Call of Lyrical 4
第12話 最後通告 後編/虎の眼
SIDE SAS
六日目 時刻 0643
ロシア アルタイ山脈付近
ジョン・"ソープ"・マクダヴィッシュ軍曹
包みに入った粘土状の物体を取り出した時、傍らにいた魔法使いの少年が怪訝な表情を浮かべた。
無理もない話で、これから敵のミサイル発射施設の警報装置を停電に追い込むため、送電施設である鉄塔を爆破せねばならない。だと言うのに、このSASの隊員が持ち出したのは見た目は白っぽい
色をした粘土と来た。異世界生まれの彼、クロノ・ハラオウンが疑問を持つのも、やむを得ないと言える。
だから、ソープが手にした粘土が実は、同じ重量のTNT爆薬と比較して約一.三四倍の威力がある高性能プラスチック爆弾であると教えた時、彼は驚きの表情を隠そうともしなかった。
「こんな粘土みたいなのが、爆弾になるのか」
「もちろんこれだけじゃ駄目さ。ちゃんと起爆装置か雷管つけなきゃ、せいぜいただの固形燃料だ」
実際、C4と呼ばれるこの粘土状の爆弾は、ベトナム戦争においては火をつけて燃料代わりにされたと言う。恐ろしい話だな、とクロノは眉をひそめた。
会話を交えながらも、ソープは目の前の巨大な鉄塔の支柱に、C4爆弾を設置する。
支柱は四本存在するが、二本破壊してしまえば自重を支えきれず、倒壊する。もう一つには米海兵隊のジャクソンが同僚にして戦友のグリッグ軍曹の援護の下、同じようにC4爆弾を支柱に取り付け
ていた。
「設置完了」
「よし、みんな離れろ」
首元のマイクで後方の原っぱに待機していた指揮官、プライスに報告すると、彼はただちに離れるよう指示してきた。その場で爆破しては、鉄塔の倒壊に巻き込まれる。
言われるがまま充分に距離を取って退避し、起爆装置の遠隔操作端末を引っ張り出す。指揮官の方に眼をやると、やれ、と合図が来た。
ジャクソンが設置した分も併せて、スイッチを連打。手元でカチカチッと小さな機械音が鳴り、数瞬の間を置かず、爆発。鉄塔の支柱で橙色の閃光が走った。同時に、爆発の轟音がロシアの山中に
轟く。
文字通り四本あった"足"のうち二本を破壊された鉄塔は、ぐらりとバランスを崩して前のめりになった。そのまま断末魔のような鉄の歪む音を鳴らし、谷の方へと崩れ落ちる。これで、眼下へ見え
るミサイル発射施設への送電は断たれたことになった。
もっとも、件のミサイル発射施設は冷戦の最中に建造されたものだ。例え司令部に核弾頭が撃ち込まれたとしても、独自に反撃のミサイルを放てるよう、自立した発電施設を持っていることが予想
された。警報装置の停電も、せいぜい二〇秒がいいところか。
「チャーリー6、鉄塔を破壊した。二〇秒あるぞ」
「了解、今のうちだな」
作戦の手筈は、その二〇秒の間に別働隊が警報装置が作動するラインを乗り越えると言うものだった。でなければ、別働隊は早々と接近を探知され、敵の迎撃を浴びることになるだろう。
グリッグが首元のマイクで残り時間を知らせる――およそ一〇秒。早く行けよ、と原っぱで待機するソープは気が気でない。
「よし、突破した。ブラボー6、合流地点で会おう」
ふぅ、と誰とも知らぬ安堵のため息が漏れた。ひとまずは別働隊の突破支援成功、あとはひたすら合流地点にまっすぐ進むのみ。
とは言え、敵が黙っているとは思えない――突然の停電に、彼らは必ず警戒心を露にしたことだろう。銃弾の歓迎パーティーが行われるに違いない。案の定、眼下のミサイル発射施設からは、やか
ましいほどに鳴り響くサイレンの音が。
