2007.10.19
SF研読書会 『火星年代記』 byちゃあしう
1 著者&作品について
著者:
レイ・ブラッドベリ
1920年生まれのSF・幻想文学作家 詩人
短編が多く、短い文章の中に詩情豊かな表現を織り交ぜた叙情的な彼の作品は評価が高い。「SF界の詩人」というと通常ブラッドベリを表す。
今月月に到達した探査機「かぐや」にもメッセージを寄せている。
「月の向こうに火星が手招きしている」
アメリカ人にとってはたとえ火星は無人であっても何かをくすぐるものがあるようだ。その原点の一つが本作品なことはいわずもがな(あとはバロウズのバルスームもか)
主な映画作品
『霧笛』・・・『原子怪獣現る』・・・ゴジラの元ネタ
『華氏451度』・・・監督フランソワ・トリュフォー(仏)がハリウッドで撮影した かの映画にタイトルを使われたときはブラッドベリも激怒したらしい。
『刺青の男』『何かが道をやってくる』
『いかずちのような音』・・・『サウンド・オブ・サンダー』 発展させすぎです テレビシリーズとして「ブラッドベリ怪奇劇場」があるほか、映画『白鯨』脚本などにも参加する。
2 あらすじ
1999年1月、人類は火星を目指して初めての旅に出た。しかし、探検隊が戻ってくることは無かった。何度かの同じような試みはやがて火星人の死滅を死滅させ、多くの人々が火星を新天地として目指すようになる。その背景には、地球に忍び寄る滅びの影があった。火星を目指す旅の始まりから2026年まで、火星を巡る人々の悲喜こもごもを描いたオムニバス短編集。13の短編を13の詩的散文でつないでいる。
3本合計300分の大型テレビシリーズが米国で製作され、日本でも放映された(ハヤカワSFシリーズ復刻版つきDVD-BOXが存在) また、ラジオドラマとしても多く放映されている。とくに「優しく雨ぞ降りしきる」は今でも単独でSF短編ベスト選に入ってくることが多い。
3 「火星年代記」における「火星」
地球の兄弟星といっていいほど似た赤い惑星 地球と同じ大気組成を持つため人間の活動は容易。原住生物が存在し、中でも高度に発達した火星人は精神感応が出来、精神的文化を尊び物質的なものを好まない。
出版された1950年当時の知見に基づくもので、古いのは致し方ない。でも当時多くの天文学者が火星に少なくとも植物はあると予測していたのは事実。
4 各話解説
1999年1月 - ロケットの夏
「ひとときはオハイオ州の冬だった。」
あまりに有名なフレーズを作り出した非常に短い導入部分。でも忘れてはいけない。「ロケットの夏」は冬の出来事なのだ!ロケットの持つここでは希望的面が強調される
ちなみにこの部分の英語でのタイトルはズバリ「Rocket Summer」なんですな
川端祐人『夏のロケット』
あさりよしとお『なつのロケット』(漫画)
月面基地前『ロケットの夏』(ゲーム)
王立科学博物館 第一展示場『ロケットの夏』(サターンV型ロケット・食玩)etc
『2001夜物語』「われはロケット」も元ネタはもちろんアシモフ先生だが少し入っているかも…と思っていたらブラッドベリもそのタイトルで書いていました。テロ対策によるモデルロケット規制の記事タイトルが「Rocket Winter」(ワイヤード)なんてネタもあったりする。
1999年2月 - イラ
第一次火星調査隊のたどった末路を「火星人」夫婦側から描写している。火星人にも好奇心というものはあるにはあるが、ちょっとお気に召さない方もいるようで。つか物理的にも十分強いじゃないか火星人。生体兵器運用とは恐れ入る。
まぁ、そんなこんなで第一次調査隊は顔も見せずに退場。
1999年8月 - 夏の夜
同じく火星人側から。第二次調査隊の存在を感じ取った女達は祭りで彼らの歌を人々に聞かせるのだが・・・
1999年8月 - 地球の人々
第二次調査隊の顛末。言葉が変に通じすぎるのも考え物です。そこ、探査隊を二つに分けるとか言わないこと。星新一でも「代表者に会わせてくれ」という訪問者が病院に連れて行かれる話がありました。
2000年3月 - 納税者
ロケット基地に詰め寄る男。その口から出るのは地球にい続けることの恐怖。後にも続く「終末の存在」を予感させる。
2000年4月 - 第三探検隊
第三次調査隊の末路。火星人側が仕掛けた一種の「罠」。一番落としにくそうな人間の記憶を使っているのがミソ。やはり人間は故郷に弱いのです(このへんも後になって再登場)
2001年6月 - 月は今でも明るいが
ついに第四次調査隊が着陸するが、火星人は死滅していた。しかし一人の隊員があることに気づき、行動を起こす。極端な行動が描かれて入るものの、ここでのスペンダーの台詞が火星人と地球人をつないでいる作者からの直接のメッセージである。火星人が水疱瘡で全滅するというのはかの『宇宙戦争』のオチから。(ごめんよ、もう知ってると思うのであえて言っておく)
