ACE COMBAT04 THE OPERATION LYRICAL Project nemo
第18話 魂の行方
ガッと、右の頬に衝撃が走った。寸前で歯を食いしばってみたものの、ほとんど不意打ちに等しい形。情けなくもフラつき、たたらを踏んでどうにか倒れこむことだけは避けた。
殴られた。痛みなど無くても分かるというのに、拳を食らった顔面は容赦なく痛みを訴えてくる。庇うように左手を当てて、しかし痛覚は引こうとしない。
怒りは、不思議と湧いてこなかった。何故、などと今更思うはずもない。殴られることをした、そのくらいの自覚はある。
頬に当てた左手を引き、飛行服の彼は大して痛がっていないふりをして、視線を正面に戻す。視界に映った、一見女性にも見えそうな優男。普段は眼鏡越しに見える優しげな瞳、この時ばかりは怒
りの炎が灯っていた。
「……その様子だと、殴られる理由は分かってるんだろう?」
ああ、と優男、ユーノからの問いかけに殴られた飛行服の彼、メビウス1は頷く。
二人の男の間に広がる、なんとも言えない険悪な空気。今は病室のいる彼女が見れば止めに入るだろうが、それが分かっているからこそユーノは誰もいない、夕方の屋上に恋敵を呼び出した。
「なんだよ、意外と腕力あるんだな。結構痛い――」
「っ……君は!」
さすがに我慢出来なくなったのか、辛そうに表情を曲げるパイロットの口から出た言葉。人を舐めていたような発言を聞いて、彼はメビウス1の襟元に掴み掛かる。
「自覚があるのか! 君だけが、なのはの不調を知っていた! 話してくれれば、止めることも出来た、彼女も死にかけずに済んだんだ!」
「どうかな、あいつが止まるとは思えないが」
ドガッと、硬い肉のぶつかる音。
今度は左の頬に衝撃があって、やはり殴られたことに気付く。さしものエースも二度目の不意打ちには耐え切れず、そのまま屋上の冷たい地面に打ち倒されてしまった。
立てよ、とそれでも相手の怒りは収まらない。言われなくても立ち上がろうとしたメビウス1の襟元をもう一度掴み、強引に立ち上がらせる。
「なのはの意思を尊重したとでも言う気かい? 笑わせるな、それであんな危ない目にあったんだぞ。君は、どうして――」
「確かにな」
振り上げられたユーノの拳、三発目を繰り出そうとした腕が止まる。両頬を力いっぱい殴られたと言うのに、彼は決して痛がらず、受け入れたように笑みを浮かべていた。微笑みと呼ぶには、あま
りにも自嘲気味。
自分は、同じエースである彼女の身体の不調を知っていた。時折視界が灰色になって、立つことすらままならなくなる。ベルカの核弾頭移送を阻止した帰り道、最悪のタイミングでそれは起きてし
まった。こうなる前に彼女を守れなかったのか。おそらく、可能だろう。彼女自身は飛びたがっていたけど、死んでしまっては元も子もない。必死に説得すれば聞いてくれたかもしれないし、一人
では無理でも周囲に知らせれば、それこそ彼女に想いを寄せる目の前の司書長などは何としてでも、説得したかもしれない。
しかし、自分はそれを怠った。挙句、肝心な時に助けられなかった。
彼女の意思を尊重したかったから?
まさか彼女が飛んでくるとは思わなかったから?
