囚人奴隷は北海道の発展に重要な役割を担った。それは、強制された奴隷が原料の採取やインフラの整備のために使われたことで、場所制度におけるアイヌ人奴隷と似た植民地における機能をもったことだ。奴隷の労力の7,80%を注いだホロナイ鉱山での囚人奴隷の利用は1894年まで終わらず、長年の間道路建設のために利用されつづけた。囚人奴隷の利用の規模や彼らが耐えたすさまじき苦痛の程度は1891年に中央の山々を越えるキタミへの道路の建設中に200名以上の死人が出たことに表れている。産業の自給自足を進めるための開拓使の最初の努力は成功とはならなかった。しかし、工場は幕府の支援を享受しつづけた個人起業家に売られた。その世紀の後半、産業はうまく軌道に乗りはじめた。資本主義の発達は特定の植民地銀行(タクショクギンコウ)の設立に促進された。後に巨大な工業・経済の合同企業や財閥へと成長した企業には最初から活発なものもあった。例えば、三井は初めてキタクシの財政や当時の石炭採掘に関わったし、一方で三菱は北海道に発着する船舶を支配した。2,30年以内に、北海道は20世紀にまでよく続く様式である製造業を輸入した母国の中心地へ輸出するための主要産業-石炭、材木、海産物や農産物-に基づく植民地経済として十分に確立した。
最終更新:2008年10月28日 17:46