project nemo_09

ACE COMBAT04 THE OPERATION LYRICAL Project nemo



第9話 それぞれの序曲



機械音が響き渡る格納庫。整備員や技術者が右往左往する中で、一匹の鋼鉄の猛禽類が静かに横たわっていた。心臓たるエンジンを引っこ抜かれて
いるのでは飛び立つことも出来ないが、ほんの数時間前までこいつは地上本部の戦闘機隊を蹴散らし、二人のエースと単機で互角に渡り合ってみせ
た。そう考えると、つくづく尾翼に描かれたリボンのマークは、紛れもなく本物だったことを思い知らされる――少なくとも、技量に関しては。
ちらっとコクピットに視線をやる。本来は有人機であったのだろう、操縦桿にラダーペダル、エンジン・スロットルレバーは存在するものの、射出
座席は取り外されていた。代わりに居座っていたのは、黒い無機物の塊。
そんなことがあるはずない。空戦直後の酸欠気味な頭でも、敵機が無人であることは理解していた。それでも、心のどこかで期待があったのだろう。
自爆を警戒して遠隔操作のアームでコクピットが開かれた瞬間、思わず彼女は残念そうに視線を落としてしまった。
F-22ラプター、鋼鉄の猛禽類。彼の、メビウス1の愛機だった機体。機体の表面を撫でてみたが、手のひらに返ってきた感触はどこまでも無機物の
冷たい肌触りだけだった。
はぁ、と軽くため息を吐く。後頭部に手を伸ばし、髪を束ねていたゴムを手早く取った。ぱさっと鮮やかな橙色が背中にまで広がり、少女、ティア
ナ・ランスターは戦闘機乗りから執務官補佐へと戻った。服装こそ飛行服のままだが、結局は気分の問題である。
あの後――このリボンを付けたF-22に致命弾を与え、行動不能に追い込んだ後。敵機を木っ端微塵にしなかったのは、やはり正解だった。管理局の
航空基地に機関砲をばら撒き、クラナガンを大混乱に陥れたこの機体はただちに容疑者として確保された。クラナガン郊外の地上本部の航空基地に
運び込まれ、目下解体調査中と言ったところか。"フェンリア"によるパイロット誘拐事件、それに続く無人戦闘機による襲撃、一連の事件と関連性
があるのは疑いようがあるまい。

「ティアナ」

あっちこっちにケーブルを繋がれたF-22を格納庫の二階から眺めていると、不意に横から声をかけられた。聞き覚えのある声だった。
ティアナは手すりに傾けていた身体を起こし、横を見る。視界に入ったのは栗毛色の髪をサイドポニーにまとめた少女。誰だ、などとは言えるはず
もない。かつてのエースオブエース、高町なのはその人である。クラナガン市内で外出していたところを偶然F-22と出くわし、いても立ってもいら
れずそのまま戦闘に加わった。私服なのはきっとそのせいだろう。

「なのはさん……いいんですか、身体は?」

療養中と聞いてますけどと付け加えたところでティアナはまずかったかも、と顔をしかめた。どうにも自分の言い方に、棘があるような気がした。
幸いにも、療養中のエースは大して気にした様子もなく、あるいは本人も心配されて当然と自覚があるのか、平気だよと笑みを見せてくれた。その
ままなのはの視線は移動し、眼下に横たわる鋼鉄の翼に向けられる。

「あの機動……間違いなく、本物だった」

呟くように言葉を吐いたなのはに、ティアナはええ、と頷いてみせた。間違いなく、こいつはメビウス1だった。機体の性能を存分に生かし、とも
すれば奇策も用いるリボン付きの死神。尾翼にこれ見よがしに描かれたリボンのマークが、ますますその存在が本物であることを裏付ける。
だけども、この場にいる二人のエースの心中にはほぼ同じものがあった。すなわち、疑問。何故、JS事変を駆け抜けたエースパイロットの愛機が、
本人と寸分違わぬ強さを見せてこの場に存在するのか。何故、管理局の基地を襲撃したのか。何故、無人機なのか。

「ねぇ、ティアナ」
「はい?」

視線はF-22に向けたまま、なのはが声をかけてきた。ティアナは振り向き、ふと気付く。療養中のはずのエース、その瞳に深く力強い何かが宿って
いる。闘志か、決意か、使命感か。どうとでも解釈出来るが、一つだけはっきり言えることがある。
こうなった彼女を止めることは、もう何者にも出来まい。

