「息吹」より「商人と錬金術師の門」、表題作、「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」部会レジュメ

作者紹介
 テッド・チャン。中華系アメリカ人のSF作家。寡作なことで有名で日本語に訳された文章は「あなたの人生の物語」と「息吹」とSFマガジン2019年12月号に掲載された「2059年なのに、金持ちの子(フリガナ:リッチ・キッズ)にはやっぱり勝てない」のみ。しかし、その作品のひとつひとつは高い評価を受けている。

「商人と錬金術師の門」
〇あらすじ
 商人であったフワード・イブン・アッバスが金物細工市を見て歩いていたところ新しい店があることに気づく。入ってみるとそこには珍しい品々があった。バシャラートという店主は自らが錬金術師であるといい、錬金術の存在を疑うアッバスに不思議な輪〈秒の門〉を見せる。なんとそれは輪の右側から入ったものは数秒後の輪の左側へと出ていき、輪の左側から入ったものは数秒前の輪の右側へと出てくるものだった。さらにはそれよりもはるかに長い時を越えてつながる(20年)〈歳月の門〉もあるとバシャードは言い、それを使ったものたちの数奇な話を語っていく。

〇登場人物
  • フワード・イブン・アッバス
 本編の語り手。かつての後悔を胸に20年の月日を越えたが妻に会えず、流れ流れてたどり着いたカリフのもとでこの不思議な話をしている。敬虔なムスリムであるようで語っている時点ではもろもろ受け入れている模様。

  • バシャード親子
凄い錬金術師。タイムマシンをいくつか所有している。すごい。自分の未来の行動が決まっていても自由意志がどうのこうので気に病んだりしていないメンタリティには驚嘆。

  • ハサン
 未来において資産家となることが確定している縄ない。ラッキーボーイ。素直に未来の自分の忠告に従うあたりいいやつ。性技も未来の伴侶に教えてもらっている。ラッキーボーイ。

  • アジブ
出来心から未来の自分から金を盗んだ男。金で成りあがった後妻を盗賊に連れ去られるが金で解決。しかしそれがきっかけで過去の自分に金を盗まれるための清貧な生活を始めることになる。

ラニヤ
 ハサンの妻。三人の自分の力を合わせて夫の困難を遠ざけた。過去の夫に性技をレクチャーする役目も持っていた。

〇あれこれ
  • 運命を受容する、というムスリムの特徴と過去が変わるわけではないタイプのタイムマシンの相性が良かったらしくそこに千夜一夜物語のエッセンスを入れてこんな話になったとのこと。
  • タイムマシンの原理は時間差のあるワームホールの入口と出口のセットなんじゃないかなって思っているが(シュタゲ知識)、それだと片方のワームホールの出口をとんでもない短時間で無限遠と反復横跳びさせる必要があるのでエネルギー問題が気になるところ。

「息吹」
〇あらすじ
 空気が人々(機械)の生命の源である世界において、ある年の元日、世界のあちこちで正午の詩の暗唱が終わらぬうちに午後一時になってしまった。この不具合はいったい何なのか、何を意味するのかを自分自身の解剖を通して「わたし」は気づいてしまう。時計が早くなっているのではなく「肺」と世界の気圧差が小さくなることで人々の思考速度が下がっていることに…

〇登場人物
  • わたし
 この世界の人の記憶のシステムがどうなっているのかを知るために自分自身の脳にあたる部分を観察する結構ヤバい人(きっかけはしっかりあったが)。脳を置き換えていくところは機能主義ガンギマリ。逃れえぬ滅びを前にしてほかの宇宙からの来訪者へとメッセージを残した。

〇あれこれ
  • エントロピー増大の法則がはたらく世界において行きつく先を描いた作品。感動的な最期だったと思う。
  • Exhalationを息吹と訳すのは結構おしゃれだと思った。

「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」
〇あらすじ
 データアースというメタバースが普及した未来で、ブルー・ガンマ社はニューロブラストという新型ゲノム・エンジンを用いたディジエント(仮想空間で生きるデジタル生物)を世に出すことに。そこで教育役として雇われた元動物園の飼育係のアナやディジエントのデザイナーであるデレクなどのスタッフ一同はディジエントの教育をしていくことになった。ブルー・ガンマのディジエントのヒットから衰退、ほかのメタバースや新型のディジエントの台頭などの状況の変化の中でニューロブラスト系ディジエントの飼い主やディジエントはどうなっていくかが描かれていく。

