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ACE COMBAT04 THE OPERATION LYRICAL Project nemo




第17話 くろがねの巨鳥



緊急発表、とテロップを銘打たれたその動画は、放送中の番組を強引に遮る形で世に放たれた。
テレビ、ラジオ、ネットはもちろんのこと、新聞にだって文章と形を変えて姿を現したそれらは、次元世界に住まう全ての人々に向けられたもの。
いつ、核の炎に身を焼かれるか。自分たちの頭の上に、太陽のそれと同じ性質を持った光が落ちてこないか――不安がっていた彼らは食い入るように、放送に耳を、目を
傾けた。
時空管理局によるその発表は、まずつい先日電波ジャックによって行われた"ベルカ公国"なるテロリストたちの放送に触れ、その上で彼らの言った「我々の行動を黙認す
れば何もしない。邪魔をするなら核攻撃を行う」という趣旨の言葉に対し、残念ながらそれは不可能である、と宣言した。

「市民の皆さん、突然の放送、失礼します。私は管理局地上本部代表、オーリス・ゲイズです」

画面に映るものが、切り替わる。人々の前に姿を見せたのは、地上本部の現在の司令官オーリス・ゲイズ准将。
画面越しとは言え、何千、何万もの各世界の住人からの視線が、彼女に集中する。それで一切緊張した様子を見せないのは、父親譲りの指揮官としての気質からか。

「冒頭でお伝えした通り、"ベルカ公国"なるテロリストは市民の皆さんを恫喝し、管理世界の平和を脅かすばかりか、自分たちの行動を黙認せよとまで発言しました。し
かし、それは不可能です。すでに、彼らの言う核攻撃に使用される核弾頭は、我々によって確保されました」

再び、画面が切り替わった。暗い緑色をした、カメラが捉えたと思しきどこかの谷間。素人目でも狭い空間なのだが、前を飛ぶ戦闘機らしい機影は大して苦労した様子もな
く、グングン前に突き進んでいく。やがて谷間を抜け、鋼鉄の翼とそれを追うカメラは開けた土地へ。
突然、それまで戦闘機の後姿を捉えていたカメラの向きが変わる。大地に向けられた視線はズームアップし、道路の上を走る数台のトラックを注視する。
――閃光。トラックに向けて何か黒い塊が降ってきたかと思った次の瞬間、パッと画面中央で一筋の光が走った。次いで、爆発らしい赤い炎の花が咲き乱れ、巻き起こっ
た黒煙が周囲を覆う。カメラがわずかにズームを戻すと、先ほど捉えていたと思しき戦闘機がその上を駆け抜けていく。
数分して、黒煙が晴れる。粉砕されたアスファルト、巻き上げられた土砂、ひっくり返ったトラック。もはや原形を留めていないそれは、ダイビングメッセージのように
千切れた荷台から運送していた荷物を吐き出していた。脇からやって来た迷彩服と小銃で武装した陸士が荷物に何かの測定器を当てて、後方にいた仲間たちに親指を立て
てOK、とサインを送っている――画面が元に戻った。視聴者たちの前に、オーリスが再び姿を現す。

「以上が、確保に至るまでの一連の流れです。市民の皆さん、どうかご安心下さい。彼らはもう、どこの世界も核攻撃など出来ません。市民の皆さん、どうか弾劾すべき
相手を間違えないで頂きたい。彼らは、あなた方の大事な家族、恋人、友人、仲間、故郷すらも焼こうとしたのです。排除すべきは、我々ではない。排除すべきは彼ら、テ
ロリストなのです」

以上、時空管理局地上本部代表、オーリス・ゲイズ。彼女が最後にそう付け加えて、放送は終わった。
――映像が途切れる直前、果たして何人の人々が気付いただろうか。カメラの前から立ち去ろうとする司令官の顔が、どこか意味深な笑みを浮かべていたことを。
それは狸のようであり、狐のようであり。しかし、ほとんどの人々は気付かぬまま、あるいは気付いていても気にすることがないまま。ただ、発表された事実のみを受け取
り、心の底から安心していた。
もう、核の炎に焼かれることはない。ならば、強盗まがいの脅迫を行ったテロリストは、全員排除されて然るべきだと。