「――この事件、私も調査に加わっていいかな」

ティアナは表情を曇らせた。確かに、エースオブエースが加わってくれるなら心強い。事件の調査は時として武力行使も行う場合があるし、今回の
ように大規模なテロも同然の行動を起こす犯罪者が相手ならばなおのことである。
だけど、と少女の思考に引っかかるものがある。繰り返すが、なのはは現在療養中の身だ。JS事変で受けたダメージは表面に現れてないだけで、い
つ彼女の身体を突然蝕むかも分からない。もしかしたら、今回の戦闘でそれは起きてしまったかもしれないのだ。

「放っておけないんだ、やっぱり」

かつての部下の心配をよそに、なのはは付け加えるように言った。同じエースの名を背負い、共に大空を駆けた仲間。彼が、突然敵機として現れた。
放っておけない。彼女でなくとも、そう考えるのはごく自然のはずである。ましてや、彼女の頑固な一面はティアナ自身も知っている。
こりゃあ、たぶん断れないわね。どこか諦め気味の思考が浮かび上がり、思わず苦笑いを浮かべて少女はエースオブエースに振り返った。

「フェイトさんに話してみます。とりあえずは、それから」

何にせよ、自分が補佐する執務官に話を通さねば。
ティアナの答えを肯定と受け取ったのか、なのははありがとう、と笑みを浮かべてみせた。
眼下にあった猛禽類からは、いよいよコクピットにあった黒い無機物の塊が取り外されようとしていた。



一方で、管理局本局。執務室の机に浮かぶ半透明のディスプレイには、捕獲したF-22より収集されたデータが続々と表示されていた。
以前に捕獲した"フェンリア"は捕まった際のことを考慮してか、事件の核心に迫ることが可能なデータは残されていなかった。そもそもが既存の無
人機のシステムを若干の手直しを加えて流用したものに過ぎなかったのだ。
それに対して、このF-22がもたらした情報は――紅い瞳が、文字通り魔法のディスプレイをじっと見つめていた。綺麗な金髪、整った顔立ちに浮か
べる表情は真剣そのもの。フェイト・T・ハラオウンはこの時、少女ではなく執務官だった。

「幸いでしたね、自爆装置が高機動の連続に耐えられなかったのは」

同じくディスプレイを眼鏡越しに見つめ、フェイトに代わってキーボードを叩くのは補佐官のシャリオ。彼女の指がキーボードの上でわずかに踊る
と、ディスプレイ上に表示されるデータとはまた別の枠で解体調査中の猛禽類が現れた。機密性保持のための自爆装置は"フェンリア"にもF-22にも
搭載されていた。どちらも捕獲された場合を考慮してのことだったのだろうが、前者はバインドで身動き出来なくなったところにフェイトが電撃を
浴びせ、自爆装置の回路をショートさせた。後者と言うと、高いGが加わる高機動を短時間に何度もやったおかげで、捕獲される頃には使い物にな
らなくなっていた。あるいは、そもそもF-22を送り出した者たちは自爆装置を保険程度に考えていたか。まさか、"リボン付き"の技量を完全に再現
したコイツがやられるはずがない、と。その目論見は、見事にエースたちによって打ち砕かれた。

「それにしても……このデータ、本物なんですかね。もしそうなら」
「なのはたちは、本物だって言ってたよ。少なくとも機動を見た限りは」

補佐官の言いたいことは、フェイトにも分かった。収集した情報から得られた結論、すなわちこのF-22には尾翼に描かれたリボンのマーク、メビウ
ス1本人の技量を完全再現したAIが搭載されている。つまり、猛禽類を送り込んできた者たちは何らかの手段でかつての機動六課の仲間を、"リボン
付き"を手中に収め、データを収集したことになる。
おまけに、とシャリオは再びキーボードを叩く。解体調査中のF-22は消え失せて、代わりに現れたのはミッドチルダ北部にあるダム、現地の監視カ
メラからのライブ映像。一見緑に囲まれた、何の変哲もないダムであるが――

