――誰かが言っていた。エースとは、三つの種類があると。
強さを求める奴。
プライドに生きる奴。
戦況を読める奴。
方向性は様々だが、どれもエースであることには違いない。
だから――全てのエースに言えることだ。
エースとはすなわち、戦闘と言う分野において高い能力を発揮する者である。
エースとはすなわち、破壊と殺戮に特化した者である。
エースとはすなわち、人殺しである。
ACE COMBAT04 THE OPERATION LYRICAL
第28話 Mobius1
――そこには終わりもなく、始まりもなく、無限は円環へと昇華される。
停止されたはずのメガリス、そのメインコンピューターが再起動へのカウントダウンを始めた。
「何故だ!? 曹長、停止命令は――」
「確実に送りました。でも……別の、もっと優先権の高い回路から命令が来てるんです!」
疑う訳ではなかったが、ベルツはメガリスを停止させた張本人であるリインフォースを問い詰めた。もちろん、彼女がミスをするはずはない。メガリスの停止は確かに一度、上空のゴーストアイまでもが確認している。
となれば、彼女の言うとおり、リインフォースが停止命令を送った回線とは別のものから、再起動への命令が送られていることになる。
サブコントロールルームのディスプレイに、メガリス再起動へのカウントダウンが表示された。残り時間は五分。どうにかして止めなくては、また隕石が降り注ぐ。
しかしどうやって? 試しにベルツは拳銃を引き抜き、サブコントロールルームのメインサーバーと思しき器材にマガジン一個分の銃弾を叩き込んでみた。もちろんカウントダウンが止まる様子はなかった。
「あ……っ」
くそ、とベルツが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていると、先ほどからコンソールを叩いていたティアナが何かに気付き、声を上げた。
「何か分かったか、ランスター?」
「再起動の命令を送ってる回線を辿ってみました……発信源は、上空!?」
彼女の言葉で、サブコントロールルームにいる全員が首を上げ、天井の向こうに存在するであろう発信源を思い浮かべる。
上で何が起こっているかは分からない。通信回線を開いてもかろうじて味方の混乱した様子の声が雑音混じりに聞こえるだけだ。
とりあえず、ゴーストアイにメガリスが再起動へのカウントダウンを開始したとの報告を入れたが、受信したかどうかはこれも分からない。
ただ一度だけ、何を言っているのかはさっぱりだったが、落ち着き払った、しかしどこか強い怒りを持った声が聞こえた。ティアナだけは、その声の主が誰なのか理解出来た。
何が起きているのかはさっぱり分からない。もはや今の自分たちに出来るのは祈ることくらい。
だから彼女は、上空にいるであろう一人のエースに向かって呟く。
「頼みます、リボン付き――幸運を、メビウス1」
「ダメだ、メガリスが再起動へのカウントダウンを開始! メビウス1、交戦続行!」
ティアナたちの送ったメガリス再起動の報告は、幸いにもゴーストアイに届いていた。
だが、ゴーストアイの言葉が彼――メビウス1の耳に入ったかどうか。
仲間が、皆が、なのはが落とされた。その事実が、彼の胸のうちに圧し掛かり、そして理性を吹き飛ばす。
愛機F-22のキャノピーの向こうでは、真っ赤に彩られた見たこともない新型機を駆る無限の欲望――スカリエッティが、さも楽しそうに笑っていた。
「素晴らしい、この威力――あれだけ恐れられた管理局の白い悪魔を、いとも簡単に落とすとは。これさえあれば世界制覇も夢ではない、そう思わないかリボン付き?」
黙れ、黙れ、黙れ。狂人が何を言う、この大量虐殺者め。
湧き上がる黒い感情は、怒り。それが、今のメビウス1の原動力だった。
「メビウス1、聞こえているか!? 状況分析を開始する、それまで持ちこたえろ!」
持ちこたえろ? 冗談を言うな――力任せにエンジン・スロットルレバーを叩き込み、アフターバーナー点火。彼の精神に同調するかのように、F-22のF119エンジンは咆哮を上げてどっと機体を加速させる。
「奴が持ちこたえられるかどうか……メビウス1、交戦!」
奴を、スカリエッティを撃墜する。それが最後の任務だ。
急加速するメビウス1のF-22はスカリエッティの機体に正面から立ち向かう。弾薬は残り少ないが問題ない、最速で撃墜する。
