【Azoth/zero】

 それは、とある一室の出来事。
 一人の青年が、死地に赴くかのような真剣な眼差しで刃物を手にする。
「……ふぅ、」
 一つ、小さく息を吐き。
 斬、と刃物が肉塊を斬り絶つ。
 休むことなく刃物を動かし、切られた肉塊は細切れへと変貌を遂げる。
 つづけて、劫、と燃え盛る火の上で鉄が空中を舞う。
「……」
 青年はカン、という小気味良い音を立てながら鉄の中にあるモノをいためつけ、頃合を見計らい細切れとなった肉を放り込む。
 肉の焼ける匂いが周囲に立ち込め――










「出来たぞ、焼豚炒飯。とりあえず三人前」
 青年は皿に綺麗に盛り付けられた炒飯を器用に三人分手にし、ちゃぶ台へと運ぶ。
「んー……良い匂いね。また腕上げた?」
 居間で寝転がっていた少女は、その匂いに釣られたのかのそのそと起き上がり、自らの定位置へと移動する。
「さぁ? それの判断は君に任せるよ」
 青年もまた、自らの定位置へと腰を下ろし「あれ、ゼノの奴は居ないのか?」と開いている自分の右隣を見ながら口にした。
「ん、美味しい美味しい。やっぱ腕上げてるわ。ゼノならちょっと出かけてくるから昼はいらないって言ってたかな? 知り合いに会いに行くんだって」
 いただきますも無く炒飯にパクつく少女のその言葉に青年は炒飯一人前無駄になったか、とも思ったがそんなことよりも彼女に美味しいと褒められた事の方が彼にとっては大事なようで
「なら、ゼノの分は二人で分けるか。出来立てを食わない奴は死んでしまえば良い」と口にする。
 少女はというと「おぉ、君にしてはナイスアイデアだね」と言いながら早速、ゼノの分としてちゃぶ台に置かれている炒飯を分け始める。
「……食べ切れるのならゼノの分は全部食べても構わんぞ」
「え、ほんとに? 余裕で食べれちゃうけど」
「む。少なかったか、炒飯」
 皿に盛られた炒飯は少なくとも普通の中華屋で出てくるものの1.5倍はある。つまり、1.5人前が彼ら三人にとっての1人前なのだ。もっとも青年の様に育ち盛りな年齢ならばそれも当然ではあるが、少女もまた少女と呼ばれる多感な年齢である。
「ん? 平気平気。君の作った料理なら幾らでも食べれるからねー」
「……ダイエットとか口にしてなかったか、一昨日辺り」
 青年は自分の炒飯を口に運びながら記憶を辿る。確かに少女はダイエットという言葉を言っていた。
「ダイエットはしたいんだけどねー。君の料理が美味し過ぎるのがいけないんだよね、いやほんとに。君は私を太らせたいのかにゃー?」
 少女はうっふ~ん、と炒飯を口に運びながら器用にセクシーポーズを取る。
「……よし、今日の夜ご飯から低カロリーメニューに切り替えるか」
「わ、やった! いつもより多くご飯食べれる!」
「おま……低カロリーメニューの意味が無いだろうが!!」
 がっしゃーん、とちゃぶ台をひっくり返すが如くの勢いで怒号をあげる。もっとも青年の中で食事は大切なものである為、ちゃぶ台をひっくり返す事などありえないが。
「ふふ、冗談だってば。でも、ウエスト辺りは本当にもう少し絞りたいのよね。……もしくは胸の増量」
 二皿目の炒飯を食べ始めた少女の体は良くてスレンダー。悪くて寸胴。「身体のラインにメリハリが欲しいのよねー」とは本人談。
「俺はそのままでいいけどな」
「なるほど……。君は貧乳が好き、と」
「あ、いやそういうわけではないが……まぁ、それでいいか」
 青年は僅かに頬を染めながらボソリと呟き、そっぽを向く。
 少女はその様子を観察しながらクスクスと笑う。青年の反応を楽しんでいるのだ。
「さて、ごちそーさまでした。今日の私は自分が食べた分は自分で洗っちゃうよ!」
 カラン、と見事二人前の炒飯を平らげた少女は皿を手に持ち流しへと向かう。
「ちょ、待て。皿が無くなるから止めてくれー!」
 それは青年の魂の叫びだった。

