Call of Lyrical 4_06

Call of Lyrical 4


第6話 ウォーピッグ/過ちへの階段


SIDE SAS

三日目 時刻 1507
イギリス海軍空母「アーク・ロイヤル」
ジョン・"ソープ"・マクダヴィッシュ軍曹


世界でもっとも紅茶を飲むのはどこの国か。言うまでもなく、イギリスだ。午前と午後の休憩時だけでなく、彼らは朝昼晩の食事の時でさえ紅茶を欠かさない。陸軍の戦闘糧食、いわゆるレーションにすらメニューに紅茶が加えられている。紛れもなく、紅茶とはイギリスの文化でありジョンブル魂の元と言っても過言ではない。
――だと言うのに。せっかく本場イギリスの紅茶を根っからの英国紳士が解説付きでお持て成ししているのに、目の前の黒髪の少年と来たら、差し出されたティーカップを見て
首を傾げている。いったい何が気に食わないのだ。

「いや……そこまで情熱的に語る割りに、この紅茶はティーパックなんだね」

問い詰められた黒髪の少年は自身が抱える疑念を正直に話し、挙句の果てに「本当はブラックのコーヒーの方が好みなんだ」とまで抜かした。イギリス海軍の艦艇内でよくもまぁ、そんなことが言える。見た目も実年齢も少年であるにも関わらず執務官をやっていると言うのだから、肝っ玉だけは据わっているのかもしれない。
まったく、紅茶の何が駄目だと言うんだこいつは。こんな素晴らしい文明的な飲み物他にないと言うのに。苛立った感情を抑えるべく、手元のミルクティーに砂糖をたっぷり入れる。産業革命時代、労働者の空腹を紛らわすのにも一役買った紅茶は、それ以降砂糖を入れるのが伝統と化している。ティーカップを口元に運んで香りをたっぷり楽しみ、一口飲む。途端に口の中に広がる甘み、実に素晴らしい。

「うぅん……いい香りにいい味だ。これが理解できんとは可哀想な奴め」

神よ、どうかこの哀れな子羊にお恵みを。昨日までロシアの大地を銃を持って駆け回っていたSAS隊員の台詞に、黒髪の少年クロノ・ハラオウン執務官は、なんと答えていいか
分からずフッと苦笑い。SAS隊員、ソープは苦笑いする執務官を見て、小馬鹿にされたような気分になる。

「おい、今の笑いはなんだ。貴様、馬鹿にしてるな?」
「してないよ。君こそそんなに尖がってないで、もっと友好的に行かないか? 管理局とこっち――大英帝国と言ったかな? 同盟を結んだことだし」
「同盟、ねぇ……」

時空管理局なる組織と我らがイギリス政府が手を組んだ。クロノの口からその事実を聞いた時、ソープはまず頬をつねってみた。痛かったので、現実に間違いない。夢なら夢で仕方ないで済んだのだが。
あの後――ロシアから脱出した後。救援部隊のヘリで洋上に展開していたこの空母に戻ったSASの前に、クロノが現れた。彼は時空管理局と言う数々の異世界を束ねる組織の一員であり、この九七管理外世界に――向こうでは、ソープたちの世界をそう呼ぶらしい――流出したある危険物質の回収にやって来た。"レリック"なる危険物質は膨大なエネルギーを内部に秘めており、兵器転用すれば核弾頭に匹敵する威力を持っていると言う。そのレリックこそ、ソープたちが二日前に襲撃したテロリストの貨物船の積荷だった。
敵の敵は味方、と言ったところか。一五年前そうしたように、イギリス政府は管理局と共同でこのレリックの確保、テロリストの破壊活動防止に取り組む形となった。