ウエポン・システムに手を伸ばし、指を素早く踊らせて使用する兵装、短距離空対空ミサイルのAIM-9サイドワインダーを選択。AIM-9の弾頭はただちにスカリエッティ機を捉える。
躊躇せずミサイルの発射スイッチを押そうとして、メビウス1はスカリエッティの機体に何か動きがあるのを目にした。
まずい。根拠がはっきりあった訳ではないが、エースとしての"カン"がメビウス1に危険を知らせる。
ラダーペダルを蹴飛ばし、機体を横滑りさせる。直後、F-22の右主翼をかすめ飛ぶのは、赤い閃光。なのはを撃墜した、おそらくはレーザーだろう。閃光が見えてからでは回避は間に合うまい。となれば、常に動き回って照準をかわし続けるか、単純に後ろを取るか。
ぎりぎりのところでレーザーを回避したF-22はスカリエッティ機と交差する。迷うことなく、メビウス1は振り返ってスカリエッティ機を眼で捉えると、操縦桿を引いて思い切り急旋回。たちまち強いGが彼の身体を押し潰さんとばかりに圧し掛かってきたが、胸のうちの怒りはそれすら耐え抜く。高速で旋回したF-22は、再びスカリエッティ機を正面、今度は後ろを取る形で捉えた。
「おや、降ってきたね」
後ろを取られたと言うのに、通信機に入ってくるスカリエッティの声はまだまだ余裕だった。日常生活でありふれた光景を見たかのように、降り始めた雪のことを口にしている。
すぐに黙らせてやる、とメビウス1はF-22を加速させ、スカリエッティ機に急接近。AIM-9の弾頭が再び奴の機体のエンジンから発せられる赤外線を捉えようとして――突如、赤い翼が翻り、スカリエッティ機は左に急激なロール。ミサイルのロックオン可能範囲から逃れようとする。
逃がすかよ――メビウス1はスカリエッティよりも速く、ラダーペダルを蹴ってF-22の機首を強引に左に向けた。スカリエッティ機はメビウス1のF-22の前に、自ら躍り出る形になってしまう。
見たこともない新型機になのはすら一撃で落とすレーザー、確かに脅威だが操縦するパイロットは所詮素人同然。メビウス1にとっては押しやすい相手のはずだった。
「不死身のエースとは、長く戦場にいた者の過信だ――君のことだよ、リボン付き」
だが、現実は違った。スカリエッティ機はF-22の前に躍り出た直後、機首を上げて急減速、赤い機体がF-22に飛び掛る。
「!」
たまらず、メビウス1は操縦桿を右に倒し、ラダーペダルを踏み込む。F-22は主翼を翻して右へと回避機動。キャノピーのすぐ外で、赤い機体が後ろに飛び去っていくのが見えた。
空中衝突は避けられた――だが、結果としてメビウス1はスカリエッティに後ろを取られてしまった。とても素人の機動とは思えない。
胸のうちで呪詛の言葉を吐き捨て、メビウス1はラダーペダルを交互に、そしてランダムに踏む。F-22の機首を左右に不定期に振って、少しでも狙われにくくするのだ。
がくがくと身体を左右に揺らされながら、メビウス1は後ろを振り返る――赤い閃光が、スカリエッティ機の機首で瞬いていた。
息を呑み、彼は衝撃に備える。レーザーの赤い光がF-22の右主翼の真下を飛び抜けていったのは、その数瞬後のことだ。
「くそ……」
自惚れるつもりはないが、数々の激戦を戦い抜いてきた自分が、こうも好き放題にされるとは、メビウス1にとってまったく予想外のことだった。機体の性能差を差し引いても、何故戦闘機に乗るのは今回が初めてであろうスカリエッティに、後れを取るのか理解できない。
「君の世界の技術には、ときどき驚かされるよ」
悔しさともどかしさを噛み締めながら回避機動を続けるメビウス1の耳に、スカリエッティの声が入ってきた。
「無人機のZ.O.Eシステム、隕石を落とすメガリス、そしてこのファルケン。まったく人と言うのは、人殺しの道具が大好きらしい。ゼネラル・リソースとか言ったかな――戦闘機と人間の脳神経を接続するこの技術など、実に斬新で画期的だ。素人同然の私さえもが君と互角に戦える」
要するに、彼は操縦桿を握って操縦しているのではない。神経と戦闘機のセンサーを直接接続し、自分の身体を動かすのと同じ感覚で操縦しているのだ。だからここまで動けるのだ。
ええい――メビウス1はスカリエッティの機体、ファルケンを睨み付けて、操縦桿を思い切り捻る。
機体性能にあぐらをかくような奴に、負ける訳には行かない。F-22は左主翼を下げると、強引な形でファルケンの真下に潜り込み、後ろを奪い返す。
この距離なら、とメビウス1はファルケンをロックオン。今度こそミサイルの発射スイッチを押し込む。
「フォックス2!」