「――って放送があったのが、三〇分くらい前やな」
「博打が過ぎるだろ」

帰路の途中でE-767、空中管制機ゴーストアイの機内にいる"狸"から舞台裏で進んでいた一連の流れを聞いて、思わずメビウス1は突っ込むほかなかった。
緊急発表に使用された、爆撃のシーンや陸士が核弾頭を確保するシーンは全て事前に撮影されたもの。フォートノートンの渓谷を抜け、メビウス1と2、ティアナが爆撃
を終える頃には放送が行われていた。狸、八神はやての口かた語れた真実に、作戦に参加したほとんどの者が間抜けに口をポカーンと開けていた。
要するに、壮絶なフライング。本来なら帰投してから発表すべき事柄を、現在進行する作戦より先に発表してしまったのである。テロリストの保有する核弾頭は実際確保
されたものの、これで成功していなければ法の番人たる管理局は、自ら事実を捏造したことになる。

「その、八神二佐。大丈夫だったんですか、万が一失敗したら――」
「万に一つの失敗を恐れてたら進めるものも進めへん。何より、"リボン付き"が二人もおるやん。これで失敗したらもう何やっても駄目やろ」

はぁ、と気の抜けた返事をするのはメビウス2ことティアナ。F-15ACTIVEを駆る彼女は確かに一番機に勝るとも劣らない技量を持っていたけども、成功を前提に動かれる
とは予想外だった。
あんまり過剰な期待されてもな、とF-2のコクピットでメビウス1はため息を吐く。「今回限りにしてくれよ」と疲れた声ではやてに告げたが、果たして聞いてくれたかど
うか。うーん、と少し悩んだ後に「考えとく」とあまり期待出来ない返事が返ってきた。この狸め、とキャノピー越しに一番機と二番機は視線を交わし、思いは一緒である
ことを確認する。

「でも、これで部隊展開も早く出来るね」
「そういうこと、フェイトちゃんの言う通りや」

メビウスチームの救援に駆けつけたフェイトは、一応はやての考えるところを見抜いていたのだろう。
自分たちが核攻撃に晒されるのではないかと不安に陥った市民たちは、管理局に対してデモを起こし、その行動を阻害しようとした。何しろテロリストの連中は、「管理
局が自分たちの邪魔さえしなければ攻撃しない」と言っていたのだ。おかげで陸士部隊はまともに移動も展開も出来ず、戦闘機隊でさえイタズラに市民たちを刺激しない
ため訓練飛行でさえ中止とされていた。

「要は核攻撃の不安さえなければ、みんな静かになるんよ。実際あの報道発表が終わった途端、集まっとったデモの人ら、みんな解散を始めたし」
「これで堂々と飛べる訳か。短いようだが、長かった……」

安堵したような声を漏らすのはF-16Cを駆るウィンドホバー、フェイトたちと同じく救援にやって来た地上本部戦闘機隊の一人。同行する同じ戦闘機乗りのアヴァランチ、
スカイキッドも「やっとコソコソしなくて済むな」「ああ、天使とダンスだ」とホッと一息ついた様子。パイロットの彼らにとって、飛べないという事はある意味で死ぬ
より辛いことなのかもしれない。

「けどはやて、これからどうすんだ? 連中の居場所とか、分かってんのかよ」
「私も気になるな。根本的な脅威は、まだ取り払われていない」

今後の事態を見据えて、同じく救援組のヴィータとシグナムがE-767にいる主に向けて視線と質問を向ける。八神家当主は「それはな……」と答えようとしたところで、横
から割り込んできた渋い男の声に邪魔されてしまう。通信機のマイクの向こうで、「あ、ちょっと、ゴーストアイ!」と抗議の声がむなしく響いていた。