□□□

「ただいまー」
 軽快な声とともに一人の少年が帰ってきた。
「あ、おかえりゼノ……って、どしたの、それ」
「おう、ただいまだぜソシエ。いやーまいったまいった。急に雨降ってきやがんの。俺びしょ濡れだわ」
 ケラケラと笑う少年は上から下までずぶの濡れ濡れ。着の身着のままで海水浴にでも興じてきたのかと言わんばかりの濡れっぷりだった。
「……なんだ、帰ってきたのか。帰ってこなくても良かったのに」
「うわ、相変わらずひでーなアゾット。そんな事言うとこのままお前に抱きついちゃうぞ」
「俺にそんな趣味はない」
「奇遇だね、俺にもない」
「……はぁ」
 ケラケラと屈託無く笑う少年とは対照的に青年は半ば呆れ顔でため息をつく。
「ま、二人の趣味はどうでもいいからゼノはさっさとシャワーでも浴びてきたら?」
 少女は男二人の会話に大した興味は無いらしい。
「ういー。その前にタオル持ってきてくれソシエ。このままだと部屋ん中濡らしちまう」
「はいはい、そこで待ってなさいな。そだ、アゾット。今日の夜ご飯は?」
「豆腐ハンバーグ。後は焼くだけだよ。……ゼノ、お前も食べるか?」
「食うに決まってんだろうがー!」
 いつもの日常。
 変わらない毎日。
 青年にとって、これが幸せだった。

□□□

「なぁ、アゾット。俺、さ。世界を平和にしたいんだよ」
 少年と青年は屋根の上で寝転がっている。少年から大事な話があるときは大体がこの場所である。
 少年と青年の付き合いはまだ三年程度のもので少年と少女の付き合いの方がずっと長いのだが、男同士の方が話しやすいことがあるらしく、青年が少年と少女と一緒に暮らすようになってからは彼が話し相手になる事が多かった。
「勝手にすればいいじゃないか」
 だが、少年の大事な話と言うのは青年にとっては驚くほどに稚拙な理想論であり、地獄を知る青年からすれば世間知らずと呼ぶのもおこがましい代物だった。
「うわ、ひでーな。俺、結構本気だぜ?」
「ふぅん。じゃあ、聞くがお前の言う世界ってどの程度の広さだ? 文字通りこの世の全てか?」
「あー、いや、そこまで壮大じゃないかな」
 少年はポリポリと頬を掻きながら。
「あー、その……自分の好きな女の子が笑って暮らせる世界にしたいんだ」
「……ソシエ、か?」
「それ以外の誰がいるんだよ」
「まぁ、確かにな」
「で……さ、お前もソシエのこと好きだろ? だからちょっと協力し
てくれよ」
 青年は少年の顔を直視し、一呼吸置く。
 そして、一度深呼吸し。

「え、そうなのか?」

 と、疑問を口にした。
「そうなのか? じゃ、ねー! あー駄目だこのバカ。自分の気持ちに気付いてねーよ。駄目だ。本当に駄目だ」
「何だと……。未だに将来の夢は正義の味方だ! とか言ってるバカに言われる筋合いはないな!」
「な、正義の味方の何処が悪いんだよ! かっこいーじゃねーか、正義の味方」
「だから馬鹿だって言ってんだ! 正義なんてもんは悪がいないと成立しないだろうが! それで世界を平和にしたいとか矛盾どころの話じゃないだろうが!」
「バカはテメーだ! 悪現れる→俺、正義→悪倒す→世界平和。ほら、完璧じゃねーか」
「あぁ、こいつやっぱりバカだ……。正義の味方になりたいやつが悪の出現を望むなっつってんだよ、このバカ!」
「ぐぬぬ……。ば、バカって言った奴がバカなんですー!」
「駄目だこいつ本当にどうしようもない。バカって最初に言ったのお前だろうが!」
「しょ、証拠はあるのかよ!」
「ほれ、↓」