面倒臭いなぁ、と内心愚痴をこぼしながら、ソープは仲間と共に立ち上がった。目指すは、チャーリー6との合流地点だ。
SIDE 時空管理局 地上本部
六日目 時刻 0650
ロシア アルタイ山脈付近
レジアス・ゲイズ中将
腕はまだ、鈍っていない。そうでなければ将官が前線、それも敵地真っ只中に降り立つなど愚の骨頂と言える。
事は決して、九七管理外世界だけの問題ではない。テロリストたちが入手し、核弾頭の代用として使用しているのはレリックと言う高濃度のエネルギー結晶体だ。ミッドチルダより流出したロスト
ロギアとなれば、そのミッドの治安を預かる最高責任者として見過ごす訳にはいかないだろう。
もっとも娘には迷惑な話だが――いや、あれはあれでもうしっかりした者だ。副官たる愛娘の顔を脳裏に浮かべながら、野生の虎のような眼で、男は狙撃銃のスコープを覗き込んでいた。
男の名は、レジアス・ゲイズ。時空管理局地上本部の総司令官。年は取ったが、生涯現役を貫く老兵を自負する者。"前線で戦えないようでは指揮官は務まらない"ことを信念とする彼にとって、ま
さしくこの戦いは自身が未だ戦えるかどうかを試される場でもあった。
ブラボー6、古い戦友のプライスが指揮する分隊のおかげで、敵の警報装置は難なく突破できた。あとはひたすら合流地点に向けて進むだけなのだが、超国家主義者たちも馬鹿ではない。送電施設
が破壊された直後、停電はただちに自前で構えていた発電機によって復旧した。同時に、何者かによる襲撃を察知した奴らは警戒態勢に移行。道路上を銃を持った兵士がうろつき始め、レジアス指
揮下のチャーリー6分隊の進路を阻害していた。
「分隊、障害を排除する。配置に就け」
了解、と伴ってきた米海兵隊の兵士たちは彼の命令に応え、手際よく動き始めた。
現在、目標である合流地点までの道のりの途上で、それまで誰もいないように思われた検問所からは敵兵たちが姿を見せている。迂回と言う選択肢も存在したが、合流までの残り時間は決して長く
ない。どうあってもこれまで身を隠してくれていた森を飛び出し、ミサイル発射施設に続くこの道路を突っ切るしかなかった。
派手にドンパチをやってもいいが――ギリースーツに身を包んだレジアスは、しかし首を振る。ここで騒ぎを起こせばブラボー6にまで敵の手が及ぶだろうし、何よりテロリストたちがわらわらと
集まってきて、その相手に時間を取られてしまう。スマートに、静かに敵を片付ける必要がある。
ロシアの大地に身を伏せて、右手でグリップを持ち、左手で銃身を支える。両手にずしりと重たくも頼もしい重量を感じさせるのはM21、バトルライフルとして評価の高いM14を狙撃仕様に改良した
スナイパーライフルだ。サイレンサーも装着してあるから、発砲音で気付かれることは少ないはず。
狙撃スコープの向こうでは、AK-47を持った敵兵が狙われているとは知る由もなく、気だるそうに佇んでいた。わずかに照準をずらすと、その隣で仲間と思しきテロリストがこれもペチャクチャと
雑談に勤しんでいた。勤務怠慢だ、厳罰を覚悟しろ。
とは言え、一人で全て撃ち倒せるものでもない。片耳にのみ装備したイヤホンに、海兵隊員が配置に就いたとの報告が飛び込む。よくよく見れば、敵兵の後ろで草の塊がわずかに蠢いていた。
「静かにやれ――ショータイムだ」
首元のマイクに向けて、そっと囁く。直後にレジアスはM21を構えなおし、狙撃スコープを覗き込んだ。目標は、最初に捉えた敵兵。未だ気付く様子のない彼はタバコに火を点け、のん気にその味