全て、言い訳だ。どうにか彼女は助かったけど、今は入院を余儀なくされている。そして、まだ眼を覚ましていない。
「どうしてだろうな。なんで俺は、お前に話さなかったんだろう……」
「――そんなこと、僕に分かる訳がないだろう」
バッと、汚いものでも手放すようにユーノはメビウス1を突き放した。怒り疲れたように、ため息を一つ。
解放されたパイロットは、乱れた襟元を直す。
「……やっぱり、お前じゃなきゃ駄目かもな」
「何がさ?」
答えを言おうと彼が口を開こうとした、その瞬間。甲高いサイレンが鳴り響き、赤く染まった空を慌しく戦闘機のジェットの轟音、魔導師の光の軌跡が上塗りしていく。二人はほとんど同時に、記
憶の底にあったサイレンの種類を探り当てていた。この音は、デフコンレベル1。最高警戒態勢、戦争が始まったにも等しい状況を知らせるものだ。
「これは、行かなきゃな。いいだろう?」
「了承なんかいらないだろう。早く行きなって」
今更聞くことでもない。面倒臭そうに答えたユーノに頷き、メビウス1は駆け出す。
扉を抜け、屋上を後にする戦闘機乗りの背中を見つめる司書長は、しかし今の自分に出来ることがないのを悟っていた。戦争となれば、否応なしに戦闘職種のものは駆り出される。メビウス1の援
護に行ったのは、意中の彼女も出て行くからに過ぎない。
ため息を漏らす彼の耳に、突然コール音が入る。念話による通信回線、いったい誰からだろう。
「はい、こちらユーノ……あっ、はい、今、医療施設の屋上に」
思わぬ相手だった。頭に直接響くような念話による交信は、やがてユーノの表情を怪訝に染めていく。
「はい、はい……え、うちのヘリを? はい、可能ですが……本局から?」
ブリーフィング・ルームは、非常呼集で呼び集まったパイロットたちでいっぱいだった。席がない者は仕方なく壁にもたれ掛かり、運良く椅子に座れた者もスペースを有効活用するためすし詰め状
態を余儀なくされた。それほどにまで、戦力が必要とされている。よほどの事態が起きなければ、こうはなるまい。
指揮官がまだ到着していないため、パイロットたちはそれまでの間隣の者や同僚と不安げな様子で会話している――その中に、メビウス1の姿がない。遅いわね、と飛行服に身を包んだティアナは
扉の方を見た。デフコンレベル1の発令からすでに一五分、いい加減に来てもいい頃なのだが。
扉が開かれる。何名かの遅れてやって来た飛行服の男たち、その最後尾に見覚えのある顔があった。せっかく確保していた席を手放し、ティアナは立ち上がって遅れて来たメビウス1の元へ。
遅いですよ、と言いかけて、彼女は言葉を詰まらせた。二番機が先に来てるのに、一番機が遅れるなんて。しかし、ティアナは間近に見た彼の顔を見て気付いた。唇の端に、落としきれてない赤い
血の跡がついている。
「悪い、遅れた。ちょっと色々あってな」
「色々って――」
誰かと喧嘩でもしたのだろうか。顔を思い切り殴られたらしいエースパイロットは詳しく話さず、苦笑いだけで済まそうとする。
ティアナが問い詰めようとしたところで、ブリーフィング・ルームの様子が一変した。話し声は静まり、代わって姿を現したのは将官の階級章を持った眼鏡の女性。オーリス准将、地上本部の司令
官自らブリーフィングを行うらしい。
「皆、ご苦労。知っての通り、デフコンレベル1が発令された。原因はコイツだ」
部下たちの手前、男言葉で手短に話すオーリスはブリーフィング・ルームの大型モニターを操作。数瞬間を置き、偵察機からと思われる映像が飛び込んできた。
すでに傾き始めた夕日、茜色にそまりつつあるミッドの空。その向こうで、黒々とした巨大な物体が飛んでいる――飛ぶ、と表現するのは間違いかもしれない。自然界の生き物であれば翼を持って
優雅に舞い、戦闘機であっても空気抵抗を計算してデザインされた機体であれば、空を飛んでも違和感はないだろう。
だが、"コイツ"は違う。黒い翼を持った巨鳥は、自然界の生き物のように優雅な様子などどこにもない。戦闘機のような、計算され尽くしたフォルムでもない。禍々しい、邪悪さすら感じさせるそ
の姿。神話か何かに出てくる巨大な闇の化身、そいつが映像の中で、空を飛んでいるのだ。