主翼下ウエポン・ベイが開き、中からAIM-9が飛び出す。ロケットモーターを点火したAIM-9は魔力推進の証である白い光を描きながら、ファルケンに突撃する。
行け、とメビウス1は叫んでいた。この距離なら回避機動もフレアも間に合うまい。AIM-9はファルケンに直撃し、破片と爆風でその赤い胴体を引き裂くはずだった。
――否。どういう訳か、放たれたAIM-9は目標を目の前にして突然、進路をまったく別の方向へと変えた。そのまま迷子になったAIM-9は訳も分からず信管が作動し、爆発する。無論、距離が離れすぎてファルケンには何の損害も与えられなかった。
「な……どういうことだ!?」
目の前の信じられない光景に驚くメビウス1をよそに、ファルケンはアフターバーナー点火。狂気に犯された赤い怪鳥は天へと昇り、ある程度F-22と離れたところで失速反転、機首をメビウス1に向けてきた。
撃たれる――咄嗟にメビウス1は操縦桿を左に倒してラダーペダルを踏み込む。右主翼を垂直に立てて降下するF-22、その翼を掠めるのは赤い閃光。上空からレーザーで狙い撃ちされているに違いなかった。
当たれば致命傷は免れない。逃げ出したい恐怖が腹の底から湧いてきて、しかしメビウス1は操縦桿を手放さない。
上空からは何度も何度も赤い閃光が降り注ぐ。それらが着弾する寸前、メビウス1のF-22は右へ左へと機首を振り、主翼を翻し、必死に回避を続ける。
低空へと下りたため、キャノピーのすぐ外には氷山があった。回避したレーザーがそれらに当たり、氷を砕き、海面に大きな水しぶきを上げさせる。
「こちらゴーストアイ、第一分析が終了した!」
そんな時、ゴーストアイからの通信が入り込んできた。しかし"第一"と言うことは、全てが終わった訳ではない様子だ。あのミサイルが突然捻じ曲げられたことも、分かっていない。
「敵機から地上への信号を確認、奴がメガリス再起動の鍵を握っている!」
なるほど、通りで奴が現れてから――と言うことは、奴を落とせばメガリスの再起動も止まるのではないか? いや、きっとそうだろう。
ならばここで回避を続ける訳にはいかない。メビウス1は思い切って操縦桿を引き、F-22を上昇、反転させてファルケンへと立ち向かう。
「む、レーザーのエネルギーが尽きてしまった……さすがだね、リボン付き」
そりゃどうも、とメビウス1は投げやりに胸のうちでスカリエッティに言葉を返す。ひとまず、厄介なレーザーが無くなったのは好都合だ。
急上昇、F-22はファルケンと同高度へ。もう一度仕切り直しだ。
先ほどミサイルを捻じ曲げられたのは気にかかるが、だからと言って攻撃の手を緩める訳には行かない。メビウス1は使用する兵装を機関砲に切り替えて、ファルケンに再び立ち向かう。
レーザーが無いなら、真正面から近付ける。そう考えたメビウス1はあえてファルケンの正面に回りこみ、アフターバーナー点火。ファルケンも加速し、双方の距離は一気に縮まっていく。
その瞬間、コクピット内に鳴り響くのはロックオン警報。やはり正面から近付くのはリスクが大きい。
だが、それ相応の成果も得られるはずだ――。
耳障りなロックオン警報は、正面に捉えたファルケンの主翼下から白煙が吹き出すのと同時に死神の笑い声――ミサイル警報へと切り替わる。それこそが、メビウス1の狙いだった。
正面から突っ込んできたミサイルをぎりぎりまで引きつけ、メビウス1はここぞと言うタイミングでフレアの放出ボタンを叩く。そして操縦桿を捻り、F-22をぐるりと一回転させた。
放たれたフレアはF-22のエンジンのそれより強烈な赤外線を放ち、ミサイルを誘い込む。回避成功、スカリエッティの放ったミサイルはF-22を素通りし、フレアへと突き進む。
そしてミサイルが飛んできた方向の向こうにいるのは、発射直後で無防備な状態のファルケン。メビウス1の狙いはこれだった。あとは逃げられる前に急接近し、機関砲を叩き込む。
「もらった……!」
照準が、ファルケンの鋭角的な機体に重なる。メビウス1が引き金に指をかけた――その瞬間、フレアに食いついたミサイルが爆発した。
ただの爆発なら、何の意味も無かっただろう。だが、生み出された爆風と衝撃は、通常のミサイルとは桁違いだった。
コクピット正面上位に設置していたバックミラーに巨大な白い閃光が映った時は、もう遅かった。背中を思い切り蹴飛ばされたような感覚がして、機首の向き斜めにされてF-22は数十メートル上へと跳ね飛ばされてしまった。