―――バックログ開始―――

 青年は少年の顔を直視し、一呼吸置く。
 そして、一度深呼吸し。

「え、そうなのか?」

 と、疑問を口にした。
「そうなのか? じゃ、ねー! あー駄目だこのバカ。自分の気持ちに気付いてねーよ。駄目だ。本当に駄目だ」

―――バックログ終了―――

「どうだ、身に覚えがありありだろうが!」
「ぐぬぬ……。っつーかなんだこれ。なんだこのバックログって!」
「そんなん知るか! 俺もなんとなく出来ると思ったからやったら出来たんだよ!」
 男二人はぎゃあぎゃあと終わらない口論を続ける。


「……あの二人、いつになったら屋根で話してる内容が居間に筒抜けだって気付くのかしらね」
 少女が天井を見上げながら煎餅を齧る。
「……まぁ、面白いし飽きないからいーけどさ」


「あぁ!? だからアゾット! テメーはソシエのことが好きだって事に気付けないバカだっていってんの!」
「うるせー! 俺がソシエのこと好きだってのはとっくに気付いてたっつーの!」


 湯飲みを手に取り、口に運ぶ。
 そして、ため息を一つ吐き「……ほんと、バカばっか」と言う呟きは煎餅を齧る音で消えた。

□□□

 レジスタンス『暁』拠点。
「リーダー、第七研究所システムダウンに成功したと」
 一人の若い男、まだレジスタンスに入ったばかりなのだろう。まだ、幾らかの緊張が見て取れる。
「解った。A・B分隊に連絡、作戦を開始しろ」
 リーダーと呼ばれる少年は無線にそう告げる。
≪――了解――≫
≪――はいはい、了解了解――≫
 簡潔な言葉と、お気楽な言葉。無線の先にいる二人の分隊長の人となりを表すには十分だった。
「――よし、この作戦がうまくいけば」
 確実に、開発局を追い詰める事ができる。そう、確実に。
 好きな女の子が笑って暮らせる世界にしたい。そう願ってから三年。少年は一つの悪に辿りつく。
 『開発局』それは文字通りの開発する機関。そう、人間を研究し『能力』の何たるかを徹底的に追い求め理想の『能力者』を開発するためのもの。
 そこに倫理や道徳など存在せず、少年が組織した『暁』が調べた範囲では世界中の行方不明者・失踪者のおよそ六割が彼らの手によるものだった。
「ですが、リーダー。本当に、二つの分隊だけで大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫だよ。あの二人は信頼に足る。俺の唯一無二の存在だから」
 もっとも、好きな女の子が笑って暮らせる世界にしたいという願いの根源である好きな女の子がそのうちの一人、というのは皮肉ですらある。

□□□

 A分隊。分隊と言えども、メンバーは彼一人だった。彼の名前はアゾット。能力名は【真似神偽】。完全に能力が発現しきっていないものの、無頼の強さを誇る男だ。
「……ここだな」
 開発局に所属する建物は一見すると普通の極一般的な倫理と道徳を弁えた学術機関である。事実、職員の八割強は開発局の真の姿を知らずに従事している。
 真の姿は巧妙な迷彩によって関係者にしか解らぬように隠匿されているのだ。その倫理と道徳のネジが外れた研究室への入り口もまた然りである。
 だが、その関係者にしか解らない入り口をアゾットはいとも容易く看破する。
「……第七だから大した情報は無いんだけどな」
 ガシガシと頭を掻きながら、通路の奥を見据える。
 灯りの無い真っ暗な深遠。隠れよう秘されようとする開発局の本質。その、深遠からぞろぞろと異形のモノが蠢く。

「shぐあrん;あgハエrりえhな……」

 言葉にならない言葉を発しながら、それは侵入者を駆逐するために深遠から這い出てくる。その数は少なくとも十二。
「ふん、防衛には失敗作か。……変わらないな」
 アゾットは全てを知った風な口調でその失敗作と断じた蠢く異形のモノを一瞥する。
「……せめて、楽に逝かせてやるのが情けか」
 その言葉の直後、アゾットは腰から軍用ナイフを抜き両手に構える。そして、自らの能力を解放する――。


