一方、高度四万フィート。
さすがにこの高度になると、雲はあまり見当たらなかった。そこに広がるのは、無限大の群青の世界。
普段ならあらゆる者を魅了するほどの蒼一色の大空だったが、F-16Cのパイロットであるウィンドホバーには、あいにく空を眺める余裕は
一切なかった。
ラダーを交互に踏んで機首を左右に振り、機体にわざと不安定な機動をさせ、相手の狙いを逸らす。ジンキングという空戦機動の一種だが
その動きは切れが悪く、いかにも無理をしているようだった。
――この高度ではキツイな。
腰を捻るようにして振り返り、後方の女騎士――シグナムの動向を注意深く観察しながら、ウィンドホバーは彼女が高度を上げた理由を理
解した。F-16Cのような単発機は双発機に比べて身軽かつ整備性が高いが、それゆえに空気の薄い高高度での機動性はどうしても落ちてしま
う。一方、騎士甲冑で気密性が確保されているシグナムは、基本的にどの高度であっても動きに変化はない。
『機体によっては苦手な高度と言うものがある。そこに追い込めばぐっと有利になるぞ、シグナム』
なるほど、メビウス1の言うとおりだ――。
ひたすら逃げ回るF-16Cの後姿から目を離さず、シグナムは思考を巡らせていた。愛剣レヴァンティンの柄を握り締め、構える。
フラフラと不安定な機動を繰り返すF-16Cに向かって、彼女はレヴァンティンを振り抜いた。シュトゥルムヴィンデ、刀身から打ち出され
た衝撃波が、ウィンドホバーに襲い掛かる。しかし、シグナムがレヴァンティンを振り抜く寸前、F-16Cは右に派手なロールを打って回避
に成功する。衝撃波は目視できないから、彼は彼女の動作から攻撃を読んだのだろう。
「さすがに一筋縄では勝てないか」
そうでなくては、と彼女は嬉しそうに笑みを浮かべ、F-16Cの進路を先読みして、正面に回りこむ。酸素不足にあえぐF-16Cはノタノタと鈍い
旋回をして、シグナムと正面から対決する羽目になってしまう。
「もらった!」
「何を!」
シグナムがもう一度シュトゥルムヴィンデを放とうとして、ウィンドホバーは咄嗟にミサイルの発射スイッチを押した。主翼の先端に搭載
されていたAIM-9が即座に飛び出す。ロックオンは不完全だったが、いきなりミサイルを発射されたことでシグナムは急上昇。この隙にウ
ィンドホバーは彼女を振り切る。
「フェイントか、やってくれる――」
「こっちも落とされたくないんでね」
不完全なロックオンの状態で発射されたため、目標を見失い迷子になったAIM-9をシュトゥルムヴィンデで叩き落し、シグナムはウィンド
ホバーに追撃を仕掛ける。
この距離なら、とシグナムはレヴァンティンをシュランゲフォルムに変更し、その変幻自在な長い蛇咬の刀身を振り回す。トリッキーな動
きで動きの鈍いF-16Cに纏わりつき、刃が機体をかすめる。
ええい――!
ウィンドホバーはエンジン・スロットルを叩き込んでアフターバーナー点火。どっと背中に軽い衝撃があって、F-16Cは加速していく。つ
でに操縦桿を右、左と交互かつランダムに倒し、機体をくるくると回転させる。
目には目を、トリッキーにはトリッキーを。軽量なため横転性能は優秀なF-16Cは、シュランゲフォルムの攻撃を回避する。
「やるな」
シグナムも腕を振るって、回転し続けるF-16Cにさらに攻撃。ウィンドホバーは強烈な横G、さらにグルグルと回転し続けることで催された
吐き気に耐えながら、シグナムから逃れる。
よし、射程外だ――!
シュランゲフォルムの長い刀身にも限界はある。アフターバーナーを点火し続けたことで速力を高めたウィンドホバーは、予想より早く射
程外に飛び出すことに成功した。
そして、ひとまずこの苦手な高度から離れるべく、操縦桿を捻り、引いた。F-16Cは主翼を翻し、ほとんど垂直に近い角度で急降下を開始
する。
「逃がさん!」
もちろんシグナムが黙って見過ごす訳がなかった。レヴァンティンをシュベルトフォルムに戻し、自身も急降下。強烈な風が彼女の長い髪
を揺らす。それに構うことなく、シグナムはレヴァンティンを構えて再び、逃げるF-16Cにシュトゥルムヴィンデを叩きつけようとして、
目をかっと見開いた。
――ここだ!