訳も分からずメビウス1は操縦桿を抑え、機体の制御に全力を尽くす。機体の電子制御も必死に安定を保とうとして、かろうじてF-22は失速することなく水平飛行へと移った。
「――くそ、なんだいったい!?」
「散弾ミサイル、とでも言うべきかな。大した威力だ、並みの機動では避けられんよ」
マスクから送られてくる酸素を貪るように吸うメビウス1の問いに、スカリエッティが答えた。彼のファルケンはメビウス1が必死に安定性を取り戻そうともがいている間に悠々と旋回、再びF-22の上空後方に位置して、その牙を向けようとしていた。
「ここからはメガリスがよく見えるね。なぁリボン付き」
しかし、スカリエッティはすぐには撃たなかった。何をするかと思えば突然、メビウス1に対して言葉を投げかけだした。
「あれこそ争い好き人そのものじゃあないか。君の世界の人々は散々隕石で苦しめられたのに、ただ敵に勝つためにこの隕石を落とす要塞を作った。愚かとしか言いようが無い」
「――御託並べる余裕があるのかよ」
眼下のメガリスにちらっと視線を送りながらも、メビウス1は操縦桿を引いてF-22を上昇させる。一刻も早く、ファルケンの射程から逃れなければ。
だが、ファルケンはF-22を追おうとしなかった。空戦の真っ最中だと言うのに、スカリエッティは言葉を発し続ける。
「この世界もそうさ。戦闘機人、戦闘機、ゆりかご、戦争の道具がいっぱいだ。デバイスひとつ取ったって、目的は戦いのため――」
「……お喋りが過ぎる!」
スカリエッティの言葉を無視する形で、メビウス1のF-22は上昇から旋回、緩やかに降下しながらファルケンの真上に到達し、機関砲を放つ。
赤い二〇ミリの曳光弾はしかし、ファルケンの赤い胴体を叩くことなく、その軌道を見えない何かによって捻じ曲げられていく。
くそ、とメビウス1は酸素マスクの中で言葉を吐き捨てた。原理はさっぱり分からないが、あの機体には普通の攻撃は通用しないらしい。
どうすればいいか彼が悩む最中、やはりスカリエッティは黙らなかった。そして、彼の次の言葉が、メビウス1の心に深く響いた。
「君だってそうだ、リボン付き。元の世界で散々人を殺して、しかし周りは君を"エース"と褒め称える……人を殺して褒められるとは世も末だねぇ」
「……っ違う、俺は!」
「何が違う、どう違う!? 戦争だから? 任務だから? 理由は様々だろうけどね、君が人を殺したと言う事実は決して消えないのだよ。君の両手はもう血で真っ赤だ」
スカリエッティに言われて、メビウス1は思わず自身の手を見た。飛行手袋で覆われた手、しかしこの手はユージア大陸でいくつものエルジア軍兵士の命を奪っている。
別に、ISAFと言う組織のために戦っていた訳ではない。ただ、そうすることでより多くの味方が生き残れるから、戦ってきた。そして、エースと呼ばれるほどになった。
だが、スカリエッティの言うとおりだ。いかなる理由があろうと、人を殺したと言う事実がこの手から消えることは無い。
そう思うと、急に自分が今何のために戦っているのか分からなくなってきた。戦争と言う狂気ゆえに許された殺戮行為。敵機を撃墜してガッツポーズを取る過去の自分。敵機からパイロットの脱出が確認できていないことなど、知る由も無い。
「君こそまさに、メガリスと並ぶ争いが大好きな人間そのものだ。エースと聞こえはいいが、その実態は――」
「――やめろ。違う、俺は」
そこから先は、聞きたくない。封印していた罪の意識が、開かれてしまう。見なかった、否、見たくなかったものを、見てしまう。
だが、スカリエッティは言葉を続けた。
「その実態は、ただの大量虐殺者だ。私は君も含めて、争いが大好きな人間に、自分たちがいかに愚かか教え、救おうと言うのだよ。認めたまえ、"人殺し"!」
いつの間にか後ろへと回り込んでいたスカリエッティのファルケンから、ミサイルが放たれる。先ほどと同じ、散弾ミサイルだ。
白煙を噴きながら迫るそれが、メビウス1には今まで自分が殺めてきたエルジア軍兵士の怨念のように見えた。
「っく……」
ミサイル警報までもが、怨念のように思えてきた。
生きたかったのに。家族に会いたかったのに。どうしてくれる。何故殺した。
幻聴のはずだ。ミサイル警報は甲高い高音、恨みの言葉など発しない。だと言うのに、メビウス1は身体中を誰かに掴まれ、よく動けないような気がした。
メビウス1は振り返る――散弾ミサイルは、もうすぐそこまでやって来ていた。