を楽しんでいた――タバコの煙が、左に流されていく。わずかに照準を右へとずらした狙撃手は、そこで引き金を引いた。
聞き耳を立てても、果たして聞こえたかどうか。それほどまでに小さな発砲音に伴い放たれた銃弾は、目標の頭部を的確に射抜いていた。悲鳴もなく倒れる敵兵、放り出されるタバコ。
周囲の仲間が何だ、と振り返った時にはもう遅い。レジアスの狙撃を合図に、背後から迫っていた海兵隊が彼らに襲い掛かる。ほんの一瞬、ナイフでスパッと命を絶たれた敵兵たちはその場に崩れ
落ち、動かなくなった。
オールクリア、上出来だ――言いかけて、"虎"の眼が鋭く光った。当初は存在を確認できなかった敵が一人、物陰から飛び出し検問所の建物の中へ走っていく。襲撃に気付いた奴は、検問所にある
電話で仲間に知らせようとしたのだ。
息を切らしながらも検問所に入ったテロリストは、受話器を掴んで耳に当てる。直後、受話器が窓ガラスを突き破って現れた銃弾によって弾き飛ばされる。悲鳴を上げて腕を押さえる敵は、それで
も抵抗の素振りを見せた。しかし、再び小さな銃声。自身を襲った銃弾がどこから飛んできたのか分からないまま、彼は検問所内に倒れ込んだ。
狙撃スコープからその様子を眺めていたレジアスは、ふぅ、と止めていた呼吸を再開。今度こそ敵兵の排除を確認し、ぬっと立ち上がる。
獲物を仕留めた虎に、満足した様子は見えない。ただ、指揮下の部下と合流し、無人となった検問所を静かに駆け抜けていくのみだった。
SIDE U.S.M.C
六日目 時刻 0655
ロシア アルタイ山脈付近
ポール・ジャクソン 米海兵隊軍曹
嫌な予感は、もちろんあった。バタバタとヘリのローター音が空から響いてきた時点で、忙しくなることは確定していたと言える。
敵は、停電の原因が鉄塔の爆破であることに気付いたらしい。頭上を行き去っていく輸送ヘリは、みんな自分たちの進路上に向けて進んでいったのだから。正確な居場所こそ不明なれど、だいたい
の位置は知られてしまった。
だと言うのに、この歴戦の海兵隊員はまったく怯む様子もなければ面倒臭がっている様子もない。両手に構える相棒、M4A1に命たる弾丸を叩き込み、口ずさむ言葉は一言、ロックンロール。
「ギャズ、グリッグ、俺と一緒に別ルートを行くぞ。ジャクソン、ソープ、クロノ。お前たちはこっちだ」
指揮官プライスは、部隊をあえて二手に分ける命令を下した。正面から海兵隊とSAS、魔法使いの合同部隊を進ませ、自分と残りの部下二名は迂回し側面より敵を叩く。
「うぇ、貧乏くじだ……」
「愚痴るな、若造。クロノ、カバーを頼む」
「了解――ほら、行くぞソープ」
露骨に表情を歪めた新米の背中を押しながら、図らずも合同部隊の指揮者となったジャクソンはクロノと共に歩みを進める。目の前に立ち塞がるのはコンクリート製の建物、おそらくは旧ソ連時代
に建設された何かの施設。ソ連復活を唱える超国家主義者たちのねぐらとしては、まさに名実共に打ってつけだろう。まさしく亡霊どもめ。
崩れた壁を乗り越え、三人は各々武器を構えて警戒しながら前進する。やがて開けた土地に出れば、正面に見えた古びたガレージらしき建物に蠢く影が複数。クロノ、とジャクソンは魔法使いの少
年を呼び、魔法でそこにいる人影は敵か味方か、敵なら人数は何人ほどか調べてくれと頼む。
心得たクロノが兵士曰くの魔法の杖、デュランダルの補助を持って魔法を行使しようとしたその瞬間、ガレージの方でマズルフラッシュらしき閃光が走った――咄嗟に、海兵隊員は少年の特異な服
