アルピコ交通

あるぱいんこーぽれーしょんっ!あるぴこ・こーつー


ウィキペディアには未だ本社画像ありません。 (なぜか3000系電車しかない) よて、ウィキペディアより先なり!


信濃の国松本市と諏訪地域・全域と北信地方長野市でバス事業を展開する交通会社。表向きは鉄道事業をやっているが、実態は松本電鉄という別会社が運営している。子会社。ニコニコ大百科にしろ、ウィキペディアにしろ、「アルピコ交通=松本電鉄」としているが、ここでアルピコ交通はバス会社で、松本電鉄は鉄道会社。事実松本電鉄自体は宙に浮いた会社であるが、バス事業と鉄道事業は別組織として扱っていくぞ。で、本社は松本市井川城で長野市と茅野市にそれぞれ支社を持っている平成24年11月16日(金)より東京支社東京営業所が解説される。アルピコHDの中核会社だ。      アルピコグループ中核企業っぽいだろう。

こちら、旧アルピコホールディングス・アルピコ交通・松本電鉄本社imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。

説明

元々松本電気鉄道という会社名だったが2011年4月1日に川中島バスと諏訪バスを自社へ併合し、現会社名に改める。同時に鉄道事業は松本電鉄として分社し、現在に至る。旧会社名については通称として残す方針だ。松本電鉄の起源・時は大正9年、 当初は鉄道とは無関係な・筑摩電気株式会社という電力会社・東筑摩郡・新村に本社社屋があた。

歴史

1920年(大正9年)03月 - 筑摩電気株式会社として設立。筑摩電燈じゃあ!

1920年(大正09年) - 鉄道事業へ転換筑摩鉄道に。

1921年(大正10年)10月2日 - 島々線 松本 - 新村間が開業。

1922年(大正11年)9月26日 - 島々線 松本 - 島々間が全通(免許認可された区間のうち島々 - 龍島間は狭隘な地形による建設費の高騰が見込まれ建設を断念)。

10月31日 - 筑摩電気鉄道に社名変更。

1924年(大正13年)4月19日 - 浅間線開業。

1932年(昭和7年)12月2日 - 松本電気鉄道に社名変更。

1943年(昭和18年) - 松本自動車を合併。

1955年(昭和30年) - 島々線を上高地線に改称。

1964年(昭和39年)4月1日 - 浅間線を廃止。

1978年(昭和53年)4月 - 松本バスターミナルをバスターミナルビルにし、松電ストアやイトーヨーカドーが開店する。

1983年(昭和58年)9月28日 - 上高地線の新島々 - 島々間が災害で休止に。翌々年の1985年(昭和60年)1月1日付けで廃止。

1992年(平成4年)5月 - CI|グループアイデンティティ(GI)導入、グループ名をアルピコグループに決定。

2007年(平成19年)12月25日 - アルピコグループの他18社とともに、メインバンクの八十二銀行に対し、倒産#私的整理に関するガイドライン|私的整理ガイドラインに則った再生支援を要請。

2008(平成20年)12月12日 NHKの番組である「知るしん」に取り上げられ放映。

2011年(平成23年)4月1日 - グループの川中島バス諏訪バスを吸収合併、アルピコ交通に社名変更とアルピコ交通に社号を改めると同時に鉄道事業を松本電鉄として分社する。鉄道事業の本社はアルピコ交通と同じアルピコ本社ビルゃ。

2012(平成24年)11月16日 - 東京都板橋区東坂下2丁目17-7に東京支社東京営業所開設

2015年(平成27年)4月1日 - 上記東京営業所を分社し、アルピコ交通東京株式会社設立。高速乗合バスの運行や貸切バス事業を行うあ、東京駅―上高地線の運行始

東京、渋谷-上高地線を新規運行

2016年7月29日から運行始まったぞ!

