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ベソ

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スターリンの父。
ヴィッサリオン・イワノヴィチ・ジュガシヴィリ
1850年、チフリス近郊のジジ・ジロ村に生まれる。
生家は小さな葡萄農家だったが、後にチフリスへ移り靴職人となる。

一般に、ベソは、飲んだくれの粗暴な男という印象を持たれているが、事実は必ずしもそうでない。家庭の空気を暗くしていたのは、いつまでも続く妻ケケの悲嘆だった。死んだ子供たちを思って、悲しみに浸り続ける妻の姿は彼を憂鬱にした。悲しみは妻の心を閉ざしてしまったようだ。妻はもう夫に対して何の関心も払わない。ただ、己の悲しみだけをじっと見つめ続けるのだ。見捨てられた夫が酒を飲み、酔いに任せて妻に対する怒りを爆発させたとしても、何の不思議もない。それは、弁解の余地のない行為であるかもしれないが、世の中では得てして起こりがちな出来事だった。夫は、自分がどうしたらいいのか、さっぱり分からなくなっていたのだ。彼は家庭を捨て、逃走する。

 九歳の年、イオシフは村の教会付属学校に入学する。学資はゴリの裕福なユダヤ商人ダヴィド・ピスマーメドフが提供したという。チフリスで人づてにこのことを聞いた時、イオシフの父ベソの心はいたく傷つけられた。イオシフが教会学校に通いはじめて半年も経った頃、ベソは教室に姿を現す。父と息子は抱き合った。二人の目には涙すら浮かんでいた。
「他人の情けにすがって生きる必要はない。手に職を付ければ食っていけるんだ。無理して司祭様になる必要なんて無い」
 チフリスへ向かう途中、ベソは、息子に向かって何度も同じことを言い聞かせた。イオシフが父親の言葉の意味を理解していたとは思えない。ただ、その語調に潜む何ものかがイオシフの心を動かしたのだ。

イオシフと父親の生活は一年ほど続いた。同じ靴工場で働き、ときに父親に連れられて地方の行商へ出かける。意外なことに、この一年間は、イオシフにとって、心休まる解放のときだった。後々まで、この時期を回想するたびに、イオシフの胸の内には、父親に対する暖かな思慕の情がこみ上げてくるのだった。

母親のケケも手をこまねいていたわけではない。突如として思いがけない形で息子を奪われたショックから立ち直ると、息子を取り戻すために奔走しはじめる。村の旦那たちや教会関係者に掛け合い、息子の窮状を訴えた。夫に捨てられ、息子だけを頼りとしている、この哀れな信心深い雑役婦に同情しない者はいなかった。哀れな雑役婦に息子を返すよう説得するために、彼らは、わざわざチフリスの工場主のもとへ出向いてさえいる。

こうなると一介の職人に過ぎないベソに勝ち目はない。ある日、職場の親方に連れ出され、物事の理を諄々と諭されたとき、彼には返す言葉がなかった。俺たちはどんなにまじめに働いても、一生、靴職人だ。聞けば、とっても賢い息子だっていうじゃないか。そんな息子を靴職人で終わらせていいのか? 人の情けにすがるのが厭だ? 馬鹿なことを言うな。俺たちだって、とどのつまりは、旦那たちのお情けで食って言ってるようなものじゃないか。俺たちは一生、そこから抜け出すことが出来ない。だけど、お前の息子は違うぞ。今は旦那衆のお慈悲にすがることになるかもしれない。だけど、やがては人に情けを掛けてやれる立場に立てるかもしれない。それをお前のちっぽけな意地だけで邪魔していいものだろうか?

 息子を失ったベソは間もなく工場を辞めてしまう。その後の数年は、地方を転々としたり、チフリスに舞い戻っては半端仕事にありついたりしながら、かろうじて食いつないでいたようだが、ある時を境に、ふっつりと消息を絶つ。行き倒れになったという説もあれば、酒に酔って喧嘩をしたあげく殺されたという話すらある。しかし、それがいつどこでの話なのか、はっきりしない。いずれにせよ、息子を失うことによって、ベソの中の何かが死んだのだ。彼はその打撃から二度と立ち上がることが出来なかった。

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