を引っ張り、物陰に寄せる。抗議の声は、上がらない。ジャクソンがそうしなければ、飛び込んできた銃弾によってクロノは撃ち抜かれていた。
耳元を掠め飛んでいく、死神の鎌。憎き米英の軍隊を視認したテロリストたちは、容赦なく撃ってきた。豪雨の如く降り注ぐ銃弾、撃ち砕かれたコンクリートの粉が舞う。
こりゃたまらんな。時折身を掠める銃弾に内心恐怖を抱きながらも、なんとか彼はM4A1の銃口のみを壁から突き出す。狙いなどつけられるはずもなく引き金を引き、威嚇射撃。相手の位置が確認出
来ないままに、M4A1は弾層内の五.五六ミリ弾をばら撒く。が、小癪な抵抗を見せた敵に超国家主義者たちは、さらに強い銃撃の雨を浴びせるだけだった。身を潜める壁が耕すようにして削り取ら
れていく。
その時、自分と同じく壁に身を寄せていた少年が立ち上がってみせた。埒が明かないと踏んだのだろうか、一つの覚悟を決めたような表情。おいクロノ、と空になったM4A1の弾層を取り外しながら
ジャクソンは尋ねる。いったい何をやるつもりだ。
「僕が前に出る。飛行魔法で飛び出せば、嫌でも注目されるだろうさ」
「そりゃあ、人間が空を飛ぶなんてイワンどもも思ってもないだろうが」
ヒュンッと、二人の視線の間を死神が通り過ぎていった。跳弾した弾丸が飛来したに違いないが、それはここから飛び出せばどうなるかを物語っていた。魔法使いの纏う法衣は確かに防弾効果もあ
るようだが、滅多打ちにされれば関係なくなる。
それでも、クロノは海兵隊員の呼び止めを無視した。わずかな銃撃の合間を見計らい、止めようとしたジャクソンを振り払う。表に飛び出した彼はテロリストたちの前を横切るように駆け出し、だっ
と大地を強く蹴った。瞬間、舞い上がる黒衣。箒に跨っている訳ではないが、魔法使いは言葉そのままの意味で飛んだ。
敵兵たちは出現した黒衣の少年が何者なのか一瞬判別できなかったようだが、空へと舞い上がったのを見て確信し、銃口を向ける。米英の軍隊には魔法使いが加わっている、そんな情報が彼らの間
には流れていたのかもしれない。
ようやく夜明けが近付いてきた空、駆け抜けるは一筋の青白い閃光。迎え撃つは、テロリストたちの撃ち上げる質量兵器の弾丸。火線が入り乱れ、不規則な機動で動き回るクロノの周囲を飛び抜け
ていく。真下に防御魔法を展開して、偶然自分を捉えた銃撃も耐えしのいでみせた。
「あの馬鹿――ソープ、いつまで隠れてる! 撃て撃て!」
「し、指揮官はあんたなのかよ」
とは言え、いつまで持つか。敵は、空を駆け回る珍しい標的に集中しているに過ぎない。クロノが引きつけている間に排除せねば、再び銃撃の雨に晒される。
ジャクソンは壁から身を乗り出し、今度こそM4A1の銃床をしっかり肩に当てる。彼に急かされる形でおろおろと出てきた新米SAS隊員もどうにか銃を構えて、敵を狙う。
ダットサイトに、空ばかり見上げる敵兵を捉える。引き金を引けば肩に細かい反動があって、銃口が火を吹いた。あっと標的となった相手が振り向いた時にはもう遅く、照準の向こうでテロリスト
がひっくり返った。流れるように銃口を逸らし、さらに一人を撃つ。的確なトリガーコントロール、短い間隔で放たれた五.五六ミリ弾は敵を射抜き、命を奪う。
ようやく超国家主義者たちはクロノが囮であることに気付いたようだが、すでに遅い。上に向けられるばかりだった銃口を地面に向けた途端、海兵隊員とSAS隊員の放つ銃弾が戦場を駆け、彼らを
薙ぎ倒していった。
そろそろ打って出るか――ひとまず、目に見える目標は排除した。あとは物陰に隠れている敵兵をいぶり出し、残らず狩るだけだ。攻守逆転、今度はこっちの番だ。立ち上がり、いよいよジャクソ
