東北大学SF研究会 読書部会
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』 フィリップ・K・ディック
著者紹介
1928年アメリカ合衆国シカゴ生まれ。代表作は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、『
流れよわが涙、と警官は言った』、『高い城の男』など。
二卵性双生児として生まれたが、双子の妹ジェーン・シャーロットは生後40日後に死亡した。このことが、ディックの作品、人間関係、人生観に大きな影響を与えた。その後、一家はサンフランシスコに移るが、父親の単身赴任を理由に両親は離婚。離婚後は母親と各地を転々とし、バークレーの高校に進学。同級生にはアーシュラ・K・ル=グィンがいたが、互いを知らなかったという。高校卒業後はカリフォルニア大学バークレー校に進学、ドイツ語を専攻していたが予備役将校訓練課程(当時大学生は参加が義務付けられていた)を嫌がり中退。レコード店で働きながら純文学を書くが全く売れず、生活のために書いていたSF方面で才能を見出され、作家デビューした。(ディックが生前出版した唯一の純文学作品『戦争が終り、世界の終りが始まった』は『ジャック・イジドアの告白(仮)』として2017年12月にハヤカワ文庫SFから刊行予定である。)
ディックの作品の主題は「現実の脆さ」「アイデンティティの危機」であり、平凡な日常が虚構であることに気付き、現実が崩壊していくとともに、自分が何者であるかわからなくなっていくという悪夢的な感覚(ディック感覚)が特徴である。この時代のディックは、薬物濫用によるプロットの崩壊と神話的モチーフの使用によって、活動後期に顕著な哲学的・神学的思索の片鱗がみられる。
主要登場人物
リック・デッカード
本作の主人公にして逃亡アンドロイドを狩る賞金稼ぎ。デイヴ・ホールデンの下、逃亡アンドロイドの討伐を行っている。
ジョン・R・イジドア
電気動物修理業者の集配トラックの運転手。特殊者であり、軽度の知能減退がみられる。逃亡中のアンドロイドたちと知り合い、かくまうことになる。
レイチェル・ローゼン
ネクサス6型を製造・販売する巨大企業ローゼン協会の会長の姪。正体は姪としての仮の記憶を植え付けられている、ネクサス6型のアンドロイド。
作中用語解説
情調オルガン
放射能降灰による被曝によって精神に異常をきたした地球の住民のための、情緒安定装置。ダイヤルを合わせることで、ほとんど思うままに使用者の感情を操作することが出来る。
適格者・特殊者
第三次世界大戦の放射能汚染の結果、地球の住民は適格者と特殊者に区分されるようになった。放射線障害によって遺伝機能・精神状態に異常をきたしたものを特殊者、被曝の影響が表れていない、もしくは影響の程度が小さいものを適格者という。適格者に対しては、法律の定める範囲内で生殖が許可される。また、政府は適格者に対して、半ば強制的に火星などへの移住を勧めている。
電気動物
第三次世界大戦以降、本物の生きている動物は貴重な存在となり、今ではもっぱら飼い主の収入やステータスを示すための装飾品のような扱いを受けている。
電気動物は、大変高価な本物の動物の代わりとして、飼い主の虚勢を裏付けるための道具として扱われている。
ニュー・ニューヨーク
第三新東京市的な火星の植民地。(字面のパワーで書かざるを得なかった)
いくらアメリカ人でもこんなネタな都市名にはしないと思う。
共感ボックス
この世界で流行っている宗教、マーサー教の教祖ウィルバー・マーサーの記憶を追体験し、共有出来る装置。「マーサーに感情移入する」ことによって記憶を共有出来る。同時に共感ボックスを使っている人同士の感覚も共有し、それを皆で平均化することが出来る。。
フォークト=カンプフ感情移入度検査法
アンドロイドと人間とを見分けるための検査方法。ある一連の質問を行い、それに対する被験者の生理的反応・反射を観察することで識別する。
あらすじ
アンドロイド専門の賞金稼ぎリック・デッカードは、逃亡した最新型アンドロイド・ネクサス6型と交戦し負傷したデイヴ・ホールデンの代わりに、火星から逃亡してきた最新型アンドロイド・ネクサス6型を6体破壊する任務に就いた。
デッカードはネクサス6型に関する情報を収集するため、製造元のローゼン協会を訪ねた。ここでは会長の姪レイチェルに対しフォークト=カンプフ感情移入度検査法を用いるが、人間であるレイチェルに対してデッカードはアンドロイドだと断言する。レイチェルや会長が強固に反論を呈したが、再度行った検査によってレイチェル自身も自分がアンドロイドだと気付く。もはやアンドロイドと人間の差はほぼ無くなりつつあった。
