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秘境・時崩れの里

【秘境・時崩れの里】


 人外屋敷、2階の角部屋。そこには簡素な生活空間が広がっている
落ち着いた色合いの家具と調度品のなかで唯一目立つのは、ガラス張りの戸棚の中に安置されているブレスレットだ。装飾はないが、黄金色が凛とした輝きを放っている
部屋の住人、レオン・ド・サルタナはそれを静かに手に取った。このブレスレットは、養子である【四元愛憎】そのものである。形見でもなく、本当に彼、或いは彼女が姿を変えた結果なのだ

「シオン。すまないが、少し付き合ってくれ」

 右腕にブレスレットを嵌めながら、優しく我が子へ呟いた
音声としての返事はないが、レオンは安堵と感謝の混じった笑みを浮かべる。それを見れば、彼の脳内に響いたシオンの回答がどんなものだったか、想像するに難くない

 レオンは一枚の紙を手に取る。それは、かつて【狐魂夢想】【魔導銃砲】の二人組からとある鯨を庇った結果、入手した――『宝の地図』であった
その地図の秘密を解き明かす為に数十の文献を読み漁った。しかし最終的に、その答えは偶然によってレオンの元へやって来た。ある昼下がりの午後、うっかり散乱させてしまった本を流し読みした際に、たまたまその地図の表記と酷似した絵を見付けたのだ
 その書物を隅から隅まで読んで解ったことは2つ。件の地図は【時崩れの里】という場所への案内図だということと、【時崩れの里】が不老不死の秘境だということだ
記述によると、そこには『時間素』という物質が存在しているらしい。その『時間素』が不老不死の秘密なんだとか
 一笑に伏すべき話だったのかもしれない。しかし、この地図を――恐らく感謝の印として――渡してくれたあの神秘的な鯨が、絵空事を示すとは思えなかった
 だから、【時崩れの里】を探そうと思った
 動機は単純だ。妻と子ども、そして人外(なかま)たちの為である。皆が平穏に暮らせる楽園を求め、レオンは冒険に出る決意をしたのだった
 結論から言えば、それは冒険と呼べるほど大層な紀行ではなかった。たった2日間の旅である

★  ★  ★

 まだ朝靄が漂う時間に、レオンはとある森の入口に立った
森に入口も何もないというのが通説かもしれないが、目の前に広がっている光景は例外的だった
 ――整然とし過ぎている
きっちりと左右に別れて林立する大樹らは、人工的に造設されたモノのように見えた。しかしどこを調べても人の手が加えられた様子はない
 道を作るように生えている木々はとても背が高く、また、枝葉も巨大だった。それは道を完全に覆い隠し、空からの侵入と俯瞰を防いでいる
益々人工物だと疑いたくなったが、やはり確証の持てる形跡はない
 人工的な規則性と大自然が奇妙にマッチした光景は、不気味という印象を抱かせた。しかしこのまま佇んでいても仕方ないと思い直し、レオンは意を決してその森へ足を踏み入れる

 暗い
侵入する前から分かっていた感想だった。瞳を猫のモノに変え、順応する。手元の地図もハッキリと見えた
 早い話、この森はどうやら迷路になっているようだった。殆ど隙間なく詰めて生えている樹木らが、まさに迷宮の壁の役割を果たしているようだ
 複雑に入り組んだ自然の通路は、迷ったら二度と出られないような感覚を抱かせる。きっとそれは錯覚ではない。地図上で行き止まりとなっている方向から、僅かに死臭が漂ってきていた

「…………」

 神経を研ぎ澄ましながら、地図に示された正解のルートを進む
暗澹としている森の中は魔獣との遭遇も充分に有り得そうな雰囲気だったが、それは杞憂に終わった。最後の角を曲がって、呆気なく終点に辿り着く
 正面に見えたのは、大樹。閉塞感を生み出している木々と同種のモノに見えた。特に異質な点もない。……つまりは、只の行き止まり
一瞬、道を間違えたかと思い、帰還不能に陥る想像をして肝を冷やした

