「ひぐらしがなく頃に」レジュメ2006年11月17日SF研レジュメ by貴志団@メガゾーン中毒者

蜩が鳴かない世界から
ミステリの立場からの「ひぐらし」批判


1・ 推理のための軸の不在


これはパソゲー特有の1人称の使用と「ひぐらし」が採用している平行世界システムのためである。1人称が使われるとその世界で見聞きしたこと全てがその人の思い込みでしたというオチがありえる。これは非常に不安になる。この世界で主人公が見聞きしたことを元に今推理を組み立てたとして、後からこれは嘘だった、これは間違いだったといったことが起こるのではないか。そういう危惧からまずは地の文で書かれたことから推理を始めるのが推理小説読みでは普通である。ところが、この「ひぐらし」には地の文がない。つまり、文章の中によって立つところを見出せないのである。
よしそれならば、たとえ1人称であっても複数人がひとつの事件に関わっていてそれぞれの1人称視点から世界を見れるのであればその世界の真実が見えるかもしれない。
しかし、「ひぐらし」ではそれすら許されない。問題編と呼ばれる4編のうち3編までが平行世界の同一主人公視点。残りの1編は主人公は違うが時間軸がそもそも違う。
もう何が信用できるのか。1編1編の世界の情報量だけではその話を推理するだけの情報は得られない。じゃあ、他の編の話の情報を使おうとするとそれは「別な」平行世界のお話だから「別な」平行世界でも使える情報なのかわからない。
このように推理小説読みとしては推理しようにも拠って立つところが見出せないのである。というわけで私は鬼隠し編と綿流し編をプレイした時点で推理小説的な読みを諦めた。


2・ 推理小説のガジェットの使用と推理小説的処理の無さとの違和感、局所と全体の乖離


鬼隠し編において、圭一は疑う。疑心暗鬼君になる。自分の論理でもって、疑っていく。それを突き詰めても圭一が自殺するだけで雛見沢全体の謎やおやしろさまの崇りには結びつかない。それに論理的に迫れるような形で情報が出てこない。はて? じゃあ、次の話ででてくるのかと思ったら、また圭一視点での情報しか入ってこない。でも雛見沢全体の知識は増えたから雛見沢全体の謎やおやしろさまの崇りが解けるようになったかというとそうはならない。しかも、致命傷なのがその知識がその謎の解明に近づいているという実感とともに得られるものではないということなのだ。④とも関わってくるが、圭一が知れる範囲の情報しか手に入らないのであるからこの事態は当たり前なのだ。はて、一体私たちは何を探そうとしていたのか? 真相である。何の? 圭一君の知れる範囲から想像できる限りでの真相。その真相って何? あなたの心の中にある想像力。結局、それって推理小説読みにはお門違いの問題では? 推理小説読みには探るものなんて何もないのと同じ。推理小説読みは真相を探ることをやめてただのプレイヤーになる。


3・ 推理の魅せ方の下手さ


ルールX、Y、Zを自慢げに解説しているあのシーンが象徴していると思う。なんだかあのシーンでは適当に2,3の例を挙げてこんなルールがあるわね。みたいなことを言っていたが、あのシーンこそ推理小説ならば伏線回収の犯人当てのシーンに当たるわけで、きっちりとした証拠によって作り上げられた論理でもってこの雛見沢の平行世界に潜む意外なルールを見事に指摘してみせる場面であろう。それをみんながうすうす気づいていたルールをもや~っとした言い分で示して見せるだけ。
いや、だからそうやって生じた隙間を想像力という真相で補っていくのだと言うならば、「ひぐらし」を推理小説的に読めるわけがない。


4・ 推理小説的な情報の出し方と「ひぐらし」の情報の出し方の相違


伏線回収や推理小説的処理という話とも関わってくるが、まず前提として推理小説において情報は意図的に隠される。「ひぐらし」でもこれは同じように見える。見えないうちは同じように見えるのだ。推理小説では情報が伏線というタグつきで隠されているといえば適切だろうか。あとからきちんと回収できて論理でもって真相を暴くときに使えるのである。
一方のひぐらしでは情報は「隠されていない」。なかったのだ。あとから出てくる情報は「付け足せ」ばいいのである。「ひぐらし」で示されるひとつの「解」は後から出てきた情報によって裏づけされていく。だから、推理小説読みはあの「解」にがっかりするのだと思う。

まとめ

ひとつの真相は証拠と論理でもって解明される推理小説、真相はあなたの心のなかにたくさんある「ひぐらし」。その性質の違いが推理小説読みが「ひぐらし」と合わない理由だと私は考える。