「まぁ、公表できる訳がないか。世界は裏でその――」
「時空管理局と繋がっていた、なんてね。とは言え、黙っていてすまなかった」

謝罪の言葉を口にしたクロノに、ソープは「いいさ」と首を振って答えた。
ひとまず諜報員、SASはニコライ、管理局はヴェロッサを無事回収出来たのは良いニュースだった。再びロシアの大地に潜り込んだ彼らは必ずやレリックの行方、そしてそれを持つテロリストたちの居所を掴んでくれるだろう。テロリストと繋がりが深いと思われる中東某国のリーダー、アルアサドも米軍に追い詰められつつあると言う。それが終わるまでの間、彼らはひたすら待機だ。

「それはそうとお前紅茶飲めよ。コーヒーなんかよっぽどいいぞ、改心させてやる」
「いや、僕は甘いのは苦手で……」
「いいから飲め」

待機が続くのも考えものだ。片や強引に飲まされた甘ったるい液体の味に露骨に顔をしかめながら、片や露骨に顔をしかめる異世界の住人に苛立ちを覚えながら、執務官と兵士は情報を待っていた。


SIDE U.S.M.C
三日目 時刻 1630
中東某国 市街地
ポール・ジャクソン 米海兵隊軍曹


はるか昔、彼が寝小便を垂れるようなガキだった頃。
彼にとって、ジャクソンにとって当時の"戦争"はまだブラウン管の向こうの御伽噺だった。もっと言うならば彼にとっての"戦争"とは、悪い奴らをやっつけるヒーローの物語のようにすら思っていた。事実、地元の州軍駐屯地を訪ねる機会を得てその際出会った兵士たちはみんな頼もしく、強い存在だった。少なくとも当時の彼はそう感じていた。
軍に入隊しようと決めたのは物事をまともに判断出来る歳になってからだが、それでもやはり、幼い頃の憧れは依然として残っていた。
そして、現在。果たしてあの州軍駐屯地で出会った兵士たちも、今の自分と同じような体験をしてきたのだろうか。だとしたら、過去の自分に教えてやりたい。
彼らは決して頼もしくなどないし、決して強くない。視界の隅で銃撃の閃光が走れば、みんな身を隠す。傍らを走る鋼鉄の騎兵にしたところで、歩兵と違ってとてつもなく頑丈な装甲を纏っているというのに、市街地を恐る恐る進んでいる。
兵士も所詮人間だ。頼もしくないし、強くもない。ただ少しばかり、勇気があるだけ。

「ブラボー6、沼地の脱出に成功した。このまま左翼を抑える、オーバー」

個人携行用の通信機に入ったコールサイン"ウォーピッグ"の戦車長の声。昨晩エンジントラブルにより、重量六〇トンを超える巨体を敵地真っ只中に晒していたこのM1A2エイブラムス戦車は、ジャクソンたちの救援により窮地を脱出。鋼鉄の騎兵は勇敢なる海兵隊員に恩を返すべく、動き出していた。
目標は市街地を抜けた先にある空き地。海兵隊はひとまずそこでヘリによる回収を待つのだが、アル・アサドの陸軍は歩兵を中心とした防衛ラインを設け、その行動を阻止しようとしていた。ジャクソンたちは戦車の支援を受けつつ、突破を試みる。
敵弾が激しく飛び交う戦場、ジャクソンは正面右側にあるバス、そこに敵兵が陣取っているのを目撃する。M4A1を両手で構えてサイトを覗き込み、照準。短い間隔で数回に分けて引き金を引いて、敵に銃撃をお見舞いする。肩にかかる反動は軽いが、放った銃弾は的確に敵兵たちを撃ち抜いていく。