デイヴの情報に基づき、デッカードはネクサス6型のマックス・ポロコフを破壊する。次にオペラ歌手になりきっているルーバ・ラフトにフォークト=カンプフ検査法を行うが、ラフトに自分こそアンドロイドに違いないと断言され、デッカードのアイデンティティは揺らぐ。警察に不審者として通報され、事情を呑み込めないままデッカードは逮捕された。
デッカードは逃亡アンドロイドの演じる「もうひとつのサンフランシスコ警察」に逮捕されたのであった。「もうひとつのサンフランシスコ警察」のアンドロイド刑事ガーランドを賞金稼ぎフィル・レッシュが破壊し、ラフトもレッシュが破壊した。レッシュの言動から、デッカードはレッシュがアンドロイドではないかと疑うが、検査の結果、むしろ自分の方が異常な傾向を示していると分かった。
このころ、イジドアは逃亡アンドロイドたちと出会い、行動を共にするようになった。
デッカードは動物横丁に寄り道し、破壊したアンドロイド3体分の賞金で本物の山羊を購入した。もう休むつもりであったが、上司であるブライアントの命令で残りのアンドロイドを追撃することになった。
デッカードはレイチェルに自分と合流するよう連絡し、またやってきたレイチェルと関係をもつ。その後レイチェルを破壊しようとしたが、直前で取りやめた。
このころ、テレビでは人気タレントであるバスター・フレンドリーによるワイドショーが放映されており、入念な調査の結果、マーサー教がイカサマだったと糾弾。イジドアは衝撃を受けるが、アンドロイドたちは平然としており、バスターもまたアンドロイドなのだと明かした。
アンドロイドたちはイジドアの蜘蛛に対して虐待を行い、ついには殺した。地球上で最後かもしれない蜘蛛の死だった。イジドアは気が動転し、墓穴世界に入り込む。そこにマーサーが現れ、イジドアを墓穴世界から救い出したうえで、蜘蛛を授けた。
この時、デッカードが逃亡アンドロイドを破壊するためにイジドアの家に近づいてきた。イジドアはデッカードを家に入れないように言われて建物の外に出るが、デッカードに事情を丸々話した。デッカードはこの証言から逃亡アンドロイドの居場所を見つけ、襲撃する。
建物の中に入ると、デッカードの前にマーサーが現れた。マーサーの助言により、デッカードは無事最後の3体を破壊することが出来た。
帰宅したデッカードは、レイチェルが購入したばかりの山羊を屋上から落として殺したことを知る。人間には分からないが、レイチェルにはアンドロイドなりの理由があってやったことなのだろう。帰宅して早々に、デッカードはホバー・カーに乗って北にある砂漠に向かう。死ぬためであった。
砂漠で電話を掛けるが、デイヴは通話不能だった。電話をやめ、車から出て、山腹を上り始めた。上っている途中に飛んできた石が当たった。マーサーと同一化したようだった。前方に人影があり、マーサーかと思ったが、デッカード自身の影だった。デッカードは山を下り、車で帰宅した。
帰路の途中でブライアントに電話したが、留守だった。電話を切ったときに絶滅したはずのヒキガエルを見つけ、このヒキガエルを持って帰宅した。
帰宅して妻にヒキガエルを見せた時、電気動物であると分かった。分からないより、分かった方がいい。デッカードは長い一日を終え、床に就いた。
所感
今回レジュメを作るために、久々に読み返した。
改めて、この作品は面白いと感じた。第三次世界大戦の後の荒廃した世界、人間とアンドロイドが限りなく近づいた世界、そして自己存在の希薄化。ディック感覚がプロットに発生しているのではなく、物語のテーマの根幹となっているために、プロットの崩壊がなくディック作品の中では比較的読みやすい部類には入ると思う。
ただ、唐突に現実世界に幻覚のビジョンが現れたり、虚構存在であるはずのマーサーが実体を伴って現れたりと、意味不明な部分もある。
正直に言って、ディック作品は面白いが印象に残りにくい。ディック感覚によってプロットが崩壊していく様こそがディックの面白みなので、話の中身などは半ば飾りのようなものだ。
しかし、この作品はテーマそのものに自己同一性の崩壊が据えられ、アンドロイドを殺すデッカード自身が人間さを失っていく焦りや不安が浮き彫りになっている。通読した人は、少なくともマーサーが現実世界に出てくるまでは非常に面白く読めたのではないだろうか?
この作品は、サイバーパンクの金字塔『ブレードランナー』の原作である。『ブレードランナー』の作中世界とは異なるが、この世界も大戦後の悲惨な地球を舞台としており大変魅力的だ。この作品自体はサイバーパンクではないが、しばしばサイバーパンクの先駆的な作品として言及される。サイバーパンクの主題のひとつ、「人体からの疎外」はこの作品にも現れている。サイバーパンクの諸作品群と比較して楽しんでもらいたい。
下村
最終更新:2018年05月19日 06:37