「あのF-22の、データリンクシステムのログを漁ってみました。アヴァロンと交信してます」

やっぱりか。顎に手をやり、突きつけられた事実に執務官は抱えていた思考が確信になっていくのを感じた。以前から目を付けていたこのダム、名
はアヴァロンと言う。一連の事件の首謀者たちと強い関連性を持つ、はっきり言ってしまえば拠点と思われる土地。本局捜査官、八神はやてからの
情報に今回のデータリンクの交信記録。もはや疑う余地はないはずだ。
しかし、フェイトには一つだけ納得いかない部分があった。仮にアヴァロンから敵機が発進しているとなれば、いったいどこに滑走路があるのだろ
うか。補佐官たちと共に調べて回ったが、戦闘機が離陸出来そうな土地はアヴァロン周辺からは見出せなかった。そこだけが、彼女にとって気がか
りだった。

「そのことなんですけど」

前置きして、シャリオが指をキーボードの上でダンスさせる。ディスプレイに表示されるアヴァロン・ダムのライブ映像が、大きく拡大されていく。
よく見てください、と補佐官の指すところを、フェイトの紅い瞳はじっと見つめた。映像の端、木の枝に止まる鳥。翼を広げて、彼が飛び立とうと
した瞬間、明らかに不自然な形で鳥は元の姿勢に戻っていた。まるで、そこで途切れた映像を何度もループさせているように。

「これって……」
「ライブ映像とは名ばかりですよ。もちろんずっとこの映像を使ってる訳じゃありませんが……例えば、見られたくない行動を起こす時とかに、こ
っちを流してるんじゃないかと」

人工衛星の監視にしたところで、ずっと上空に付きまとっている訳ではない。アヴァロンに居座る彼らは、そのタイミングを縫うようにして戦闘機
を飛ばしていたことになる。
納得するのと同時に、けど、とフェイトは自分の脳裏にまた一つ疑問が浮かび上がってくるのを感じた。管理局へと繋がる現地の監視カメラ、その
間に割り込むとは、相当高度なハッキングの技術を持っているはず。
ハッキング、と言う言葉が脳裏をよぎって、執務官ははっとなる。F-22が襲撃する直前、関係者以外には知らされない職務用のアドレスに届いた二
件のメール。一通目は捜査をやめるよう警告し、二通目はF-22によるマルイ航空基地襲撃後、フェイトを責めるように届いた電子の手紙は、結局ど
こから届いたのか分からないままだったが――

「……シャーリー。この間のメール、調べたのは外部からかどうか、だったよね?」
「は――はい」

それが何か、と首をかしげる補佐官に、フェイトは指示を下す。もう一度調べなおして。今度は内部からかどうかも。
戸惑いながらも早速キーボードを勢いよく叩き始めたシャリオを余所に、執務官は一人焦燥に駆られていた。
もしもメールが内部からであれば――管理局は、すでに奥深くまで敵に情報を握られていることになる。



どれだけ当人たちにとっては魅力的なものでも、興味がない者にとってはただ気分を害する要素でしかない。
その日、地上本部のクラナガン郊外にある航空基地を訪れたユーノ・スクライアは今更ながら、戦闘機のエンジン音の破壊力に顔をしかめた。
滑走路の向こうからは、訓練のために離陸していく鋼鉄の翼があった。陽炎に揺らめく背景を背に、単発機のそれは――後で聞いたが、F-16Cと言
うらしい――大地を蹴って加速。溢れんばかりのジェットエンジンを力を使って、大空へと飛び立っていく。それに伴って発生する轟音は、正直た
まったものではなかった。耳は痛いし、腹に響く。一見女性のようにも見える端正な顔立ちを歪めて、ユーノは決して好意的ではない視線を持って
舞い上がった戦闘機を見送った。