「リロード、カバー!」

銃撃を一旦停止し、ジャクソンは傍らにあった廃車の陰に飛び込んだ。バックパックから予備のマガジンを引き抜き、まだ弾の残っているM4A1のそれと交換する。クイックリロード、コッキングレバーを引けばM4A1は機械的な音を立てて息を吹き返す。リロード中に援護を要請した味方の上等兵が前に出て、M16A4をフルオートで乱射。敵を威嚇し、時間を稼ぐ。息を吹き返した愛銃を右手に、ジャクソンはもういいぞと上等兵の肩を叩こうとした――うっと短い悲鳴。手を伸ばした先に上等兵の姿はなく、代わりに地面を転がっていたのは、M16A4を持ったままの仲間の遺体。
くそ、とジャクソンは短く吐き捨て、廃車からわずかに身を乗り出す。駆逐したはずの敵兵が、またバスの辺りから湧いて出てきていた。手榴弾を持ち出して、安全ピンを抜く。
一、二、三とカウントした上で、ジャクソンはバスの方向に向かって投げつけた。空中に弧を描いて投げつけられた手榴弾は、地面に落ちる前に起爆。生み出された爆風と衝撃、破片を持って周辺にいた敵兵たちを容赦なく薙ぎ払う。
起爆と同時に廃車から駆け出したジャクソン、その後方を同じ海兵隊員たちが追いかけ、浮き足立っていた敵兵たちに一斉銃撃。銃弾が地面を跳ね、薄っぺらいバスの窓ガラスを叩き割り、敵兵たちをさらに追い込む。最後に味方がグレネードランチャーを叩き込み、陣地となっていたバスそのものを大きく揺らしてとどめを刺す。あまりの銃声と爆音に馬鹿になりそうな耳を一度気遣うようにさすり、ジャクソンは海兵隊の先頭に立って前進開始。
パタパタパタ、と彼らが前に進もうとしたところで耳障りなローター音が耳に入る。味方であることを願ったが、どうやら違う。部隊の指揮官ヴァスケズ中尉の怒鳴り声が、戦場に響く。

「敵のヘリだ、撃墜しろ!」

現れたのは、敵の輸送ヘリだった。兵員を満載したそれらが二機、彼らの行く手を阻むようにして後部ハッチを開き、降下用のロープを下ろす。敵兵たちがそれを伝って現れるのは、言うまでもないだろう。

「中尉、撃墜しろってどうやって!?」
「RPGがあるだろう、探せ!」
「どこにあるんですか!」
「だから探せ!」

海兵隊は手持ちの小火器を持ってヘリの撃墜を試みるが、小銃弾如きでヘリが落とせるはずもない。銃撃の閃光は激しく瞬くも、放った銃弾はむなしくヘリの装甲を叩き、甲高い金属音を鳴らして弾き返されるのみ。MINIMIの愛称で知られるM249軽機関銃を持つジャクソンの同僚グリッグ二等軍曹はヴァスケズに問うも、返ってきたのはあまりに不明確な命令。確かに分厚い装甲も撃ち抜く対戦車ロケットの代名詞ならば撃墜は容易だろうが、そうそう地面に転がっているものでもない。
一人、二人、三人とヘリからは降下用ロープを伝って敵兵たちが降りてくる。これ以上増えれば、厄介なことになるのは間違いない。

「ブラボー6、頭を低くしろ」

通信機に誰かの声が入る。海兵隊は結局通信相手が誰なのか分からないまま、言われた通り地面に伏せて頭を低くした。
直後、空気を叩き割ったような轟音が響き渡った。腹に響き、耳鳴りまでするほど巨大なその音が砲声であると気付いた時、すでに二機のヘリは側面に大穴を開けられ降ろし切れていない兵員を乗せたままグルグルと回転し、どこかに向かって高度を下げていく。ビルの影に隠れて見えなくなったかと思った瞬間、爆発。炎と黒煙が立ち昇り、ジャクソンたちは唖然となった。振り返れば、どこか得意げな表情を浮かべているようにも見える、鋼鉄の騎兵。ウォーピッグのM1A2が、一五〇〇馬力のガスタービンエンジンをぶん回して彼らの傍らにやって来ていた。