「ええい、黙れ。私にも少し喋らせろ八神二佐。武装のないAWACSではこういう時が見せ場なんだ――ゴホンッ」

ゴーストアイ、本来のE-767の主は結局強引にマイクを奪ったらしい。わざとらしく咳払いし、周囲の苦笑いを誘う。

「諜報部が、奴らの所在地を特定することに成功した。すでに現在、陸士部隊が制圧と確保の準備に入っている。早ければ明後日には、事件は終結するだろう」
「そんなに早く?」

AWACSからの思いがけない言葉、皆がほとんど同時に抱いた疑問を代表して声に出すのはユーノだ。怪訝な表情を持って、E-767の方を見る。一連の事件において管理局は常
に後手後手に回っていたが、ここに来てようやく先手を打つことに成功したのか。

「まぁ、早く終わるに越したことは――」

ないですよね、と付け加えて。メビウス1はキャノピーの向こう、朝日の眩しい群青の世界の中で、隣を併走する少女に微笑みかけられた。エースオブエース、なのはから
の言葉に、しかし当の彼はああ、と適当な返事しか出来ない。
頼りなかったな、俺――同じエースと顔を合わせたことで、思考が余計に嫌な方向に回転する。脳裏に浮かぶのは今回の戦闘、その中での自分の動き。
苦味ばかりで、いい思い出がない。最終的に核弾頭を搭載したトラックを仕留めたのはティアナだったし、その後の空中戦でも意気込んで突っ込んだはいいが、多勢に無勢
で逃げ回るばかりだった。一番機として最低限、二番機の窮地を救うことは出来たものの、今度は自分が撃墜される危機に陥った。ユーノが飛び込んでくれなければ、愛機
もろとも木っ端微塵になったかもしれない。
いつもの機体、F-22ならそんなことはなかった――本当か? 自分自身に投げかけられた疑問に、彼は答えることが出来ない。機体の問題ではない。爆撃も空戦も、自分の技
量不足、訓練不足があのような結果を招いたのだ。愛機に責任を押し付ける、それはパイロットとして恥ずべき行為。

「……なのは。大丈夫?」

唐突。通信機に入った音声が、彼の思考を中断させる。
不明瞭な返答をしたメビウス1になのはが怪訝な表情を浮かべていると、それを見たユーノが高度を上げ、彼女の近くまでやって来た。
ちらっと一瞬、司書長殿はこちらを睨んだようにして――間違いなく、恋敵を見る目――すぐに、視線を意中の少女に戻す。

「どこか痛かったりはしない? 体調はどう?」
「だいじょーぶ。ユーノくんも心配性だね」
「心配性にもなるよ、なのはのことになれば」

だからついて来たんだ、とユーノは語る。どういうことだよ、と気になったリボン付きは彼に声をかけた。

「もともと、君たちへの援軍で僕となのはは加わるはずがなかったんだ。でもなのはったら、移動司令部に駆け込んできてどうしてもって言うから」
「だって、ほっとけないんだもん。そしたら、ユーノくんが"じゃあ僕も行く。これが条件だ!"ってすごい力強く」

それっぽい声真似をして、彼女は幼馴染が語った言葉を話す。たちまち戦闘機隊の間で口笛が巻き置き、魔導師たちがニヤニヤと気色の悪い笑みを――約一名、金髪の執務
官を除いてだが――浮かべた。カッコいいねぇ、やっぱり男の子だもんなぁ、とついでに言葉も交差する。
皆の視線はもちろん、司書長に集中。

「な、なのはっ。よしてよ、恥ずかしい」
「だってのホントのことだもーん」

顔を赤くするユーノを見て、なのはは楽しそうに笑ってみせた。
年相応の少女の笑顔を見たメビウス1は、わずかに安堵する。とりあえず、今のところ本当に身体の調子は悪くないようだ。
とは言え――ほっと胸を撫で下ろすのも束の間、記憶の底に眠っていた一つの情報。あの子はママと内緒にしてたと言っていたけど、聞いてしまった以上はどうしても引っか
かってしまう。意中の人に笑われ赤面するユーノもおそらく、あの様子だと聞いていまい。
皆に気取られないようゆっくりと、リボン付きは通信機の操作スイッチに手を伸ばす。