「なるほど、騒音問題で訴えられる訳だよ……」

戦闘機を導入するようになってから、確かに地上本部の戦力不足は飛躍的に解消しつつあった。だが、それに伴って発生したのが騒音問題。ただで
さえ戦闘機のエンジン音は凄まじく響くと言うのに、その数が増えたことで基地周辺の民間人たちは日常生活に支障を来たしていた。慌てて訓練は
人里離れた山地や海上上空で行うようにしたものの、結局離着陸は基地で行うため根本的な解決にはならなかった。これ以上は、基地そのものを移
転せねばならないだろう。
やれやれ、と眼鏡をかけた顔を振り、ユーノは歩き出す。これだけ騒音が響いていると言うのに、背中に乗せたお姫様は――可愛らしく髪を結った
オッドアイの少女、ヴィヴィオは長時間バスの中で揺らされたことで静かに寝息を立てていた。平気だよ、と普段いい子にしているけども、やはり
ママに会いたい気持ちは隠しきれなかった。仕事の合間に無限書庫を抜け出した司書長にくっついてくる形で、彼女はやって来た。
ヴィヴィオを背中に乗せたまま、ユーノは基地のゲートで管理局の身分証を見せて、面会に来たことを警備の陸士に伝える。陸士は入念に身分証を
チェックした後、親子のような彼らを基地の中に通した。さすがに襲撃事件が立て続けに起きただけあって、いつもよりピリピリした雰囲気のよう
に思えた。
事前に時間と場所は連絡されている。面会場所であった基地の食堂に入ると、目的の人物がのんびりコーヒーを飲みながら待ちぼうけを食らってい
るのが見えた。彼女もユーノが来たことに気付き、待ちわびたように笑顔を浮かべて手を振ってくれた。

「ほら、ヴィヴィオ。なのはママだよ」
「ん……むにゃ……」

寝床にしていた青年の背中が大きく揺れて、むくっとヴィヴィオは目を覚ます。最初のうちこそ「んー…」と機嫌悪そうにしていたが、オッドアイ
の瞳が大好きな母の姿を捉えると表情が一変する。

「ママ、なのはママ!」
「はーい、ヴィヴィオ。いい子にしてた?」

ユーノの手で大地に下ろされるなり、ヴィヴィオは勢いよく駆け出した。そのまま椅子に座っていた少女、なのはの元に飛びつく。愛しい義理の娘
との再会、嬉しくないはずもなく親子揃って満面の笑顔。
しばらく抱きついてきた娘の頭を撫でてやって、なのはは幼馴染に視線を向けた。

「……やぁ、なのは。どうだい調子は?」
「悪くない、かな。ありがとう、ヴィヴィオも連れてきてくれて」

穏やかな笑みを浮かべて、ユーノは礼を言うなのはに応えた。
療養中のエースオブエースの復帰。その決定は管理局の彼女に憧れる魔導師たちを沸き上がらせたが、なのはの身を案じるユーノとしては決して歓
迎すべき事柄ではなかった。"リボン付き"のF-22を眼にした彼女が飛び出していったあの瞬間から嫌な予感はしていたけども、実際現実になってみ
れば不安と心配が彼の心を時折キリキリと締め付ける。色々あってまだ秘めたままの想いが、それに拍車をかけていた。
しばらくなのはと互いの近況を話し合い、ときどきヴィヴィオも交えながら他愛もない会話を繰り広げていると、食堂の外から再びあのジェットの
轟音が響き渡ってきた。さすがに屋内にいるおかげで最初にエンジン音の洗礼を受けた時よりはマシだが、それにしたってうるさいことには変わり
ない。ヴィヴィオも母の膝の上で眼をぱちくりさせている。

「すっごいうるさいよねー。毎日こんな調子だよ」

ユーノの様子を察したのか、なのはは窓の外を眺めながら、しかし彼女自身はもう慣れてしまったような口調で話す。スクランブルと言う緊急発進
があれば夜中であってもこれなのだから、彼女の睡眠時間が少し気になるところである。
本来ならば、なのははここにいるべき身ではない。それは、彼女自身が一番よく分かっているはずだ。魔導師としての生き方より、母として、少女
としての生き方の方が似合ってる。にも関わらず、母は、少女は再びエースオブエースとなることを選んだ。

「……なのは、やっぱり戻る気は?」

未練がましいな、とは自分でも思った。それでも幼馴染は、訊いてしまった。
問われたなのはは、しばらく困ったような笑みを浮かべ、やがて口を開く。たぶん、無いと。
ユーノには理解出来なかった。目の前にある幸福を見過ごしてまで、杖を手に取りエースとして返り咲く。また大空に舞い戻っていく。そんなに空
とはいい場所なのだろうか。そこまでして、エースと言う称号は捨てがたいものなのだろうか。

