すべてのアイヌ人が被害者というわけではない。日本人化されたアイヌ人のなかには新しい状況に適応する者のいたし、成功して地主になる者さえもわずかにいた。そんな者たちの一人がオオタ・モンスケ(アイヌ名、モンテレク)である。後に、厚岸の近くにオオタ屯田兵村と名付けられた村ができた。オオタは倭人の出稼ぎとアイヌ人の女性の息子だった。幼いときに親を亡くし、友好的な倭人に教育を受け、20歳から農業と漁業に転向した。地元の新聞が報じたところによると、彼は1886年までに「先住民ではあるが、」厚岸地区の先駆的な開拓使の一人となった。石狩出身のアイヌ人、コトニ・マタイチは1870年に開拓使の役人になった。日本語を話し、それゆえに、政府から与えられた土地を手に入れるためのお役所的な手続きを理解できた者たちは典型的ではないが、代々アイヌの血を引く大多数の人々は極度の貧困に陥った。
最終更新:2008年10月29日 00:33