じぇいあ~る・がんせんつぇん
岩泉線とは、東日本旅客鉄道ことJR東日本の鉄道路線(地方交通線)。
岩手県は宮古市茂市駅と下閉伊郡岩泉町岩泉駅を結ぶが岩泉以遠は小本まで延伸する予定だったらすぃん。2011.03.09~11日な津波・地震で三陸太平洋側近辺を運行していた鉄道に打撃を与えた。これによりも1年早い2010年に災害にあっていた当線は復旧こそ長引いたが今回の津波地震で壊滅した海岸鉄道網の復旧に費用高値となることがわかり「全力で復旧します」と言いながら現状を見たとたん気弱になって収益が米数個程度で赤字ばかり垂れ流し採算率が悪い当線の廃止を決めた。
地元、岩手県と当線が通ぅ宮古市と岩泉町は国鉄末期に廃止を免れさせた並行する道路が未だ未整備で反対しており、存続を求めてきた。
議論の末、押角トンネルを道路に転用することを条件に合意し、廃線同意を取り付け2014.03.31をもって岩泉線はその歴史に幕を降ろすピリオド打ったんだ。
とはいっても、被災したのが東日本大震災より前1年に走行中に車両の2割が土砂埋もれてから運休しつづいて最後まで運転再開することはなかたため、この日がピリオドだ。
- 岩泉線代替バスは1日4往復確保し、運賃も据置としている。
- これは茂市~岩泉間の通し便が一日3往復(実際は4往復あるが、内1往復は茂市~和井内止)しかなかったが、代替バス運行開始によって1往復増便したことになるん。
- 廃線跡の今後活用について茂市~岩手和井内は宮古市に、押角トンネル内は県に、浅内~岩泉間は岩泉町にそれぞれ譲渡され、残り岩手和井内~押角トンネル茂市口と同トンネル岩泉口~浅内間はJR東が引き続き保有する予定だ。何に使うんだろう?
- 地元だったら一部サイクリングロードとかにしてもいーだろる。
2014.04.01正式に廃止だ。
廃線状態だったんだがね!
概要
茂市駅でJR宮古線から分岐する、終点の岩泉駅で接続鉄道路線の無い盲腸線である。岩泉駅の近くには龍泉洞という観光地がある。1日の運行列車本数は全線直通が3往復と区間運転1往復である(詳細は「運行形態」節を参照)。
日本国有鉄道(国鉄)時代に特定地方交通線第2次廃止対象線区に選ばれていたが、並行する国道340号押角峠が急カーブかつ幅員狭小で大型車が通行できず、名松線(現在は東海旅客鉄道が経営)とともに代替道路未整備を理由に廃止対象から除外された。
国鉄分割民営化でJR東日本が発足した1987年度には180人/日だった輸送密度(JR東日本は「平均通過人員」と呼称)は、発足以来長期低落傾向が続き、全線運休直前の2009年度には、46人/日にまで落ち込んでいた。これは、JR東日本の在来線全67線はもとより、JRグループ全路線、また、私鉄・第三セクター鉄道を含めた全鉄道路線の中でも最下位となる数字であった。
本数からして糞田舎を走る路線バスの本数くらい少ねぇ。
http://www.jreast.co.jp岩泉線(茂市〜岩泉)について]}} - JR東日本、2012年3月30日。。
1996年にはJR東日本盛岡支社から地元にバス転換の提案があったが、後に取り下げている。線内で最大の利用があるのは岩手大川駅である。また、茂市駅 - 岩手和井内駅間と浅内駅 - 岩泉駅間には並行して路線バスも運転されている。浅内駅と路線バスの岩手落合停留所は歩いても15分程度のところにある。
ラインカラーはグレーであ~~~~~~~る。WPではグレーは廃線になり廃駅となた場合に使われる。この路線も廃線となるがどっちみち影薄いくそ。
2010年7月31日に発生した脱線事故のため、以後長らく全線運休が続いていたが、2012年3月30日にJR東日本は鉄道での復旧を断念し、バスによる輸送を継続するという方針を発表った
「歴史」節も参照)。
全駅降
- 岩泉線には起点である茂市駅を除くと8駅ある。この8駅を1日で効率よく乗り降りすることは・・・断言しよう・・・・不可能である!