「別に、そういう訳じゃないんだけどね」

そのことについて正直に話すと、やはり彼女は、年相応な少女の困った笑みを浮かべてみせた。

「なんて言うか、責任感、かな」
「責任感?」
「そう、責任感」

ゆっくりと、ヴィヴィオをあやしながら。
なのはは語る。あの日、あの時眼にした"リボン付き"は、間違いなく本物の強さだった。少なくとも、本物に匹敵するほど。自惚れるつもりはない
けど、彼と、メビウス1と互角に戦える力を自分は持っている。もし、彼が何らかの形でミッドの平和を侵そうとしているならば、自分があの人を
止めなければならない。それが、力を持つ者の使命であり、責任。出来るはず、やれるはずの力を持っているのに、見過ごすことは自分には出来な
い。ましてや、目の前の幸福に身を委ねることなんて――

「わがままだよね、私」

ふっと自嘲気味に笑うなのはに、ユーノはかける言葉を思いつかなかった。
再び響くジェットの轟音、しかしこの時ばかりは遠い別世界の出来事のように思えた。
その後、気まずいようなそうでないような、微妙な雰囲気を押し退けるように三人揃って昼食を取り、午後からまた訓練だからと面会は終わった。
帰り道、ユーノはお姫様たっての希望により実施した肩車でヴィヴィオを連れていると、基地の金網の向こうで戦闘機が離陸していくのを眼にし
た。今度はエンジンが二つ、双発機。後で聞いたが、F/A-18Fと言うらしい。
ジェットの轟音は相変わらずうるさかった。大地を蹴って空に向かっていく戦闘機を眺めて、しかしユーノはあっと気付く。同じく滑走路から発進
した、桜色の光。飛行魔法を行使した証に、青空に描かれる一筋の軌跡は鋼鉄の翼と並んで飛び、決して離されない。どっと、戦闘機がアフターバ
ーナー点火、上昇速度を一気に跳ね上げるも、やはり桜色の光は同じように急加速して追従する。

「ママすごーい」

肩の上に乗せた彼女の娘には、桜色の光が誰なのか分かるのだろう。その機動は、以前と比べてもほとんど色褪せることなく、力強かった。
今でも心配か、と問われればそうだと答えるだろう。戻ってきて欲しいか、と問われればこれもそうだと答えるはず。
だけど、と彼は付け加える。彼女は、責任を果たそうとしてる。だったら、せめてそれが果たされるまで、見守ってあげよう。
自分に出来ること、自分の責任は、なのはの帰る場所になることだ。
責任感か。ポツリと呟き、ユーノは青空を行く少女をしばらくそのまま、見届けていた。




――おい、聞いたか? 例の噂?

――ああ? なんだ、お前も噂を信じる性質か。安心しろよ、噂は噂に過ぎないんだから。

――そうは言うけどよぉ……。

――不安なら、ここの対空火器を見て回れよ。凄い数だ、管理局でも下手に攻めたら返り討ちだぜ。

――あの衛星軌道上から撃ち下ろしてくる奴はどうだ。その、なんと言った?

――アルカンシェルだろ。心配すんなって、偽装とはいえここはダムだ。貯水を全部吹き飛ばしたら、ここの水をアテにしてる民間人が困る。そう
でなくても、自分ちの近くに大量破壊兵器なんか撃ち下ろしてみろ。管理局は批判の的だ、民意や世論とやらに押されて動けなくなる。

――だといいんだが……。


一見ただの作業員にしか見えない二人の男、会話もそこそこに彼らは廊下を通り過ぎていく。
男たちが気付くことは、まずないだろう。自分たちの背中を、天井からわずかに突き出た一本の指がじっと見つめていることを。
天井の裏、おそらく彼女以外なら何者でも入ることは出来ない空間。かつての戦闘機人、ナンバーズ六番、明るい水色の髪を持ったその少女はセイン
と言う。普段なら快活を実体化したような表情を持つその顔、この時ばかりはいたって真剣そのもの。
床に突っ込んでいた指を水面からそうするように引っこ抜き、セインは自身の指を見つめながら考え込む。無機物ならば何にでも文字通り"潜航"が可
能な彼女の能力、IS"ディープダイバー"に加えて両手の人差し指にあるペリスコープ・アイがあってこその今回の任務だが、どうにも不可解なものが
多かった。

