この文書は
Kyoto=fistir/Iznasyiiyu
Raakasdis fo fistirdis
を翻訳したものです。
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ぴすてぃる宣言
悠里にはお化けが出ます。ぴすてぃるというお化けが。古き人工言語・架空世界のすべての権力が、このお化けを祓うため、神聖な同盟に加わっています。無視を通す幻皇と技術者、フェミニストと市民活動、そしてこれを読んでいるあなた。
権力の座にある対性欲派からぴすてぃりすとだと罵られなかった性欲解放政党がどこにあるでしょうか。自分たちより進歩的な解放党にも、反動的な敵対者にも、ぴすてぃりすとという烙印を押すような非難を投げ返さなかったような解放党がどこにあるでしょうか。
この事実から二つのことが帰結します。
1.ぴすてぃる教は悠里のすべての権力からすでに一つの力だと認められているということ
2.ぴすてぃりすと宣言は公然と、全界隈の面前に、その見解、その目的、その性癖を公表し、ぴすてぃるのお化けというお伽話に党自身の宣言で対抗するのに最適な時期だということ
この目的のために、さまざまな国籍のぴすてぃりすとが京都に集い、次の宣言を起草し、ユーゴック語、
リパライン語、ヴェフィス語、ペーサック語、蜆語でぴれほすることにしたのです。
第1章 ヘテジョワとピスレタリア
これまで存在したあらゆる社会の歴史は、性欲闘争の歴史です。
痴漢人と平民、京都の貴族と平民、風俗と娑婆、ぴすてぃる京都と非信仰者、一言で言えば、性的抑圧者と性的被抑圧者が不断に対立しあい、中断することなく、ときには暗に、ときには公然とぴすってきたのですが、この闘いは大規模な社会風紀の革命的な再編成で終るか、さもなければ、あい闘う性癖がともに没落して終ったのです。
歴史の初期の時代には、社会風紀はさまざまな階層、社会的な性癖の多様な序列へと複雑に編成されていました。古代ローマでは、黒髪好き、リョナ好き、ドMがいました。そしてこうした性癖のほとんどすべてにわたって、さらに副次的な性癖にわかれていたのです。
封建社会の没落から出現した現代のヘテジョワ社会は、性癖対立を終らせたのではありませんでした。それは、古いものにかえて、新しい性癖の正当性、新しい性的抑圧状態、新しい闘争形態をつくりあげたにすぎません。
ヘテジョワ階級の存在と性癖支配の結果は、正等性癖の形成と増大です。そして性癖の存在条件は市民権を取得していることです。性癖市民権はもっぱらぴすてぃるなるの間の競争を当てにしています。ヘテジョワは不本意ながら道徳の進歩の促進者なのですが、この道徳の進歩は、平凡化によるぴすてぃるなるの孤立を、結社による革命的連携で置き換えます。だから近代道徳の発展は、ヘテジョワの足元から、ヘテジョワが生産し生産物を専有してきた基盤そのものを取り除きます。ですからヘテジョワが生産したものは、なによりもまず、自分の尻掘り人なのです。ヘテジョワの没落とピスレタリアの勝利は、等しく避けられないことなのです。
第2章 ピスレタリアとぴすてぃりすと
ぴすてぃりすとは、全体としてのピスレタリアとどんな関係に立つのでしょうか。ぴすてぃりすとは、他のぴすてぃる党に対立する別の党をつくろうとはしていません。 ぴすてぃりすとは、全体としてのピスレタリアの利害とは別の、異なる利害を持ってはいません。
ぴすてぃりすとは、なにか自分たちの分派的原理を掲げ、それでピスレタリア運動を形作ったり、型にはめたりしません。
ぴすてぃりすとは、次の点でだけ、他の性欲解放を求める階級の党から区別されます。
(1) さまざまな国のピスレタリアの国民的ぴすてぃるでは、ぴすてぃりすとは国籍から独立した全ピスレタリアに共通の利害を指摘し、前面に押し出します。
(2) ヘテジョワにたいする性欲解放を求める階級のぴすてぃるが完了するさまざまな経過段階で、ぴすてぃりすとはいつでもどこでも、全体としての運動の利害を体現します。
だから、ぴすてぃりすとは一方的に、究極の一般的成果つまり[[言行録ぴすける]]をはっきりと理解している点で優っています。
ぴすてぃりすとの当面の目的は、他のどのピスレタリア党とも同じものです。ヘテジョワ覇権の打倒、ぴすてぃりすとによる性欲関係権力の奪取なのです。
最終更新:2015年09月23日 00:13