2016.09もちを持ってな、中山(オール、)、入山辺(オール!)、三才山線(岡田出張所- 三才山 一の瀬)んを廃止予定。

アクセス便利

松電西松本駅から徒歩10~15分

表向き、最寄駅はJR松本駅なんじゃろうが、実際は西松本駅のが近い。理由は両駅を構内ではなく、目的地に最も近い出入り口の位置から目的地まで距離的に比べるとしてぃ、松本駅は東口、西松本は松本から南へ行って西へカーブるため、同駅よりやや南に位置し、ホームも線路南側にあるため、踏切を渡る必要がなく、もうお分かりいただけると思うが、松本駅南側で線路を跨ぐ橋が極めて近い、そっから、線路はマダン越えず、中条橋東にある交差点を直進して道なりにいき、橋が見えたら渡って、東へ入る道へ通り、しばらくしたら線路が見えるのでソレン沿いに歩いて、橋見えたら渡って渡り終えたところで線路の下を潜れる道を通る、あとは進入禁止の標識が見えたらそこがアルピコ本社です。アルピコ本社ってアルピコHD?アルピコ交通?どっちも!

アル交バス庄内町バス停(松本方用のが近い)

付近にあるバス路線は寿台方面系統があり、その中の庄内町が近い、しかし、最も近い庄内町バス停は上記通り松本方ようである。どういうことかと、実は寿台方面系統は市街地区間では一方通行があり、逝きと帰りで通行するバス停が異なる。 むろん、松本BT方面から、これでは降りれないだろうと思うがご心配なく、最も近いバス停が松本行専用であるならば、逆に寿台方面専用もあることとなる、そんバス停は同名の庄内町であるが、松本方専用より少し離れた場所にある。本社へ向かうには、バス停で降りる次にバスが走り去る方向に信号機があるので、そいつを西へ向かい、突き当たりると逆方向への車線に出る。と、右に行くと庄内町松本方専用が見えるので、それの西側に河川堤防がある。これを登って、近くに太鼓橋より優しい橋があるのでソレを渡ってもらい、渡り終えるとアルピコタクシーの営業所がある。その先が松電本社敷地となる。正面玄関は歩道があるので、川の流れる方向へ進むとバスが出入りする道に出るのでそこへ入ると本社玄関にたどり着きます。本社玄関には渕東渚が出迎えているっぽいぞ。

アル交中条バス停

西松本駅に近く、近くにある線路を越える橋が見える信号を左に入ると曲がり道がある。逝きかたは上記な西松本駅を参照。

路線一覧

アルピコ交通バス路線覧も参照というん こっちのが更新早い。

松本バスターミナルのバスターミナルはBTと省略する。

一般道路線バス

市街地北部循環線(信大経由及び横田経由):松本BT~大名町~新町~信州大学~追分~総合体育館~浅間温泉入口~自動車学校~横田~桜橋~秀峰学校~松本市美術館~松本BT 2009年7月16日に値上げと同時に誕生した路線。浅間温泉までの需要が低いことから浅間橋付近で市街地方面へ折り返すパターンとして誕生した。

信大浅間線・横田浅間線

かつて松本駅前と浅間温泉を結んでいた路面電車の代替バスといえる路線。本数は信大浅間線と互角。2009年7月16日時点の本数は1往復と松本行1本だったが現在では朝の1往復を増便した。

城山線

経路:松本~大名町⇒市役所~正麟寺口⇒宮渕上⇒丸の内中学校⇒開松⇒放光寺⇒放光寺下⇒種蓄場口⇒城山老健施設前⇒蟻高グランド⇒アルプス公園~種蓄場口⇒蟻ヶ崎台⇒蟻ヶ崎五丁目⇒北蟻ヶ崎~蟻ヶ崎高校⇒鷹匠町⇒市役所~松本

急行バス

合同庁舎線(急行)

経路:松本⇒(国道158号経由)⇒合同庁舎 旧経路:松本 - 伊勢町Mウィング - 巾上 - 渚町区 - 荒井 - 合同庁舎 2008年7月16日~ 松本駅西口⇒合同庁舎

美ヶ原高原線

2008年までは2つのルートがあり、高原の北から上がる美鈴湖経由北線と南から上がる三城経由南線があった。ただし、南線は美術館前、北線は美術館から北10km離れた場所までだった。 2009年からは1ルートに減らされ、 2012年の運行日数は7月の土日祝と8月の盆中末までな毎日に減らされ去年あった4~6月の運行日はない。2013年はどうするなか不明である。

アルウィン・松本山雅線

2010年ごろから運行する臨時であるがアルウィンで松本山雅の試合があるときのみ運行される。

信州まつもと空港連絡線・エアポートシャトル

2008.01頃に廃止オブ休止され同じく空港にやってくるローカルバス朝日線の全便空港乗り入れを実施した。しかし旅客機到着時に1時間待つなどの問題も有り2012.07.01から10月頃まで期間限定で復活運行再開す。なお運行期限の10月までに実績がよければ存続もありゆるという。 なお、ウィキペディアには、2015.12.02、不明だ。厳密H24年06.30。復活。