<<……チンク姉、聞こえるー?>>
<<聞こえるぞ、なんだ>>

困った時はリーダーに相談だ。少し離れた場所にいる隊長、自分の姉も兼ねている味方に念話で語りかけた。任務に集中する姉の応答は、少し無機
質っぽくて冷たい。

<<姉、もうちょっと愛想よくてもいいんじゃない? 可愛い妹が敵地奥深くに進入してるんだしさー>>
<<任務は任務だ、集中しろ。それと、私を呼ぶ時はコールサインで呼べ>>

へいへい。視界上にいない姉に向けて、セインは肩をすくめてみせた。
それから改めて、彼女のコールサインを呼ぶ。黄色の5、と。

<<とりあえず一通り周ってみたけどさ。一応、ここは普通のダムとしての機能も持ってるよ>>

手元に持参した汎用デバイスを持ち出し、狭い空間でも視界を遮らないようコンパクトに展開された半透明のディスプレイ。気楽な密偵の得た情報は、
全てそこに集まっている。各フロアの地図、対空火器の配置、人員の配備状況。それらに目を配りながら、データを汎用デバイスで光信号に変換。つ
いでに防諜用の暗号化ツールも使って傍受されても安全なように加工、最後に暗号になった光信号を魔力変換して念話に乗せて飛ばす。

<<ほう、地下には貯水タンクか……なるほど、必要になったら水はこっちに移すつまりだな>>
<<ダムの水底も見てきた。透明度が低くて断定は出来ないけど、たぶん滑走路だね>>

送ったデータは無事受信出来たようで、姉は感心したように唸ってみせた。どんなもんよ、と決して人に見られることはない得意気な笑みを浮かべ
密偵は胸を張ってみせる。

<<あとさ、チンク姉>>

ん?と通信の向こうで返答。ダムの中を一通り見て周ったセインは、もう一つ口頭で伝えておきたいことがあった。なるべくなら、今すぐに。
それくらい報告すべきことは脳裏に焼きついていたのだが――突然、床下の方から足音が耳に入った。それだけならば彼女の注意を引くはずもなかっ
たのだが、やって来た足はセインを見上げるように、つまり彼女のちょうど真下の位置で突然停止してみせた。
話を続けるよう促す姉からの通信、密偵はちょっと待ってと一度念話を切り、先ほどやったようにカメラの付いた人差し指を、水面と同じように足元
に突っ込んでみた。真っ先に指先からの視界に入ったのは、何か大きな機材を抱えた男が二人。ごくごく平凡な作業員のようだが――待て、なんだあ
れは? 何故に彼らは頭に赤外線スコープを付けている。

「ここのようだな」
「よし、撃て」

男たちの手にある黒いもの。それが銃口だと気付くのと、本能が命の危険を察知するのはほぼ同時だった。
指を床から引っこ抜き、天井裏の狭い空間から安全な無機物の中へと脱出を図る。本来ならば侵入を拒否するコンクリートの冷たい壁、水に飛び込
むようにしてセインは勢いよく突っ込んだ。数瞬した後、赤い銃弾の雨が地面から降ってきて天井を貫き、徹底的に粉砕する、間一髪、戦闘機人と
言えども銃弾の直撃はさすがにまずい。
どこかでセンサーに引っかかったか。あるいは念話による交信が察知され、根源を見つけられたか。いずれにせよ、はっきり言えるのは敵に存在が
知られたと言うことだ。無機物の海の中を慌しく泳ぎ、セインは再び念話の通信回線をオープンに。

<<チンク姉、気付かれた! 敵さん怒ってる、撃ってきた……>>
<<あぁ、こっちもだ――セインは早く脱出しろ。こっちはほどほどに暴れて注意を引きつけよう>>

暴れるって、チンク姉! 言いかけて、密偵は黙るほかなかった。一方的に、念話を切られてしまった。
こうなった以上は、リーダーの言うことを素直に聞くしかあるまい。姉と、それに付き従う妹たちを胸中に、セインは水なき水、無機物の海をひた
すらに突き進んでいった。