「――メビウス1からスターズ1へ。聞こえるな? いや、こっちは振り向かなくていい。今、お前にだけ通信回線を開いてるんだ」

いきなり呼びかけられたなのははハッと驚き、しかし振り向かなくていいと事前に動きを制されてしまう。怪訝な表情を何とか隠し通すと、そのままメビウス1との間での
み交信を開始する。

「……どうしたんです? みんなに聞かれたくない話でも?」
「俺はともかく、お前にとっては聞かれたくないだろうよ。どうだ、眼の調子は」

念話とも交信可能なように調整された通信機が、沈黙する。表情には出さないが、横を飛ぶなのはは明らかにこちらを見ていた。
交差する視線が、彼女の感情を読み取る、おそらくは動揺。
何故知っているのか、声に出さずともエースオブエースの瞳がそう訴えているのが分かった。
時間にしてたった数秒の沈黙が、妙に長い。彼女からの返答は、先ほどの笑顔が嘘のように暗く色褪せていた。

「誰から、その話を?」
「さぁな。本人の名誉のために言わないでおく」
「ヴィヴィオからですね?」

知らないよ。あくまでも彼はシラを切った。
もっともかえってその反応が、なのはの疑いを確信へと強めてしまったかもしれない。思わぬところから漏れちゃったな、と母の顔も持つ少女は苦笑いを浮かべた。
彼女が以前、彼のいる基地を訪ねた時のこと。エレクトロスフィアの世界でメビウス1の過去を感じ取ったなのはは、救助されてなお飛ぼうとする彼に問うた。
そこまでして、飛ぶ意味は何なのか。あなたは、自分を飛ぶように仕向けているのではないか。戦闘機乗りだから、パイロットだからと理由をつけて飛ぶことを強制させて
いるのではないか、と。
メビウス1は、答えなかった。だから、彼女は"メビウス1"と言う存在のさらに奥にある者に尋ねた――彼の本名。
今にして思えば、浅はかだったとなのはは振り返る。知りたいがために、自分は彼の記憶を利用した。本当は、英雄であること、メビウス1であることに疲れてしまった彼
の思いを、誰かにコールサインではなく、名前で呼んで欲しいと言う彼の願いを。
それは、彼が必死に隠し通してきた本心。誰にも見られたくなかった、心の弱さ。どうしようもない罪悪感がよぎって、彼女は駆け出した。
その時、残された彼女の義理の娘によってメビウス1は聞かされたのである。なのはママは眼の検査に来た。ママはダムから帰ってきて、ときどき眼がおかしくなると。

「で、どうなんだ。他のみんなには話したのか」
「いいえ。話してたら、もうどんな条件でも飛ばせてくれないし」

もはや今更とぼける訳にもいかず、彼女は素直に答えた。
メビウス1にとってみれば、詳しい話を聞くのはこれが初めてであるが――本人でさえ知られたら飛べないと自覚している。よほど酷いのだろうか。

「容態は?」
「ときどき、視界がみんな灰色になって……グレイアウトって言うのかな、メビウスさんに分かりやすく言うと」

あれか、と彼に限らず、戦闘機乗りならすぐに理解出来るであろう単語の出現。確かにあれはきついな、とパイロットは脳裏を巡る情景に顔をしかめた。
グレイアウト、要するに血が、空戦機動による過酷なGによって脳に行き渡っていないことによって、視界が灰色になってしまう症状だ。これが行き過ぎると意識を失う、
すなわちブラックアウトに繋がる。
とは言え、グレイアウトと言うのはあくまでも分かりやすい"例え"だろう――なのはの場合空戦機動をしていなくても、それこそ日常生活の最中であっても似たような症状
に陥るのだから。まったく別物と見た方がいいかもしれない。