一般道・周遊バス

周遊北線(松本城) 松本駅⇒松本BT⇒国府町⇒本町⇒大名町⇒丸の内⇒上土町⇒松本城太鼓門・市役所前⇒鷹匠町⇒旧開智学校⇒正麟寺口⇒城西病院⇒巴町公民館⇒今町通り⇒伊勢町Mウィング⇒松本BT⇒松本駅

周遊東線(蔵の街)

松本駅⇒松本BT⇒時計博物館⇒蔵のまち仲町⇒蔵シック館⇒はかり資料館⇒龍興寺⇒伊織霊水⇒薬祖神社⇒勤労者福祉センター⇒日の出町⇒四ッ谷町⇒蚕糸公園東⇒県ヶ丘高校⇒あがたの森公園東口⇒旧松本高校⇒秀峰学校⇒松本市美術館⇒市民芸術館⇒秋葉神社⇒相澤病院⇒栄町西⇒国府町⇒松本BT⇒松本駅

周遊南線(庄内)

松本駅⇒松本BT⇒飯田町⇒秋葉神社⇒相澤病院⇒栄町公民館⇒筑摩小学校東⇒西筑摩⇒ゆめひろば庄内⇒ライフスクエアコモ庄内⇒ハローワーク東⇒筑摩小学校西⇒相澤健康センター⇒相澤病院⇒栄町西⇒本町五丁目⇒国府町⇒松本BT⇒松本駅

周遊西線(島立)

松本駅⇒松本BT⇒伊勢町Mウィング⇒巾上⇒渚町⇒なぎさライフサイト⇒丸の内病院⇒蛇原橋⇒堀米新田⇒島立交番⇒アイランド郵便局⇒筑摩高校⇒松本市歴史の里⇒小柴⇒一之瀬脳神経外科医院⇒堀米南⇒信濃荒井⇒田川公民館⇒渚内城⇒巾上⇒伊勢町Mウィング⇒松本BT⇒松本駅

歴史

2007.09.30―この日の運行を最後に国道塩尻線の全廃。

2008.12.15―この日を最後に梓川線(松本~氷室西間)と寿台村井循環線(村井松本病院~平田~寿橋間)が廃止。

松原経由中山線(松原南~松原東間)に松原西と松原北を設置

2009.12.16―入山辺線(美ヶ原高原口~大和合)が減便土曜休日運休。美ヶ原高原口で分岐して船付橋まで逝く船付橋支線が追加。

2012年―美ヶ原美術館線の運行日が減らされ7月14~29日の土日と8月4~16日のみとなる。よって4~7月まで春の運行はない。2009年まで高原の北側な発着していた高原線もあった。

美ヶ原美術館の2011年は4月29日~5月8日までの毎日、5月14日~7月10日までの土曜日・休日、及び7月16日~8月28日までの毎日運転だったが7月14~29日の土日と8月4~16日のみに減る。ただし運行本数や各停留所・発着時刻の変更はないぜ。運賃は平成21年5月1日改定。片道1500円だが往復切符購入で通常3000円が2700円に下がる。 この路線、松本BTを出ると入山辺を通って高原へ向かう路線なのだが、なぜか入山辺・美ヶ原温泉よりもずっと北方にある浅間温泉を回ってから美ヶ原温泉、大和合、三城口の順に停車する。美ヶ原温泉はマダしも浅間温泉経由をやめるだけで所要時間が20~30分も短縮される。2012年に運行本数が少なくなった後も浅間温泉経由を続けている。たぶんこれは2009年最終運行以降美ヶ原美術館とは別に美ヶ原高原というところまで行っていた路線があり、そいつは美ヶ原温泉、浅間温泉の順に停車していたので遠回りという点では問題なかった。最大の理由としては浅間温泉は本郷村という独立した村だったことや独立村だった本郷と松本電鉄は当時運行していた路面電車廃止をきっかけに美ヶ原高原道路の路線免許を巡って対立したことがアル。本郷村長選挙で松本市からも廃止するように言われ既にバス主体で電車に未練がない松電は廃止派の候補を支持していた。その関係からか今でも廃止された別系統を包括するようにわざわざ遠回りをしている。2013年の運行はどうなるかわからない。しかし2012年8月16日時点で全席が埋まったため、来年の運行日は少なくなる可能性はあるが部分的には残されるだろう。