「あんまり低いとこ飛んで舐めた真似してると、みんなこいつの餌食だぜ」
「頼もしい限りだぜ、後で冷えたビールを奢ってやる」
「おおう、楽しみだな」

得意げに砲塔を回すウォーピッグの無機質な肌を、グリッグが叩く。M1A2に搭載されているラインメタル社の開発した一二〇ミリ滑膣砲は、低空を飛んでいるならヘリも狙撃可能と優秀だ。決して歩兵が持てぬ大火力、あらゆるものを貫く一二〇ミリの槍は、海兵隊にとって心強い味方だった。


進路を切り開いた海兵隊とウォーピッグの一行は市街地へと突入を開始。敵の抵抗は案の定激しいものであったが、歩兵と戦車はこれを協同で排除しつつ、前進して行かねばならない。

「あー、ブラボー6? ここからは敵の待ち伏せが予想される。我々は……あー、君たちが前方を確保次第前進する。オーバー」
「なんだって? さっきまでの勇ましさはどこに行ったんだ」

いかにも中東、と言った具合の市街地の入り口に差し掛かった頃になって、突然ウォーピッグが前進を停止した。前に出てその分厚い装甲で盾になってもらう魂胆だったグリッグは今度は臆病者の尻をそうするように、M1A2の無機質な肌を叩いた。もっとも、戦車が市街地に突入する場合これはやむを得ない判断と言えた。交戦距離が短く、隠れ蓑が無数に存在する市街地は敵の歩兵にしてみれば、至近距離でRPG-7対戦車ロケットをぶち込む好機なのだ。

「文句を言うなグリッグ、援護射撃頼む」
「っち、歩兵っていつもこれだ」

パイロットにでもなりゃよかったかなぁ、と愚痴をこぼしながらヴァスケズの命令を受け、グリッグはM249のバイポットと呼ばれる二脚を展開。手近にあった廃車の上に載せて、右手は引き金とグリップを、左手は銃床を持って突入する海兵隊を援護する姿勢に。
GO!と指揮官の掛け声の元に海兵隊は市街地へと突入を開始。案の定、待ち構えていた敵兵たちはわらわらと姿を現し、手にしたAK-47、AKS-74U、SVDとあらゆる火器で海兵隊を迎え撃つ。
鼓膜が破けてしまいそうなほどの激しい銃声が響き渡り、弾丸が赤い軌跡を描いてアスファルトの地面を耕していく。物陰にまで飛び込む時間が、ジャクソンにもヴァスケズにも、突入した全ての海兵隊員にとって永遠のようにすら感じられた。出来ることなら、逃げ出したい。
唯一の救いは、後方のグリッグ他数名からなる援護射撃だった。軽機関銃の連射力と遺憾なく発揮した彼らの銃撃は、ジャクソンたちを歓迎するそれに勝るとも劣らない勢いで銃口から弾丸を弾き出していく。弾は当たらなくとも、敵兵たちを怯ませ撃てなくすればそれで充分だ。
援護のおかげでコンクリートの壁にたどり着いたジャクソンは、わずかに身を乗り出して道路上に展開する敵兵たちを視認。M4A1に装備されたM203グレネードランチャーの引き金に指をかけ、わずかな隙を見出して飛び出す。
引き金を引くと、ポンッと軽い発射音。弾き出されたグレネード弾はしかし、軽い発射音とは対照的な破壊力を秘めていた。
着弾、爆発。道路上にいた敵兵たちのど真ん中で炸裂したグレネード弾は爆風と衝撃を巻き起こし、周囲を無機物有機物問わず薙ぎ払う。もう一撃、とジャクソンはM203の砲身をスライドさせ、空になった薬莢を排除。予備のグレネード弾を持ち出し、再装填。道路上、さらに奥にいる敵兵たちに向けて照準セット。