これは――おそらくは、例のベルカ公国のものだろうとティアナは推測する。以前、メビウス1から聞いたことがある。過去にユージア大陸で巻き起こったクーデター、その時使用された超大型爆
撃機。今になって振り返れば、あいつは、XB-10は、ベルカ戦争後にユージアに逃れたかの国の技術者たちの手が入っていたのだろう。映像の中の巨鳥も、何かしら関連があるに違いない。
「まだ何も行動は起こしていない。例のベルカ公国と名乗る者たちも、声明も出していない。出現地点はクラナガンより南西一二〇〇キロ地点、エリアコードNA-P2700の孤島から。現在はひたすら
まっすぐ北上している」
パイロットたちの間に、どよめきが起こった。
何もしていない。これほどの巨大な、怪しげな代物が出てきたと言うのに、件のテロリストは何も動きを見せていないと言う。何が狙いなのか、皆目検討がつかない。
落ち着かない様子のパイロットたちに、オーリスは続ける、と冷静な口調を崩さなかった。
「現在は近郊のハーナ基地から離陸した二〇四飛行隊のF-15が監視を続行中だ。諸君らは、奴らが何かしらの行動を起こした時に備え――」
突如、大型モニターがいきなり真っ暗になった。リアルタイムで送られてくるはずの偵察機からの映像、それが届かなくなったのだ。不愉快そうに眉をひそめるオーリスの元に、慌しい様子で若い
陸士がブリーフィング・ルームに飛び込んできた。まさか、とパイロットたちは身構える。
「――ったった今、監視中だった二〇四のF-15から、コード7700の信号を最後に連絡が途絶えました。同時に、飛行物体からIFFに応答のない、戦闘機らしき機影が多数発進……」
コード7700。航空機が、地上に異常事態が発生したことを知らせる信号。この場合はその後の信号が途絶えていることから、撃墜されたと予測される。
オーリスは、大して慌てた様子を見せない。ただ、嫌な予感が当たったように一瞬表情を歪め、それからすぐに感情を瞳の奥に押し込んだ。
「諸君、聞いての通りだ。敵は行動を起こした、スクランブル!」
だっ、と指揮官の命を受けてパイロットたちは走り出す。ブリーフィング・ルームの扉に飛行服の男たちが殺到し、報告に来た若い陸士はたまらず飲み込まれていった。
ティアナも負けじと駆け出そうとして、ふと背後にいた一番機のパイロットが動こうとしないことに気付く。
何してるんですか。思わず怒鳴りそうになり、またしても言葉を飲み込んだ――何か、思い悩んでいるような表情。出撃前であっても緊張感を感じさせない、いつものメビウス1はそこにいなかっ
た。
「……メビウスさん? あの、何か」
「――いや、何でもない。行こう」
問いかけても、苦笑いだけが返ってきた。先ほどの苦笑いと似ているが、何かが違う。
諦めたような、吹っ切れたような――しかし、それ以上彼がいつもと違う様子は見せなかった。ほら、と肩を叩かれ、ティアナはメビウス1と共に駆け出す。
ただ、途中で彼は二番機に対し、妙な質問をかけてきた。治療魔法は使えるか、と。
「基本的なものだったら、一応出来ますが……」
「だったら後で一つ頼む。口の中が切れたみたいでな、しょっぱくてたまらないんだ」
やっぱり何かあったんだ――ティアナの疑問は、確信に変わる。
もっとも、それを問いただす時間はなかったのだが。
司令部よりもたらされた情報は、テロリストたちのアジトを――すでにもぬけの殻であったが――突き止めたベルツたちB部隊にとって、まさに寝耳に水だった。
どういうことだ、と首元のマイクに向けてベルツは怒鳴る。つい先ほど、ガジェットⅠ型の奇襲を退け、アジト全体で大きな振動があったばかり。それと何か関連があるのか。
「ブラボー、そこからテロリストたちのものと思しき巨大な飛行物体が出現した。現在地は、北に一六〇キロ――」
「二尉、ラミレズです! 島の中からデッカイ飛行要塞みたいなのが!」
司令部からの連絡を裏付けるように、アジトの外で突入部隊のバックアップを行っていた味方より遅れてやってきた報告が入る。先ほどの振動は、おそらくそれだろう。