最近の出来事

アルピコ交通など高速バス名古屋線来年1日改正 2012.11.17長野発着2往削減 松本は2増 松本市に本社を構えるアルピコ交通と名古屋市は12月01日、長野―名古屋、松本―名古屋間で共同運行する高速バス路線のダイヤを改正する.現在1日4往復の長野発着便を2往復に減便. 1日6往復の松本発着便を8往復増やし、従来よりも1時間遅い午後8:10に名古屋を出る便を新設する. 改正後の長野発着便は長野市内な善光寺大門発が午前6時と午後3時半、名古屋市な名鉄バスセンター発が午前8:10と午後3:10.松本発着便は松本市な松本バスターミナル発が午前5時半、8時半、10時半、午後0時半2時半、4時、5時半、7時半. 名鉄バスセンター発が午前7:10、9:10、10:10、午後0:10、2:10、5:10、6:40、8:10. 松本―名古屋線では12月~来年3月末まで、通常よりも座席幅が広く、可動式の枕、毛布、電源コンセントなどが使える「Sクラスシート」の上乗せ料金を1000円から500円に割り引く.

その他

2007年秋に松本電気鉄道だったころに経営破綻という病を発症。グループ傘下の会社とともに民事再生法を提出。株式会社であるため出資主である八十二銀行が役員を送り込み従来からいた当時・滝沢徹社長ら取締役員全員が総辞職した。新たに社長に就任した堀籠社長な指導のもとでアルピコ再生計画を発令。自身が三年以内に黒字化といっていたのでここでは「アルピコ三ヶ年計画」と称する。

まず堀籠は赤字部門の排除を計画。赤字が目立つのは小売商店、乗合バスで小売店はアップルランドがあり年内に不採算店の閉店を命令。そして不採算だった開智、新庄、島内の各店舗が閉店に追い込まれた。

同時期にバス路線の縮小や撤退といった地域のバスが廃止となることもあったん。2008.12.16に寿台村井循環線(村井周り)、梓川線、山塩線(塩尻駅~塩尻営業所)が相次いで廃止された。廃止予定路線はいずれも市政から赤字補填用の資金が提供されるものだった。実は会田保福寺・会田原山も含まれていたが結論が至らなかったため、原山方面だけ翌年01.01廃止された。寿台村井線の村井周りは村井駅口~南出川間でJR線に近く並行している上に南松本~村井間に新駅開業のため利用者が少ないと判断され補助対象外となり廃止。これにより循環系統は壊滅する。梓川線も同様の理由で鉄道が並行する松本~梓橋間が補助対象外となって廃止。梓橋から出ないのは梓橋駅で回転場所や駅までの距離が長くなってしまうため一日市場駅に変更され一日市場駅へ行くには梓橋~横沢下町間の氷室を通り一日市場駅に行くことはバスのサイズや道路形状や倭北団地からの要望もあり氷室を通ずることができず。このため切り捨ては松本~横沢下町となった。会田原山は大型バスほど輸送力がないが市営バスで包括できると判断され廃止されたと思われる。

残された区間は補助金対象となった。内田線に至っては寿台東口で分岐した後1つ先の寿台南を終着予定地としていたが全線補助された上に減便、今まで土曜も運行されしも土曜日も運休。城山線も運行補助を得ながらも減便されるも毎日運行は保たれた。

山塩線は村々から補助を受けながらも一日朝1往復だけ維持し、バスが来なくなる朝日村の村営バス設定準備ができたため2009.07.01山塩線全線廃止。上大池から先はバスが行かなくなる。

2008.07.16松本市内100円だったエリアを190円エリアに編入。これにより利用減少はしたものの収支は改善したという。対距離なんだから1区間150円でもいいと思うのだが均一エリアなのでエリア内ならどこまでも同額ということもあって収支バランスを考えると値上げはやむを得ないという。市内は一回乗車でも1区間でも190円均一だ。会社の見解では値上げは元々100円だったわけではなく190円だったころに戻したという。そんなぅ経緯がある。同時期に松本城経由だった三才山線が蟻ヶ崎付近を運行していた北部循環線を包括するように統合され中山線も松原線を包括するように統合、古屋敷から中信松本病院、松原を経て棚峯に至る少し長めの路線となった。

