公共的理性 (こうきょうてきりせい)
- リベラルさんが忘れてしまった物のひとつ。
リベラリズムにおいては、自分も他人も平等な人間であり公正に扱われるべきであるということを前提にしながら、「社会の状況はどのようであるべきか」という議題について、対話によって合意を成立させることが目指される。政治哲学者のジョン・ロールズは、この営みを「公共的理性」と表現した。
リベラルな対話においては、自分の受けた経験を相手に伝わるようなかたちに言語化したうえで、同じく言語化された相手の経験にも耳を傾けながら、お互いの利害を考慮することが必要になる。そして、マイノリティが著しい不利益を被っている場合には、その事実をマジョリティに知らせることで、「社会の状況は大幅に変更する必要がある」という判断に同意させることもできる。
ただし、そのためには、「普遍的な人権」や「だれもが平等に配慮されるべきだ」といった客観的な理念や規範に訴えることが必要だ。……他の属性の人と共有することのできない主観的な経験を重要視する応用ポストモダニズムが普及した世の中では、リベラリズムや公共的理性が成立する余地は残されていないだろう。