樋咫帝国

樋咫帝国(Joojeinaara fo Toitaa)は、ハタ王国に存在した王朝のようなもの。ハタ王国史上最も存在した期間が短かった王朝の一つ。

歴史

いや別に歴史なんてそんなこんな風に堂々と「これが樋咫帝国の歴史だ!」とか言う風にわざわざ書くほどのものはないんですけれどね。一番初めに成立したトイター教王朝。トイターがスケニウへ移ったとき(ヒジュラうわなにをするやめr)、スケニウにて特に何も知らない純粋なスケニウの農民たちをうまく騙して自分の駒にし、その地に本拠地を固めてその新興宗教がユーゲ国などからすれば謎で仕方なかったため、適当になんか強そうな響きのする「帝国」という国家形態だとかってい決めつけて樋咫帝国と名付けられた。彼ら自身は王朝であるという自覚はなかった。
ジハードのためにユーゲ国政府軍や有力者などと争った二度の戦争を行った。隔河大戦と呼ばれ、ユーゲ国と樋咫帝国の間の事実上の国境にて繰り広げられたためこう呼ばれる。一度目の第一次隔河大戦は引き分けとなったが、二度目の第二次隔河大戦は樋咫帝国側が勝ち、ユーゲ国はあっさりと陥落し、帝国に支配されることとなった。ペーセ国などの周辺諸国ともうまいことやって樋咫帝国の地位は確信的となった。
しかし、toi.1にどういうわけかハゲが死んだため、生前に後継者として指定されていたテイカがスカルムレイと呼ばれるようになり現在のハタ・スカルムレイ朝が成立した。トイターの死因については作者ですら「不明にしておいた方が面白い」とほざくので不明となっている。

宗教

トイター教以外受け付けない、政教一致体制であった。なんせ当時民族宗教としてユーゲ平野全土に広まっていたイーグティェルーアルー教に反対してトイターが啓示を受けて一神教を始めたので、異教徒に対する制裁は現在のハタ王国とは比べ物にならなかった。

政治

トイターの完全独裁である。トイター教の「人類はトイターに従い、その後継者にのみ従う」という教えにより、トイター以外に政治に口を出す権利は与えられなかった。もともとトイターは政治や軍隊の指揮に秀でた人物である。

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最終更新:2015年07月12日 14:59