しかし2009.12.18に松原線は復活。中山線は利用者が増えず減便、土日運休となって朝1往復を残して全便古屋敷止となってしまった。

理由としては竹渕・寿台東口経由のほうが早いことや旅客流動が定着してしまっていることなどが挙げられる。また中山線も中信松本病院まででよかったのにわざわざ松原を経る遠回りまでして中山台へ行くのだから。それに中山台は中山よりも寿台との結びつきが強く、学区も明善学校となっている。よって松原を通ることが敗因とみれるぜ。しかも2008.12.15、中山線時代に作られた松原西、松原北バス停が松原線で復活すると従来のルートと異なるに寿台東口~棚峯間を重複するようになって、中山線短縮後、そのまま存続される。松原西は寿台東口に近く、松原北は西へ少し歩けば松原口バス停があり松本までの運賃も松原北が480円に対し松原口は430円なので50円差安くなることができるため所要時間や運賃面から考えて寿台東口または松原口まで歩く住民が多いらしい。松本へ行くのに松原北・西から乗車しても中信松本病院へ寄るため時間がかかる。ちなみに寿台東口は480円なので運賃面では意味がない。現在も変則な運行経路なままとなっている。現在、中信松本病院は機能が移転して存在しない。

当社は堀籠がアルピコHDと松本電気鉄道両社長を兼任していたが2010年に松本電気鉄道から退いて自身はアルピコHDの社長として君臨す。後任には塩沢が就任す。

梓川線は松本と八景山を結んでいたが松本~氷室西間までが廃止されて途切れた先を梓橋駅に設定して梓橋駅~八景山の飛び地路線として松本営業所から新島々営業所に移管して運用したが松本駅から乗換手間が要因で利用が低迷、結局2008.12.16~2010.07.30まで運行され廃止され松本コミュニティバスに移管された。

梓川線部分廃止の元凶は島内ラーラ松本線を統合してラーラ松本経由(朝の松本行を除く)にしたために生じた所要時間の増幅。廃止以前に松本市へ支援を要請したがJRと並行する区間や他路線と重複する区間の兼ね合いで松本~梓橋間が廃止され、残った梓橋~松本間が当面存続したが松本市街地から切り離された事で利用者低迷には歯止めがかからず、短縮からわずか二年程度で廃止された。

入山辺線は三城まで運行していた。

2008.07.16~2010.03.31まで中山線は古屋敷から中信松本病院・松原西を介して棚峯まで運行していたが2009.12.16~2010.03.31まで土曜休日運休の平日4便で始発1往復のみが棚峯行で後の3往復は古屋敷行とされていた。

笹部団地停留所は過去に一度死んでいる。で、2009.12.15に山形線本線の支線、笹部団地支線の停留所として復活している。

船付橋バス停の位置は船付バス停から船付社橋を介した坂道の途中にある。薄川線の終着地だった船付橋であったが路線が廃止されて以降、船付が代わりのバス停だった。その当時の船付橋バス停は現在地よりも橋の近辺に存在した。この場所は現在酪農家が家畜の糞尿置き場になっている。なぜこの場所がバス停だったのかというと私が乗った時に終点の船付橋に差し掛かろうとしたときにBBAがこの橋を渡り切ったところで降りようとしていたためとその糞尿置き場に待合室らしきものが建っているためで当時使われていた痕跡が伺える。

松電本社は井川城4にあり田川とJR篠塩線に挟まれた土地にある。バスがここへ来るには構造上、新庄橋と庄内橋のみで新庄橋は一方通行の右岸道を暫定相互通行にすればいいが庄内橋の場合、庄内橋以南の左右岸が安定しておらず通るのは用意ではない。また2012.04.04には観光部門のアルピコハイランド松本北営業所を自社の松本営業所に統合するに伴い敷地南部の田んぼだった所を新たに駐車場として整備して車両保管をしたが南端は田川左岸がJR線に迫るような形状であるためこれ以上の拡張は難しい。南部には昔廃止された路線にあったバス停ポールが置いてあった。今どうなってんだろ?