- というのも岩泉線は一日3往復しかないJR東日本でも、『ド』がつくほどの超ローカル線である。
- だが、茂市~岩手和井内間だけは4往復設定されている。これは岩手和井内止があるためで、岩手和井内以遠は3往復しか行かないのだ。
- また、岩泉線は宮古線と共通運用を取ってるため、事実上同線の支線として扱われている。
-
- では、3往復でも全駅降はできないのかというと・・・可能である。
- といってもやり方は変わるが、2時間以上空いた時間は歩けばいいのである。
- 特に岩手和井内~岩手大川間は駅間が長い。この間に獣が利用しそうな押角駅があるも、両駅とも距離が長いため、この区間は列車(どーせ廃線になるんだから代行・代替バス)を利用するといい。
- 通常、全駅降を実行するには「出発地から3~4駅飛ばし⇒戻りながら3駅飛ばし⇒逆へ2駅飛ばし⇒1駅戻り⇒済ませた2駅を飛ばして、さらに3~4駅飛ばす・・・」などの方法を取るだろうが、大概は始発からやったほうがやりやすい。
- しかし、この岩泉線は多くても区間便含め4往復しかないがこれはたぶん使いづらい後述参照るず。
- やろうとすれば、岩泉市内には宿泊所があるっぽいが、岩泉始発は8時からなのだ。
- 3往復のうち、朝夜2往復だけは宮古まで乗り入れることから、本数が少ないので宮古市内にある宿泊所に泊まりながら、宮古を拠点に岩泉逝きに乗れば不可能でもない。
- ちなむに岩手和井内止は折り返し茂市逝となる。
- この岩手和井内止に乗るには茂市付近に止まる必要があるが宿泊施設は民宿しかないだろうから最悪野寝などる大変過酷である。
- では、列車に乗降こと徒歩巡りせずを前提とした場合の順路を見ていこうぜ
-
- この時刻は被災前の時刻に準じます。代行バス・廃止代替バスでは道路上の理由で、この法則が崩壊します。ご注意下さい。
-
- 例:岩泉0801発-宮古行⇒押角0830着⇒(何してりゃいんだ・・・8時間ぐらい待って・・・)⇒押角1603発-岩泉逝⇒二升石1628着⇒二升石1726発-茂市逝⇒岩手大川1738着
-
- ここで、岩手大川1910発-岩泉逝に乗り本来、すっ飛ばした浅内に降りると1944到着なのだが、実は乗った列車は岩泉逝最終だ。
- もし、浅内で降りた場合、次の岩泉逝きは翌朝0743と、実に8時間ぐらい待たされる。
- これは人の平均睡眠時間に相当する時間であるため、
- 浅内駅には待合室も駅舎もあるため、ここで降りた場合、
- この駅で駅泊しろということである。
-
- これだけあるのに・・・
- 茂市 - 岩手刈屋 - 中里 - 岩手和井内 - 押角 - 岩手大川 - 浅内 - 二升石 - 岩泉
- 本数な利用できるのは3往復だけだ。
-
-
- 本数が少ないのでどっかで列車に乗って泊まる宿泊所に帰らないと夜道を歩くハメになるだろうず。
-
- で、2日目以降もチャレンジるというなら、昨日乗った列車は浅内を一旦すっ飛ばし岩泉まで逝ったという前提でおはようございます。
- 例:岩泉0801発-宮古行⇒岩手刈屋0846着⇒(実に暇である・・・獣狩しよっかな~)⇒岩手刈屋1546発-岩泉逝⇒浅内1623着⇒浅内1730発-茂市逝⇒中里1802着
-
- やはり次列車で最終となってしまう。岩泉に戻らねば、ならず、中里1845発・岩泉1928着で戻るとする。
- 続いて3日目
- 岩泉0801発-宮古行⇒岩手和井内0838着⇒(今日も獣狩じゃぁ!やっほーい!)⇒岩手和井内1758発-茂市逝⇒茂市1812着(なんとか達成。)
- 岩泉に戻るには1835がいいでしょう。1928に到着しますず。
- ここから宮古や盛岡に行くには乗継次第だが、どっちかというと宮古のがいきやすいかもしれない。
- 盛岡へは1826、宮古へは1825となっている。本数が少ないので特に盛岡へのやつはソレが最終です。ソレ以降は陸中川内で終わりです。
- 結論、徒歩巡りをしなで列車利用を前提とし、岩泉からだと全駅降には3日を要する。また、岩泉始発でどっかに降りると8時間以上待たされるため、その時間内でパズドラやってりゃいいのかぞ?
