「鏡石異譚」 柴田勝家

作品紹介

柴田勝家による短編小説。初出は『ILC/TOHOKU』(早川書房 2017/2)。『アメリカン・ブッダ』(ハヤカワ文庫 2020/8)にも収録されている。

著者略歴

柴田勝家(しばた かついえ)
SF作家。1987年東京都生まれ。成城大学大学院文学研究科日本常民文化専攻博士課程前期修了。2014年に『ニルヤの島』で第二回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞を果たし、デビュー。2018年に「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」で第49回星雲賞日本短編部門を受賞。『クロニスタ 戦争人類学者』、『ヒト夜の永い夢』など文化人類学や民俗学を題材にしたSF作品を他にも発表している。

作品概要

各章には、『遠野物語』に収録されている伝承にちなんだ章題がつけられている。

神隠し
好奇心から親の言いつけを破って、山奥の工事現場に入り込んで竪坑を覗き込んだ鏡子は、不注意で転落してしまう。穴の中で彼女は未来の彼女の姿を認める。

山女
転落事故以来、鏡子は何度も未来の自分と出会うことになる。未来の彼女は、度々これから起こることとその避け方を告げてくれた。それによって彼女は、苦難をやすやすと避けることが出来たが、不思議ともし忠告に従わなかった場合の記憶も持っていた。そんな中で未来の自身との会話を母親に邪魔された鏡子は、つい母親を怒鳴りつけてしまう。翌日、彼女は拝み屋のようなことをしている親戚の家に連れていかれる。そこで彼女の「奇行」は山女に憑かれたことによると結論付けられる。

迷い家
高校生になった鏡子は、校外学習で地元に出来る国際リニアコライダーを訪れ、そこの職員である先生と出会う。そこで先生は、情報を負の時間の方向に送ることが可能ではないかという仮説を紹介する。彼女はそれがきっかけで理系を選択する。

座敷わらし
仙台の大学で宇宙物理学を専攻することになった彼女は、実家で過去の自分の姿を見かける。それ以来、たびたび過去の自分を見かけて、今度は彼女が忠告をする側となる。不思議に思った彼女は、つてを頼って以前であった先生を訪ねる。そこで先生は人の記憶が粒子によって形成されているという量子脳理論を紹介した後、人の記憶を司る素粒子が発見されたことを告白する。

オシラサマ
新粒子、ボンビシオン粒子は時間を遡っていることが観測されていた。先生はこれを鏡子が別の時点での彼女の姿を見ることになった原因であると考えていた。
しばらくして彼女は、自分の人生が認識と違い、未来の自分からの忠告を受けていなかった場合のものであることに気づく。彼女は再び先生の元を訪れて、そのことを告げる。それから先生は、彼女が竪坑に落ちた時に、脳に小さな傷を負ったことが原因で記憶が事実と反して自身の願い通りになっていると考察する。
そして彼女はクライオモジュールで、竪坑に落ちた幼い頃の自身と再会する。

作品解説

1)『遠野物語』
『遠野物語』とは柳田国男が明治43年に発表した説話集の題名。佐々木鏡石(本名 喜善)が語った遠野地方の伝承を柳田が聞き書きした119編の伝承が収録されている。柳田はそれぞれの伝承をその内容に応じて「地勢」、「マヨイガ」など39種類に分類している。