ウィンドホバーはすっと息を吸い込み、操縦桿を思い切り引く。がっと上から来た強烈なGと共に、F-16Cの機首が釣り上がり上昇。相対速
度が高いため、シグナムとの距離が一気に縮まっていく。
「!?」
表情を歪ませて、身をよじる。空に溶け込みやすい制空迷彩が施されたF-16Cの胴体が、彼女のすぐ側を通り過ぎていく。衝撃がシグナム
のしなやかな肢体に飛び掛り、たまらず彼女は防御魔法のパンツァー・ガイストを展開させる。
「どうだ、ビックリしたろ」
得意げな声で、突然の急上昇を行ったウィンドホバーはしかし、たっぷりと冷や汗をかいていた。成功するかどうかはほとんど運試しだっ
た。上昇時の上から来たGも、彼の身体から体力と気力を奪っていた。
長期戦は不利だな、とウィンドホバーは考えた。ちらっと燃料計に視線を送ると、もう時間はあまり残されていないことに気付く。
「イチかバチか、やってみるか……!」
振り返ると、体勢を立て直したシグナムも同じ高度に上がってきた。ウィンドホバーはラダーを踏み込み、機首を彼女に向ける。高度があ
る程度下がったおかげで、F-16Cの動きは先ほどとは打って変わって鋭いものになっていた。
エンジン・スロットルレバーを叩き込み、アフターバーナー点火。加速して来たF-16Cを、シグナムはレヴァンティンを構えて迎え撃つ。
とっくにミサイルの射程に入っているはずなのに撃って来ないのは、距離を詰めて必中に持ち込みたいからだろう。それも、相手が攻撃し
た直後、動きが止まった瞬間に。
「居合い斬りか――いい心意気だ」
彼女はレヴァンティンを鞘に収め、カートリッジ・ロード。それ相応の覚悟を持って来るなら、こちらもそれに答えるのが礼儀だ。
一方で、ウィンドホバーもシグナムをロックオン。ミサイルの発射スイッチに指をかけた。
「飛竜――」
「ウィンドホバー――」
一瞬の静寂が、二人には永遠に感じられた。まるで時が止まったかのように。互いに、ぎりぎりまで相手との距離を縮めようとしていた。
相手の呼吸音すら聞こえそうな中、先に動いたのはシグナムだった。一瞬遅れて、ウィンドホバーも指に力を込め、スイッチを押す。
「一閃!」
「フォックス2!」
シュランゲフォルムになり、さらに魔力を上乗せされたレヴァンティンの刀身と、AIM-9が交差する。
ウィンドホバーは操縦桿を捻り、機体をロールさせることで回避しようとして――わずかに間に合わず、主翼にレヴァンティンの刃が叩き
つけられた。実戦なら主翼は真っ二つにされているだろう。
シグナムは一瞬「勝った」と考え、その直後に飛び込んできたAIM-9を避け切れず、爆発。見た目だけの爆風を浴びて、撃墜判定が下され
た。
「――やられた!? いや、あっちもか」
「抜かった……」
後方を振り返り、安堵のため息を、ウィンドホバーは吐いた。対照的に、シグナムは目を閉じて己の失態を悔やんでいた。
エース、とは何か。
例えば、容赦ない攻撃で圧倒的な戦果を上げた者。例えば、ルールに縛られず戦況を読み効率的に動く者。例えば、最低限の行動で敵の戦闘
能力だけ奪っていく者。どれもが、エースと呼ぶに値するだろう。
だが、どのエースにも共通する事がある。すなわち、決して敵に屈しない、諦めない心。生き残ろうとする魂。
それだけあれば、充分だ。あとは経験を積んでいけば、人はエースになれる。少なくとも彼、メビウス1はそう考えていた。
「そうさ、だから――」
後方から迫る、多数の桜色の魔力弾。彼と対峙するエースが放ったものだ。
「だから、諦める訳にはいかない」
呟き、操縦桿を引く。愛機F-2は機首を上げ、上昇を開始するが、出力を調整するエンジン・スロットルレバーは動かさなかったため、速度が
落ちていく。蒼い迷彩が施された胴体に、魔力弾は急接近。
――今だ!