- パズドラ持ってないやつは押角~岩手大川間を除いて歩いて散策したほうが早い。歩いても1駅あたり3~4時間以内で歩けるぜぞ。
- 結論、やはり、できるだけ歩いて訪れるか、車で訪れたほうが時間に縛られないぞ。ず。
なぜ廃線になったんだろう
- それは利用者があまりにも少ないからだとず。
- 岩泉沿線では押角駅など明らかに人でなく獣が棲んでる森が多く、線内でも最も利用が多い駅は宮古線・茂市を除いて岩手大川駅だ。
- 岩手大川~岩泉間は岩泉高校への通学路線として機能している。
では、なぜ人が少ないのか?それは人が少なすぎて本数を減らしたからだ。
だって、3往復+茂市⇔岩手和井内区間1往復だけだぞ。
岩手和井内~岩泉なんて3往復しかないんだ。
どーかんがえたって気軽に使えない!
車のほうがかえって便利じゃないと思わせるが道が狭い!
- なぜ今まで残ってこれたかというと、通学利用もだが、本来なら国鉄末期になくなる予定だった。それが並行する道路が2車線だったり、1車線で相互通行だったりする区間が入り乱れてるため代替バスを用意するには困難として国鉄が死に、JRとなった今までJR東日本に割り当てられた。
その後も一度災害にあっても復旧してきたが、今回の運休原因は土砂災害だ。
この土砂災害以降、また復旧するだろうと思われた。
しかし、運が悪いことに翌年3月に沖地震による津波や東日本大震災で宮古市を中心に敷かれていた海岸沿い自社路線が多く被災、
これらの路線も採算がよくなく、こんな路線でも復旧しなければならなかた。
だが、中の人は、先に災害で絶賛運休中だった岩泉線に目をつけ、
地震で被災した路線よりも営業成績が悪い岩泉線を復旧ではなく廃止することを検討るん。
しかし、地元宮古市と岩泉町は反対の立場だ、なぜなら未だに秘境への道路が未整備で、代行バスでは車酔いしやすいことから早期復旧と再開を求めてきた。
が、岩泉線に次いで津波被害の路線達の面倒も見なければならないJR東は、とりあえず復旧しても再開の見込みがある地震被災路線のBRTによる仮復旧をし、
岩泉線を廃線し、代行バスを続行する形でバス転換を表明した。
んで、それでも納得しない市町を説得るために押角トンネルを国道に転用することを提案しそれを呑んだ地元は廃線を渋々承諾る。
押角トンネルを県が保有し、国道に転用することで合意した。
改修費用70億円うち、JR東日本が20億円を上限に支援するため
県は50億円を負担するだけで済んだ。
廃線のような運休中な岩泉線は2014.04.01に今度こそ廃止予定。
時刻表
- ※2010年災害にバス代行中・JR東日本は翌2011年東日本大震災で被災した路線を復旧するために収益少ない当線な廃止を表明す・2013.01.15改正
- 列車?は早朝から宮古を出発するん。岩泉行は宮古2番線から出るようだぞ。
- 茂市まで宮古線車として運行し、茂市では1番線に岩泉線列車しか停車しない。
- これは構造上から1番線にしか停車できないものとされるんぞ。
- そのため茂市駅1番線は岩泉線専用で、宮古へ行き来するにも岩泉線としてでないと停車らない。
- その他宮古線列車は連絡橋を渡った島式2・3番線から着発しとうよ。
- 茂市からは岩泉線に入り岩手和井内まで向かう。
- その車が折り返し茂市行となり、茂市到着後!折り返し岩泉行となり、
