玩具修理者
暦の上では秋だが、まだ夏の暑さが残っている中、いかがお過ごしだろうか。夏といえばホラーということで、小林泰三『玩具修理者』を取り上げる。小林泰三といえば、ホラー作家として有名だが、本人はホラー作家というよりもSF作家としての意識が強かったらしい。
著者紹介
小林泰三。1962年、京都府生まれ。1995年に『玩具修理者』で第2回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞。翌年、短編集『玩具修理者』で単行本デビュー。同作は単行本だけで15万部を超えるベストセラーとなり、2002年に映画化。2020年11月23日、58歳でがんのために死去。『玩具修理者』の他、『
海を見る人』、『アリス殺し』、『ウルトラマンF』などの作品で知られる。
玩具修理者
あらすじ
喫茶店で道雄は姉と会っていた。いつもサングラスをかけている姉に、なぜサングラスをかけているのかと尋ねると、玩具修理者と呼ばれる謎の男と、姉が幼い頃に体験した不思議な物語を聞かされることになる。
幼い頃、家の近くには玩具修理者がいた。玩具修理者は、子どもたちのおもちゃを無料で直してくれる。飼い猫などの生き物でも玩具修理者は直してくれる。姉は、サングラスをかけるきっかけとなった、幼い頃のとある事故と玩具修理者の思い出を語る。その話によると、道雄は生後十か月の時点で一度死んでいたのだった。
登場人物
〇道雄
なぜサングラスをかけているのかを姉に尋ねる。姉の話から、自分が一度死んでいたことや、何度か玩具修理者に修理されていた事を知る。
〇姉
昼はいつもサングラスをかけている。幼い頃、生後まだ十か月だった弟の子守をしていた際、階段から落ちて重症を負う。このとき、弟は一度死んだ。死んだ弟を修理してもらうため玩具修理者を訪ねる。玩具修理者の修理により、弟が生き返ると同時に、姉は左目に猫の目を入れられる。猫の目を隠すため、玩具修理者に依頼して作ってもらったコンタクトを使用していた。コンタクトが壊れてしまったため、現在は、サングラスをかけるようになった。
〇玩具修理者
姉がまだ幼かったころ、家の近くで子どもたちのおもちゃを修理していた。修理中に発する謎の言葉から、「ようぐそうとほうとふ」などと呼ばれていた。道雄の記憶にはない。子どもたちから依頼されたおもちゃを完全に分解した後、謎の歌を歌いながら修理する。複数のおもちゃを同時に修理するため、部品が混じることもあるが、依頼された機能は完全に実現される。ただし、言葉にしなかった依頼内容は実現されない。生物でも修理することが可能で、死んでしまった猫や道雄を生き返らせた。修理時に他のおもちゃの部品が混じると、機能には問題がない一方で、異物が混じっていることが外見から分かる場合もある。
所感
小林は、文庫版『天体の回転について』収録の「文庫版あとがき」にて、本作を次のように語っている。「デビュー作である「玩具修理者」も実はナノ・バイオ・テクノロジー・ハード・SFなのであるが、それが幼い少女の目を通ることによって、ホラーに見えているだけなのである。」
バイオテクノロジーを用いた生物の修理として読むことはできるが、ハードSFといえるような科学的な仕組みや原理が作品内で語られることはない。むしろ、玩具修理者が修理時に発する言葉などから、クトゥルフ味を強く感じるため、ハードSFとしては読みづらい。本作の醍醐味は、被修理者が既に一度死んでいたことや、謎の修理を受けていた事実を知らされることで、自身の生死や生物の定義があやふやになる点にあると思う。少女の目を通したことによるホラー化という点については、姉が自身の体験を淡々と語っているためにホラーらしさが弱まっているように読めた。
しかし、現実の崩壊ともいえる本作のストーリーは、たしかにSF的なものである。読者の現実感を揺らがせるような作品を描くのが小林泰三の魅力であるように思う。
酔歩する男
あらすじ
タクシーを待つ間、酒を飲んでいた血沼壮士のもとに謎の男がやってくる。その男は、血沼とは初対面だが、かつて血沼と親友であったと語る。男が語る過去を聞いているうちに、血沼が認識していた現実世界が揺らぎ始める。
登場人物
〇血沼壮士
絶対にあるはずの場所に、どうしても行けないことがよくある。不思議な男に出会い、いくらか話をするうちにどこか不安を覚え、男の過去を聞くことにした。
〇小竹田丈夫