「誰だよ、見つかったのは」

不機嫌そうな少女の声が、闇に包まれ薄暗くなりつつある山中に響く。いかにも面倒くさそうに、ごつい右手の黒光りするガンナックルを構え、正
面から木々を押し退けてやって来るであろう敵に備える声の主、名はノーヴェと言う。かつてのナンバーズ九番、現在のコールサインは"黄色の9"。
普段から何かと苛立っているのはいつものことだが、明らかに今の彼女が抱える心境は普段とは別のもの。すなわち、敵に対する怒り。面倒なこと
を起こした相手への黒い感情である。

「まあまあ、こうなることは分かってたじゃないッスか。ノーヴェがいる時点で」
「あぁん!? 何だとこら、ウェンディ!?」

まるで見つかったのが自分のせいような言われ方を受け、ノーヴェが怒鳴り散らす。
なだめ役、とは言えまい。怒鳴られてもけらけら笑って受け流す、赤毛の髪を後ろで束ねた少女はウェンディ。ナンバーズ一一番、コールサインは
"黄色の11"。身体は少女であるにも関わらず、体格に不釣り合いな移動手段も兼ねる固有武装"ライディングボード"を構えていられるのは戦闘機
人の力ゆえだろう。
怒るノーヴェ、からかうウェンディ、その間を突如として光の渦が木々を呑み込み大地を削り、はるか向こうにいた敵を吹き飛ばす。突然の砲撃、
冷や汗を垂らして二人が振り返ると、ドが付くほどに巨大な――少なくとも人間が持つものにしては――大砲を抱え、正面をきっと睨みつける少女
が一人。茶色の髪をリボンで束ね、凛とした表情を浮かべる砲撃手の名はディエチ。以前はナンバーズ一〇番、現在はコールサイン"黄色の10"。

「二人とも、お喋りはその辺にしておこうよ」

来るよ、と砲撃手の言葉。長射程を誇るディエチの眼は、はるか遠くの獲物を捉えるためにズーム機能を加えられているのだ。
数字の上では妹のはずだが、稼働時間を考えれば実質年長者も同然。いそいそと正面に各々の得物を構え、ノーヴェとウェンディは迎撃準備に入る。
ディエチの砲撃を持ってしても、全ての敵は撃破しきれなかったらしい。山の向こう、木々を掻き分けて敵の気配が前方よりやって来る。
ところが――視界に入った敵を見た時、戦闘機人の少女たちは驚きの声を上げた。

「んな!?」
「何スか、ありゃあ!」
「……久しぶりに見たね」

驚くな、とは言えないだろう。ミッドチルダに住む者ならば、否応なしにその存在の脅威に晒されたのだから。
ずんぐりした青い胴体、無感情な機械の瞳。わらわらと群れをなしてやってくるのは、ガジェットⅠ型。JS事変でスカリエッティ一味が大量に投入
した無人兵器ガジェットシリーズ、その主力を務めた機体である。ただし――

「ふんっ」

気合と共にノーヴェが拳を振りぬいた。真正面より勢いよく飛び掛ったかつての仲間は、顔面に容赦なくガンナックルを叩き込まれる。
火花を散らし、装甲をへこませ派手に吹き飛ぶガジェットⅠ型は、決して個々の能力は高いものではなかった。ひたすら数で押す、これが彼らの主
戦術にして唯一の戦法。大量生産された機械には、それが限界だった。
殴り、蹴られ、大地に叩きつけられる無人兵器。ノーヴェにまとわりつくそれらは、しかし数に衰えを見せることがなく。ちっと露骨に舌打ちし、
彼女は相棒に目配りする。OK、と合図に答えてウェンディがライディングボードを構えた。

「エリアルショット――吹き飛べッス!」

大型プレートの先端から放たれた弾丸は、少しばかり細工をしてあった。ガジェットたちの周りに着弾するも、爆発せず。土砂を巻き上げただけで
何のダメージも与えられない弾丸を見て、ノーヴェは手近にあった木に飛び乗って退避する。
後を追おうと無人機たちが上を向いた瞬間、地面がどっと盛り上がった。割れた大地の隙間から光が溢れたかと思うと、爆風と衝撃がガジェットた
ちに襲い掛かる。なんてことはない、遅延信管を用いた榴弾のようなものである。相棒が退避する時間は、どうしても必要だったので用いた。
爆風と閃光、衝撃と炸裂音。巻き込まれてなぎ倒された木々の上を、無人兵器の残骸が積み重なって瓦礫の山と化していく。これだけやっても、ガ
ジェットたちの数は減らない。機械ゆえに死を恐れない彼らは、仲間の屍を踏み越えてでも戦闘機人、かつての仲間たちの元に敵意を持って現れる。
きりがない、とディエチは口走り、とうとう武装のイノーメスカノンで処理し切れなかったガジェットをぶん殴る。手のひらに、鈍い衝撃が金属越
しに伝わってきた。鉄の塊の打撃を受けて、あえなく無人兵器は沈黙する。