「!」

瞬間、視界の隅で何かが飛び出してくるのが見えた。迷っている暇は一切なく、ジャクソンは反射的に振り返り、飛び出してきた影に向かってM203の引き金を引いた。
軽い発射音と同時に放たれたグレネード弾は、不意打ちを試みた敵兵の額に直撃。短い悲鳴が耳に入り、ジャクソンはただちにコンクリートの壁に身を寄せた。
――危ない。距離が近すぎたおかげでグレネードの信管が作動しなかったんだ。
額を割られ、動かなくなった敵兵の亡骸を一瞥しながらジャクソンは手の甲で汗を拭う。グレネードを撃ち込むはずだった敵兵たちは、戦友たちが激しく銃撃を浴びせて後退に追い込んでいた。ヴァスケズが後方のM1A2に右手の親指を立てて合図を送ると、ウォーピッグは前進再開。

「確保したな? 前進して、あのビルに何発かぶち込むぞ」

ガスタービンエンジンから生み出される強力な馬力が、鉄の巨体を素早く前へと突き出す。M1A2は砲塔を回し、敵兵が立て篭もっていると思しきビルに向けて照準を合わせた。
あ、まずい――ジャクソンだけでなく、M1A2の近くにいた全ての海兵隊員が物陰に身を伏せた。そうして各々、両手で耳を塞いだ。こうでもしないと、後で何も聞こえなくなってしまうからだ。

「撃て!」

ドッ、と大気をも震わせるかのような衝撃。耳を破壊するような勢いで響いた一二〇ミリ滑膣砲の咆哮は、目標にされたビルの壁面を完膚なきにまで撃ち砕く。耳を塞いでいるというのに、付近にいた海兵隊員たちはひどい耳鳴りに襲われてしまった。
ウォーピッグはさらにもう一撃。放たれた砲弾はすでに先の一撃で半壊したビルに飛び込み、さらに破壊の限りを尽くす。中にいたであろう敵兵がどうなったかは、誰にも察しがついた。
砲撃のせいで巻き上がった粉塵に咳き込みつつ、ジャクソンはM4A1の銃口を哀れにもM1A2の標的にされたものとはまた別のビルの屋上に向けて警戒。電子機器の発達で索敵能力が向上した現代の戦車と言えど、肉眼による視界ははっきり言って狭い。敵がプロなら、それを見逃すはずがなかった。
案の定、背中に複数のRPG-7を抱えた敵兵が、援護のためAK-47を持った者と共にジャクソンが警戒していたビルの屋上に姿を見せる――銃床をしっかり右肩に当て、すっと息を吸い込み呼吸を止めて引き金を引く。銃口で閃光が瞬き、放たれた弾丸はRPG-7を持った敵兵を貫く。倒れ、ビルの屋上から重力に引き寄せられて落ちた敵兵を脇目に、照準をずらす。短く引き金を引いて、自分を狙っていたAK-47を持った敵兵を黙らせた。

「ブラボー6、移動するぞ」
「了解――みんな立て、戦車に続け」

後退していく敵兵。それを見たウォーピッグは前進を開始し、今度こそ歩兵の盾となるべく自ら突出した。指揮官の命令を受け、海兵隊はそれに続く。
市街地での戦闘は、まだ終わりを見せようとしなかった。



SIDE 時空管理局

三日目 時刻 1639
中東某国 市街地
ヴィータ士官候補生


ひどい臭いだった。こちらの世界に降り立ってから、鼻腔を突くのは戦場の香り。すなわち、硝煙の臭い。同時に響き渡る銃声、砲声、爆音、戦闘機のジェットエンジンの轟音。耳すら馬鹿
になりそうで、早いところ帰りたくてしょうがないのが彼女の本音。
ドスンッ、と。ビルの屋上にあった貯水タンクの上から見下ろす市街地の奥で、この日何度目かになる砲声が聞こえた。中東独特の強い日差しのせいでぼんやりしてくる思考を叩き直し、三
つ編みにした赤毛の髪を揺らしてヴィータは振り向く。視界に映ったのは砲撃でも食らったのか、それなりに頑丈そうなビルが音を立てて崩れていく光景だった。わずかに視線を下に下げれば一輌の戦車が、市街地のど真ん中を突き進んでいくのが見えた。おそらくは、奴の仕業だろう。