「どうして、そこまでして……」

彼でなくとも、浮かぶ疑問は単純だ。下手すれば今この瞬間でさえ墜落死の危険性があるのに、彼女は舞い上がってきた。

「言ってもいいですけど」

ふふ、とエースの顔が笑みで歪む。新しいイタズラを思いついたような表情――いかん、墓穴を掘った。酸素マスクで覆われた口元に手を当て、しかしメビウス1は逃げら
れないことに気付く。

「それなら、あなたのお話も聞かせてくださいね?」

出たよ、名物が。計器は何も異常ないのに、彼は脳裏でミサイルアラートが響いているような気がした。
もっとも、彼女が笑みを浮かべたのはその時だけ。周囲にどうかした?と問われても適当にはぐらかし、まっすぐこちらを見据えてきた。

「私が飛ぶのは、私がどこまで行けるか知りたいから。局員としてとか、そういうのももちろんあるけど、やっぱり一番はこれかな。でないと、飛ぶのが辛くなっちゃうし」

だから、あなたの飛ぶ理由が分からない。言葉の外には、彼女のそんな疑問が見え隠れしていた。

「――俺は」

搾り出すようにして、メビウス1は口を開く。
何故飛ぶのか。何のために飛ぶのか。どうして飛ぶのか。いくらか思考を回転させてみたが、到達する答えは皆同じだった。

「俺には、これしか無いんだ。これが、俺の役割なんだ」
「役割?」

キャノピーの向こうで、意外そうな表情を浮かべるなのは。あぁ、と強調するように彼は頷く。
地面に降りれば、普通の人間。魔力資質の欠片もない、本当の意味での凡人。戦闘機が無ければ何も出来ない男。それらを自覚しているからこそ、パイロットは"メビウス1"
であることをやめない。例え己が意思に反するものだとしても、彼はリボンを捨てられなかった。
そうでなければ、何もない、誰でもない。自分の存在価値など、ほとんど無に等しい。メビウス1が"メビウス1"であることをやめるとは、自分の名前を捨てるに等しい行
為のはずだった。

「違う」

そのはずなのだが――聞こえてきたのは、否定の言葉。はっきりと、なのはは彼の思考を否定してみせた。
何が違うんだ。そんなつもりはないのに、メビウス1の口から漏れた疑問の言葉はどこか、怒っているようだった。
俺は"メビウス1"だ。"リボン付き"だ。"ISAF空軍のパイロット"だ。"戦闘機乗り"だ。俺からそれを取ったら、何が残るんだ――

「    」

静かに、彼女が呟いた言葉。怒るパイロットは、たったその一言で沈黙を余儀なくされてしまう。
すなわち、彼の本名。

「――あるじゃないですか。"メビウス1"でも"リボン付き"でもない、あなたを意味する言葉が。自分の名前を、忘れないでください」

ゆっくりと諭すように、穏やかな笑みを浮かべるなのは。そういえばそうだった、彼女は自分の本名を知っているんだった。
知ってます?と同じエースは続けた。

「相手の眼を見て、名前を呼んで。友達になる第一歩なんですよ。たったこれだけだけど、大事なこと。名前も知らないのに、友達になんかなれないですから」
「……その理屈だと、俺とお前はまだ友達じゃないみたいだが。酷いぞ、俺は戦友だと思ってたのに」
「じゃあ、これからまたすぐ、友達になればいいんです。そしたらほら、もうあなたは"メビウス1"じゃない。私の友達――」

    さんって言う、大事な友達です。
あくまでも、彼女は本名で彼を呼んだ。
それが果たして、どれだけ無名の青年の心に響いたか。乾ききった魂に、たった一滴の水が降り注ぐ。
名前を捨て、"メビウス1"であろうとする彼はその一滴を持って――