章題と伝承
「鏡石異譚」の各章の題名は『遠野物語』に収録された伝承に基づいている。『遠野物語』に「神隠し」という分類はないが、七段、八段など神隠しに関する伝承は複数収録されている。
「山女」に分類される伝承は『遠野物語』に5つ収録されている。とくに三段、四段では遠野の山で「美しき」、「きわめてあでやかなる」と形容されるような女性を目撃したという話が収録されている。「鏡石異譚」における「山女」は、鏡子の少女時代の容姿が伝承で語られる山女にそっくりだったからであろう。しかし、そのストーリーは一〇七段を模したものであろうと考えられる。一〇七段は山の神に遭遇してから占いが出来るようになった若い娘の物語である。鏡子は山で怪異に遭ってから未来を予知し忠告するようになっており、占いが出来るようになった若い娘と重ねることが出来る。
『遠野物語』では二つの伝承が「マヨイガ」に分類されている。いずれも山奥であるはずのない豪邸へ行きついてしまった里の人の物語である。どちらも豪邸は無人だったが、お湯が沸いているなどさっきまで人がいた形跡があり、すぐに逃げ出してしまう。「鏡石異譚」における迷い家とは何であろうか。
少なくとも『遠野物語』でのマヨイガ伝説の前半部分は山姥の家の伝承と類似している。山姥の家の伝承では、豪邸の中に入った人が、さっきまで住人がいた形跡を見つけて、帰るのではなく天井裏などに隠れ、人を食べてしまうような山姥が帰って来たところで知恵を働かせて退治するという物語であり、マヨイガ伝承との関連性を無視することはできない。山姥の伝承で語られるのは、ユートピアではなく人の力の及ばない山という異界への畏怖の観念であるとも考えられる。
『遠野物語』には「ザシキワラシ」に分類される伝承が二つある。二編ともザシキワラシは家の神であり、ザシキワラシのいる家は裕福になるという伝承である。子どもの姿として目撃されるが、物音がするだけで姿を現さない場合もある。大学生になった鏡子は自身の家で不可解な物音や、幼い頃の自身の像を見かけることになる。彼女の家の経済事情に影響がない点を除けばそれをザシキワラシと重ねることが出来る。
『遠野物語』で「オシラサマ」に分類される話は六九段のみである。東北地方で信仰されており、地域によっては「オシンメイサマ」などとも呼ばれる。『遠野物語』では桑の木との関連性が語られるだけで養蚕との直接的な繋がりが明示されないが、一般には養蚕の神と考えられている。また六九段で語られる由来譚は『捜神記』などに記載がある中国での養蚕由来伝説である馬娘婚姻譚と酷似している。蚕の頭部の形状が馬のそれと似ているから結び付けられているという説がある。「鏡石異譚」においては、紡績と電子と陽電子の衝突が結び付けられている。

鏡子と先生
鏡子と先生の二人は、佐々木鏡石と柳田国男がモデルになっていることが伺える。それは「佐々木鏡子」や「先生」という名前から明らかであるが、ここではさらに二人の関係性について着目していく。
「まったくの文系人間」と自称していた鏡子は、校外学習で訪れた国際リニアコライダーで先生と出会うことがきっかけとなって、理系の道へ進み、大学で宇宙物理学を専攻することになった。そして、大学生となった鏡子は先生と再会し、転落事故以来たびたび目にするようになった過去や未来の自分の幻影について話をする。
鏡石は柳田と出会い、『遠野物語』の元となった民話や伝承を語ったのち、柳田の勧めで自ら遠野地方の伝承の収集をするようになる。
以上のことより、彼女が先生に語ったことは、もう一つの『遠野物語』つまり「鏡石異譚」なのである。

2)量子脳理論
「鏡石異譚」において、人は記憶子という粒子を観測することで過去の記憶を呼び起こしていることになっている。記憶子を発見した先生は、自らの業績を喜んでいるばかりではなかった。物語の後半で、先生は以下のように述べている。

記憶子を制御するような技術が発見されれば、いずれ事実というものに意味はなくなる。

この言葉は、ディストピアの到来を悲嘆していると捉えられる。似た例として、ジョージ・オーウェルの『1984年』では、「過去を支配する者は未来まで支配する。」と述べられている。このように、現在の時点で過去を変えることが可能になれば、為政者の意のままに歴史が捻じ曲げられ、民衆は気づかないまま圧政下に置かれる社会が到来することが想像できる。
しかし、「鏡石異譚」では記憶子の発見が絶望だけでなく希望も導いていると考えられる。竪坑へ転落したことが原因で、記憶子に干渉できるようになった鏡子は事実とはまた別の人生を送ったという意識を持っており、彼女にとってはそれが事実同然だった。
同様に考えると、山の中でありえないほど長身の女性を見た人や、家の中で見たことのない子どもを見た人の証言が、全くの虚妄ではなく、いくらそれが現実的にありえなくとも、証言者にとっては事実であるという意識を有していたと置換することが出来るのではないだろうか。

1),2)から、「鏡石異譚」では民話や伝承の形成に関する一つの可能性を提示していると考えられる。

3)昔ばなしあるある——タブーの無視
著者の柴田勝家は前述の通り民俗学を専攻していた経歴を持っており、自身の著作について「戦国武将、ミームを語る──柴田勝家インタビュー vol.2」で以下のように述べている。

柳田國男では『桃太郎の誕生』を読んだり、いろんな昔話の構造とか、類型などを見ていきました。『ニルヤの島』でも神話的な流れなどを追いながら、その系譜と重ね合わせられるように、類型化しながら書いている部分もあります。