操縦桿を前に突く。途端にF-2は機首を下げ、強引な形で上昇を降下に切り替える。下方向から来たマイナスGがメビウス1の身体を締め上げ、
血液が頭に上っていく。同時に視界が赤く染まっていき、周囲が見え辛くなってきた。レッドアウトと呼ばれる現象だ。
全身に力を込めて、メビウス1はそれに耐える。見上げると、F-2の急激な機動について来れなかった魔力弾が飛び去っていくのが見えた。
よし、とメビウス1は安堵し、エンジン・スロットルレバーを押し込み、操縦桿を左手前に引いて高速左旋回。マイナスのGがプラスGに変わ
り、今度は視界が灰色になっていく。重力に逆らえない血液が足の方に流れていって、脳が貧血を起こしているのだ。
だが、それくらいしなければこの管理局のエース、高町なのはには勝てないだろう。
「……捉えた、レーダーロック」
酸欠にあえぐ脳を叱咤し、機首をなのはに向けるとレーダーが彼女をロックオンする。迷わず、メビウス1はミサイルの発射スイッチを押す。
「フォックス3」
主翼下に搭載されているAAM-4が一発、発射された。白い煙を吹きながら、AAM-4はなのはに向かって突撃を敢行する。
「撃ってきた……でも、正面からなら!」
負けじとなのはも相棒レイジングハートを構え、ディバインバスターのチャージ時間を短縮したショートバスターを放つ。桜色の閃光が空を
引き裂き、突っ込んできたAAM-4を飲み込み、爆発。巨大な爆風がメビウス1となのはの間に巻き起こる。
「――っと、この間に」
アクセル・フィンを動かし、なのはは後方に退避。その方向には少しばかり雲があった。偶然にも、彼女の白いバリアジャケットは雲に溶け
込む迷彩と同じ効果を発揮していた。こいつを利用しない手はあるまい。
でも、それだけだとレーダーに捉まっちゃうから――。
高速で飛行しながら、彼女は周囲に誘導射撃魔法、アクセルシューター用の魔力弾を浮かび上がらせ、ばら撒いた。そうして手近な雲に突っ
込み、あとはひたすら待ち伏せだ。
一方、なのはを追いかけていたメビウス1はレーダー上に突然現れた、多数の魔力反応に怪訝な表情を浮かべた。
「こいつは……ジャミング? 魔力弾をばら撒いて囮にしたのか」
なるほど、考えたなとメビウス1は感心した。戦闘機同士の空中戦でもフレア、チャフといったミサイルやレーダーを欺く囮弾が使用される
が、これはその魔導師バージョンと言ったところだ。
――だが、人間の目は誤魔化せない。
レーダーによれば、魔力反応は四つ。いずれも雲に隠れる形だ。このどれかが本物だろう。
緩やかに機体を上昇させながら、メビウス1は雲に近づく。一つ一つ、自分の目で見て確かめる――四つの雲の中の一つに、一瞬だったが栗
毛色の綺麗な髪が見えた。
「――いた、タリホー」
目標視認を意味する言葉を呟いて、メビウス1は操縦桿を捻る。F-2は主翼を翻し、降下で雲に迫る。同時にウエポン・システムを操作し、短
距離空対空ミサイルのAAM-3を選択する。AAM-3の弾頭がただちに、雲の中に隠れているなのはの影を捉えた。
「フォックス2……っ、まずい!」
ミサイルの発射スイッチに指をかけようとして、メビウス1は操縦桿を右に倒す。根拠があった訳ではないが、何か強烈に嫌な予感がした。
直後、雲を突き破ってディバインバスターの閃光が駆け抜けてきた。かろうじて、メビウス1のF-2はそれをロールで回避する。
「避けられた!?」
「戦場じゃ勘も大事だってことさ……ふぅ」
必中のタイミングを狙い放った砲撃魔法が外れたことになのはは驚き、メビウス1は口では余裕だが内心逃げ出したいほどの恐怖に駆られた。
位置がバレたなのはは雲を抜け出し、逃走を図る。その背中を、仕返しとばかりにメビウス1は追いかける。
この距離ならば、機関砲の方がよさそうだ。そう考えたメビウス1はウエポン・システムを操作して、今度はM61A1二〇ミリ機関砲を選択し、
なのはに照準を合わせる。
「ちょい右……ようし、いい子だ」
