東北大SF研 読書部会
「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」 ガブリエル・ガルシア=マルケス
エレンディラ
著者紹介
ガブリエル・ガルシア=マルケス。1927年3月6日コロンビアのアラカタカで生まれる。幼少期より毎日のエピソードを面白く脚色し、大人の耳を傾けようとしていたようである。1947年、コロンビア大学に入学し、カフカの「変身」に触発されて書き上げた短編「三度目の諦め」が《エル・エスペクタドール》紙に掲載される。その後ジャーナリストの仕事、ヨーロッパ滞在などを経て、1967年、代表作となる「百年の孤独」を発表。1982年、「ある大陸の生と葛藤を反映した、豊かに構築された世界で、幻想と現実が融合された長編及び短編に対して」( "for his novels and short stories, in which the fantastic and the realistic are combined in a richly composed world of imagination, reflecting a continent's life and conflicts.")ノーベル文学賞を受賞する。2014年4月6日、メキシコシティで死去。他の代表作に「族長の秋」「予告された殺人の記録」など。
解説
正式なタイトルは「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」。ガルシア=マルケスが「百年の孤独」を発表後、「族長の秋」の執筆にむけ、その文体から自由になるために書いた作品の一つ。(正確に言えば、「エレンディラ」は映画原案として書かれた微妙に性質が異なる作品である。しかし、それらの短編とリンクしあうように書かれているため、大雑把にはそこに含めてもいいだろう)それらの短編は当初発表するつもりはなかったが、それ以前に書いた「失われた時の海」を合わせて一つの短編集として発表された。解説でも触れられたように、上にあげた二つの長編との関連もあり、この作品を読んだうえで以上の作品を読むとさらに楽しめる。
ガルシア=マルケスの巧さは、やはり現実から着想を得ながら、とても現実とは思えない幻想的なエピソードを紡いでしまうところだろう。「ぼくは実在する多くの人たち、むろんぼく自身も含まれているけれど、そこからいろいろなパーツを集めてパズルみたいに登場人物を作り上げている」「ぼくの小説には現実に基づいていない箇所はただの一行もない」と本人が語る通り、それぞれを慎重に見ていくと、モデルになった人や物や事件を特定することができる。例えば祖母は、幼いガルシア=マルケスに死者や様々な予兆などをあたかも本当のように語ったガルシア=マルケス自身の祖母を見ることができる。むろんモデルはそれだけではないだろうが、ガルシア=マルケスの語りによって、彼の周りの人々が普遍性を獲得し、人々の心に永遠の生を得る様子はまさに語りの根元的なものと言える。
物語としては、やはり最後の祖母を殺すシーンが心に残る。寝言で祖母が語るドラマによって、無垢なエレンディラに定められた運命が暗示される。果たして行方不明になったエレンディラは運命から逃れられたのか、それとも祖母のようになってしまったかは読者にゆだねられることになるだろう。
そのほかの短編
「大きな翼のある、ひどく年取った男」
ある村に、雨にはたき落とされた天使がかくまわれる。天使は何か恵みをもたらすかと思いきや、特に特別なことは何もしない。奇跡を起こしたりもするが、その奇跡もひどく気まぐれなものである。初めは人々の注目を集めていた天使だが、やがて誰にも見向きされなくなる。そして最後の一文「なぜなら、そのときの天使はもはや彼女の日常生活の障害ではなくなり、水平線の彼方の想像の一点でしかなかったからである」に落ちる。日常に魔術的なものが自然に溶け込むマジックレアリスムの持ち味を活かしながら、最後には天使は非日常に帰っていく。リアリズムからフィクションを見つめる目線が感じられる。
「失われた時の海」
夜になると海からバラの匂いが漂うようになるが、その匂いはトビーアスとヤコブ老人の妻のペトラしか感じなかった。それからアメリカ人のハーバート氏が村を訪れ、村の人々の望みをかなえていく。
海の底の村の描写など、何とも幻想的な作品。タイトル(El mar del tiempo perdido)や「匂い」というモチーフはマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」(En busca del tiempo perdido)を思い起こさせるが、私は読んだことがないので関連性は分からなかった。しかしながらここまでの一致は偶然とは思えないので、おそらくは「失われた時を求めて」のオマージュであることは間違いないと思う。読んで確信ができたら加筆します。
「この世でいちばん美しい水死人」