また後手に回ったか。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる指揮官はしかし、己の成すべき事まで見失うことはなかった。ガジェットⅠ型との戦闘で散り散りになった、何かの書類。地面に散ら
ばったそれらを引っ掴み、文面に目を通し始める。部下の一人、モヒカン頭のソープが何をしてるんです、と問いかけてきた。
「ここは連中のアジトだったんだ。何か、司令部の言う飛行物体に関して重要な情報があるかもしれん。お前らもほら、見てないで探せ。書類でもコンピューターでも何でもいい」
なるほど、そうか。納得した様子のソープは瞳を炎のように輝かせ、部下たちを急かす。自動ドアが機能する辺り、アジトの電力はまだ生きているのだろう。もぬけの殻になった敵地の中で、陸士
たちは情報収集に奔走する。
やがて、今いる部屋に目ぼしいものがないことを理解したベルツはソープ、それから新入りのローチについて来い、と命令。扉を抜けて人気のない通路に出て、他に何かしら情報がありそうな場所
を求めて走り出す。ゆっくりなどしていられない、テロリストの連中はまた何かをしでかす気だ。
走り行く彼らの元に、通信が飛び込む。チャーリー分隊、アラン陸士から。
「アランです。ベルツ二尉、今どこです?」
「ここは……あー、どこだ。ソープ、ローチ」
部下に命じて、現在地が分かるようなものがないか探させる。無機質な通路の壁面に、D-5と黄色いペイントがあったのをローチが見つけた。これが参考にならないだろうか。
「OK、D-5ですね。敵の端末を探ってみました、アジトの全体図があります。ちょうど真下の地下に何か、立ち入り禁止区画のようなものがあるようです。そこからまっすぐ、五〇メートル先にエレ
ベーターが――」
どっ、と通信機の向こうで巻き起きた轟音。アランの声が遮られ、そのまま銃声に切り替わる。
何があった! ベルツは状況を尋ねるが、返答は来ない。しばらく銃声と轟音、悲鳴が続き、やがて通信は切れる。不気味なまでの静寂、それが何を意味しているのか、大勢の部下を失った彼に問う
のは愚問だろう。
くそ、と思わず吐き捨てたその瞬間。地面の方から、かすかではあるが地響きがした。最初は注意しなければ分からないほどだったが、そのうち揺れは大きくなり、ブーツ越しにでも明らかに地面
から何かが昇ってくるのが理解できた。
来る。生存本能が警鐘を鳴らし、ベルツたちは銃を構える。ACR、信頼性と先進性を兼ね揃えた新型小銃。頼もしい銃特有の質感がグローブ越しでも手のひらに伝わり――額を流れる、冷たい汗。
違う。こいつは小銃で相手になるような、ガジェットⅠ型なんかじゃない。こいつは――ローチ、離れろ!
ソープも何かを感じ取り、新入りに怒鳴る。えっと彼が上官の方を見たその瞬間、突如としてローチの足元に大きなひび割れが走る。ようやく何が起きているのか悟り、動き出した時にはもう遅か
った。ガラガラと音を立て、無機質な地面はローチを引きずり込むようにして崩れていく。
「うわああああああ!?」
「ローチ!」
咄嗟に、ソープが手を伸ばす――わずか数ミリ、届かない。闇の奥底へと、部下は飲み込まれてしまった。
悪いことは続く。ローチを引きずり込んだ闇の底から、ぬっと球状の何かが姿を見せる。おそらくは地面に穴を開けた張本人、チャーリー分隊を襲撃した者と同類。闇より伸びた金属質の二本のア
ームが、地面に突き刺さる。ガジェットⅢ型。Ⅰ型が歩兵だとするなら、こいつは装甲車か戦車と言ったところだ。
「くそ、この野郎、死ね、この!」
敵は、まだ頭しか出せていない。二本のアームは地上に現れようと、己が身体を引っ張り出している真っ最中だ。ソープはUMP45、短機関銃の銃口をⅢ型に突きつけ、フルオート射撃。銃口が無人
兵器の装甲を叩き、激しい火花が飛び散る。
よせ、とベルツはしかし怒鳴る。Ⅲ型の装甲は強固だ、無反動砲や対戦車ミサイルでもなければ対抗出来ない。だけども、部下は仲間を奪われた怒りで頭がいっぱいだった。UMP45がカチンッと機
械音を鳴らして弾切れを知らせていると言うのに、今度はサイドアームのM1911A1を引っ張り出して撃ち込んでいる。
無人兵器の無感情な瞳、カメラアイが不気味に動き、ソープを捉えた。生意気にも攻撃してくるたんぱく質の塊、最初は無視していたがいい加減うるさくなってきたのか。二本あるアームのうち一