どちらも高速で飛行しているため、火器管制装置が割り出した着弾予想地点もブレが生じている。その隙を埋めるのが、パイロットの仕事だ。
操縦桿とラダーを巧みに操り、メビウス1はベストと思われるタイミングで、機関砲の引き金を短い間隔で数回引く。
「……っ撃たれてる、きゃ!?」
二〇ミリの赤い演習用魔力弾が、彼女の身体のすぐ傍をかすめ飛ぶ。それが二回、三回と連続して続く。当たらなかったのは照準にメビウス1
でも計りきれないわずかな誤差があったからだろう。それでも、なのはは身が震えるような恐怖を覚えた。
「撃たれっぱなしは、気分のいいものじゃないよね――!」
自身に確認するように言って、なのははすっと息を吸い込み、急上昇。上から叩きつけられたようなGがやって来て、たまらず彼女は咳き込み、
整った顔立ちに辛そうな表情を浮かべた。それでも耐えて、急上昇に伴う速度低下でメビウス1のF-2をやり過ごし、逆に彼の後方上位を奪う
ことに成功する。
「何……!?」
突然の彼女の急上昇にメビウス1は驚きつつ、その後に予想される攻撃を先読みして、ラダーを蹴飛ばし機体を横滑りさせた。案の定、上空か
ら降り注いできたのは桜色の魔力弾、ディバインシューター。回避機動が遅れていたら、今頃機体は魔力弾に蜂の巣にされていただろう。
一旦距離を持とう。そう考えたメビウス1はなのはの動向に注意しながら、エンジン・スロットルレバーを叩き込み、アフターバーナーを点火
する。F110エンジンが咆哮を上げ、F-2は一気に加速していく。
「引き離されちゃった……」
もう一撃仕掛けようとして、なのははレイジングハートを構えていたが、高速で逃げを打つF-2を目にして諦めた。ディバインバスターを叩き
込んでもチャージに時間がかかり、その隙にメビウス1は視認距離外に逃げてしまうだろう。闇雲に撃って当たるものでもない。
一方、距離をとってなのはから逃れたメビウス1は、残弾と燃料、後方にて本局の魔導師と交戦中の友軍の状況を確認し、そろそろ潮時である
ことを知った。一対一、それも間違いなくエースとの対決は戦闘機乗りとしての本能が騒ぐが、あまり時間をかけてもいられない。
「――聞こえるか、高町? そろそろ決着をつけたいんだが、どうだ?」
まるでゲームでもしないか、と友人に聞くような口調でメビウス1はなのはに問いかけた。わずかな逡巡の後、通信機に彼女から返答が来た。
「――そうですね。いいですよ、決着つけましょう」
なのはもまた、彼と同じような口調だった。同じエースの名を持つものとして、彼女にとってメビウス1との対決は、ひどく心が躍り、胸が高
鳴った。コンバット・ハイという奴だろうか。いずれにせよ、これが戦闘の訓練であることを忘れてしまいそうなほど、二人のエースは状況を
楽しんでいた。
メビウス1は反転し、なのはを正面に捉えると、レーダーロックオン。残り一発のAAM-4だったが、惜しむことなく発射スイッチを押した。
主翼下に搭載されていたAAM-4が放たれ、なのはに向かって直進。だが、メビウス1はこれではまだ足りないと考え、即座に残っているミサイ
ル、二発のAAM-3を選択し、ロックオン。これも躊躇せず発射スイッチを押した。
「フォックス3、フォックス2!」
主翼の先端に搭載されていたAAM-3が切り離され、すぐさまロケットモーターが点火。高速でAAM-4の後に続き、なのはに突っ込む。合計三発の
ミサイルが、一斉に彼女に飛び掛ってきた。
しかし、なのはは決して逃げ出さず、レイジングハートを構えてカートリッジをロード。
「ミサイルを全部撃ってきた……それなら、こっちも」
チャージを開始。その間にも、ミサイルの群れはまっすぐ、加速しながら突っ込んでくる。いずれも同じ方向から。だが、なのはにとっては好
都合だった。
「ディバイン……バスター!!」
得意の砲撃魔法を、ほとんど最大出力でぶっ放す。その巨大な桜色の閃光に、AAM-3とAAM-4はどちらも飲み込まれ、爆発する。
「やった――っ!?」
ところが、その爆風を突き破って、メビウス1のF-2が現れた。初めから彼はミサイルなどアテにしてなかった。迎撃されるのは百も承知、な