どうしようもない恐怖が、彼の思考を支配する。ただ逃げたくて、メビウス1はアフターバーナーを点火させた。F-22は急加速、散弾ミサイルの魔の手から逃れようとする。
次の瞬間巻き起こったのは爆発、衝撃。散弾ミサイルが起爆した。
爆風と衝撃が容赦なくメビウス1のF-22に叩きつけられる。衝撃はコクピット内にまで達し、メビウス1は頭を計器に強く打ってしまった。
視界が闇に閉ざされていく感覚。必死にもがいてみたが、誰かに両手両足を掴まれて、彼の意識は深い奈落へと落ちていった。
――結局、俺は人殺しに過ぎないと言うことか。エースと呼ばれたところで、奴の言うとおり人を殺した事実は消えない。
深い闇の中で、メビウス1はため息をひとつ吐いた。
――本来なら許される行為じゃない。俺は、とっくの昔に死刑になってもおかしくないはずなんだ。それだけの数を殺した。それだけの命を奪った。
もはや、今の自分は戦えない。スカリエッティを止める資格など無い。自分も奴と同じ、大量虐殺者。そんな人間に世界の行く末をどうして任せられようか。
ふと視線を下に下げてみると、何本もの血塗れた腕や焼け焦げた腕が、こちらに向かって伸びてきていた。おそらくは、過去に自分がユージア大陸で殺めたエルジア軍兵士のものだろう。
いいだろう、と彼は眼を閉じ、腕がこちらに迫ってくるのを待つことにした。こちらが呪われることで奴らの気が少しでも晴れるなら、遠慮はいらない。
しかし、誰かに突然肩を掴まれ、上へと引っ張り上げられた。視線を今度は上に上げると、眩い青空が見えた。誰かが、自分をあそこに連れて行こうとしているのだ。
「らしくないな、メビウス1。君が弱気になるなんて」
自分を引っ張っている誰かだろうか、いきなり聞き覚えのある声が耳に入った。
――中将、そりゃ弱気にもなります。俺が今までやってきた行為は人殺しだったんだ。
「確かに、君は元の世界でいくつもの命を奪った。その事実は変わらん。私が地上を守るためとは言え、奴に協力していたように」
引っ張る誰かの腕が変わる。同時に、声も変わった。これももちろん、聞き覚えはあった。
「だがな、リボン付き。そうしてお前に守られた命だって、大量にある」
――13。だが、俺はお前の部下や仲間を……。
「上がってからのことは恨みっこ無しだ。飛ぶ前にやられるのは腹が立つがな」
声の主は笑って、そう答えた。根っからの戦闘機乗りらしい意見だった。
声はまた変わる。今度は男のものではなかった。
「殺すために戦ってきた訳じゃないですよね? 仲間を守るために戦ってきたなら、責められることは本来無いはずですよ」
――なのは、か。確かにその通り、その通りなんだが……。
「なら、いいじゃないですか」
「君がここで諦めたら、私が死ぬ気で守った地上はどうなるのだ」
「俺の教え子たちも巻き込まれる。今の奴なら、我が子同然の相手であっても躊躇しないだろうな」
「皆さんこう言ってますし――だから、諦めないで。諦めないことが、エースか否かの分かれ道。そうでしょ?」
「そう、だな……」
ぼやけているが、視界が徐々に元に戻ってきた。
首を振ってぼんやりする思考を叩き直し、メビウス1は愛機の状況を確認する。
散弾ミサイルによってダメージはあったが、撃墜されるほどではなかったらしい。パイロットが気を失っている間、電子制御が必死に機体の安定性を保持してくれていた。
「そうか――お前も、まだ諦めるつもりは無いんだな」
F-22の計器を優しく叩き、彼は操縦桿とエンジン・スロットルレバーを握り直す。
機体の状況は決してよくない。ミサイルが格納されているウエポン・ベイは散弾ミサイルのおかげで開かなくなっている。せっかく残り一発だが存在するAIM-9が使えないのだ。残っているのは機関砲弾一一〇発、使えるのはこれだけだ。
やれるか? とメビウス1は自分自身に問いかける。相手はファルケン、得体の知れない新装備を装備し、パイロットであるスカリエッティは機体と神経を直接接続することでベテランパイロットと同等の動きを見せる。
だが、メビウス1は胸のうちで断言する。やれる、と。それが何だと言うのだ。戦闘機の性能とは、パイロットの技量も含めて言うものだ。
レーダー画面に眼をやると、ファルケンが正面、はるかに高い高度にいることが分かった。完全に勝ったつもりでいるらしい。
――いいだろう、教育してやる。
エンジン・スロットルレバーを叩き込み、アフターバーナー点火。F119エンジンから赤いジェットの炎が上がり、F-22は猛然と天へ向かって加速していく。