- 岩泉到着折り返し宮古行となって、茂市から宮古線に入り宮古向かう。これで当線午前部は終わり、車庫入や宮古線として盛岡方面へ入ったりする。ただ、車両や日によっては1編成が1日岩泉線限定運用という場合もあるだろう!。
- 午後部は宮古を出発し茂市経由で岩泉へ、
- 茂市からは岩泉との間を2往復、
- 2往復目は宮古線を通じ宮古まで帰る。
-
- 以上が岩泉支線列車の運用だ。岩泉線列車は宮古~茂市間の運用も兼ねていたぞ。
- 参考だ
- 以下の時刻は被災前の時刻ですぃる※平成14(2002)年11月もの
- 宮古線一体運用なため、茂市~宮古間は宮古線乗入区間
未被災時刻
- 岩泉→和井内--→茂市→宮古
- ------------0638→0652
- 0803→0840---→0857→0918
- 1720→1758---→1812
- 1932→2009---→2025→2047
- 宮古-→茂市→和井内→岩泉
- 0554→0618→0633
- ---------0701→0715---→0754
- 1446→1530→1545→1623
- ---------1835→1849→1928
宮古線・茂市時刻
0706-②宮古
0812-②宮古
0853-①宮古-岩泉線から
岩泉線駅別時刻
- ※災害運休前、たぶん2010年頃と推測。被災から時が止まったままだ。ぜ。
- 岩泉へ(から)の全列車は1番線のみ。宮古線は2・3のみ使用。
- 0618-岩手和井内
- 0701-岩泉
- 1540-岩泉
- 1835-岩泉
-
- ※無字は当駅止
- 06520-※
- 0851-宮古
- 1812-※
- 2026-宮古
-
- 0624-岩手和井内
- 0707-岩泉
- 1546-岩泉
- 1841-岩泉
-
- 0647-茂市
- 0846-宮古
- 1806-茂市
- 2020-宮古
-
- 0629-岩手和井内
- 0712-岩泉
- 1551-岩泉
- 1845-岩泉
-
- 0642-茂市
- 0842-宮古
- 1802-茂市
- 2016-宮古
-
- ※無字は当駅止
- 0732-※
- 0715-岩泉
- 1555-岩泉
- 1849-岩泉
-
- 0638-茂市
- 0838-宮古
- 1758-茂市
- 2012-宮古
-
- 0724-岩泉
- 1603-岩泉
- 1858-岩泉
-
- 0830-宮古
- 1750-茂市
- 2004-宮古
-
- 0736-岩泉
- 1615-岩泉
- 1910-岩泉
-
- 0818-宮古
- 1738-茂市
- 2052-宮古
-
- 0743岩泉
- 1623岩泉
- 1918岩泉
-
- 0810宮古
- 1730茂市
- 1944宮古
- 0748-岩泉
- 1628
- 1922-岩泉
-
- 0806-宮古
- 1726-茂市
- 1940-宮古
-
- 0753-岩泉
- 1628-岩泉
- 1928-岩泉
-
- 0801-宮古
- 1720-茂市
- 1933-宮古
-
代行バス時刻
- 宮古
- 蟇目
- 花原市
- 千徳
- 茂市
- 岩手刈屋
- 中里
- 岩手和井内
- 押角
- 岩手大川
- 浅内
- 二升石
- 岩泉
- ≪整備中でぞ。*≫
バスるんけど、いつのだろう?さぁ?