「……っと、そういうことか」

 だがそれはあくまでも勘違い。ちゃんと道は用意されていた。50メートルほど先の地面に、ぽっかりと穴が開いている
冷静に歩み進んだレオンがそこを覗き込むと、そこは正真正銘の闇だった。懐中電灯の光すら飲み込んでしまうであろう、掴み所と底が見えない暗黒だ
 ここでレオンは一抹の不安を覚えた。半吸血鬼である妻はまだしも、夜目の利かない他の人外がここを通過できるのだろうか?
しかし今それを考えたところで仕方がない、と思い至った
頭部を蝙蝠に変化させた。超音波で距離感を探りつつ、地下洞窟への侵入を果たす

 洞窟の中は思いの外広かった。大柄なレオンが膝を伸ばして立っても、未だ余裕がある。横幅も成人男性が二人並んで歩ける程度だ
ただ、起伏が非常に激しかった。幾多の上り坂と下り坂は確実にレオンの体力を奪っていった
――どれほどの時間、暗闇の中を行進しただろうか。疲弊と休憩を何度繰り返したか分からない
 しかし、無限に思われた道程にも終わりはあった。ふと気がつくと、遠くにうっすらと光の差し込む箇所が見えたのだ
光とはここまで安堵の気持ちを湧かせるものなのか、と感心した
 その偉大さを認識すると共に、太陽の光を浴びられない種族へ想いを馳せる

「…………」

 これといった結論は出なかったが、高揚した気分が少しだけ落ち着いた
 疲弊した体をゆっくりだが着実に動かし、やがてその光源に辿り着く

 ★  ★  ★

「これ、は――――」

 その光景を一言で表すなら“幻想的”である
洞窟を抜けても、そこは依然として地下だった。見上げればそこに空はなく、代わりに乳白色の鍾乳石が生え連なっている
光源は、目の前に広がる地底湖だった。陽光が差す環境ではないのにも関わらず、そこに溜まっている水が絶えず色を変えながら輝いていた
 湖の縁まで歩み、しゃがみ込む。水をそっと掬ってみると、どうやらその水自体が発光しているようであった
黄、桃、赤、橙、青、紫、緑、白、銀、金――刹那的に移り変わっていく色彩は、やはり幻想的という表現が最適だ

「……分かるか、シオン」

 手に溜めた幻色水を丁重に元へ戻し、砂地になっている足場へ腰を下ろした
金色のブレスレットを湖へ向ける。この絶景を誰かと共有したいという想いは強かった
 暫くの間、二人は煌く地底湖に魅了されていた
次に立ち上がった時、単純に休憩をしただけの効果とは思えぬほどにレオンの体は軽くなっていた
きっと心理的なストレスが取り除かれたせいだろう。不思議な水に感謝しながら、先へ進む
 陸続きになっている対岸。そこにまた洞窟があった

★  ★  ★ 

 地下洞窟を制覇し、地上へ抜けると、柔らかい日差しが出迎えてくれた
 最初に通り抜けた森とは違い、至って普通の森である。青葉の隙間からは陽光が射し、生命力溢れる樹木が根を張り、小鳥が歌うように囀り、素朴で美しい花が咲いている
 しかし、レオンは違和感を覚えずにいられなかった

(昼……?)

 妙だった
早朝に森へ入り、地底湖を経て洞窟を抜けるまでにはかなりの時間を要したはずだ。少なくとも、半日は掛かっている
 腕時計でもあれば判然としたのだが、生憎とそれを身に付ける習慣はない
 つまるところ、今が日中であるはずがないと感覚が報せているのだった

「異界にでも、迷い込んでしまったんだろうか」

 思わず呟いた。あの神秘的な湖を見た後だと、その可能性は充分に現実味を帯びているように思えた
 頭部を犬に、蛇に、兎に、知覚能力に秀でたあらゆる動物に変化させていく。結果として分かったのは、最初に抱いた“普通の森”という印象が事実と異なっていた事だ
 自らの足で散策をしてみると、それがより強く目に焼き付いた
 どうやらここは、時代錯誤的な森林であるらしい
既に絶滅したと言われている鳥や、今まで読んだどの文献及び図鑑を思い返しても覚えがない花。とにかく不自然な自然が、そこかしこに存在している
 レオンは己の目的地を思い出した。時崩れの里。その名の由来が見えたような気がした