かつて血沼と同じ大学に通っていた親友だった。院進後、学年が一つ下の菟原手児奈と付き合い、しばらくして別れる。その後、血沼と付き合う手児奈を目撃し、血沼と喧嘩する。血沼と小竹田の二人に愛されていることを知った後、手児奈は駅のホームから落ちて死亡。手児奈を救うため、血沼の指示により、医学部に転部。血沼と別れ30年が経った頃、小竹田は教授となっており、既婚者となっている。音信不通になっていた血沼と再び出会い、血沼の研究に協力するようになる。脳の時間の流れを感知する部位を破壊してから、睡眠をとるたびに意識だけがタイムトラベルするようになった。主観的には何万年も生き続け、何百回と自殺した。
〇菟原手児奈
大学時代、小竹田丈夫、血沼壮士と付き合った後、死亡。二人の人生に大きな影響を与えた。匂いを聞き、味を見るなど、不思議な雰囲気を持つ。血沼の前に現れた、謎の男・小竹田によると、小竹田と血沼が脳に処置を行ったことで生まれた謎の存在であるという。
〇小竹田丈夫の親友、血沼壮士
小竹田と同じ大学に通っていた親友。菟原手児奈の死後、手児奈を救おうと、時間に関する研究を行う。時間の流れは意識の流れによって生じるのだろうから、時間の流れを感知する脳部位を破壊することで、時間遡行が可能になると考えた。小竹田を説得して協力させ、時間間隔異常者のデータを得る。そのデータから、時間の流れを感知する脳領域を突き止め、実行に移す。
血沼・小竹田の経験した時間移動
以下、作中で用いられる時間遡行システムをまとめる。時間の流れは意識の流れである。そのため、時間の流れを感知する脳部位を破壊することで、時間移動が可能である。しかし、過去から未来への連続的な時間の流れに慣れている場合、大脳の代替的な働きにより、覚醒時は通常通り時間が過去から未来へと連続的に流れる。睡眠によって大脳の機能が弱まると、過去や未来へ不連続に移動できる。移動先の時間はランダムである。このため、狙った時間に向かうためには試行を繰り返す必要がある。
意識のみが時間移動するため、未来に移動しても、時間移動した本人の記憶がその未来に合わせたものに変化することはない。
時間移動した先が最新の現実時間となる。すなわち、いま認識している時間より先の未来は、すべて波動関数の収束していない不確定の状態となる。このため、過去に移動した場合、それから先の未来は全て不確定となる。
(例:T大学に合格した人間が、大学受験前に時間移動した後、未来に移動する場合、T大学に合格した未来に収束するかどうかは確率によって決まる。)
所感
「酔歩する男」は、小林の本領が発揮された作品のように思う。「玩具修理者」と同様、自分が認識する現実が曖昧になる作品。時間の流れと意識の流れを関連づけ、波動関数に触れながら、主体の認識によって成立する世界を描いている。意識だけが過去と未来をいったり来たりするタイムトラベルというのは、ヴォネガット『スローターハウス5』のけいれん的時間旅行を思わせる。ヴォネガットはけいれん的時間旅行の仕組みを具体的に説明することはないのに対して、小林は緻密な論理を用いて時間移動を描いた。
文庫版『天体の回転について』収録の松浦普也による解説では、小林の描くSFには、「スプラッター」、「計算・論理」、「特撮とアニメ」、「愛と抒情」の四つの要素があるとしている(ただし、すべての作品に四つすべての要素が含まれているわけではない)。特に「計算・論理」においては、緻密な論理を積み上げた中に「奇妙な論理」を潜ませ、恐怖感を生じさせるという。この解説は、「酔歩する男」を読むと、非常に納得できる。
この作品で特に楽しい点は、主観者の認識によって現実が構築される世界と、その恐怖を描いている点にあると思う。物語の大部分は小竹田の語りによって進むため、読者は小竹田の視点で作品世界を見る。このとき、時間移動を繰り返し、収束と発散を繰り返す波動関数によって、連続性をもたず、ただ繰り返される世界が描かれる。小竹田の語りが終わると、血沼の視点に戻る。このときの会話を経て、血沼は自身の現実認識に不安を覚えはじめ、一人になった帰宅途中から少しずつ現実が揺らぎ始める。そうして、崩壊した現実は決して戻ることがない。今年の前期に波動関数を扱った私にとって、「酔歩する男」はタイムリーな作品となった。すごい好き。
「酔歩する男」を楽しめた人には、小林泰三「時空争奪」をお勧めしたい。時空の流れを川にたとえながら、現実崩壊的な作品でもあり、クトゥルフっぽさのある作品でもあるホラーSFだ。
最終更新:2026年08月11日 00:30