- 1 3 5 6
- 接 続 接 続
- ↓ ↓
- 0557 0701 1540 1836 茂 市-発
- 0609 --13 --52 --48 岩手刈屋
- 17 --21 1600 --56 中 里
- 23 --27 --06 1902 岩手和井内
- 37 --41 --20 --16 押 角
- 05 --09 --48 --44 岩手大川
- 23 --27 --06 2002 浅 内
- 30 --34 --13 --09 二升石
- 0637 0741 1720 2016 岩 泉-着
- 2 4 6 8
- ---- 0756 1640 1909 岩 泉
- ---- 0803 --47 --16 二升石
- ---- --10 --54 --23 浅 内
- ---- --28 1712 --41 岩手大川
- ---- --56 --40 2009 押 角
- 0626 0910 --54 --23 岩手和井内
- --32 --16 1800 --29 中 里
- --40 --24 --08 --37 岩手刈屋
- 0652 0936 1820 2049 茂 市
- ↓ ↓
- 接 続 接 続
運賃
- JR岩泉線運賃を参照ぅぉ
路線データ
- 管轄(事業種別):東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 区間(営業キロ):茂市駅 - 岩泉駅 38.4 km
- 軌間:1067 mm
- 駅数:9(起終点駅含む)
- 岩泉線所属駅に限定した場合、起点の茂市駅(宮古線所属『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年)が除外され、8駅となる。
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:スタフ閉塞式
- 交換可能駅:なし(全線1閉塞)
- 最高速度:85 km/h
- 運転指令所:盛岡総合指令室(運転取扱は茂市駅)
全線が盛岡支社の管轄である。
運行形態
2010年7月31日に土砂崩れによる脱線事故が発生し、以来全線運休となっている。脱線車両の撤去は同年11月18日に行われたものの、沿線内すべての地域で危険個所の調査が必要となっているため、復旧のめどは立っていない脱線車両を撤去、復旧めど立たず 岩手・JR岩泉線Template:リンク切れ - 河北新報、2010年11月19日。同年8月2日からはバス代行が開始された。代行バスは当初押角駅・二升石駅を通過していたが、8月17日からは最寄り国道上に仮設の停留所が設置され停車している。また、一部の便が宮古駅発着となったhttp://www.jr-morioka.com
岩泉線 土砂崩壊に伴う8/16までのバス代行について]}} - JR東日本盛岡支社、2010年8月6日。Template:PDFlink - JR東日本盛岡支社、2010年8月6日。。
代行バスは2012年3月17日のダイヤ改正時点で以下の通り設定されている
岩泉線代行バス輸送ダイヤ}} - JR東日本盛岡支社、2012年3月19日。
- 宮古駅 - 茂市駅 - 岩手和井内駅 - 岩泉駅 : 朝上り1本、夕1往復
- 茂市駅 - 岩手和井内駅 - 岩泉駅 : 朝下り2本、夕1往復
- 茂市駅 ← 岩手和井内駅 : 朝上り1本
通常時の列車ダイヤでは、2010年3月時点で、茂市駅または山田線宮古駅より終点の岩泉駅まで行く列車が1日3往復(朝1往復、夕2往復)運行されていたほか、岩手和井内駅折り返しの区間列車が朝に1往復設定されており、これらのうち2往復が宮古線宮古駅まで乗り入れていた。詳細は以下の通り『JTB時刻表』2010年3月号。
- 宮古駅 → 岩手和井内駅 : 朝下り1本
- 茂市駅 ← 岩手和井内駅 : 朝上り1本
- 茂市駅 - 岩泉駅 : 朝下り1本、夕1往復