 森を抜け、地図に目を落とす。地図はこの巨大な岩の頂上を示し、そこで終わっていた
包丁で乱暴に削いだような荒々しい岩肌が、遙か上空までそびえ立っている
それは途方も無い大きさで、もはや岩とは呼べない規模だった。言うなれば、岩石で出来た山だろうか
象のような色をした岩肌の中に、点々と緑が見える。きっとそのひとつひとつは大きな樹木なのだろう
しかし地上から見上げると、それらが控えめな装飾のように思えてしまう。羽虫のような影は、恐らく鳥類だ
 いつの間にか広がっていた曇天が、自分を押し潰してくるように感じられる。まるで魔境にいるような感覚だった
 魔境。強ちそれは間違っていないのかもしれない。レオンは今からこの巨大な岩を登るのだが、その途中でモンスターに襲われるのだ

★  ★  ★

 罅割れた岩肌の隙間から生えた樹木は、間近で見るとやはり大きかった。隆々とした幹は長い月日を感じさせる
観察もそこそこに、飛揚を再開した。涼しい空気が頬に当たり、髪を揺らす
未だ頂上は見えて来ない。どのぐらいの標高なのだろうか――と考えた時、進行方向に黒い影が見えた
 初めは灰色の空に針で開けた穴のように見えたが、それは見る間に大きくなっていく。それは上空からこちらへ迫って来ていることを示していた
 レオンは宙で静止して、その影を見据える。やがてその姿をハッキリ視認出来るようになった時――

「 ギ ィ ィ ィ ィ ィ ィ ィ ィ ッ ! ! 」

「ッ、な……!?」

 ソレは耳に優しくない鳴き声を上げながら一直線に素早くレオンへ襲いかかった
巨大かつ鋭い爪で掴みかかって来る。レオンは使い慣れた翼を精密に操作し、紙一重の所で凶暴な一撃を躱した
 身体を反転させ、影の通過して行った下方へ視線を遣ると、その容貌が過不足なく確認出来た
 それは、太古の世界を支配していた生物――即ち、恐竜だった
最も伝わりやすく言うなら、プテラノドンという種別だろう。所々骨張った体をしているが、要所にはしなやかで屈強そうな筋肉が覗える
その凶鋭な嘴が人体を貫く光景は容易に想像出来た

「くッ!」

 力を込めて羽ばたき、浮上する。一瞬の交錯で感じた凶暴性を鑑みて、正面から戦うことは避けるべきだと判断を下したのだ
冷え冷えとした大気を切り裂き、上へ上へ
金属を絞るような鳴き声が耳に届く。耳障りだ
真下に視線を送る余裕はなかったが、あの鋭利な嘴が迫ってきているのを感じる
 ――そして、その悪寒は唐突に訪れた
野性の勘、とでも言うのが妥当だろう。不意に自らの足が食い千切られるビジョンが脳裏に浮かぶ
その直感に従い、レオンは空中で大きく身を翻した。刹那の後、体の在った空間が巨大な嘴に啄まれた
 そのまま飛行を続けていたら、間違いなく骨肉を抉り削られていただろう。氷の手で背筋を逆撫でされたかのような感覚が走った

 言葉を漏らす余裕もない。全力を翼に注ぎ、一目散に飛翔する
岩肌に身を隠せそうな大きい罅があれば良かったのだが、生憎それを探せるほど悠長な状況ではない
プテラノドンの猛襲を紙一重で回避しながら山頂を目指していった。体に無数の裂傷が作られていくが、際どい所で致命傷は避けている
 そしてレオンの体力が消耗され、彼の体捌きに明らかな鈍りが生じ始めた頃――漸く、目的地がその瞳に映った。ずっと続いていた灰色の岩肌がぷっつりと途切れている。即ち、この岩の頂上がそこに在ると確信できる光景だった

(やっと……!)