ンは反撃に転じようと試みる。
ドンッとその時、突然誰かに後ろから押し倒された。敵か、と焦る思考は裏腹に、それ以上の追撃はない。何だと思って押し倒してきた犯人を見ると、ソープだった。
何をするんだ。少なからず怒りを込めて口を開こうとする寸前、彼らの立て篭もる建物に、白い尾を引く物体が飛び込んできた。
SIDE 時空管理局
六日目 時刻 0708
ロシア アルタイ山脈付近
クロノ・ハラオウン執務官
「二人とも、建物屋上にRPGだ! 逃げ――」
声は、届かなかった。無慈悲にも仲間たちが立て篭もる建物の中に、突然屋上に現れた敵兵の放ったRPG-7対戦車ロケットが叩き込まれる。爆発、轟音。建物からは、誰も出てこない。
「――っ!」
こいつら、と宙に浮かぶクロノは眼下を見下ろす。ソープとジャクソンが狙っていたものとは別の建物、その屋上よりテロリストたちがRPG-7を肩に担いでいた。目標を仕留めたと確信した彼らは
次の獲物を探し、やがてこちらを見つけたのか空を指差し、一度放ったRPG-7の弾頭を再装填。戦車の装甲すらぶち抜く代物は、いかどバリアジャケットに防御魔法の二重の構えと言えど直撃すれ
ば安心は出来ない。それらが二つ、こちらに向けて放たれようとしている。
逃げるのは簡単だが、それは彼の怒りが許さなかった。自分を狙う敵兵たちに向けて、魔法使いは急降下。重力すらもが味方した降下速度は凄まじく、距離はあっという間に縮まるだろう。
直前、クロノの視界に白煙が飛び込む。数瞬して眼に映ったのはRPGの弾頭。回避は、しない。そのまままっすぐ、屋上に向けて突撃を敢行する。
風があったのが幸いした。二発のRPGはまっすぐ突き進むはずだった進路をフラフラと揺らし、黒衣のすぐ傍を掠め飛ぶに止まった。元より対戦車ロケット、本来は空中の目標に向けて撃つもので
はない。
屋上に着地、ただちにクロノは顔を跳ね上げて敵を睨む。数メートルほどの至近距離、慌てたテロリストは空になったRPG-7を投げ捨て腰の拳銃用ホルスターに手を伸ばす。その顔面に向けて、彼
は手にしていたデュランダルを叩きつけた。ただのデバイスによる殴打ではなく、魔力付与で威力を高めた一撃。生身の敵兵が耐えられるはずもなく、ひっくり返って気を失う。
背後で聞こえたロシア語らしき罵声を、もちろん彼は聞き逃さない。ナイフを振りかざしてきたもう一人の標的を、ただちに反転して見据える。ヒュッと風を切るように振られてきた刃を、身を屈
めて難なく回避。がら空きの胴体に、青白い魔力を纏ったキックをお見舞いした。短い悲鳴を上げて、このテロリストもあえなく沈黙する。
RPG-7の制圧に成功したクロノだったが、一息つく間はない。屋上から、先ほどRPGが叩き込まれた建物を見る。ソープは、ジャクソンは。立ち昇る黒煙は、彼の焦燥を駆り立てていた。
ゲホ、ゲホと、かすかに、しかし確実に耳にした誰かが咳き込む音。眼下に、煙を手で払いながらヨロヨロと姿を見せる人影が入った――M4A1を手にした、二人の兵士。無事だったのか。
「クロノ――ゲホッ。こっちは無事だぜ。そっちは」
「君たちよりはマシだ。RPGは制圧した」
地球の通信機とも交信出来るように調整しておいた念話による回線に、ソープの声が入る。酷い目にはあったようだが、奇跡的にかすり傷の一つも負っていないらしい。
ほっと胸を撫で下ろす。この先一人で敵戦線を突破するなど不可能だろうし、何よりも生死を共にした仲間たちだ。死んで欲しくないと言う、人間として当たり前の感情を持つのも当然だろう。