本、大きく振りかざす。どかっと兵士を殴りつけ、通路の壁に叩きつけた。
「ソープ! くそっ」
ベルツが悲鳴のような声を上げると同時に、ガジェットⅢ型はアームを器用に使い、完全に穴から姿を現す。機械の眼は、明らかに次の獲物を求めていた――すなわち、ベルツを。
恐怖に染まりそうな思考。それでもどうにか、歴戦の兵士はぱっと銃口を敵に突きつけた。闇雲に撃っても効果はない。ならば、小銃であってもダメージが与えられそうな部分を狙い撃つ。
っく、と表情を曲げて後方に飛ぶ。狭い通路内だというのに、Ⅲ型のアームはウネウネと気色悪く動いた。振り下ろされる文字通りの鉄拳が、ベルツの足元を容赦なく砕く。
くそったれが――ACRを構える。ダットサイトを敵に合わせ照準、引き金を引く――人間様を舐めるなよ!
肩に当てた銃床から、小刻みな反動。銃口で炎が煌き、魔力で雷管を叩かれ、弾き出された銃弾が敵の装甲を叩く。火花と金属音、しかしⅢ型は止まる様子を見せない。
否。放たれた五.五六ミリ弾が、無人機の瞳を撃ち抜いていた。センサーを砕かれたガジェットは大きく怯み、振りかざすアームも動きを止めた。
今だ、とベルツは駆け出した。止まったと言っても、カメラアイを壊されただけだ。盲目状態でアームを振り回す可能性もある。壁に叩きつけられたまま動かないソープの元に、一気に駆け寄ろう
とした。
瞬間、目の前に金属の腕が振り落とされる。たまらず急停止し、転んでしまった。眼を潰された無人兵器が、怒ったようにアームを滅茶苦茶に振り回す。
この野郎、と指揮官は顔を歪ませる。まだ動くか、エルジア軍の兵士だってもう少し潔いぞ。
とは言え、敵はユージア大陸にいた頃に戦った相手とはまったく異質なもの。悪態など聞くはずもなく、通路の壁を、地面を、天井を砕き回している。アームに直接攻撃されずとも、吹き飛んでき
た破片にやられてしまいそうだ。完全に撃破したいところだが、火力が足りない。
「――伏せて!」
唐突に聞こえた、少女の声。何故にテロリストのアジトでそんなものが聞こえるのか、ベルツには疑問だった――そう思う頃には、身体が勝手に動いて地面にひれ伏す。
暴れ回るガジェットⅢ型に、通路の奥から飛び込んできた閃光が突き刺さる。衝撃、決して軽くはないはずの機械の身体が浮き上がっていた。それでも、二本のアームはじたばたとみっともなく抵
抗を続ける。
「いい加減に――」
閃光の奥に、少女の影。どこかで見たと思いきや、彼女だったのか。
「止まれ!」
振り落とされる拳。魔力によって破壊力を高められた一撃は、盲目のガジェットに今度こそトドメを刺した。小銃弾では傷をつけることすら適わなかった装甲が突き破られ、心臓や頭脳たる電子機
器がぶち抜かれる。断末魔のように小さな爆発、黒煙を漏らして無人兵器は沈黙。
ふぅ、とⅢ型を仕留めた少女は安堵のため息。紫色の長髪を揺らし、ベルツの元に駆け寄ってきた。
「ご無事で、ベルツ二尉?」
「どうにか――久しぶりだな、ナカジマ陸曹」
戦場に似合わない、可憐な笑顔。差し出されたリボルバーナックルに覆われた手を掴み、ベルツは立ち上がる。
やって来たのは、ギンガ・ナカジマ。陸士一〇八部隊の精鋭、以前ベルツたちB部隊に助けられたことがある。これで貸しはチャラだな、と漏らす兵士に、どうも遅くなりまして、と彼女は笑う。
「何故ここに? いや、大方司令部が増援でも送ったんだろうが」
「それで正解です。どうもこの事態、簡単には終わりそうにないので」
同感だ、と返答し、ベルツはひとまず会話を打ち切る。Ⅲ型に殴られたソープ、穴に落ちたローチが気がかりだった。
しかし、振り返って駆け寄ろうとしたところで、それまで沈黙していたソープが自力で立ち上がってみせた。イテテテ、と痛がる様子こそ見せるが重傷ではないらしい。
「ソープ。大丈夫なのか?」
「こんなもん、深呼吸すればすぐ治りますよ――そっちの美人さんは、見覚えあるね」
「え、あ、は、はい、お久しぶり、です……?」
ちょんちょん、とギンガはベルツの肩を叩く。怪訝な表情を浮かべて振り返る彼に、彼女は小声で尋ねてきた。この人誰です?