- 宮古駅 - 岩泉駅 : 朝上り1本、夕1往復
1992年3月13日までは岩泉駅発着4往復・岩手和井内駅折り返し1往復の1日5往復が運転されていた。
全列車とも各駅に停車していた。車両側の設備は整っていたもののワンマン運転は行われていなかった。
理由はワンマン措置をするのが無駄だからだ。岩泉線は列車が最低3往復、最大でも区間便含めて4往復しか入ってこないので岩泉線独自の自動案内放送を設けること自体が無駄と判断され、ワンマンとなると原則運転士が1列車運行の全業務を賄わねばならないため、運転士個人への精神的肉体的負担が大きく、山岳路線である故に災害が起きたときの対処が欠落しやすいなどがあげられる。
車掌がおらずなら各駅に確認ミラーを設置せねばならむし、整理券箱の印刷代、印紙などがかかるだろう。
そのため、臨機応変できる車掌による肉声が望まれる。
一応、JR東の方針で所轄の全駅でケータイ℡が通じるようになっており、あの秘境である押角駅(のホーム上だけ)でさえ電波が3本くらい立つのだ。
たしか似たようにJR魚会線・今は亡き田子倉駅でも℡使えただろり。
廃線となるから電波補助も撤去だな。
使用車両
非電であるため気動車が用いられている。汽車ともいう。浅内駅には給水所があり、現在は使われてないが鎮座る。
歴史
改正鉄道敷設法別表第8号に規定する予定線で、東北本線(現在のいわて銀河鉄道線)の小鳥谷から小本街道沿いに三陸海岸沿いの袰野(ほろの。岩泉町の字名で岩泉 - 小本間に位置する)に至る鉄道と、落合付近(岩泉町の字名で浅内 - 二升石間に位置する)から分岐して、茂市で宮古線に接続する鉄道の一部である。
計画時に袰野で接続するはずであった改正鉄道敷設法別表第6号の予定線(現在の三陸鉄道北リアス線)は、後に海岸沿いをトンネルでショートカットするルートに改められたため、当地を経由していない。
実際に建設着手されたのは、戦時体制下で、沿線から産出する工業用耐火煉瓦の原料となる粘土に軍需物資としての需要が生じたことによる。太平洋戦争中の1942年6月25日に茂市駅 - 岩手和井内駅間が小本線(おもとせん)として開業、1944年に岩手和井内駅 - 押角駅間が貨物線として開業し、粘土採取地から索道によって押角駅まで粘土を輸送した。
終戦後ほどなく押角トンネルを貫通、1947年11月25日から旅客輸送も全線で開始するなど沿線の政治力も伴い徐々に延伸、浅内以北は日本鉄道建設公団の施工により1972年2月6日に岩泉駅まで開通したが、ここで延伸は停止した。
旧線名の「小本線」は計画当初の終点からとったもので、岩泉駅 - 小本駅間には国鉄バスが運行されていたが、鉄道は結局そこまで達することはなかった。
岩泉駅 - 小本駅間の国鉄バスは、国鉄民営化後もJRバス東北によって運行されていたが、2003年4月1日にJRバス東北岩泉営業所と陸中海岸線岩泉駅 - 小本駅 - 大牛内間が廃止され、岩泉町民バスへ移管された。
2010年7月31日に押角駅 - 岩手大川駅間の茂市駅起点23.965km地点で土砂崩れによる脱線事故が起き(詳細は「岩泉線列車脱線事故」を参照)、以来長く全線の運休が続いている。
2012年3月29日にJR東日本が運行再開を断念する意向を固めたと報じられ{{cite http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20120329_3|titleJR岩泉線、再開断念の方向 30日にも正式発表|岩手日報岩手日報社JR岩泉線:廃線へ 土砂崩れで不通「乗車率悪い」|author=安藤いく東京
、3月30日に正式発表された具体的な廃線の時期は未定だったが、2013.11.02に地元との話し合いに折り合いがつきか廃線を表明りずし、JR東・盛岡支社の誰かは国交省東北運輸局に当線の廃止届が提出され、来年・2014.04.01付けで廃線が決定した。