 踏み出した一歩がぐしゃりと何かを踏み潰す。
「……まったく、服が汚れるな」
 何のことは無い。それは深遠から這い出てきた異形のモノの成れ果てだった。

□□□

「く、来るな……」
 白衣を着た男達が大事そうにおそらくは自らの研究成果の詰め込まれた記録媒体を抱えながら部屋の隅でがたがたと震えている。
「……」
 アゾットは、その男達を無視してパソコンを操作する。モニターに表示されるものは無意味な文字の羅列。それは暗号で書かれたここで行われていた研究成果の一つである。
 暗号の解読は書いた本人に読み上げさせるのが一番なのだが、それを研究していた男は彼の足元で既に事切れている。
「とんだ屑データだ。研究する価値も無いことをよくもまあ無駄にここまで書き連ねた事だ。ほら、お前らが持っている研究を出せ」
「な、何故読めるのだ……。その暗号は第一研究所で生み出された言語の筈だ! 幾らここまで侵入できる人間だからといって部外者に読めるわけが……そ、そうか! 出鱈目だな! そうやって私達から研究成果を奪おうと――」
「正確にはこの言語は第零号開発研究所で生み出されたものだよ。そんな事も知らなかったのか?」
「なに……?」
「やはり、期待するほどの研究はなさそうだな」
「第零号など、存在する筈が……」
「『囀る金獅子』『吼える銀雀』『傾く羅針盤』『哂う賢者』『滅びる王城』『原石の虹』『円環する生命』『始まりと終わりの規格』」
 アゾットは半ば呆れながらある八つの言葉を口にする。
「?」
 白衣の男達は、一様に首を傾げる。明らかに、その言葉の意味を理解していない。
「末端も末端。存在する価値が毛ほどもないか」

 ――ザクン、とアゾットの手から投げられたナイフが刺さる。

「あ、ぐ……」
 どさり、と地面に突っ伏した男の白衣は朱に染まり動かない。そして、その男が抱えていた記録媒体を拾い上げ、手で弄ぶ。
「――ほら、俺はお前らの生死はどうでもいいんだ。さっさと研究成果を差し出せ」
 もう片方の手で二本目のナイフを抜き、投擲のために目標を定める。
「――う、あ」
「ふん、時間切れだ。お前たちみたいな失敗作しか作り出せないような連中は害悪以外の何物でもない」
 部屋が、紅く染まる。

□□□

≪――こちらA分隊。ここでの研究成果は全て回収した。これから戻る――≫
「そうか、頼んだ」
 拠点に入った無線にゼノは言葉を返す。
≪――ソシエの首尾はどうだ?――≫
「……怪我をしたようだが、無事帰ってきた」
≪――無事ではないだろう、それは――≫
「……すまん。俺のミスだ」
≪――謝って済む問題ではない――≫
 無線の先にいる男は明らかに怒っている。これは帰ってきたら一発は殴られないと駄目だな、と思考をめぐらす。まぁ、一発殴られるぐらいなら安いものか、と頭を振る。
「……あぁ、そうだな。――って、ソシエ! まだ治療が終わったばかりだろ」
「んー、平気平気。アゾットも気にしすぎよ。私は以外に頑丈だからねー。これぐらいじゃビクともしないから安心して帰ってきなさい。
 そんで、今日の夜ご飯は麻婆豆腐が食べたいかにゃ?」
≪――そうか、解った。帰ったら作るよ――≫
 その一言で無線の先の男、アゾットは無線を切る。
「……助かったね、ゼノ」
「あぁ。って、本当に大丈夫か?」
「あはは……実はちょっと辛い」
「――ごめんな」
「謝らないでいいって。私は私のためにやってるんだし」
「え?」
「んーん、こっちの話。……ちょっとベッドで寝てるね」
「あぁ、わかった。アゾットが帰ってきたら起こしにいくよ」
「ん、了解。……襲っちゃやーよ?」
「誰が襲うかっての」