「……ほう、上がってくるとは。まだやるかね?」
通信に入ってきたスカリエッティの声は、少しだけ意外そうだった。
メビウス1は酸素マスクを付け直し、不敵な笑みを浮かべて答える。
「何度だってやってやるさ……」
例え死神と呼ばれようと、悪魔と罵られようと、鬼神と恐れられようと、凶星と蔑まれても。人殺しと言われても。
はるか後ろには、何千何万もの命がある。それを守るためなら、なんと呼ばれても構うものか。
人殺しだろうがなんだろうが、命をかけて守り抜いたものに、偽りなど何一つ無い。
「こちらゴーストアイ、聞け、メビウス1!」
そんな時、まるで彼の背中を後押しするように、ゴーストアイと後方の"アースラ"にいるはやてからの通信が入り込んできた。どうやら、敵機の分析が終わったらしい。
「ロングアーチとの敵機合同解析が終了した、通信を中継する!」
「――こちらロングアーチ、はやて。メビウスさん、聞こえます!?」
「おう、なんだ」
緊迫した様子のゴーストアイとはやてに対し、メビウス1は気楽な返事。任務中にどうかと思うが、余裕があるのは大事なことだ。
「あの機体……スカリエッティの乗ってる戦闘機は、ADF-01ファルケンって言うようです。この機体は、ECM防御システムが搭載されてる――機体の周囲に強力な電磁波を纏って、ミサイルも機関砲も捻じ曲げてしまうんや。もちろん魔力弾さえも……」
「通りでミサイルも機関砲もダメな訳だ。対抗策は?」
「唯一の弱点は前方のエアインテークのみです。そこを狙えば……」
はやてに言われて、メビウス1はファルケンの機体構造を注視する。エアインテークはその名の通り空気の取り入れ口だ。おそらく、ここにまで電磁波を展開するとエンジンの機能に支障が出るのだろう。ゆえに、エアインテークだけは無防備だ。
しかし現実問題として、エアインテークのみを狙うことなど可能なのだろうか。しかも攻撃は正面からになる。敵の火力が最も集中する場所に、自ら突っ込んで敵弾を回避しつつ、針の穴を通すような射撃でインテークを狙う――いいや、出来る。なんと言っても、彼はエースパイロットなのだ。
「今そこで奴を撃てるのはあなただけや」
「正面角度から攻撃を行い、ファルケンを撃墜せよ」
「頼みます、ラーズグリーズ……」
「リボン付き……いや、メビウス1」
『幸運を祈る!』
声を揃えて、はやてとゴーストアイが言った。彼女と彼に出来るのは、ここまでだ。
いいだろう、やってやるさ――操縦桿を握りなおし、メビウス1はファルケンを睨む。
「貴様を撃墜する。それが俺の……"メビウス1"の任務だ!」
「よかろう――やってみたまえ!」
響き渡るのは轟音。F-22もファルケンも、ほぼ同時にアフターバーナーを点火したのだ。
狂気に満ちた赤い怪鳥に跨るのは無限の欲望。
迎え撃つのは、鋼鉄の猛禽類を駆るリボン付きの死神。
正真正銘のラストダンスが、今始まった。
不思議な高揚感があった。真正面からの一騎打ち、まるで中世の騎馬に乗った槍騎士のような戦い。
ファルケンは旋回し、真正面からメビウス1のF-22に立ち向かってくる。スカリエッティはここに来て、逃げ回ってメガリス再起動まで時間を稼ぐつもりは無いらしい。
「私は軍人ではないからね――いいじゃないか、正面からの一騎打ち」
通信機に入ってきた彼の声は、状況を存分に楽しんでいるかのようだ。例えその果てにあるのが世界の終わりだったとしても構わない。それこそが彼の望みであり、彼の言う人間への"救い"なのだから。
もちろん、メビウス1はそんなものは許さない。突っ込んでくるファルケンに向かって、彼はアフターバーナーを点火させた。
機関砲弾は一一〇発、毎分六〇〇〇発の連射力を誇るF-22のM61A2機関砲では、わずか一秒引き金を引くだけで弾切れになる。要するに、チャンスはほぼ一度だけだ。失敗すれば後は無い。
どちらも速度を上げながらのため、F-22とファルケンは急接近。ファルケンの方はレーザーも散弾ミサイルも撃ち尽くしたが、まだ通常の短距離空対空ミサイル、そして機関砲がある。注意しなければなるまい。
キャノピーの向こうに映るファルケンは最初は点のような大きさだったが、数秒後にはミサイルと機関砲を撃ち散らしながら迫ってきた。
メビウス1はフレアの放出ボタンを叩き、操縦桿を捻る。ありったけのフレアを放出しながら、彼のF-22はミサイルを、機関砲弾の雨を掻い潜って行く。
――くそ、ダメだ!