では、「鏡石異譚」において、神話の構造は取り入れられているのだろうか。物語の前半、鏡子が穴に落ちる直前で以下のような記述がある。

——入っちゃいけないと言われていたのに、私はそれにもかかわらず、工事現場の方へと足を延ばして、好奇心から穴を覗いてしまった。

ここで注目したいのは、鏡子が親の言いつけを破って(=タブーを犯して)穴を覗きに行ったという点である。
神話や伝承において、タブーは頻繁に破られる。「浦島太郎」では、開けてはいけない玉手箱を開けた太郎が急に老化してしまう。「鶴の恩返し」では開けてはいけない障子をお爺さんが開けたことで、鶴が去ってしまう。これは国内だけではなく、例えばギリシア神話でオルフェウスはハデスからの禁を破って後ろを振り向いたことで妻のエウリュディケと永遠の別れを迎えることになる。
しかし、「鏡石異譚」は彼女がタブーを犯したことで物語が進展する。つまり、上述のようなタブーを破って物語を終わらせてしまう人々とは一線を画している。
ここで考慮したいのはトリックスターという存在についてである。伝承におけるトリックスターは聖と俗、生産と破壊などの二面性を有している。例えば記紀においてスサノオは高天原で暴挙を働き、オオゲツヒメを殺害する。しかし、他方では出雲でヤマタノオロチ退治を果たす。オオゲツヒメの死体が食物に化生したことから彼は間接的に原初の食物を生み出した英雄とも考えることが出来る。ここで彼は善と悪の二つの領域を往来している。
同様に、神の目を盗んで人々に火を与えたプロメテウスも罪人と英雄の二面性を有している。
では鏡子はどうであろうか。転落事故から生還した鏡子は、異なる時間の自身の姿を見る能力を得る。ここから彼女は過去と未来という二つの領域を往来していると考えることが出来る。したがって、彼女はトリックスターとしての役割を担っていると考えられるのではないだろうか。

担当者所感

近年、民俗学や文化人類学が再注目されているらしい。担当者が今セメスターで受講している文化人類学の講義は結構な数の受講者がおり、その人数を見た教官がそう言っていた。文学界でも、柴田勝家が民俗学×SFの作品を多数発表して注目を浴びているほか、『准教授・高槻彰良の推察』がテレビドラマ化されるなど、民俗学×○○という組み合わせの人気が高まっているようである。
担当者は、ずっと昔から集落を作れるほどの能力を持った人間の群れの営為としては一見不相応に見える、不思議な伝承を語り継ぐという行為を扱う民俗学や文化人類学という分野に大変興味があり、近年の注目の高まりは嬉しく感じる。しかしながら、民俗学と言えば柳田国男、そして『遠野物語』という短絡的な結び付けがなされ、民俗学を扱った文芸作品においては、『遠野物語』は手あかがつきすぎた感じがする。
そんな中で、「鏡石異譚」はマンネリ化した『遠野物語』を主題の一つにしているものの、柴田勝家なりの新しい視点に満ちているように思われた。人間の知覚に関する大胆なロジックを展開し、それに基づいた民話や伝承の形成の過程の描写は、実際に妖怪がいたとする単純なファンタジーや、猿や外国人を見た人の勘違いといった現実主義に依らないものとなっている。
民俗学で修士号まで取った柴田勝家の著作はそのマンネリ感を取り払い、文芸界における民俗学ブームに新風を送り込んでいるのではないだろうか。以上を踏まえて著者の今後の活躍を期待している。

読書案内

遠野物語(柳田国男)
「鏡石異端」の元になった、柳田国男による説話集。これに収めきれなかった民話を集録した『遠野物語拾遺』も存在するので、両方収録されている本の購入を勧める。

桃太郎の誕生(柳田国男)
日本の昔ばなしの類型を分析したもの。主に桃太郎や三年寝太郎、田螺長者などの立身出世譚についての分析がなされている。柴田勝家が参考にしていると公言している書籍の一つ。なじみの薄い昔ばなしが扱われることも多く、難しかった印象があるが、幼い頃に親しんできた昔ばなしを見る上で新しい視点が得られる。

ヒト夜の永い夢(柴田勝家)
柴田勝家によるSF長編小説。南方熊楠が粘菌とパンチカードで人工知能を作ろうとする物語。個人的には彼の長編小説の中で一番面白い。

獣たちの海(上田早夕里)
終末を迎えることが確定した世界でのフィールドワーカーが登場する。

ソフトウェア(ルーディ・ラッカー)
高度な知性を持つヒトやAIにとってのカミとは何かという議論がなされる。

参考文献

『遠野物語・山の人生』 (1976年 柳田国男)
『戦国武将、ミームを語る──柴田勝家インタビュー vol.2』(https://cakes.mu/posts/8369)
最終更新:2022年04月30日 15:46