関係あるとみられるもの
茨木華扇(東方茨歌仙)
住所
〒567-0884 大阪府茨木市新庄町 茨木高校東門前
阪急京都線「茨木市」から徒歩8分
南口からすぐの「舟木町西」交差点から「東西通り」を西に行き、北東に「堀廣旭堂書店」のある角を南へ150mほど進んだ先
茨木童子貌見橋
茨木童子伝説は様々な場所に残っているが、そのうちのひとつがここ茨木市である。
茨木高校東門前の道路は城下町の名残で「兵枡」という変わった道路の形をしており、それによって空いたスペースに
祠と石灯籠、そして貌見橋の説明看板が立てられている(祠と石灯籠は茨木童子とは無関係のものらしい)。
さらにここから東へ10mほど行った先に「茨木童子貌見橋」を示す小さな石碑がある。
「茨木の史跡」の「茨木童子貌見橋」の項目には次のように書かれている。
茨木童子の民話は、語る人によって内容に若干の違いはあるが、大筋は次のように伝えられている。
昔、水尾村のある農家に男の子(茨木童子)が生まれた。母の胎内に16ヶ月もいたので、生まれた時には歯が生え揃っていたとか。
すぐに歩き始めたという。難産だったので母はすぐに亡くなり、父が童子を背に、もらい乳をするために村中を廻った。
童子の飲みっぷりはすさまじく、たちまちお乳が上がってしまうので、誰も相手にしなくなった。父はある日、童子を籠に入れて
九頭神の森(現茨木高校付近)に捨てた。それを解こうあの主人が拾い上げ、大切に育てた。床屋の手伝いをしていた童子がある日、
客の顔を剃っていた時に、誤って客を傷つけてしまった。童子は吹き出した客の血をとってなめた。血の味を知った童子は、
その味を忘れられない。その後、わざと客に傷をつけてなめるようになってしまったので、床屋はさびれる一方。ある日、
童子は近くの小川に映った自分の顔を見ると、それは鬼の形相をした自分の姿だった。童子は茨木の町に居ることなく、
丹波の山奥へ行ってしまった。そして、大江山の酒呑童子のもとに行き、茨木童子と名乗って副将格になったという。
この床屋と小川のあったといわれるところに、今碑が立っている。
この伝承は今でも幼稚園や小学校での読み聞かせという形で残っているが、話の内容は一般に知られている「茨木童子」とは異なったものである。
大橋忠雄「茨木童子の素顔に迫る」によると、江戸中期の同時期に書かれた百井塘雨による「笈埃(きゅうあい)随筆」と摂津の国の地誌「摂陽群談」では
出身地などの記述に多少の差異はあるものの、後半はどちらも
病気になった両親を「(自分の)日ごろの強悪ゆえに、嘆き悲しむ思いが深かったのであろうと見舞に来た。両親が喜んで団子を与えたり、
異形を恐れる周りの人も名残を惜しんで団子でもてなした」と語られる。
捨てた親を恨むことなく、生みの親への報恩の念を述べ、病人を末期まで見とどけ、周りの人たちへは、丁重にあいさつする模範的な人間のように描かれ、
およそ恐ろしい鬼、排除すべき鬼としては語られていない。
となっている。
重病の父が捨てた子(茨木童子自身)のことを不憫に思っているのは神通力で知ったらしい。
他にも細かな違いとして、出身地や渡辺綱と戦った場所などが挙げられる。
出身地は水尾村(約1km南)のほかに先述の「笈埃随筆」では茨木村、「摂陽群談」では富松の里(現尼崎市)で、いずれも茨木村の床屋に拾われて育てられている。
渡辺綱と戦った場所は、茨木童子が文献上最初に登場する書物である御伽草子「酒呑童子」では「七条堀河」(七条堀川?)となっているが、
平家物語剣の巻や源平盛衰記では「
一条戻橋」(一条堀川)、歌舞伎「茨木」(河竹黙阿弥作)などでは「
羅生門(羅城門)」となっている。
さらに、御伽草子「酒呑童子」では酒呑童子が討たれた後にその場で茨木も殺されたとされるが、伝承では生きて山へ逃げたとされる場合がある。
また、ここは
伊吹山と同様に金属加工が盛んだった地でもある。
阪急南茨木駅付近の東奈良遺跡は弥生時代から鎌倉時代にかけて青銅などの金属を加工しており、
ここで発掘された弥生時代の銅鐸の鋳型と一致する銅鐸が香川県で発見されるなど、その影響力は非常に大きかったものと考えられる。
金属加工の地と鬼の伝説の地には関連があるらしい。詳しい人がいたら加筆してください。
ここから徒歩5分ほどの茨木市消防本部東隣には平成2年(西暦1990年)に茨木童子の石像と親水水路にかかる橋が整備された。
これは貌見橋を表現しているものだとされている。
これ以降、茨木市は茨木童子をマスコットキャラクターとして頻繁に起用している。2000年代後半からの「ゆるキャラ」ブームでとりあえず作ったキャラクターではない。
茨木市観光協会で公式グッズが作られたり、
ゆるキャラグランプリに出てみたり、
ナンバープレートになったり、
茨木童子まつりが行われたりプレミアム付き商品券の券面に登場したりと最近は割と忙しそうにしている。
民間でも商店街のシャッターに描かれたり、ドライビングスクールの教習車に描かれたりとかなりの人気者である。
参考文献
- 「茨木の史跡」 茨木市教育委員会 平成10年3月30日
- 「新修茨木市史 第十巻 別編 民俗」 茨木市史編さん委員会 茨木市 平成17年11月30日
- 「茨木童子の素顔に迫る」 大橋忠雄 明石書店 2011年3月4日 ISBN978-4-7503-3349-6
最終更新:2023年07月21日 20:06