東北大SF研 長篇部会
「荒潮」 
作者:陳楸帆(チェン・チュウファン)
英訳者:ケン・リュウ
和訳者:中原尚哉

著者紹介

 陳楸帆、1981年生まれ、80年代に生まれた新世代中国SF作家の代表者として認識されている。なお、今頃「三体」で大ヒットになった劉慈欣が1963年生まれということを注意されたい。1997年デビューから今までは長編「荒潮」と数十編ほどの短編が発表されており、中国星雲賞(ネビュラ賞や日本の星雲賞とは全く違うものであり、あくまで中国語の作品だけ取り扱う賞であるのを注意されたい。)をはじめとする多くの賞を受賞されたことがあり、「科幻世界」の高校生創作のコラムに掲載されたデビュー作は当年度の一等賞をとった。その時、陳楸帆はわずか16歳だった。
今のところ、和訳された作品は「荒潮」と「折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー」に短編三篇、「月の光 現代中国SFアンソロジー」に短編二編が収録されており、これらは全部ケンリュウを介して重訳された作品なのである。今年六月に出された「時のきざはし 現代中華SF傑作選」には中国語から直接に訳された短編一つが収録されている。作品総数と比べたら少ないというものの、中国SF作家として結構訳されている方である。また、ケンリュウをはじめとする訳者たちを介して、陳楸帆の作品はいろんな言語に訳されている。2020年のインタビューを読んでみたら、どうやら陳楸帆は2008年の時ケンリュウの作品を訳して「科幻世界」に載せたことを通じてケンリュウと知り合いになったらしい。
自分は陳楸帆の作品をそこまで読めていないので、作者を総括するのが難しいが、インタビューと書評を参考として、陳楸帆のイメージを述べたいと思う。
まず、中国以外の読者はあまり感じれないかもしれないが、実は陳楸帆は割と革新的な作家といってもいいだろう。2019年に出されたアンソロジーには自分が作ったAIを小説の創作に用いてみたらしい。文学の面においても、故郷を描くのに、主流な中国作家と割と異なる態度を取っていると思う。これについて後ほど詳しく述べる。
また、陈楸帆はリアリズム的な作家といってもいいだろう。彼自身もインタビューではSF文学のリアリズム的な側面を強調している。後書きにも書かれたように、「荒潮」は実は陈楸帆の故郷をモデルとして書かれた作品である。更に詳しく言うと、陈楸帆の生まれ故郷からそう遠くないところには本当に「貴嶼」という町があり、島ではないが、「硅嶼(シリコンしま)」とほぼ同じような風景をしているらしい。もし「荒潮」が2030年代に出版されたら、恐らくSFらしさを帯びたリアリズム小説として認識されてもおかしくない。
 最後は、陳楸帆はSF創作の他、情報や映画の脚本などの領域にも活躍しており、アマチュア作家といってもいいだろう。彼の作品はよく読者界隈に「まだまだ手を加える余地があるのではないか」といわれる。

作品紹介

 「荒潮」は2012年雑誌に連載し始め、2013年に初めて単行本として出版された。2019年には英訳され、そして英訳を介して和訳された。和訳版の後書きには英訳は2013年版の中国語原文と違い、所々がアレンジされ、和訳は英訳に従い、そしてアレンジされた中国語版は出されていないと書かれているが、実はアレンジされた後の中国語版「荒潮」も2019年に出版された。その内容は日本語版や英語版と何が違うか自分はまだ確認していない。2019年版の「荒潮」の宣伝を見る限り、どうやら作者は「荒潮」を三部作の第一部にアレンジしようとしているらしい。

解説

 「荒潮」に関していろんな角度から解読することができる。ここで敢えて中国的な視点から語りましょう。
 中国文学において、故郷をテーマとした所謂「郷土文学」というジャンルは極めて重要な地位を持っている。『中国現代文学簡明詞典』(山東教育出版社1987.4)には郷土文学を以下のように定義していた。
「現代文学における「郷土文学」作品の特徴は、作者がその郷土を熱愛していること、作品が一般に暗い日常と様々な怪現象を暴露し、労働人民に同情的で、反動的な統治階級や搾取者を攻撃したり嘲ったりし、あわせて各地の習俗・風光を描き出して、読者に一種どろくさい息吹を感じさせること、人物や言語は濃厚な地方的色彩を帯び、描写は往々にして白描(スケッチ)の手法を用い、素朴で簡潔な風格を具えていることである。」
多少社会主義臭いところがあるものの、この定義は郷土文学に基本的にあっていると思う。そして前述したように、陳楸帆の故郷である潮州は「荒潮」の舞台のモデルであった。物語には潮州地域特有の排外主義、地域差別、宗族主義などの問題を容赦なく批判したが、潮州の習俗や風景対する描写も多いし、やはり故郷に対する愛と期待も顕著にみられるだろう。
また、中国人にとって90%の人の故郷が農村であり、故郷を描く文学も言うまでもなく、ほとんどは農村を描く文学である。現代になって、パストラル的な村が消えてゆき、産業時代に入った故郷をどうやって描くのかは中国文学にとって新たな課題になった
 ということで、僕は「荒潮」を工業時代における郷土文学として捉えると提案したい。それこそ「荒潮」の根本的な中国性である。ただし、陳楸帆は魯迅から発祥した郷土文学を受け継がれただけではなく、工業時代に合わせて発展させたのである。
 普通の郷土文学が時間的、空間的、また叙事的には主人公及びその周りの人々に限定されているのに対して、「荒潮」では舞台がほとんどシリコン島に限定されたが、ごみ生産と回収の分業体制を通じて、物語の背景と発展は全世界とも密につながっている。結末にも米米の運命を人類の運命と繋がろうとしている試みが顕著に表れてきた。
 スケールの単純拡大の他、陳楸帆は故郷の変化を嘆いたり、過去のパストラル的な風景を思い耽たり、農村の生活を理想化させたりするような70年代から主流となった保守的なパターンから脱却し、小説の結末に示されたように少し発展的に物語を語ろうとしていた。70年代の郷土文学作家は希望を過去の、ローカルな農村に託したのに対して、陳楸帆は希望を未来の、グローバルな都市に託したといってもいいだろう。
 しかし、ここで強調しておきたいのが上述の発展や試みをしていたのが決して陳楸帆の独創的なものではない。また、スケールの拡大も単なるグローバル的となった現代に合わせたに過ぎない、最後の結末も多少手加減してハッピーエンディングにしようとしたように見える。初めての長編、しかもアマチュア作家だから多少致し方がないかもしれないが、次の長編の突破を期待する。
 また、魯迅を始めとする作家は東欧、北欧文学から受け継がれたリアリズムが、やはり陳楸帆にも受け継がれたのである。先述したように、陳楸帆の生まれ故郷付近では本当に海外から輸入してきた電子ごみが山ほどあった。小説に書かれた汚染された自然と重苦しい社会風景もそこにあった現実そのものであり、ゴミ人の運命もまた、出稼ぎ労働者たちの現実であった。このようなリアリズム的な特徴は「鼠年」や「麗江の魚」などの代表作にもみられる。


関連書目

「折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー」
「月の光 現代中国SFアンソロジー」
「時のきざはし 現代中華SF傑作選」

参考資料

最終更新:2020年10月08日 20:44