「たまんねぇなぁ、おい」

あんなもんで撃たれたら――胸のうちで付け加えて彼女は戦車の砲塔、そこにある砲身を持ってきた汎用デバイスで撮影。本局より下された脅威レベルの確認と言う任務も、実際はこんなものだ。一通りの撮影を終えれば、あとは記録媒体部分を引っこ抜き、自身のコメントも添付して上層部に提出。それで任務は成功なのだ。
――ただし、ここは戦場である。
カンッと、甲高い金属音。なんだ?と日常生活でそうするように、怪訝な表情を浮かべてヴィータは首を下げる。自身が腰かけた貯水タンク、その壁面に小さな穴が開いていた。流れ弾でも飛んできたのだろう。ビルの住人はいなくなっても中身は残っていたのか、穴からはチョロチョロと水が流れ出している。
それを見たヴィータはぽりぽりと頬を掻き、仕方がなさそうに貯水タンクから降りた。観測地点としては非常にいい場所だったのだが、流れ弾が飛んでくるようなら考え直す必要があった。

「どーっすかなぁ。なんかいいポイント他にあるか?」

右手に持った、小さな鉄槌のアクセサリーに向かって彼女は問いかける。自衛以外での使用は禁じられている相棒はいわゆる待機状態の姿のまま、沈黙を保っていた。要するに、主の質問に対して彼はベストと言える回答を持っていないのだ。
申し訳ない、マスター。相棒グラーフ・アイゼンからの謝罪の言葉を聞いて、しかしヴィータはいいよ、と幼い外見とは裏腹に優しげな笑みで答えた。
カンッ、カンッ、カカカカ、カンッ。
唐突に起きた、連続した金属音。また流れ弾か、とヴィータは貯水タンクを見上げる。
流れ弾、と言う彼女の予想は当たっていた。だが、その後に起きた事態までは予測出来なかったであろう。
まさか銃弾でその身を射抜かれた貯水タンクが、内部で起きた急激な圧力変化により爆発を起こすなど。
あぁ、そういやこないだやった古いゲームにこんなシーンあったな。あれはバルブを回して圧力上げてタンク壊して、そこから出た水で火災を消火するんだ。そしたら奥に進めるようになって二階東側廊下に進んで、そこから美術室に行くんだよな、うん。
現実を見ようとしない思考は、どこまでものん気であった。

「え……うぇぇええええ!?」

爆発した貯水タンクの真下にいたヴィータに襲い掛かるのは、大量の水。運悪く騎士甲冑も装備せず普通の管理局員の制服だっただめ、彼女は頭から滝のように降ってきた水を浴びてしまう。
ずぶ濡れとなった幼女は一度空を仰ぎ、次いでがっくりと首をうなだれた。ぐすん、と肩を震わせ、目元に浮かんできたしょっぱい水を振り払う。
ちくしょー、早く帰りてぇー。
切実な願いを込めてもう一度空を見上げるヴィータ。その背後、ビルの屋上にあった扉が蹴り開けられた。直後、飛び出してきたのはAK-47にSVDで武装したこの国の兵士たち。

「動くな! お前は完全に包囲されてい……る……?」
「隊長、相手は幼女のようです」
「あ、俺の好み……」

双眼鏡か何かで見えた屋上の人影を、憎き米軍の兵士だと思っていたのだろう。屋上に姿を現した兵士たちは、自分たちを出迎えたずぶ濡れの幼女を見て呆気に取られていた。
ぎぎぎ、とヴィータは首をゆっくりと曲げる。兵士たちの銃口が自分に向けられていることを知った彼女は、にやりと幼い外見に似合った純粋な、しかしどこか邪悪さを含んだ笑みを浮かべた。

「アイゼン、自衛のためなら非殺傷に限り攻撃を許可するんだったよな?」
<<Ja.……Ah,Meister?>>

主からの質問にイエスと答えて、鉄の伯爵は一応確認する。あくまでも非殺傷ですよ? もっと言うなら八つ当たりと自衛は違いますよ?