らば爆発に紛れて、距離を詰めて機関砲を叩き込む手筈だった。
「戦闘機の武装はミサイルだけじゃないんだよ、高町!」
ディバインバスターを放った直後で、なのはは身動きが取れない。突撃を敢行してくるF-2を見て、彼女は息を呑み――彼自身が六課に伝えた、
対戦闘機戦の戦術の中の一文を思い出した。
『ビビるな、とは言わない。ビビった後に諦めるか、戦うか。それがエースか否かの分かれ道さ。分かるだろ、高町?』
そっか、そうだよね――。
闘志を胸に秘めて、彼女は急接近してきたF-2に向けて、レイジングハートを構える。砲撃魔法は間に合わない、もっと単純な、誘導機能もな
い単純な魔力弾の乱射の方がいい。
「シュート……ッ!」
「ガンアタック、当たれよ――!」
メビウス1が機関砲の引き金を引いたのと、なのはがレイジングハートから魔力弾を放ったのは、ほぼ同時だった。
赤色と桜色の魔力弾が多数、交差する。互いにその中を突き進む。
全ては、エースの名を賭けて。
双方が感じたのは、衝撃。被弾したのは、間違いなさそうだった。直後、二人はすれ違う。ほんの一瞬だったが、目が合った――そんな気がし
た。
「――っぷはぁ。ゴーストアイ、結果は!?」
「――ふぅ。ロングアーチ、結果を教えて!」
互いに一息ついて、双方の司令部に結果を問う。回答が来るまでに要した時間はごくわずかだったが、どちらもひどく長いように感じた。
「こちらゴーストアイ……メビウス1、キル」
「ロングアーチよりスターズ1……撃墜判定や」
メビウス1、撃墜。なのはも撃墜。要するに引き分けだった。
「……避け切れなかった、か」
「……先に当てていたら、結果は違ったかな」
撃墜判定を食らった二人はとりあえず安堵のため息を吐いて、同じような口調で呟いた。
「メビウス1、撃墜されました。機動六課、スターズ1も撃墜」
祈るような気持ちで、作戦司令室の大型モニターを眺めていたレジアスと本局の幕僚たちは大きなため息を吐いた。
機動六課と戦闘機隊のエースたちの対決は、一勝一敗二引き分け。生き残ったのは戦闘機隊はスカイキッド、六課はヴィータのみ。はるか後方
で戦闘を続けていた本局の魔導師と戦闘機隊も、互いに消耗し尽くしてほぼ全滅してしまっていた。
「これは……勝ったと言えるのか?」
苦々しい表情を浮かべ、レジアスは自問する。確かに、倍以上の魔導師を序盤は圧倒し、最終的に全滅させたのは素晴らしい、望みどおりの結
果だ。だが、投入した戦闘機隊はスカイキッドを除き全滅である。それが、レジアスが今回の演習をはっきりと勝利と言えない理由だった。
「……失礼、レジアス中将」
その時、唐突に本局の幕僚たちのうち一人が、声をかけてきた。安心したような疲れたような、どちらとも取れる表情はこの演習の結果のせい
だろう。一応敗北は免れたが、味方はボロボロだったのだから。
「どうでしょう、演習の結果ですが、ここは引き分けと行きませんか? 確かに戦闘機は質量兵器に近いが、それでも倍以上の魔導師と互角に
やり合う能力は、目を見張るものがあります。協力すれば、陳述会の警備はより万全になるかと……」
幕僚がそう言うと、レジアスは顎に手をやって思考を巡らせた。
確かに――今回の戦闘で、魔導師も戦術次第で戦闘機と渡り合えることは分かった。それと戦闘機が協力して戦えば、もう何者にも負けること
はあるまい。
何より、この幕僚は"協力"と言った。今まで地上本部を見下すばかりだった本局が、ここに来て対等な関係を築こうと言い寄ってきたのだ。
それでいいではないか、と言う思考が彼の脳裏に生まれてきた。そもそも自分の任務は、地上を守ることだ。無意味な内部対立に力を入れる必
要など、一切ないのである。
「……そうですな。ふむ、協力。悪くない言葉だ」
そういって、レジアスは声をかけてきた幕僚の手を取り、軽く握手をした。
「……そして、結局引き分け。陳述会上空の警備は合同ですか」
「そういうこと」