TIPS1 ひぐらしとミステリ

ひぐらしのような要素を含むミステリ
麻耶雄嵩「夏と冬の奏鳴曲」講談社文庫


TIPS2 ひぐらしとホラー

ひぐらしのような要素を含むホラー
貴志祐介「天使の囀り」角川ホラー文庫


TIPS3 ひぐらしとゲーム

ひぐらしのような要素を含むゲーム
PS2ソフト「サイレン」SONYコンピュータエンターテインメント


TIPS4 1~4までをプレイした上での誰かの推理

トンデモ編

雛見沢生命体説

雛見沢の人間はひとつの共有意識を持っている。ある人が見聞きしたことは村全体で共有される。各人は意思を持ちながらも全体の意識を裏切れない。その心臓が梨花、司令塔が魅音。レナは特殊なケース。生命体の管轄外に離れながら、再び戻ってきたため機能障害が発生。生命体の管轄外へ行くことがまず傷になって帰巣本能が発動、戻ってきてからはその傷が修復されすぎて生命体そのものへのアクセスが強くなりすぎたためときおり全体意識にその体を支配されるようなときもある。圭一という部外者はこの生命体に気に入られなかったようである。ダムへの反抗は生命体としてある意味自分の命を守る本能的なもの。ガス災害に関しては休眠期の説も。人間部分には害があるがその元となる生命体部分はガスによって眠りについたという可能性もある。火山の周期と生命体の活動時間が同期しているものと思われる。梨花の予言もある意味当たり前、自分の手足のことは分かって当然。天気予報など人間より当たって当然。知らないことも知っていて当然となる。人間の豹変は大概はこれで説明がつく。綿流しも生命体がこの人間とは如何なるものか調べる儀式だと考えれば説明がつく。もしくは人間の内臓が生命の中枢の維持に不可欠なのかも。
富竹や圭一に幻覚を見せるのも可能だろう。死んだ人間を生きている風に見せたりね。もしくはガス災害の直前になって急にこの生命体が狂いだしたとも考えられる。ガスのせいで上手く全体意識がコントロールできなくなって、それを感知した梨花が予言してみせたと言ったほうが説明は正しく見えるかな。


人間編

なにやら分からないが、主要な登場人物を犯人にせずに急所を突くなら、圭一の両親だろうね。この人たちが暗殺のプロだったならすべての殺人をコントロールできたかも。圭一が主人公なんだから圭一の行動は両親に見張られているはずで出張と称していなくなり圭一の行動を影で観察。村の司令部と密接につながりあっている。富竹やミヨを殺したり、魅音やレナを撲殺したりしたのもこの人たち。園崎がマークされているのは周知の事実なんだから身軽な部隊があったほうがなにかと都合がいい。職業が不明なのも怪しい。アトリエは何かと便利だろう。死体を解剖する道具とか置いておくのに。死体を隠すのに。密会するのに。


ゲーム編

これはゲームだから分からないと言って逃げるのもあるかと。『ひぐらしのなく頃に』というゲームをやっていたプレイヤーのプレイ日記だったというオチ。
枠ごとひっくり返すならこれだよね。


TIPS5 誰かの独り言~メタパソゲー論~


このヒグラシというゲームはパソゲーの選択肢で話が進むアレをどこかで皮肉っているというかその限界性を明らかにする面がある。どこまでいっても、選択肢をいくつ選んでもどんなにフラグを立てようとも、その世界にありえるすべての平行世界を再現することは不可能なんだということを示しているように思える。エンディングをいくつ作ろうが平行世界すべてをあらわすことなんざできやしない。そしてそんなパソゲーをしていてふと気づく。この世界ってこんな可能性しかないの?違うだろ。もっともっと可能性があるよ。それをすべて書くことはできない。でもそういうことを感じれるゲームなら作れる。
もし、もしだよ、あのパソゲーの中の最後の難しい選択肢の果てにあるハッピーエンドってやつがこんな風にゲームの中のキャラクターが何度も何度も試行錯誤して間違ったり暴走したり悔やんだり悲しんだりして、各キャラクターが反省して思い出して希望を胸に前に進んだ結果獲得されたものだと考えたらそれは最高にステキなことじゃないか。
というような思想の下に作られている気がする。そういう意味で一線を画すゲームなんだろうな。メタパソゲーなのである。


TIPS6 「ひぐらしがなく頃に」~真のエンディング?~


『<プレイヤー名を入れてください。>は一通り「ひぐらしがなく頃に」のエンディングを見終わると、ゲームの終了をクリックした。』

2019.02.24 Yahoo!ジオシティーズより移行
http://www.geocities.jp/tohoku_sf/dokushokai/higurashi02.html
なお、内容は執筆当時を反映し古い情報・元執筆者の偏見に基づいていることがあります by ちゃあしう
最終更新:2019年02月24日 16:26