2001年8月 - 移住者たち
火星移住が遂に現実のものとなる。人々はいろいろな思いを抱いて新たな土地を目指す。
2001年12月 緑の朝
男は火星に種を持ってやってきた。アメリカ人とリンゴの縁は、その昔ジョニー・アップルシードなる人物がアメリカ中に木を植えたことから始まるという故事があるのは有名な話。(「木を植えた男」とはまた別)。転じて彼は「模範的開拓民」のことをさすとか。
2002年2月 - いなご
宇宙船のもたらす破壊と創造 そして混沌。読んで字の如し タイトルの通り。
2002年8月 - 夜の邂逅
火星人と地球人はある晩、違う時間の中で再会する。滅んだものと滅び行く運命にあるものの奇妙な交錯が描かれる。それでもこれまでの火星人との邂逅を考えれば… 火星人の死生観や考え方が対比されながら示される。
2002年10月 - 岸
火星へ来る人々、彼らが持ち込むのはやはり自分達の育った雰囲気だった。
2003年2月 - とかくするうちに
火星に持ち込まれた新たなる「秩序」は火星を覆いつくしてゆく。
2003年4月 - 音楽家たち
火星人たちの遺跡は子供達の格好の遊び場だった。彼らはやがてあるものを発見する。
2003年6月 - 空のあなたの道へ
火星を目指すのは裕福なものたちだけではなかった。この作品が書かれたのは公民権運動の「前」であることに注意されたい。でも、彼らもやがて帰っちゃうんだよなあ、この後の記述からすると。
2004-05年 - 名前をつける
火星植民による新たなる「名前」。それは決して過去を顧みることからはじまったものではない。火星人の踏みとどまった場所との比較。
2005年4月 - 第二のアッシャー邸
地球では後の長編「華氏451度」を思わせる思想弾圧が行われていることが示される。ブラッドベリは幼少期に読んだポーの影響が大きいといわれ、その一端がうかがえる。
2005年8月 - 年老いた人たち
火星に向かう日々との列には、老人もやがて加わるようになる
2005年9月 - 火星の人
火星で老人は信じられない人物と再開する。いわゆる「ソラリス」的ネタだが、人の思いの勝手さが火星人&火星に与えたものというのは罪深いということが背景にはあるだろう。それゆえにハッピーエンド、とは行かない。
2005年11月 - オフ・シーズン
火星にホットドッグ屋が誕生する。しかしそこに生き残りの火星人が押しかけてきて・・・コマーシャリズムへの批判もあるだろうが、火星人の良心を地球人が素直に受け取れなかったことに対してもいろいろあるのだろう。ちなみに火星探査機による地球の観測の試みは大気状況により難しいことが分かっている。望遠鏡がやっぱり必要か?
2005年11月 - 地球を見守る人たち
ついに地球では最終戦争が勃発する。人々は地球を次々に見上げ、そして店へと駆け込む。やはり人間は故郷なしでは生きられないのでしょう。
2005年12月 - 沈黙の町
人々は我先にと地球へと帰っていった。しかし、ここに取り残された男が一人。いい話になるかと思えば逆に人間の本音というものがさらけ出される。ちなみに当時のパルプSFでは「女性=美女」だったことが本作品の評価を高めているらしい(何
2026年4月 長の年月
戦争勃発から20年余り、地球からの調査隊は火星の生存者を発見する。第四次調査隊の生き残りが「オフ・シーズン」に続いて登場する。家族の正体を知ると、次の話と対になっているのが分かる。でもこちらのほうがまだ「救い」があるかな?
2026年8月 - 優しく雨ぞ降りしきる
久々の火星ではない話。カリフォルニアのとある「家庭」における一日。同じネタをアンドロイドでやっている例もあるが、ここはあえて「家」でやったのがブラッドベリの最大の特徴。ウズベクフィルムによるアニメ版が存在し、そちらはもっとダーク(ラストはどうだろう?)。ちなみに「影」が残るというのは広島長崎であった出来事から。影の主がどうなったかは定かではない。(最近になって実は影じゃなかったという例も確認されている)
2026年10月 - 百万年ピクニック
一つの家族の旅を通して、人類の向かった先と新たなる「火星人」の誕生、そして希望を見せる今短編集のシメ。
5 テーマ
文明発達の上で忘れられてゆく精神的な文化・活動の側面
単なる環境保全などにはとどまらない。
火星人・・・アメリカやその他におけるマイノリティ(とくに先住民族)などをそのまま暗喩する存在 情緒的 ただし運命には逆らわない
多数派のときは強力・少数の火星人はむしろおとなしい?
6 その他
イアン・マクドナルドの『火星夜想曲』は火星の砂漠にぽつんとできた小さな町の誕生から消滅までを短編でつづり、現代版『火星年代記』と評価が高い。
部会メモ
最終更新:2019年03月24日 14:33