確認するようななのはの問いに頷きながら、メビウス1はよく冷えたビールを、さも美味そうに一口飲んだ。
演習終了後、戦闘機隊のパイロットたちはクラナガン市内の居酒屋で、"反省会"の名目で飲み会を開いていた。本当なら彼らだけで行う予定だ
ったのが、演習結果が引き分けなので彼らと互角の戦いを見せた機動六課を招いたのである。
「でも、なんでわざわざ、敵の私たちに戦術教えてくれたんですか?」
ずっと気になっていた。どうしてメビウス1は演習とはいえ敵である自分たちに、対戦闘機戦の戦術を教えてくれたのか。なのははそれが不思
議でならなかったのだ。
「あぁ、あれな。いいか、よく考えてみてくれ……」
ビールを飲むのをやめて、表情を真剣なものに切り替えたメビウス1は、身振り手振りも加えて理由を話し始めた。
「ここで地上本部が本局に圧勝したら、どうなったと思う?」
「どうって……陳述会の上空警備は、地上本部だけでやることになるんじゃないですか?」
「それはそうなんだが、重要なのはその先だ。今まで自分たちはエリートだと思っていた本局が、いきなりボロ負けしたら、プライドが傷つく
なんてもんじゃないだろう。自分たちは本当にエリートなのかって、疑念に駆られてもおかしくない。地上本部は地上本部で、勝ったことで調
子に乗り出す。早い話、将来的に立場が逆転するんだよ」
「立場が逆転……地上本部が、本局を見下すようになる、と?」
「その通り。問題が形を変えるだけで、結局解決にならないんだ……杞憂といえば、それまでだが。だから本局寄りの六課に戦術を教えて、バ
ランスを調整しようと思ったんだ。どうにか、上手くいってくれたみたいだな」
そこまで言って、メビウス1はまたビールを一口飲み、言葉を続けた。
「……くだらん縄張り争いや内部抗争は、元の世界であったからな。もう、そんなのは見たくない」
彼のそもそもの所属であるISAF空軍は、複数の国家からなる連合軍だった。兵士たちは国籍など関係なく、任務を果たし、生きて帰るために必
死に戦うが、各国の政治家たちはそうでもなかった。戦後、敗戦国のエルジアの領土をどの国がどのくらい頂くか、賠償金はいくらもらうか、
自国の利益のために動いていた。そのために、無用な犠牲や仲間割れが起きる現場を、メビウス1はその目で見てきたのである。
彼の話を聞いていたなのはは、正直驚いていた。一介のパイロットに過ぎない彼が、そこまで考え、そして行動していたなど。
「メビウスさん……」
「これで対立が少しは減る、と俺は思ってる。人は分かり合えるのさ――見ろ、ヴィータとアヴァランチを。さっきからカードゲームやってる」
「え」
メビウス1が指指した方向を見ると、確かに居酒屋のテーブルの上で、ヴィータとアヴァランチが
「あたしのターン、ドロー!」
「トラップカード発動!」
「ここであたしはオベリスクを生贄にして――ブルーアイズ・ホワイトドラゴンを召喚する!」
「か、神を生贄にぃ!?」
とオーバーなリアクションを混ぜて、カードゲームをやっていた。なんだか凄く楽しそうだ。
「にゃ、にゃははは……あれは、まあ、うん、確かに、分かり合った……かな? でも、勝手に戦術なんか教えて、レジアス中将に怒られませ
ん?」
「もう怒られたよ。けど、魔導師たちも食われるばかりじゃないって。それを見越して戦術を教えたんですって言ったら、納得してくれた」
「はぁ……それはそれは」
よかったですね、と付け加えて、注文したオレンジジュースをなのはは飲んだ。以前アルコールを飲んで散々な目にあったことから得た教訓だ。
「とにかく――今日は楽しかったぜ、久々に熱い空戦だった」
「こちらこそ」
メビウス1は減ったビールを継ぎ足し、なのはに今日の健闘を称えて、グラスを掲げた。なのはも笑みを浮かべ、彼と同じようにグラスを掲げる。
『乾杯』
エースたちが交流するのに、言葉は要らない。思い切り戦って、地上に帰ってからお互いの健闘を称えれば、それで充分だ。
人は、信じ合える。分かり合えるのだから。
最終更新:2009年02月21日 16:43