照準が合わず、メビウス1は引き金に指をかけたまま、ファルケンとすれ違う。もう一度、旋回して正面から挑まなければ。
また、あの敵弾の中に飛び込むのか――心のどこかで、恐怖に震える自分がもう嫌だと言わんばかりに嘆いていた。
だが、ここで引く訳には行かない。諦める訳には行かない。
自分自身を奮い立たせて、メビウス1は操縦桿を引いて旋回、ファルケンと再び正面から対峙する。
――さっきは回避機動が大きすぎた。最小限の機動で敵弾を回避し、その上で機関砲を叩き込もう。
フレアの放出ボタンに手を伸ばし、メビウス1はアフターバーナーを点火したまま、F-22をファルケンに向かって突っ込ませる。
ロックオン警報が鳴り響くのと、ファルケンが視界に映ったのはほぼ同時だった。そして、続くのはミサイル警報。真正面、スカリエッティがミサイルを放ったに違いない。
こちらのエンジンから広がる赤外線を捉えたミサイルは、まっすぐ突っ込んでくる。フレア放出ボタンにかけた手に力を入れようとして、いや、とメビウス1は首を振る。
まだ早い、もっと引きつけろ――今!
放出ボタンを叩く。F-22から赤い炎の塊が放出され、ミサイルはF-22ではなくフレアに誘惑され、進路を逸らす。
喜ぶのはまだ早い。次は機関砲の雨が待っている。
ミサイルを避けて数瞬後、F-22の主翼を掠めるのは赤い曳光弾。何発かは主翼を叩き、機体全体に金属ハンマーで叩かれたような衝撃が走る。
「このくらい……!」
まだ大丈夫だ、飛べなくなる程じゃない。メビウス1は被弾の影響で不安定になった機体を必死にコントロールしながら、あくまでも正面を睨む。
敵機、真正面。ファルケンの赤い胴体がはっきりと見えるほどの距離。
ここに来て、メビウス1は空中衝突の恐怖を覚えた。ぶつかる、と右腕が操縦桿を引きそうになった。
「――撃て、臆病者!」
叫ぶ。それは、自分自身に向けられた言葉。
操縦桿をほんのわずかに左に倒し、照準をファルケン唯一の弱点、エアインテークに合わせる。そこに至るまでの時間が、メビウス1にはひどく長いように感じた。
来い、と彼は自身も知らないうちに叫んでいた。同時に、引き金も引く。
わずか一秒、F-22の機関砲が火を吹き、二〇ミリの赤い曳光弾一一〇発が、ファルケンのエアインテークに殺到する。
そして、交差。F-22とファルケンはすれ違う。
「――見事だ、リボン付き」
戦果を確認するべくメビウス1は振り返る。一瞬遅れて、スカリエッティの声が通信機に入ってきた。
キャノピーの向こうで、ファルケンが黒煙を吹きながら地面へと向かっていき――最後に、小さな爆発が、空中に起きた。
「カウントダウンが……」
「止まった――?」
メガリス内部。サブコントロールルームでディスプレイを食い入るように見つめていたベルツとティアナたちは、停止したカウントダウンの前に、しばし呆然としていた。
カウントダウンの停止。それはすなわち――メガリスの再起動停止。
「やったんですよね……?」
「そのはずだよ?」
「ええと、つまり」
エリオ、スバル、キャロがようやく口を開くが、現実が認識できないのか、周囲に確認を取っていた。
そんな時、いち早く現実を認識できたのは、ベルツの部下のソープだった。
「そうだよ――やったんだよ! メガリス、今度こそ停止だ!」
ひゃっほーい、と歓声を上げるソープ。彼の言葉でようやくメガリスの停止と言う現実を認識した皆は、ソープに続いて歓声を上げた。
「……任務完了だ、メビウス1」
ゴーストアイからの通信。そこでようやく、メビウス1は酸素マスクを外して、安堵のため息を吐けた。