ある村に美しい水死人が流れ着く。その水死人は体が図抜けて大きい。西洋では水を吸って膨張したとなるだろうが、南米の論理では死後にも成長したということになる。それはともかく、この短編を通じて描かれるのは、一人の水死人によって変化していく人々の姿である。初めはよそ者であった水死人は、その美しさから村の人々に愛されるようになる。やがてエステーバンという名前をもらい、人々の心にはエステーバンと過ごした日々が刻まれていく。そして最後には、その村はエステーバンの村と呼ばれることになるだろう、と締められる。このプロセスは解説でも触れられた、ミルチャ・エリアーデが紹介したエピソードを思い起こさせる。死後に村人と出会うことになったエステーバンだが、村人の中に作られた記憶によって、彼は確かに村で日々を送ったことになるのだ。
「愛の彼方の変わることなき死」
いきなり「上院議員オネシモ・サンチェスは六ヵ月と十一日後に死を控えていたが」と始まる。これはガルシア=マルケスの常套手段で、「百年の孤独」「予告された殺人の記録」でも始めに人物の死が予告され、そこからの回想の形で物語が始まる。「どのような死を迎えるのか」と読者の注意を引きつつ、未来から過去に語りを飛ばすことで、読者の時間感覚を揺さぶる効果も持つ。ラテンアメリカ文学を読んでいると、線的でない時間の流れに酔わされるような感覚におちいる時があるが、この手法は最も手軽で、ラテンアメリカの語り口に慣れていない人でも容易に状況が把握しきれる好例だろう。さていかに死を迎えるか?と読み進めていくと、物語の末尾を飾ると思われていたオネシモ・サンチェスの死は描写されず、死の予告のみで物語は終わる。オネシモ・サンチェスの死の運命は決定されながら、その結末について、詳細は読者にゆだねられるのだ。まさに「愛の彼方の変わることなき死」が待ち構えているということだろう。何ともニクイ。
「幽霊船の最後の航海」
改めて見ると全く改行されていないことに驚かされる。意外と実験的な作品か。間欠的に消えたり現れたりする船を見て、はじめは夢だと思っていた彼はやがて幽霊船の存在を信じるようになり、その幽霊船を村の復讐に利用する。魔術的なものが現実に作用していく作用を描いた作品と思われる。この作品もつかみきれていないため、後々加筆するかもしれません。
「奇跡の行商人、善人のブラカマン」
ひょんなことから行商人ブラカマンにスカウトされた「ぼく」は、ブラカマンに地下牢に閉じ込められ、苦しめられる過程で奇跡を起こす力を手に入れる。墓の下で永遠に生き続ける、という罰が印象深い。内田兆史氏によると、作者不詳の16世紀スペインのピカレスク小説「ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯」(ガルシア=マルケス曰く、「内的独白を用いた文学史上最初の作品」)を思わせるらしい。こちらも読み次第加筆します。
ラテンアメリカ文学のすすめ
「予告された殺人の記録」ガブリエル・ガルシア=マルケス
十分に予告され、犯人も避けることを望んでいた殺人がなぜ起こったか?というあらすじだけでも面白い作品。文庫にして158ページなので、ラテンアメリカの語り口に慣れていない人でも読み切れる。エレンディラに次ぐガルシア=マルケス入門筆頭候補。運命に流されていく人々は「オイディプス王」や「マクベス」など、西洋古典悲劇の名作を思い起こさせる。が、それでもやはりラテンアメリカなのがキモである。
「ペドロ・パラモ」フアン・ルルフォ
ガルシア=マルケスがカフカの「変身」を読んだ以来の衝撃を受けた作品。過去と未来、聖者と死者が入り混じる語りの中に、ラテンアメリカに生きる人々の姿が立ち現れる。ラテンアメリカの文学の語りの特徴を凝縮したような作品。ちなみにフアン・ルルフォはこの作品に満足したらしく、小説はこの作品と習作の短編集「燃える平原」しか書いていない。この二つだけ読めば、「フアン・ルルフォはだいたい理解した」と言い張れるので読もう。
「都会と犬ども」マリオ・バルガス=リョサ
こちらもラテンアメリカ文学を代表する作家の代表作。士官学校で過ごす子供の日々を、多数の人間の語りを混在させた独特なストーリーテリングで語る。二段組400ページの作品だが、リョサの語りの巧みさで引き込まれる。このおすすめの中の作品の中では一番野性味が強いので、暴れまわりたくなった時にでもどうぞ。
「伝奇集」ホルヘ・ルイス・ボルヘス
ラテンアメリカに限らず、世界文学に影響を与えた作品群。特に計劃、円城、エーコをはじめ、多数のパロディを生み出した「バベルの図書館」は必読。他にも、「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」「バビロニアのくじ」「死とコンパス」などの作品を収める。ラプラタ幻想文学の入門にはもってこいの一冊。
参考文献
「ラテンアメリカ文学入門 ボルヘス、ガルシア・マルケスから新世代の旗手まで」 寺尾隆吉著 中公新書 2016年
「謎ときガルシア=マルケス」 木村榮一著 新潮社 2014年
「グアバの香り ガルシア=マルケスとの対話」 G・ガルシア=マルケス P・A・メンドーサ 木村榮一訳 岩波書店 2013年
「20世紀ラテンアメリカ短篇選」 野谷文昭編訳 岩波文庫 2019年
「族長の秋 他6篇」 G・ガルシア=マルケス 鼓直他訳 新潮社 2007年
↑「失われた時の海」以外の短編が全て載っています。内田兆史氏の解説をかなり参考にしたので書いておきました(特に「幽霊船の最後の航海」なんかはだいぶそのままです)。大体どこの図書館にもあるので、文庫を読んで気になった方はぜひ。
最終更新:2019年12月16日 00:13