「……なのは? 高町、なのは?」

一歩を、踏み出した。ヘルメットのバイザーを上げて、しっかり、相手の眼を見て。彼女の名前を、呟いた。
――しかし、視線が交差することはなかった。

「あっ……!」

反射的に手を伸ばし、キャノピーに阻まれる。くそ、と酸素マスクの中で悪態を吐き捨て、操縦桿を右に倒す。たちまち、愛機は勢いよく主翼を跳ね上げ降下に入った。
悲鳴が上がった。ゴーストアイに報告する声が聞こえた。ゆっくりと帰路に着いていた編隊内に、衝撃が走る。
すなわち、なのはが意識を失った。メビウス1が振り向いたその瞬間、彼女は突如力尽きたように気を失い、重力に従って落ちていく。足元に輝いていたはずの魔法の翼、
姿はどこにも見当たらない。
メビウス1は、大地に向けて急降下していく少女を追う。降下体勢に入ったF-2は機首を地面に向け、落ちるなのはと併走する。

「おい、なのは! なのは!」

身体が浮くような感覚。降下によって引き起こされたマイナスGの壁を突破し、通信機の操作スイッチに左手を伸ばす。音量設定を最大にして、必死に彼は彼女の名を叫ん
だ。何度も何度も、喉が張り裂けそうになるほどに。それでも彼女は、眼を覚まさない。
冗談じゃない――パイロットの顔が、焦燥で歪む――こんなところで死んでもらっちゃ困る。エースオブエースが墜落死など、あまりにも不恰好だ。
分かってはいた。それが無意味な行為であること。戦闘機に乗っている以上、絶対に不可能なこと。
それでも、身体は動いてしまった。すでに一度阻まれたはずなのに、キャノピーの向こうにいる彼女に向けて、メビウス1は手を伸ばしていた。
無論、届くはずがない。鋼鉄の翼では敵を倒すことは出来ても、女の子一人を助けることは出来ないのだ。

「くそ」

高度計の数値が一万フィートを切った。今の速度なら墜落まであと四〇秒もない。落ちてきた翼を優しく受け止めるほど、大地は優しい存在でもなかった。
何も出来ない。助けられない。焦燥と苛立ちばかりが募り、悪態となって吐き出されていく。

「くそ――くそ、くそ、くそ、くそ、くそぉ!!」

散々怒鳴り散らした瞬間、通信機に誰かの声が飛び込んできた。引き起こせ、君まで落ちるぞ。なのはは僕に任せろ。
直後、緑色をした閃光が、リボン付きの視界をよぎった――ユーノだ、上空から駆けつけて来たのか。降下中の戦闘機すら追い抜く速度で迫ってきた彼は両手を伸ばし、落
ち行く少女の身体を受け止めることに成功する。
やった、何とか墜落死は免れた。なのはを受け止めた緑の光が上昇していく様を見て、ほっとメビウス1は安堵の息を漏らす。
――警告。いつの間にかやって来た二番機が、今度は彼自身に向けて叫んでいた。同時に、甲高い警報。

「操縦桿引いて、早く!」

悲鳴のようなティアナの声。ようやくメビウス1は正面に向く。ミッドの大地が、視界一杯に迫りつつあった。
危ういところで、彼は操縦桿を引いた。重力に抵抗するように、機首を下げていたF-2は電気仕掛けの蒼い翼を羽ばたかせる。高度計の数値はなお下がる、高一1000フ
ィートを切った。
ドンッと、ジェットの轟音が地面に反射し響き渡る。間一髪、リボン付きは死へのダイヴから生還を果たした――。



暗い洞窟の最中、周囲の自然物とは明らかに異なるコンクリートの壁。諜報部が入手した情報に外れはなかったらしく、近付いて手に取ればごく最近建造されたものである
ことが分かった。入り口は複数箇所、人間が出入りするためのものもあれば、資材などを搬入するためと思しき巨大なものもある。
そんな自然の中の人工物を取り囲むように、蠢く影。いずれも銃火器で武装しており、観光に来た訳ではないのは明らかだ。

「ブラボーより各分隊、状況報告」

首元のマイクを通じて、兵士は自身が指揮する部隊に指令を下す。念話でも使えれば個人用の携帯通信機を使わずに済むのだが、指揮下にある者のほとんどは魔力資質に乏
しい。少ない魔力を節約するためにも、通信機は必要不可欠だった。
片耳に固定してあるイヤホンに、送った通信の返答がやって来た。