「分かってる分かってる。大丈夫、ほら見ろ。あいつら銃口をあたしたちに向けてんぞ? これは立派な敵対行動だ」

アイゼンは、沈黙。今の主を止めようとしたところで、止まるまい。とりあえず非殺傷設定だけは今のうちにロックしておこう。
一方、兵士たちは幼女の醸し出す明らかに危ない雰囲気に戸惑いを覚えていた。まずい逃げろ。本能のままに、彼らは後退しようとする。

「待てよ――ちょっとあたしに付き合えよお前らぁぁぁぁぁ!!」
「た、退避! 退避ー!!」
「うわぁこのょぅじょ強いよ強いよこのょぅじょ!」

中東の市街地に八つ当たり気味の赤い暴風が吹いたとか、吹いてないとか。



SIDE ???
三日目 時刻 1645
中東某国 大統領宮殿
不明


くそ、と男は手近にあった椅子を蹴り飛ばした。さすがに大統領宮殿のものだけあって作りは豪華で頑丈だが、それゆえに男の苛立ちは余計に高まる。これで椅子がバラバラになりでもすれば少しは気分が晴れたのかもしれないのだが。
あの国には手を出すな。腐っても世界の警察官だぞ。かつてのこの宮殿の持ち主の警告が脳裏をよぎるが、今更そんなものが役に立つはずもない。
ゲリラ戦に持ち込めばやがて奴らは疲弊する。そう語ったロシアの友人の言葉を信じて戦争に踏み切ったのだが、結果はどうだ。国内に歩兵を分散して配置したせいで戦線は築けず、逆に各個撃破されている。空海軍は最新鋭の装備を持った敵のそれに勝てるはずもなく、最初の三日で壊滅的な打撃を被った。頼みの陸軍も薄い防衛線を次々と突破され、敵はもう首都の間近に迫っていた。今この瞬間でさえ、首都の上空を米軍の戦闘機が飛び回り、洋上から放たれたであろうトマホーク巡航ミサイルが軍の拠点をピンポイントで叩いている。
迎え撃つ対空砲火は存在こそすれど、その力はあまりにも弱々しい。空をわずかに曳光弾で彩ったかと思うと、次の瞬間地面で紅蓮の炎が巻き起こる。爆弾を投下して身軽になったF-16Cが、青空へと駆け上っていく姿が何を示しているのか、多くの者には察しがついた。
――やはり、これを使わねばなるまいか。
男は宮殿の地下に入り、そこにあったコンテナを開く。頑丈そうなコンテナの割りに、中にあったのはトランクケースがただ一つだけ。
トランクケースのロックを外し、男は厳重に包装された包みから禍々しいまでに輝く赤い宝石を持ち出した。
ロシアの友人は言った。喜べアサド、異世界からの贈り物だ。外見からは想像も出来んだろうが、こいつは核弾頭に匹敵する威力を秘めている。すなわち、我々は核と言う強大な力を手に入れたのだ。これさえあれば、米国と言えども簡単には手が出せなくなる。
男はトランクケースに宝石を戻し、それを持って地上へと戻るべく階段を上る。
かつ、かつ、かつ、と。足音だけが異様に響き渡り、同時に男の表情も変わっていく。その顔に宿るのは、狂気と言う名の笑顔。
これは神の裁きだ。我が国に土足で踏み込んできたアメリカと言う異教徒へ下した、神のご決断なのだ。
例えスイッチを押すのは人間だとしても。矛盾した思考に気付かないまま、男は過ちへの階段を上り、地上へと戻ってきた。

そして、人が地獄を作り出す。



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最終更新:2009年08月07日 18:19