- 倉ヲタ
- 【説明】
- 倉 義和捕手のためなら、火の中にも水の中にも入れる人。
- 何人かいるらしく、時々取り合いになる。一説には数十人存在するとも。
- (`Д´)の顔文字でおなじみ。
- 石原嫌いの人はいない。
- 巻き髪名古屋嬢の人がんがれ。
- なお、一部の倉ヲタは最近凶暴化しているというが…
- 「そんなことないんだからな(`Д´)」
- だそうだ。
倉群衆(くらをた)
1020年ごろより発生した、旧広島球団の捕手豪族・倉強肩守義和(987ごろ~1051年ごろ?別名貧打斎)を
熱烈に愛する支持者の集団の呼び名。
倉強肩守は京の都から広島の有力豪族に表向き招かれる形でやってきた。
すでに当時、「貴公子」の愛称で親しまれた河内国出身の豪傑、安芸国守護職西山秀二(さいざんのしゅうじ)、
「瀬戸物」(捕手の後逸の意)の名を後世に伝えた瀬戸歩炉梨ノ介輝信(せとぽろりのすけてるのぶ)等の有力なる
豪族のおかげでなかなか出世の機会に恵まれず、地頭として居住地の荘園「由宇城」を守っていたとされる。
京からの「都落ち」にも腐らず黙々と農業開発にいそしむ彼を愛した土民らが日夜彼への応援歌と思われる
歌を歌い続け、その歌を歌う土民たちの表情がみな「(`Д´) 」のように見えたことから、彼らは旗印に
「(`Д´)」を掲げて行動したという。
(民明書房刊・「広島・捕手豪族の歴史」)