「アルファ、コリンズです。配置に就きました」
「チャーリーよりアラン、配置完了。スタンバイ」
「デルタ、配置よし」

配置に就いている部下たちはいずれも彼、ベルツ二尉が指揮する陸士B部隊の所属。今回、諜報部が入手した"ベルカ公国"、またの名を"灰色の男たち"と言うテロリストグル
ープの所在地を元に襲撃と確保を担当することになった部隊である。
通信によって、他の分隊はすでに配置完了済みであることが知らされた。ベルツは振り返り、自身の背後をカバーする部下たちを見る。

「ソープ、準備いいか?」
「問題なし――ローチ、そんな緊張しなくてもいい。すぐに慣れる」

付き合いの長い部下に様子を尋ねると、彼は親指を立てて答えた。一方で、不安げな表情を浮かべる新入りは落ち着きなく視線を散らしていたが、部下に安心するよう肩を
叩かれ、ひとまず頷いてみせた。

「ブラボー、配置よし。各分隊、一五秒後に一斉突入」

準備は整った。ベルツは部下に指で合図を送る。命令を受けたモヒカン頭の――本人曰く"気合を入れた"らしい――兵士は頷き、新入りと共に人工物への入り口である扉に
近付く。バックパックから正方形の物体、爆薬を持ち出し扉にセット。ブリーチクリアと言う突入法で、扉を爆破することにより敵を驚かせ、そのまま一気に雪崩れ込んで
制圧してしまう手段である。人質がいると言う情報もない、非致死性の閃光手榴弾は敵との交戦に備えて温存だ。
突入まで五秒。三、二、一と指揮官のカウントが終了したところで「GO!」と爆破の指示が飛ぶ。
爆発、粉砕された扉の向こう目掛けて部下たちは銃を乱射しながら一気に突入する――待て、おかしいぞ。ベルツは奇妙な違和感を覚えた。

「……クリア、敵影なし」

しっかり銃口を正面に向けて警戒しつつ、しかし突入した陸士たちは呆気に取られた。迎撃が、一切ない。全ての入り口で同時爆破、同時突入をしたと言うのに、誰一人と
して様子を実に来る気配すら感じられなかった。
どういうことですか、と部下からの疑問が込められた視線に答えられるはずもなく、ベルツは自ら自動小銃のACRを構えて前に出た。ブービートラップに注意しながら常夜
灯だけが照らす薄暗い通路を進み、何かの部屋と思しき扉に突き当たる。
突入体勢に入ろうとした部下たちに向け、彼は一旦停止するよう左手を上げた。ACRの機関部、その側面に取り付けられたパネルを開く。
なんてことはない、このACRも最近流行の魔法と機械技術の融合による産物だった。銃本体はこれまで通り、弾丸の雷管を叩くことだけに魔力を要するだけの半質量兵器だ
ったが、側面に追加されたパネルは違う。五〇メートル先まで生命反応があるか自動走査し、存在する場合はマップ上に表示する。探知魔法の術式を組み込んだ、言わば
銃でありながらセンサーとしても機能する代物だ。

「妙だな、俺たち以外に誰もいないようだが」

パネルに表示されるのは青い点、すなわち味方ばかり。事前に登録を受けていない者、例えば敵などは白い光点で表示されるのだが、それが見当たらない。
思い切って、指揮官は扉の向こうに足を踏み入れることにした。扉はガシャッと機械音を立てて、ベルツを出迎える。
扉の向こうは、作戦会議室だったようだ。壁にはミッドチルダ全土の地図が掛けられており、状況を投影するための大型モニターさえあった。もちろん、人はいない。手近
にあった椅子に手をかけると、うっすらと埃が被っていた。

「二尉、ここは外れなんじゃないですかね。しばらく人が出入りした気配がなさそうですが」
「だとしたら諜報部万歳だ。管理世界の市民たちによる血税が……なんだ、この音は」