合流しようと、彼が屋上から飛行魔法で大地に降りようとした、その時である。聴覚に反応、耳障りなローター音が鳴り響く。ハッとなって振り返った先には、超国家主義者たちのMi-8ヒップ輸送
ヘリの姿があった。増援を載せているのだろう、クロノのすぐ頭上を通過し、後部ハッチを開いてみせた。
それだけならば、まだよかったかもしれない。降下してくる敵兵を迎え撃とうと各々武器を構えた彼らの視界に、今度は続々と乗りつける軍用トラックが映る。
げぇ、とたまらず新米SAS隊員が表情を歪め、さすがのベテラン海兵隊員も焦燥を顔に出した。トラックの荷台からは、武装したテロリストたちがわらわらと飛び出してくる。どうにも、敵の主力
を一度に引き受けてしまったようだ。
おいおい、勘弁してくれ――つい先ほど、落ち着きを取り戻したばかりの少年の顔が、再び焦りと恐怖に染まる。ざっと数えて、敵兵の数は四〇名を超えた。スティンガーレイのマルチショットで
何とか、いや、詠唱する時間はあるまい。集中砲火を浴びれば防御で手一杯になるし、その防御だっていつまでも続く訳ではない。
手詰まりかな、と。それでも相棒たる魔法の杖を手放さない少年は、駆け出そうとした。RPGの攻撃から難を逃れたばかりの二人の兵士も、銃口を跳ね上げ、構える。諦めたところで、ジュネーブ
条約に則った扱いはされないのは、先に捕虜になったグリッグの例を見るに明らかだった。
「諦めないとは、いい心がけだ。頭を下げてろ」
――誰だ。
唐突に、通信回線に男の声が飛び込んできた。落ち着き払ってはいたが、どこか野生動物、さしずめ虎のような獰猛さを隠し持っている。そんな男の声。
直後、クロノは目撃した。目の前でホバリングし、ロープを地面にまで伸ばして今まさに兵士たちを降ろそうとしていたMi-8のローター部に、小さな火花が走った。一度ではなく、二度、三度とそ
れは続き、ようやく気付く。何者かが、ヘリを銃で撃っているのだ。しかし歩兵の持つ小火器で、ヘリは落ちるのだろうか。
浮かべた疑問の答えは、すぐに返ってきた。可能である。その証拠に、それまで安静を保っていたMi-8はローター部からモクモクと煙を上げ始め、グルグルと抑えが利かなくなったように回転を始
めた。中にいた敵兵たちのうち何名かは、開きっぱなしだった後部ハッチより投げ出される憂き目にあった。
それは、クロノにとって驚愕と呼ぶにふさわしい光景だった。たかが小火器で撃たれた巨大な輸送ヘリが、コントロールを喪失し回転しながら落ちていく。まるで狙ったかのように、もはや落下す
る鉄の塊と化したMi-8は続いてやってきた軍用トラックの列に向かっていく。
墜落。回転を続けていたローターが荷台を切り裂き、破片を撒き散らして破壊の限りを尽くす。強引な形で回転を止められたことでエンジンからは火の手が上がり、航空燃料へと引火。轟音と共に
巻き起こった爆風は、まだ周囲にいた敵兵たちをまとめて蹴散らしてしまった。
フムン、と通信回線に再び、男の声。空を飛んでいようが、彼には腕試しの獲物でしかなかったらしい。
「マクミランの真似をしてみたが、なるほど。ワシの腕もまだまだ現役で通じるな」
虎の声は、満足げな様子だった。
残った敵兵たちは、目の前でヘリが落とされたことで大きくうろたえていた。誰ともなく、相手に背を見せ逃げ出し始める。その背中に、送り狼となった銃弾が降り注ぐ。反撃に転じる者は少なく
敗走するテロリストたちは撃たれた仲間は放っておいて逃げるばかりだった。
「大尉、敵は敗走していきます」