 ――その一瞬、レオンは油断をしてしまった。僅かに飛行速度が遅くなる。それをプテラノドンが見逃すほど、都合は良くない
 本能が危険信号を鳴らした。焦燥と共に右方へ視線を向ければ、そこには嘴を大きく広げて迫る怪鳥がいた

 距離が、近過ぎる

 この瞬間からどうやって体を動かしても回避しきれないと、直感が告げていた。途端に死の予感が濃密な存在感を放ち出す
能力の行使も間に合わない。レオンに出来ることと言えば、体を庇う為、反射的に右手を突き出すことぐらいだった
 プテラノドンが、その右手を容赦なく啄もうとする

★  ★  ★

「ハアッ、ハアッ……!」

 急激な運動による発汗とは別に、いわゆる冷や汗がレオンの全身から滲み出ていた。爽やかな緑色の草地に膝と両手を付いて、息を整えようと荒い呼吸を繰り返している

「――良く来たな、男よ」

 自分以外の肉声を久しぶりに聞いた気がした。少しだけ顔を上げると、すぐ側に二本の足があった。茶色の草履のような物を履いている

「立て。そして名乗れ」

 目の前に手が差し伸べられた。色白で華奢な手だ
それを手に取ると、意外なほど強いチカラで体を引き上げられた。ややふらつきながらも、レオンは両足でしっかりと立ち上がった

「……レオン・ド・サルタナだ」

「レオンか。私はレアシア・セリ、時崩れの里の長だ」

 レアシアは民族的な衣類を纏っている青年だった。錦糸のような髪が、中性的な顔立ちに良く似合っている
背丈はレオンよりも低いが、体の線が細いのですらっとしているように見えた

「…………」

 レオンは何も言えず、ただ脳内でレアシアの言葉を反芻していた。彼の言葉が本当であれば、ここは、この場所は――

「何を呆けている? 里に案内するから着いて来るが良い」

 その声で我に返った。レアシアは素早く身を翻して歩み去っていく。その進行方向に、木製の鳥居のような物が見えた
それはきっと、里への門の役割を果たしているのだろう。鳥居の向こう側にはいくつもの木造家屋が並んでいる
 里を守る塀のような物が見当たらないことに気づいたが、それに関して考察していても置いて行かれるだけなのでやめた
 レアシアは歩くのが速い。柔らかな草原を踏みしめ、その背中を追う

★  ★  ★

「――楽にしてもらって構わん」

 レオンはレアシアの家に通された。塗装のされていない樹木で造られており、落ち着きのある雰囲気だ
人外屋敷とは随分と毛色が異なるが、これはこれで居心地の良い空間だと思った
 茣蓙のような敷物に腰を下ろし、胡坐をかく。無礼かもしれないと思ったが、レアシアもそうしているし、何より正座だと足が痛みそうだったのでそうした

「……さて、レオン。まずは此処に辿り着いた経緯を話せ」

 二人の前に遮るものはなく、ただ飲み水の入った碗が置かれているだけだ。これは今いる部屋の奥から現れた黒髪の女性が置いていった物である。恐らく、給仕のような役割の者なのだろう
 レオンは少し考えてから、口を開いた

「その前に確認させて欲しい。ここは本当に、“時崩れの里”なんだな?」

「そうだ。時間という概念が崩れているだけの、長閑な里だ」

「……承知した」

 そしてレオンは言われた通り、この里に辿り着くまでの経緯をぽつぽつと話し始めた
ここを目指した理由、動機、きっかけ、更には身の上や日々の生活など……中々うまくまとめられず、レアシアによる質問もいくつか挟んだが、最終的には包み隠さず全てを語ることが出来た

「――成程。つまりお前は家族と仲間と為に、鯨に貰った地図だけを頼りにここまで辿り着いたという訳だな」

「短くまとめるなら、そういうことになる」

 そしてひとつ頷くと、レアシアは碗を手に取り水を飲んだ
それを見てレオンも自分の喉が乾いていることに気付く。ずっと飛行してきてからまともな休息も取らずに喋り続けたのだから、乾いていない方が不思議である
 しかしおかしなことに、“喋り疲れた”という感覚はない