終わった。何もかも、これで。もうメガリスが地表に隕石を降らすことは無い。ミッドチルダの人々は、ようやく明日から安心して夜に眠ることが出来るはずだ。
しかし、とメビウス1は思う。彼の視線は、眼下のメガリスの排気ダクトに向けられていた。
これで、勝ったと言えるのだろうか? 出撃前のブリーフィングでは、全員の帰還が要望されていた。それなのに、黄色の13は散り、なのはは落とされた。彼らだけではない、この戦いで多くのものが犠牲になった。
「犠牲が、大きすぎる……」
「……どんな夜にも、必ず朝は来る」
そんなメビウス1の心境を察してか、突然ゴーストアイが口を開いた。
「生き残ったものが、残された未来を精一杯生きる――彼らに送る、精一杯の、手向けだと思う」
「ゴーストアイ……」
「それに、勝手に殺さないで欲しい人がいっぱいおるんやけどなぁ」
ゴーストアイとの通信に、突然はやてが割り込んできた。なんとなく安心したような嬉しそうな表情なので、メビウス1はもしや、と思い通信回線を完全にオープンにしてみた。
「――ゲホ。こちらスターズ2、どうにか生きてるぞ」
「ライトニング1、同じく無事です……出来れば救助を」
「ライトニング2、申し訳ない。誰か助けて欲しい」
「ヴィータ、ハラオウン、シグナム、無事だったか!」
六課の魔導師たちは、吹き飛ばされながらも無事だった。とりあえず今は救助待ちの様子である。
「こちらスカイキッド、もう燃料がすっからかんだ。早く下ろしてくれ」
「アヴァランチより各機、ここはどこだー? 海の上を漂流してる、早く助けてくれ。寒くてたまらん……ふぇっくしょい!」
「ウィンドホバー、ダメだ燃料切れだ。ベイルアウトするから、救助をよろしく頼む」
「あぁ、お前らも無事か! ゴーストアイ、救助を早く回してやれよ!」
「心得た」
戦闘機隊の方も、とりあえず死んではいない様だ。燃料切れで海に落ちた者がいるようだが、すでに救助のヘリが"アースラ"から飛び立っているので大丈夫だろう。
ところが、いつまでたっても――彼女の声は聞こえてこなかった。
わずかにため息を吐いてメビウス1は眼下に視線をやり――突然、はやてから通信が入る。
「メビウスさ~ん?」
「――なんだ、気色の悪い声出して」
「つれへんねぇ。せっかくうちのエースの無事を伝えようと思ったのに」
「……何?」
「通信、中継するで」
メビウス1が怪訝な表情をしていると、通信相手が切り替わった。少しばかり、通信機の向こうで咳き込む様子が聞こえて――ようやく、なのはの声が彼の耳に入った。
「……こちらスターズ1」
「――なのは!? 無事だったのか!?」
「何とか――ッケホ。本当に死ぬかと思いましたけど」
彼女の声を聞いて、メビウス1はずるずるとコクピット内のシートにだらしなく持たれかかった。それだけ安心した、と言うことだろう。
とりあえず姿勢を直して、メビウス1は彼女との通信を再開する。
「……そうか。無事でよかった、本当に」
「メビウスさんも――大丈夫でした?」
「お前のおかげでな。ありがとう、なのは」
「――どういたしまして」
てへへ、と照れ隠しに笑いながら、なのははひとまず通信を切ったようだ。とりあえず救助が来るまで辛抱してもらうしかない。
ちらっとメビウス1は燃料計に視線をやると、もう残りが少ないことに気付く。早めに帰らないと季節外れの海水浴を強いられる羽目になる。
さぁ、帰ろう。故郷へ。帰りを待ってくれている奴らが、大勢いる。
メビウス1のF-22は主翼を翻し、帰路へと着く。
それまで上空を覆っていた雲が晴れ出し、帰り道を行く彼の進路を、ようやく顔を出した太陽が暖かく照らしていた。
最終更新:2009年02月21日 20:58