「追うな。ひとまずここで再編成だ――ソープ、ジャクソン、クロノ。無事のようだな」
逃げる敵に銃口を突きつけながら現れたのは、別ルートで進攻していたプライスとギャズ、それにグリッグたちだった。彼らがヘリを落としたのだろうか。
今度こそ地面に降り立ったクロノは仲間たちと合流し、しかしプライスたちは首を振ってヘリ落としの実行者は自分たちではないと話す。ではいったい誰が。
「あんなことが出来るのは俺とマクミラン中佐以外じゃ一人しかおらん――いつまで隠れてるんだ?」
ちゃっかり自分も出来ると言いながら――とはいえ、この髭面の指揮官の言葉が嘘とは思えない――プライスは、樹木が立ち並ぶ森の方に向けて声をかけた。途端に、ぬっと草の塊みたいな、それ
こそお化けか妖怪のような風貌の男が姿を見せる。一人ではなく複数、ひょっとしたら彼らが別働隊のチャーリー6か。
先頭に立つ指揮官らしい恰幅のよい男が、こちらの指揮官に向かって手を差し伸べている。
「フムン、さすがに貴様には分かるか」
「中佐はもっとスマートだったぞ。狙撃も体形もな」
黙ってろ、と恰幅のいい男はプライスの言葉に少しも怒る様子を見せず、逆に硬い握手を交わす。
まさかと思い、クロノはこの男に尋ねた。もしかしてあなたは――
「本局のクロノ・ハラオウン執務官だな。ワシはレジアス・ゲイズ中将だ」
「なっ!? 作戦に参加するとは聞きましたけど……」
「現場主義でな」
後方で胡坐をかいているのは好かん、とこの虎のような眼を持つ男、レジアスは語った。
地上本部総司令官が、敵地真っ只中でギリースーツを着込んで狙撃銃を装備。挙句の果てにヘリ落とし。今時映画でもあり得ない設定だ。クロノは頭がクラクラするような感覚を覚えた。
「この人はそういう人だ」
ぽんっと肩を叩くジャクソンは、もはやレジアスの行動が分かりきっている様子だった。
おおむねの敵を排除した分隊は、歩みを進める。そうしてようやく、ミサイル発射施設への入り口が視界内に収まった時である。分隊全員が、奇妙な音を耳にした。何の音だろうかと考えるまでも
なく、警報用のサイレンだった。敵にこちらの接近がバレたのか? 否、もはや今更だろう。すでに交戦しているし、ヘリを繰り出してきたと言う事は超国家主義者たちはもう、迎撃の姿勢を整えて
いると言うことだ。では、これは何のサイレンなのか。
疑問の答えは、大地を揺るがすような轟音と共に現れた。
「何だ、あれは!」
巻き起こる、膨大な量の白煙。橙色に輝く、ロケットの炎。大空へと伸びていくのは、破壊の力を秘めた強力にして凶悪な質量兵器。
「あぁー……司令部、問題発生」
「デルタ1、ミサイルが発射された! 繰り返す、ミサイルが発射された!」
「もう一発だ!」
それは、米ソ冷戦時代の象徴でもあった――弾道ミサイル。一度放たれれば宇宙空間を通過し、大気圏を越えて再び母なる大地へと突入し来る、人類の科学力の結晶。だが、込められた思いは平和
ではない。破壊と殺戮、ただその一点のみに集中した一種の"怪物"。それが二発、同時に今まさに大空に向けて打ち上げられてしまった。
「デルタ1、上空に二発のミサイルだ! オーバー!」
「了解、ブラボー6。衛星で追跡中――貴隊は発射施設へ突入し、管制室を制圧してくれ。こちらはこれより、ロシア側から自爆コードの入手を試みる、アウト」
もはや、一刻の躊躇もない。あれを止めるには、目の前に立ち塞がる発射施設に突っ込まねばならない。
物語は今、終着駅へ向けて加速する。
最終更新:2010年10月30日 14:56