「お前の事情は概ね理解した。次はこの里のことについて話そう。……といっても、大体はお前の予想通りだがな」

「……時間の概念がないが故、不老不死」

「正解に近い」

「その秘密は『時間素』にある」

「ほう、外界にはそこまで伝わっているのか。やはり来訪者から聞く話は新鮮だな」

 レアシアはここで始めて笑顔を見せた。屈託の無いはにかみに、無邪気な少年のような影を見た

「『時間素』とは、なんなんだ?」

「何、時間素はこの里以外のどこにでも空気中に存在している。時間素のない場所に時は流れない」

 更にレアシアの説明は続く

「この周囲は、特別に時間素が溜まりやすい環境にあるだけだ。触れられる程にな」

「触れる? ここの時間素とは固形の物質なのか?」

「否、液体だ。そして、選ばれた生物が液状化した時間素を摂取すると、意志に呼応して自らの肉体に掛かる時間を変化させられるようになる」

「……選ばれた者が若くなりたいと望めば肉体が若返り、老いたいと望めば年を喰う。ここはそういう場所ということか?」

「そういうことになる。ついて来い、時間素を見せてやろう」

 レアシアは立ち上がり、レオンを促した。それに従い、レアシア宅を出る
 里の中は本当に長閑な風景だった。畑を耕す男性や、世間話に花を咲かせる女性たちが目に入った。誰も彼もが若く、幸せそうな表情をしていた
 レアシアの後を付いて歩いていると、多くの視線も感じた。レアシアと自分、どちらが注目の的なのかは分からない
 そんなことを考えている間に、なんの変哲もない井戸の前でレアシアが立ち止まっている。まさかと思ったが、そのまさかだった
 レアシアが桶を引き上げ、それを差し出してきた。「それが時間素だ」と、レアシアはあっさり言った
 半信半疑のままそれを覗き込み、レオンは目を丸くする

「これは……!」

 レオンはそれに見覚えがあった
桶の中にあったのは……あの地底湖で見た、幻想的に光輝く液体だったのだ

「初見ではないのか」

 その反応から察したのだろう。レアシアが意外そうに問い掛けてきた

「ああ。ここに来る途中にあった地底湖で」

「地底湖……ということは、残滓か」

 レアシアが言うには、件の地底湖に溜まっていたのは純粋な時間素ではないらしい。里から流れ出し、その過程で劣化したものだそうだ
 その明確な差異は、色彩。なるほど、目の前の桶の中で輝く時間素は地底湖で見たそれよりも尚のこと煌びやかに見えた
あの時は感じなかった神々しさや、神秘に触れた高揚感に包まれる。地底湖のそれとはまったくの別物だという認識が確立した
 レアシアは起伏の少ない語調でレオンに問い掛ける

「その時、お前はそれに触れたか?」

「……!」

 その時の状況を思い返した。確かに、手で掬って間近でそれを観察した。見る間に色彩が変化していく美しさは記憶にしっかりと刻み込まれている
 レアシアはまたも言葉を交わす前にその事実を察したようだった

「触れたのなら、既にお前の体内には時間素が摂取されている筈だ。お前にとって何か生物の時間に関して不可思議な現象に出くわした覚えはないか」

 ――あった
 それはこの里に入る、ほんの少し前に体験していた。回想はプテラノドンに右手を喰い千切られそうになった瞬間からだ
 あの時、レオンは咄嗟に右手を体の前に遣った。そう、時間素に触れた右手を、である
それを啄もうとプテラノドンが右手に触れた時に事は起こった
言葉にすれば簡単だが、目の当たりにした際の感覚は形容し難い物があった。右手に触れたプテラノドンの動きが、完全に停止したのである
 固まったまま落下していくプテラノドンに戸惑いつつも、翼を酷使して岩山の頂上に転がるように辿り着き、息を整えている所でレアシアに声を掛けられた……という顛末だ

「――それは間違いなく時間素の影響だな」

 一連の体験談を語り終えると、レアシアはそう断言した

「資格のない者が触れると、生物時間が永遠に停止する。時間素のルールだ」

「資格……?」

「お前はその資格を例の鯨に与えられていたとしか考えられん。鯨の正体は、おそらく神の遣いだ」

「資格とは、なんなんだ」

「認められた証だ」

「“ 誰 ”に?」

「“ 神 ”に」

 沈黙が降りた。風も吹かない。小鳥の囀りが聞こえなければ、時が停止した錯覚に捕らわれていただろう
 その中で、レオンはひとつの懸念に思い至る。――否、懸念と言うにはあまりにも重すぎる可能性だ
 固唾を飲み下し、レアシアへ問う