□□□

「さて、ゼノの奴は一発分殴るか」
 無線を切ったアゾットは頭の中で冷蔵庫の中身を確かめ麻婆豆腐を作るのに不足している食材を確認する。
「挽肉が少し足りないかもしれないな……。――そこにいるのは誰だ?」
 隠匿されていた扉の出口。裏から表へと繋がるところに、一人の男が立っていた。
「あっはっは! 随分と人間らしい顔をするようになったじゃないか。存外驚いたよ」
 その男は明らかに異質で異様。
 そして、あまりにも自分に――アゾット自身に似すぎている。
「おいおい、そう身構えなくていいって。僕に敵対する意思は無いんだからさ。どちらかと言うとお礼を言いに来たんだ」
「お礼だと?」
「そう、お礼。上の決定でね。この研究所を破棄する事になったんでタイミングを見計らってたんだけど。君が動いてくれたおかげで僕は大分楽できたからさ。あーっと、なんて言うんだっけ? アリガトウゴザイマシタ?」
 男はカラカラと笑う。
「でもあれなのな。檻の中の実験体によく餌って言いながら生きた人間を放り込んでたからちょっと殺した人間食べてみたけど美味くねぇのな。ビーフンの方がよっぽど美味しいわ」
「――殺した?」
「言ったろ? ここを破棄するって。それはね、ここで働いてた人間全てを破棄するって事と同意だ。いや、失敗作の相手しなくて良かったのは助かったよ。あいつら地味に強度が高いからさ」
 男はあっはっはーと笑う。
「あー、でも君と似た服着た女の子はちょっと強かったな。逃げられちゃったし」
「――ソシエに怪我させたのはお前か」
 アゾットはナイフを両手に構える。この瞬間に、目の前の男はアゾットの殺すリストにランクインする。
「ん? いいねいいね! その怒りに満ちた顔! なにが『八番目』は完全な失敗作だ、だよ! 奴らの目は節穴か!?」
「『八番目』だと?」
「あぁ、そうだよ『始まりと終わりの規格』クン。どうだい、人間の生活は楽しいかい?」
 男は一つの真名を口にする。
 それはアゾットが忘れたい過去にして、切り離せぬ過去。
「……お前は」
「アレ? 僕の事は覚えてないかい? ……って、会った事無かったか。『一番目』のアニキとか『七番目』のババァとは面識があるだろ?」
「……何番目だ、お前」
「『四番目』だよ、『八番目』。いや、アゾットと呼んだ方がいいかな?」
「――『哂う賢者』か」
「ご名答。で、どうする? その名前を理解しているならそのナイフを向けていい相手かどうかぐらいの判断はつくと思うけど?」
 第零号開発研究所。開発局の中でも特に秘された倫理と道徳の最果てに君臨する絶望の母。
 そこで開発された八つの試験体のうちの唯一の成功例。それが開発コード『哂う賢者』。
「――生憎と、俺の命よりも彼女を傷つけたことの方が重くてな」
「ははははは! 本当に人間的だ、それこそ病的なほどに。そうかそうか、最速の失敗作だからあいつらによる教育を受けてないのか。あぁ、クソ、失敗した。あの女の子原型が無くなるまでにぶち殺せばよかったよ」
 その最後の一言が引き金だった。
 アゾットは溢れ出る感情を全て殺意に変えて今まさに撃ち出された鉄砲玉として――
「――貴様を殺、」「その先は言わない方がいい。君が死ぬ事になる」
 それは、男が放った絶対の言葉。
「――う、あ」
 言い表せない恐怖。今まで、感じた恐怖がまるで塵芥のように感じてしまうほどの圧倒的な恐怖。
「ククッ、いい子だ。一つ教えておくとね、アゾット。君は既に僕の腹の中だ」
 『哂う賢者』の背後が揺らめき、空間そのものが歪曲する。
「――っ、」
 カラン、とアゾットの手からナイフが落ちる。――アレには、勝てない。
「まぁ、今日はお礼だけだから怖がらなくていいよ、アゾットくん? 君たちにちょっかいをかけるのはまた今度にするから、さ」
 ぐにゃりと歪んだ空間は大きくなり、『哂う賢者』を呑み込み、その場から人影の一切を掻き消す。
「――瞬間移動、か?」
 『哂う賢者』の気配が無いことを感じ、その場でドサリと倒れこむ。
 極度の披露が身体を包む。
「俺に似ている、か」
 アゾットは笑いながら、そう感じた自分を恥じた。アレは違う。明らかに、自分とは桁と次元が違う。
 アレは戦ってはいけないモノ。戦おうと考える事すらおこがましいモノ――

(「君たちにちょっかいをかけるのはまた今度にするから、さ」)

 最後に、『哂う賢者』が残した言葉を思い出す。おそらく、ちょっかいどころではないだろうという事も。
「くそっ、逃げないと。――アイツに殺される」
 アゾットは、疲労感の残る体を無理に起こして、第七研究所を後にする。

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最終更新:2011年02月04日 10:10
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