「誰って、ソープだ。ほら、JS事変の時にお前を助けたメンバーの一人」
「……なんでモヒカンなんです?」
「知らんがな」
どうやら髪型が劇的に変化したせいで、誰なのか分からなかったらしい。ギンガの疑問はもっともだと思うが、理由なんて知る由もないベルツは一刀両断で切り捨てる。
幸いモヒカンの当人には聞こえなかったらしく、彼はローチが落ちた穴の向こうを覗き込んでいた。ライトを照らし、闇の奥にじっくり眼を凝らす。
その時、真っ暗な穴の奥からおーい、と誰かの声がした。間違いない、ローチだ。
「ローチ! 生きてるかー!」
「……何とかー!」
少し間を置き、返答が来た。どうやら無事らしい。それにしてもアイツ訓練でもよく落ちるんだよな、とはソープの言葉。
安心する一同に、しかし闇の奥より唐突な報告。何かがある、何とかして降りてきてください。
「何かって、いったい……」
「降りれば分かる。行くぞ」
戸惑う部下を余所に、ベルツは手早くバックパックから降下用のワイヤーを持ち出す。ガジェットⅢ型が暴れまわったおかげで剥き出しになった鉄筋にスナップリングを固定させ、闇の奥へとワイ
ヤーを垂らす。長さは充分足りた。ソープもこれに続き、ギンガはウイングロードで降りることになった。
壁を蹴ってゆっくりと降下、地面に足が着くと、ただちに暗視ゴーグルを装着。視線を動かすと、人影が見えた。ローチだ。
死ぬかと思いましたよ、と話す彼に喋れるうちは大丈夫だ、と肩を叩く。それから彼の見つけた"何か"について問いただす。あっちです、と新入りは指差した。暗視ゴーグルを振り向かせて、ソー
プがおっと声を上げる。真っ暗な地下、ひたすら無機質な地面が続く中でただ一箇所、明かりを灯している部分があった。
「何だ、あそこだけ明るいな」
「警戒しろ。ナカジマ、悪いが援護頼む」
「了解」
各々武器を構えて、前進開始。足音だけが響き渡る不気味な静寂の最中、彼らは唯一明かりを灯す場所に辿り着く。
何かの研究施設だったと思しきその場所は、ベルツたちの表情を言い知れない恐怖に包み込むのに充分な代物だった。フラスコや敏、様々な研究用機器。それらに詰まっているものは古今東西、あ
らゆる生き物。トカゲなどの爬虫類からカエルのような両生類、牛のような哺乳類すらあった。うえ、とたまらずローチが口元を抑え込む。学校の理科室だって、もう少しまともだろうに。
「そのうち人間とか出てきそうだな、ホルマリン漬けとか剥製の……」
「よしてください、縁起でもない――」
ソープの漏らした言葉に、思わずギンガが反応する。百戦錬磨の彼女も、こういうところは普通の少女らしい。
そのまま銃を構えて、ベルツは前に進む――人の、気配。素早く銃口を向け、引き金に指をかけた――いや、違う。
ACRの銃口を下ろす。視線の向こうに捉えたものを見れば、誰だってそうしてしまうだろう。何しろ、相手は攻撃などして来ないのだから。
何だ、これは。答えを求めて、必死に思考を回転させる。だが、分からない。眼に映った"ソレ"をなんと呼んでいいのか、彼には分からなかった。
"ソレ"は静かに、培養液の中で生きていた。
"ソレ"は何事にも動じず、じっと眼を閉じていた。
"ソレ"はもはや、まるで魂のない抜け殻のように、彼らを待っていた。
「二尉? いったい何が――っ」
「こいつは!」
様子のおかしいベルツを見つけ、ソープは彼の視線を辿り絶句する。同じものを見たギンガは身構え、攻撃の意思を露にした。よせ、とそれをベルツが止める。