――ガリガリガリ、と。
部下の言葉に相槌を打った瞬間、ベルツの耳に異音が飛び込む。つい先ほどまでは、静かな空調機の音しか聞こえなかったはずなのだが。
警戒しろ、と通信機を通じて全分隊に連絡。自身もACRを構え、襲撃に備える。
どこからだ、と。脳裏で妙な焦りを感じた彼は、視線を上下左右に散らす。異音はどんどん、こちらに近付いてきている。何者なのか、少なくとも人間ではあるまいが。

「……上、か?」

音が聞こえる方向を、ようやく探り当てる。真上から、ガリガリと地中を削るようにして何かが迫ってくる。
ドッと、轟音と衝撃。突然天井が崩れ去り、落ちてきた破片や石ころがブラボー分隊に襲い掛かる。ギリギリのところで「伏せろ!」と部下が叫んでいなければ、一人か
二人は頭を打って倒れたかもしれない。

「何だ、何が起こった!? 二尉、これは!」
「俺が知るか、構えろ、来るぞ!」

衝撃が収まり、砂埃が視界を覆う。持参した赤外線ゴーグルを素早く装着し、ベルツはACRの銃口を前に向ける。
砂と埃の向こう、ぬっと姿を現すグレーの物体。球体かと思いきや、縦に長い。あれは――

「ガジェット、Ⅰ型!?」

待ち伏せされたと言うことか。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、しかしB部隊の面子は冷静だった。
天井から降り立った無人兵器、ガジェットⅠ型の群れはレーザー光線を放つ。青白い光が地を焼き、壁を叩き――銃声。カンカンカン、と小気味よい金属音が無人兵器の肌
で鳴り響き、穴を開ける。直後、煙を吹き上げながら彼らは倒れていった。Ⅰ型の基本戦術はひたすら数で攻めるが故、個体性能は決して高くない。自動小銃であっても十
分対抗可能なのだ。
砂埃の最中で銃声と、それに伴うマズルフラッシュが瞬く。対照的に、青白いレーザーの光は数を減らしていく。砂埃が晴れる頃には、ガジェットの残骸が山となって築か
れていた。しばらく穴の開いた天井に銃口を向けるも、増援は来ない。
何なんだ、こいつら。手近なところに転がっていた無人機の死骸を蹴り転がし、部下の一人がぺっと唾を吐き捨てた。
待ち伏せだったには違いない。それも人間ではなく、ガジェット。奇襲をかけるつもりが、先読みされて危うく反撃されそうになったのだ。諜報部万歳だな、とベルツは自
分の言った言葉が現実になったことで、もはや苦笑いを浮かべるしかない。

「各分隊、ご苦労。諜報部のくそったれのせいで骨折り損だ。調べるだけ調べて撤収しよう」

それがいいや。賛成賛成。あーあ、疲れた。兵士たちのほとんどが銃口を下げ、うんざりしたような安心したような、ともかくも複雑な表情を浮かべる。
まさにその瞬間であった。
ドシンッと、大地が大きく揺れ動いたのは。



果たしてそれは、何者だったのだろうか。
産声を上げ、初めて空に躍り出た鳥と呼ぶには、あまりにも巨大で、あまりにも禍々しかった。
兵器と呼んだ方がいいのかもしれないその鳥は、しかしただの兵器と呼ぶにも巨大過ぎる。
たった一機、されど一機。黒き鎧を纏ったその姿は、単機でもって青空全てを黒一色に染めてしまいそうで。
死者すら飲み込んでしまいそうな、世界の終末を呼び込むような、圧倒的な存在感。
見た者全てがもはや何者であっても、これを止めることは叶わないと感じるだろう。
鳥の名は、フレズベルク。
兵器の名は、XB-0"改"。
過去に憑かれた男たちが生み出した、祖国再興への切り札。
全ての準備は、整った。もう、この世界に用はない。
くろがねの巨鳥はゆっくりと、高度を上げていく。
そして、「終わり」が始まる。







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最終更新:2010年03月17日 19:09