〇登場人物
  • アナ・アルヴァラート
 動物園の元飼育員でその経験を買われてブルー・ガンマにてディジエントの教育を行うことになる。ロボット型ディジエント、ジャックスの飼い主。中盤からはカイルという理解ある彼くんもいる。愛強めの母親と化していき、最期には愛ゆえにポリトープ社のクスリを打たれながらの仕事をする覚悟を決める。

  • デレク・ブルックス
 デザイナー。パンダ型ディジエントのマルコとポーロの飼い主。ディジエント教育に熱中するし、アナが好きになるしで妻に見捨てられた。二匹が自立を強く望んでいることなどからアナとたもとを分かたってバイナリー・ディザイアの提案を飲むことを決断する。

  • ジャックス
 ロボット型ディジエント。ディジエントが流行っていたころはディジエントの友達とよく遊んでいたが流行りがすたれてくるとオンラインで人間の友達とゲームをするようになる。ついにはそれもできなくなって孤独に不満を持つようになり、現実世界で活動するための体でデータアースにログインするのも直接プレイできないためご不満の模様。ずっと純真な子供だが成長しているのはみてとれる。

  • マルコとポーロ
 パンダ型ディジエント。マルコのほうが早くできた。どちらが優位性を持つかでけんかしたり、法人化して世界に出ていきたいと思ったり社会性の芽生えがみえる。また、メモリーを改竄してほしいと訴えたり、報酬系マップの書き換えを仄めかしたりと自分がデータ生命体である自覚が強い模様。マルコのほうがよくしゃべる。

  • ロビン
アナにブルー・ガンマの仕事を持ってきた友人。ディジエントは「卒業」した。

  • ディジエント愛好家たち
ディジエントに性を持たせるのに賛成だったり反対だったりする。

  • フィーリクス
激ヤバ触手生物制作サークルに所属する中では珍しく、人と関りが持てる。バイナリー・ディザイアの案件を持ってきた。

  • ジェニファー・チェイス
 バイナリー・ディザイア社の営業。ディジエントに性を持たせる事業に協力してくれるならばリアルスペースに移植する、という案件を持ちかけた。新しいタイプの性的関係があってもいいんじゃないかという視点を登場人物及び読者に与えてきた。

  • ブラウアーとピアスン
 ディジエントをプレゼンしてきたアナにそういうタイプのものは求めてないんですよ~従業員じゃなくて製品が欲しいんですよ~って言った人たち。

〇あれこれ
  • AIを子育てするお話。教育方針の違いがディジエントの人格形成に大きく影響を与えていることが見て取れて面白い。
  • 触手生物コミュニティはいったい何?

おまけ(ほかの短編のひとくちあらすじとひとくち感想)
〇予期される未来
 未来を絶対に予知する機械の登場によって人間の自由意志が疑われるけどそれを持とうとすることをやめちゃおしまいよって話。短くて読みやすい。結構ホラーかも(本気で言ってる?)

〇デイシー式全自動ナニー
アンドロイドともいえないような子守ロボットとそれに関わった男たちの話。機会による世話でしか成長しないとかのくだりがくだらねえと思いつつもかなり好き。

〇偽りのない事実、偽りのない気持ち
 視野狭窄おじさんがデバイスの発達によって苦しみながらも生きようとする話。記憶の改竄すら許されなくなる息苦しさはかつて人間が何度となく経験してきたことの繰り返しでしかないのかもなんて思ったりする。

〇大いなる沈黙
 そこにある種の喪失はそこにある言語、儀式、伝説を永遠に沈黙させること。自らが大いなる沈黙に加わるとき、愛しているの言葉を残せるだろうか、みたいな。

〇オムファロス
 神はある時宇宙を完成形で作り給うたが、それは我々のためではない、というキリスト教への大アンチテーゼ。神に仕える意味を失ってなお失われない信仰心ってなんだろうねってちょっと考えたり。

〇不安は自由のめまい
 ランダムに分岐する二択のどっちかを選んだ未来を観測できる未来、人々はそのための道具に依存したりその道具で金稼ぎしようとするけど、大事なのはその時々の決断だとか出来事じゃないんじゃない、っていう作品。どのみち薬にはまっちゃう彼女が一番の萌えポイントかも。あとほかの世界戦では踏みとどまったから(踏みとどまらなかったから)セーフ理論は卑怯が過ぎるだろ。
最終更新:2024年05月29日 22:54