「あの、こいつって、確か」
「あぁ、間違いない」
問いかけてきたローチに、彼は頷く。
何故、彼がこんなところにいるのかは分からない。何故、彼がこんな状態なのかは分からない。こんな状態――培養液の中で、魂だけが抜け落ちたような身体を持つ彼。
「何を企む。どうしてこんな状態でこんなところにいる――ジェイル・スカリエッティ」
XB-0改――通称"フレズベルク"。時代の流れが変わったことに気付かず、あるいは気付いていてもなお、流れに逆らおうとする者たちの、祖国再興への切り札。
過去に一度撃墜された機体ではあるが、その航続距離、桁外れの収容能力、六基からなる大出力エンジンは彼らにとって魅力的であった。単なる兵器としてだけでなく、真っ黒な翼は人々に言い知
れない恐怖心をもたらすことから、象徴としても機能するはずだ。すなわち、ベルカ公国再建の象徴。
憎きオーシア、それと手を組んだユークトバニア、小ざかしくも独立した小国ウスティオ。奴らを叩き潰し、今度こそ古き強いベルカを取り戻す。
ミッドチルダでの一連の事件は、彼らにとってみれば所詮前座に過ぎないのだ。オーシアなどの戦勝国の眼から逃れるため、この地で使用される魔法技術の習得のため、XB-0改完成のため、そして
最強の切り札を作り上げるため。"Project nemo"は、ついに最終段階に入ったのだと。
――しかし、艦橋にて一人たたずむ彼の顔はどこかつまらなさそうで。軍服姿の男たちが艦橋にやって来ても、振り返ろうとしない。
「どうした、ドクター」
男たち、その中でもリーダー格、アシュレイが、彼に声をかけた。
「まるで、つまらないものを見ているようだが」
「……ほう、よく分かったね」
彼はやはり、振り返らない。そうして、理由を口にし始めた。
「ベルカ公国の再建。なるほど、君たちにしてみればそれは悲願なのかもしれないね。だが、あえて言わせてもらおう。くだらない、つまらない」
軍服の男たちは、何も言わない。ただ、各々が手にしていたMP5K、短機関銃の代表格を彼の背中に突きつける。
「時代は絶えず変化している。ベルカ公国の敗北は、まさしくその変化だったのだろう。だと言うのに、君たちは変化に抗い、眼を背け、こうして過去の遺産を引っ張り出してきた。せっかく異世
界に来たと言うのに、まったく嘆かわしいね。"過去"にこだわらず、時代を自ら変化させようとは思わないのかね? "Project nemo"――大層な計画の割りにやることが小さい」
「……我々の目的は、あくまでもベルカの再建だ。この世界のことなど、知ったことではない」
「ほう、"手を出さなければ攻撃しない"、この宣言は破られたが?」
彼の言うとおり、軍服の男たちが各管理世界に宣言した言葉は破られた。我々の門出を邪魔しなければ攻撃しない、そう言ったはずなのに、管理局は核弾頭を移送する部隊を攻撃してきた。
だけども、アシュレイの表情は鉄のように揺るがない。
「あれは囮の模擬弾頭、偽物だ。管理局はまんまと引っかかったが、それだけだ――F-35を大量に配備して待ち伏せさせたのは、貴様だな? 貴重な戦力を浪費してしまったぞ」
「約束を破られたんだ。そのくらいは当たり前さ――それでも、君たちはミッドを攻撃する意思はないと?」
「言ったはずだ」
ばっ、と。アシュレイの右手が上げられる。同時に軍服の男たちはMP5Kを構え、引き金に指をかけた。