数年前に取材し伺ったところ、敷地内にはバスがズラりと並らぶ、バス用の屋根なし車庫が大半を占め、入り口の近くに松電時代からのアル交本社、その北北西に簡易整備場、その横にバス用給油所(運転士自ら入れるタイプ)、敷地中央部に整備工場とその南側にアルピコ労働組合事務所がある。南部は不足した用地の拡張で田んぼだったところが駐車場になった。整備場東に高速バスで貯めた汚物用の排水設備あり。整備場の建物は二階建てで一回で4台くらい整備ができる整備場があり右側に機械室や自販機やトイレなんかがある。バス用の系統プレートもあった。二階は給水室、その奥に休憩室、通路側に床屋、食堂、乗務員控え室が存在している。かつては松本営業所や点呼所もあったが2008年くらいに一々階段登って点呼しに行くのが煩わしいという不満な要望から本社ビル一階に移転している。今は空室となっていると思うよ?

アルピコ交通では2011年からアルピコ自動車学校を売却することを発表した。しかし自校労組の反発もある中で強行されている。理由としては売却先の企業が施設や設備だけ保有して社員をオールリストラして新たに社員を投入する方針だとか問題を多重に起こしているなど挙げている。売却を進めたメンバーにはアルピコ再建を支援した八十二銀行も含まれている模様。どのみちアルピコから自動車学校が消えるのは時間の問題ってことだ。労働者の権利とかいうけど、かつての国鉄でさえ民営化で千葉労の反発を押し殺して進めたんだからなぅ。社員食堂はどこにでもあるが大体1セット550円で食べられるらしい。A・Bは550円だがCは640円で食べられることもあるらしいぞ。ただCランチはカレーか何か。小物単品もあって100~300円程度らい。松電時代より他社との共同運行の関係で数人他社の乗務員が休憩しているかとな。よって彼らも社員食堂で飯を食べることもできるらしい。ただし京王バスに限り社食が京王定食の名で230円で食えるらしい。理由としては京王側な社員食堂の一食が安いらしくこっちだと高すぎるとして京王の一方的な要望だで京王だけ安くしたらしい。社員食堂で飯が食えるのは原則として関係者だけだが当社に就職するかアポイントで来るしかないよ。取材でいただけることもある。

切符は本社屋2階で買える。関係者以外は本社屋から2m離れると危険ということで構内では自由にであるけないだろう。関係者が歩くときは基本、反射服を羽織ることが多い。点呼場は社屋南部にあり。お客様入り口は社屋北部。本社近くに来客用駐車場が少ないので満車ならロータリーに手短にしたほうがよいらしいので5分程度しか停車できない。

庄内橋崩壊したら困るだろう。 なぜなら大型バスが通れる道は一本しかないからだ。 松本市街地と松電松本営業所までは、田川を跨ぐ庄内橋と薄川を跨ぐ新庄橋があるんだねん。 新庄橋~本社間には、一応他にも道はあるけど。西側はJR線が通っていて、下を潜れるようにはなってる。 しかし、この立体交差は高さ制限があり、自転車で立ち乗りして顔ぶつけるレベルであるね。 また、薄川は両岸が庄内橋と本社出口を除いて一方通行で、バスが容易に通れる道じゃない。 小道はバスが大きぎて側面が突っかかる。 また、新庄橋も左岸が下流方向へ一方通行で、バスが市街地へ抜けるには向かない。 万が一2つの橋が崩壊したとき孤立するだろう。 また松電本社もJR線と田川に阻まれた地域にあるため、八ならぬ七方塞がり状態。

松本駅と浅間・里山辺両温泉を結ぶ急行スパライナーがローカル・浅間線に統合される。このため浅間線は従来な松本BT発着んから松本駅発着となった。2016.10.01からアルピコ交通大阪ができたぜ!

営業所

本社松本営業所

本社新島々営業所

本社上高地営業所

本社塩尻営業所

長野支社川中島営業所

長野支社松代営業所

長野支社信州新町営業所

長野支社妙高高原営業所

長野支社白馬営業所

長野支社大町営業所

諏訪支社茅野営業所

諏訪支社岡谷営業所

東京支社東京営業所 ←アルピコ交通東京株式会社設

ただし、東京事業部だけは以前からあったっぽさ。 東京都板橋区東坂下2丁目17-7 乗合バス6台、貸切バス5台(開業時) 業務内容:新宿~県内行き高速路線バスの運行、高速路線バスの受託事業、東京都内発着の貸切バス事業

外超エキサイティング!

http://www.d1.dion.ne.jp/~htlth/mrc/mrc12.htm 松電の中に今は亡き路線もある!

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最終更新:2020年07月13日 14:16
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