アンフェやミソジネトウヨはこれ100回読んで歪んだ思想を直しな。
ミソジニストが統計やエビデンスを持ち出して女性を「論破」したところで、「相手の意見を認めない」「対話しない」時点で思考停止である。「統計詭弁」の危うさを学ぼう
https://note.com/anti_techuyo/n/ne294403231d2
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テクウヨ(テック右翼)や、ミソジニー(女性差別)界隈の論法として、「データや統計を持ち出して、女性の意見を『論破』する」という物がある。例えば、性犯罪への不安を訴える女性に「性犯罪は実際には少ない!」「性犯罪被害者は実際は男の方が多い」と、統計やデータを持ち出す事だ。
この手法はネトウヨがツイッター(X)で、リベラル派の意見に「コミュニティノート」を付けて嫌がらせをしている行為と本質的に同じだ。
しかし、「数字は嘘をつかないが、嘘つきは数字を使う」という格言があるように、どんなに統計やエビデンスを持ち出して頭が良さそうな仕草を見せても、女性やマイノリティが訴えている問題を無視し、相手の存在を否定したり、口を封るのは「オレ達は正しい、お前は間違ってる」と思考停止してるだけに過ぎない。
私はこれを「統計詭弁」と読んでいる。
この手法はネトウヨがツイッター(X)で、リベラル派の意見に「コミュニティノート」を付けて嫌がらせをしている行為と本質的に同じだ。
しかし、「数字は嘘をつかないが、嘘つきは数字を使う」という格言があるように、どんなに統計やエビデンスを持ち出して頭が良さそうな仕草を見せても、女性やマイノリティが訴えている問題を無視し、相手の存在を否定したり、口を封るのは「オレ達は正しい、お前は間違ってる」と思考停止してるだけに過ぎない。
私はこれを「統計詭弁」と読んでいる。
彼等は「ファクトベースで議論出来るオレ達は知的だ」と思っているのだろうが、統計を持ち出して社会問題の本質から逃げているだけでは、解決にならない。社会問題というのは、統計だけでは示せない、数値化出来ない問題も多く孕んでいる。
「お気持ち論」は悪くない。エビデンスやデータを絶対的根拠とする危うさ
ネトウヨやアンチフェミのネット論壇上ではしばしば、感情をベースとした「お気持ち論」は「論理的でない」とされ、揶揄・嘲笑の対象とされ、統計的事実やエビデンスこそが重要だとされている。
しかし、この「お気持ち論」批判こそが思考停止なのは先にも述べたとおりだ。重要なのは、目の前の課題、そして価値観の異なる相手と真摯に向き合う事である。データを根拠に冷笑するのは、知的に欠けた態度だ。
全ての事象は数値モデル化する事は不可能であり、「お気持ち」と揶揄されている意見の根底にも、数理モデル化出来ない何かしらの事情や理屈があり、それもまた「エビデンス」なのである。
全ての事象は数値モデル化する事は不可能であり、「お気持ち」と揶揄されている意見の根底にも、数理モデル化出来ない何かしらの事情や理屈があり、それもまた「エビデンス」なのである。
「お気持ち論」を無視し、統計的事実だけを理由に社会を運営するのは危険で、必ずナチス的な社会になる。例えば、中国人はマナーが悪い」という統計データを根拠に店舗を運営すれば、「中国人は入店禁止」という明らかな差別が「統計に基づく合理的判断」と罷り通る。「ユダヤ人は金を持っている」という統計的事実が、「富を独占し、搾取している。危険だ」という理屈を正当化し、ナチスによるホロコーストを産んだ。(しかし、皮肉なことに、今度は彼らがパレスチナでジェノサイドを行っている「パレスチナ人はテロリストである」という「統計的事実」を根拠に、「無差別虐殺をする側」に回っているのだ。)
そして、法制度とは常に想定されていない穴があり、現行の法制度を根拠とする論も、アメリカで女性やマイノリティの人々が保護されていなかった時代(トランプのせいで、また逆戻りしているが)女性やマイノリティの方々が差別を訴えても、「法的には問題無い」「そのような権利は無い。お気持ちだ」と、冷笑されていたように、ファクトを理由に差別を正当化される事になってしまう。
気に入らない意見を潰して現実逃避するのは簡単だが、そのツケは必ずいつか降りかかるだろう。