「伏せろ!」

姉妹たちは、突然山中に響いた声にほとんど反射的に従った。聞き覚えは、確かにあった。土を被る羽目になっても、躊躇せずノーヴェ、ウェンデ
ィ、ディエチは大地に身を伏せた。
ヒュッと風を切るような音。空から降ってきた一本のナイフが、まだ進行を続けていたガジェットたちの中に落ち、地面に突き刺さる。
続いてナイフが二本目、三本目。同じく地面に刺さるも、無人機たちは見向きもしないで戦闘機人の姉妹たちに歩みを進めていく。
それが、機械の限界だ、と。静かに言葉を口ずさみ、"彼女"は指を鳴らしてみせた。
ドンッと大地に突き刺さっていた刃が、突然爆ぜた。小さなナイフと言う外見からは、想像も出来ないほどに強烈な爆風と衝撃。紅蓮の炎が酸素を
エネルギーに燃え広がって、ガジェットの群れの一部を文字通り粉砕する。
指を連続で鳴らす。合わせて先に放たれたナイフは起爆し、無人兵器を容赦なく、木っ端微塵に吹き飛ばしていく。山の一部が、裸になってしまい
そうな勢い。それでもしっかり効果が及ぶ範囲は考えられていたらしく、ノーヴェたちには小石や砂埃が降りかかるだけだった。

「待たせたな」

燃え盛る炎、それに巻かれるガジェットたち。それらを掻き分けるようにして、右目を眼帯で閉じた見た目は幼げな少女が姿を現す。子供のような
体躯とは正反対の、歴戦の古強者のような雰囲気を持って。
ナンバーズ五番、チンク。コールサインは"黄色の5"。姉妹たちの、現在の部隊名――"黄色中隊"のリーダー。

「チンク姉!」
「いいとこ持っていっちゃうなんて、ああもう、さすがリーダーッスね!」

身体に降りかかった砂埃もなんのその、ノーヴェとウェンディは現れた姉に向かってぱっと顔を輝かせた。
身長ならば自分より高いはずの妹たちを気遣いつつ、チンクはディエチに眼を向けた。すまない、と一言謝罪。持ち場を離れたため、指揮を委任さ
せる形になってしまった。もっとも砲撃手は大して気にした様子を見せず、この場にいる姉妹全員が無事なことに笑みを見せてみるだけだった。
ちらっと、チンクは山の奥を見る。自分のIS、金属を爆発物に変えるランブルデトネイターのおかげでだいたいのガジェットは撃破した。それでも
戦闘機人の金色の瞳は、はるか奥地で何かが蠢いているのを察知する。まだまだ、諦めるつもりはないらしい。

「セインも無事脱出したようだ。任務も達成したことだし……」
「これ以上は、消耗するだけ?」

確認の意味を込めて問いかけてきたディエチに頷き、チンクは踵を返す。そして、高らかに宣言する。

「新生黄色中隊、初仕事完了だ。撤収!」

青空の向こうに行ったまま、帰ってこなかった彼女たちの師。戦いに生きた根っからの戦闘機乗りは、教官としての資質も備えていた。
見てるか13、お前の手がけた部隊だぞ。暗くなってきた空に向けてわずかに呟き、チンクは妹たちを従え山を下る。
明日か明後日か、とにかく近いうちにここは、このアヴァロン・ダムは戦場となるに違いない。彼女たちの持ち帰った情報は、きっと役に立つはず
だ。それが対空砲の配置も、ガジェットの配置も、人員の配置も。
――そして誘拐されたパイロットたちが、みんなそこで監禁されている事実も。
おそらく、管理局は奪還に動くだろう。







タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2009年10月01日 22:29