「我々の目的は、ベルカ公国の再建だ。ドクター、お前との契約は破棄だ。貴様をこれ以上計画に参加させると我々の目的は達成出来ない」
「破棄? ほう、それはどうやって?」
「こうするんだ」
右手が、振り下ろされた。やれ、と合図。たちまちMP5Kの銃口に閃光が走り、銃弾が彼の身体を射抜く。複数の銃口から、無数と呼んでもいい弾丸の雨。纏っていた白衣が鮮血に染まり、彼の身体
は艦橋の床へと叩きつけられた。
射撃中止。アシュレイが右手を再度上げると、銃声が止んだ。残ったのは薬莢、硝煙の匂い、そして死体。無言のまま、アシュレイは通信機を持ち出す。
「ミヒャエル、掃除は終わった。カプチェンコの時空転移装置を起動させろ、ついに凱旋の時だ――なんだ?」
艦橋内で、悲鳴が上がる。振り返れば、軍服の男たちが再びMP5Kを構えていた。銃口の先には、先ほど銃撃を受けて倒れたはずの彼が、立ち上がろうとしていた。
「貴様……」
「驚いたかね? エレクトロスフィア、古代ベルカの遺産。便利なものだ、同じベルカの名を持つだけはある」
ゆらり、と。銃撃による傷など意に介していないように、彼は立つ。その顔は、笑っていた。狂気に満ちた、歪んだ笑顔。
再び銃声。軍服の男たちが放った銃弾はしかし、彼の身体をすり抜けるばかり。おかしい、先ほどは確かに、当たっていた。出血さえしていたはずなのに。
「リアルに作ってあるだろう?」
「最近のホログラフはまったく素晴らしい」
――どういうことだ。
アシュレイは、自分の眼を疑った。艦橋内で、彼が一人、二人、三人と増えていく。まったく同じ仕草、同じ声、同じ人格。どれが本体でどれが偽者か、肉眼では判断できない。
いや、もしかしたら。馬鹿な発想が脳裏をよぎるが、しかし否定する要素はない。この男を前にしたら、どんなあり得ないことだってあり得るのだ。
「気付いたかね」
「要するに、どの私も"私"だ。誰もが本体だよ」
「おいおい、それは私の台詞だよ"私"」
おっとこれは失礼、と。
同じ声で笑い合う彼らを見て、アシュレイは何かを察知した。すなわち、危険。生存本能が訴えている。こいつはまずい、すぐに離れろと。
「さて、こんな一方的な契約破棄を私は認めたくない。どう思うね、"私"」
「そうだなぁ、この重巡航管制機を頂くとしよう。見たところ、サイズこそ小さいが"ゆりかご"より機能的に作られているようだし」
「いい案だ。では"私"たち、まずは邪魔な彼らをどうにかしよう」
だっ、と駆け出す。奴らの言葉を聞かずとも、艦橋内で突然現れた無人機銃が姿を見せた時点でアシュレイは動いていた。扉の向こうを目指し、必死に走る。
直後、飢えた猛獣の唸り声。機銃の連射音が鳴り響き、軍服の男たちを銃火が包み込む。悲鳴を上げる暇すら与えられず、彼らは次々と命を奪われていった。
うっと短く悲鳴。逃げるアシュレイの背中にも容赦なく、銃弾は降り注いだ。一発が肩を掠め、しかしそこまで。かろうじて、彼は扉の向こうに姿を消す。
「――ふぅむ、逃げたか。残念だ」
「まぁ放っておこう。どうせ契約は破棄されたのだ」
「その通り。さぁ、行くぞ諸君」
何人もいた彼らは一つになって、艦橋のコンソールに触れる。針路変更、目標はクラナガン。艦載機、全機発進。ついでにうるさい管理局の偵察機も撃墜させてしまおう。
彼らは何人もいる。だが名前は一つだ。すなわちその名は――無限の欲望、ジェイル・スカリエッティ。
「始めよう、真の"Project nemo"を」
最終更新:2010年05月30日 20:05