- ま、どのみちあの災害(東日本大震災とは別)以来、列車が走ってないのだから、さよなら運転やイベントすらなくヒッソリとなくなるんだろうよ。
- バカだなぁ。
年表
- 1942年(昭和17年)6月25日 【開業】小本線 茂市 - 岩手和井内 (10.0 km) 【駅新設】岩手刈屋、岩手和井内
- 1944年(昭和19年)7月20日 【延伸開業】岩手和井内 - 押角(5.8 km、貨物営業のみ)【駅新設】(貨)押角
- 1947年(昭和22年)11月25日 【延伸開業】押角 - 宇津野 (4.5 km) 【旅客営業開始】岩手和井内 - 押角 【駅新設】宇津野 【貨物駅 → 一般駅】押角
- 1948年(昭和23年)11月26日 【災害不通】全線(風水害による)
- 1949年(昭和24年)3月5日 【営業再開】全線(復旧)
- 1957年(昭和32年)5月16日 【延伸開業】宇津野 - 浅内 (10.9 km) 【駅新設】岩手大川、浅内 【駅廃止】宇津野
- 1966年(昭和41年)10月1日 【駅新設】中里
- 1972年(昭和47年)2月6日 【延伸開業】浅内 - 岩泉(7.4 km、旅客営業のみ) 【駅新設】二升石、岩泉 【改キロ】岩手大川 - 浅内 (-0.2 km) 【線名改称】岩泉線
- 1982年(昭和57年)11月15日 【貨物営業廃止】茂市 - 浅内
- 1984年(昭和59年)6月22日 運輸大臣が廃止承認を保留
- 1985年(昭和60年)8月2日 代替道路未整備を理由に廃止対象から除外
- 1986年(昭和61年)3月3日 岩手和井内・浅内駅無人化に伴い、茂市 - 岩泉間一閉塞化(スタフ閉塞化)
- 1987年(昭和62年)4月1日 【承継】東日本旅客鉄道
- 2003年(平成15年)10月11日 快速「キハ52・58岩泉号」が運転され多くの乗客が岩泉線に足を運ぶ(13日まで)
- 2008年(平成20年)
- 2010年(平成22年)
- 7月31日 【災害不通】全線(土砂崩れによる列車脱線事故による)
- 8月2日 【代行輸送開始】全線(16日まで押角駅・二升石駅は通過)
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)
- 3月30日 JR東日本が鉄道路線を廃止し、バス輸送へ転換する方針を発表
- 2013年(平成25年)
- 11月2日 JR東日本が鉄道路線を廃止届を運輸局まで届け提出。
- 2014年(平成26年)
- 4月1日 廃止予定。岩泉線代替バス輸送・運行開始!!ご期待下さい!!
- この一ヵ月後にJR北海道・JR江差線の木古内~江差間な末端部が廃止。再び廃線ブーム到来!
- 4月3日 地元・岩泉町がヒャッハーになる。
駅一覧
- 全列車普通列車(すべての駅に停車)
- 茂市駅を含め、岩泉線列車同士の列車交換は不可
- 全駅岩手県内に所在
みどりの窓口が設置されている駅はない2012年現在、このように起点駅、中間駅、終点駅ともに一つもみどりの窓口が設置されていない路線は、全国のJR線の中で岩泉線のほかにJR東日本の男鹿線と四国旅客鉄道(JR四国)予土線がこれに該当する。。
廃駅
- 宇津野駅
- 1957年5月16日廃止、位置は押角駅 - 岩手大川駅間、茂市起点 20.3 km今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳 2号 東北』新潮社、2008年、p.3、押角トンネル岩手大川方抗口付近
宇津野駅(廃駅) - 本宮ステン所、2010年5月3日。電報略号は、ウノ。
- 小本線時代に存在した駅で、浅内へ延伸されるまでは当路線の終着駅であった。岩泉行き列車に乗り押角トンネルを抜けると、すぐ左側に見える広い平らな敷地が跡地であり、国道340号からは木製の橋で繋がっている。
最終更新:2014年11月17日 16:01