「……仮に俺が人外屋敷に戻り、家族や仲間に手を触れたら、どうなるんだ?」

「安心しろ、資格のある者が心から家族と認識している者ならば触れても問題はない」

「仲間や友人として接している者は……どうなる」

 回答を聞きたくなかった。それが絶望に繋がるような予感がしていた
だがレアシアは、極当たり前のように涼しい顔で告げるのだった


「――お前が触れた瞬間に、肉体時間が凍結するだろうな」


★  ★  ★

 納得がいかなかった。どうして家族は良くて、仲間や友人は駄目なのか
同じくらい大切に思っているということを主張しても、レアシアはただ「それがルールだ」と言うだけだった
 今はレアシア宅の客室で簡素なベッドの上に寝そべっている。使う機会は非常に少ないと言っていたが、部屋には埃ひとつ落ちていなかった
 自身の右手を顔の前に持ってきて、見つめる。ここには既に時間素が染み込んでいる。話を聞く限り、全身にもその侵食は及んでいるのだろう
 不老不死の秘術と聞いていたが、今の心境ではとてもありがたいとは思えなかった。むしろ、それが呪縛のようにすら感じた
 時間素を体から抜き取る方法は存在するという説明はレアシアから聞いた。しかしそれはその者の親が行う儀式によって成されるとのことだ
 つまりセレナーデとリオンは“解呪”が出来るが、レオンとアリア、そしてアスタルは実の親との接点を持てていない以上それが不可能ということだ
 他者の時間を凍結させてしまうルールと合わせれば、事実上、レオン、アリア、アスタルの三人は時間素を摂取した瞬間にこの里から出られなくなる。下手に外へ出て他人に触れてしまえば、それは殺害するのと同じ意味合いを持ってしまうのだ

「…………」

 レオンの脳裏にたくさんの人物が浮かぶ。親友のロベルト、同盟関係者の月代、そして何よりチーム人外の仲間たち
幹部を任せたばかりの【幻鶏変化】を始め、【珪素生物】、【超獄卒鬼】ヴァレン、コータ、リュー、シュイ、並木、鉄……
再会を待つ【赤色外套】【顕狼惨憺】……他にも、沢山の仲間がいる
 その事実を改めて認識し、感謝すると共に悔しさが込み上げてきた。自分はもう彼らと握手を交わすことすら、出来ないのだ

「――くそッ!」

 思わず拳を叩き付けたが、ベッドの軋む音が部屋に虚しく響くだけだった

「シオン、俺はどうすれば良い……?」

 左腕に嵌めたブレスレットに問い掛ける。シオンも困っているようで、明確な回答は返って来なかった
無理な相談をしてしまったことを謝ってから、レオンは瞳を閉じた

★  ★  ★

 ――家族を迎えに行くという旨を伝えると、レアシアは意外そうに言った

「早かったな」

「……何がだ?」

「覚悟を決めるまでの時間だよ、レオン」

「この里に時間は存在しないんじゃなかったか」

「存在しないのはあくまで生物の肉体時間だ。お前はここで昼も夜も体感しただろう」

 結論を出すまでに太陽と月の交代を何度か見ていた。確かに、ここには時間がまったくない訳ではない
ただし麓の時代錯誤的森林やプテラノドンを見れば、元々異常な時の流れをしていることは明らかだった
 当人はまだ気付けていないが、実はこの時点でレオンが屋敷を出てから2日も経っていない。何度か昼と夜を繰り返しているのにも関わらず、だ
 この周辺に於いては時の流れや時間軸というものが常軌を逸しているので、そういったカテゴリ内では何が起きても不思議ではないのである
 他にも時間素を行使しても栄養の消費はするので食事の必要はあるだとか、この里には殆ど外部からやってきた者がいないだとか、様々な話を聞いた
 レアシアによる里の時間と時間素に関する講釈もそこそこに、本題に戻る

「ここに戻って来る期日などはあるか?」

「ない。しかしお前が他者の時間を止めたくないなら早めに戻って来ることだ」

 注意を払っていても事故という形で誰かに触れてしまう可能性はあると暗に言いたいのだろう
 そしてレアシアは近くの棚の中から5つの指輪を取り出した。それをレオンの手に握らせる

「これは?」

「里の入り口に鳥居があっただろう? あそこまでの転移装置だ。子どもを連れて、此処までの道程を歩むのは些か難しいと思ってな」

「……気持ちは嬉しいし、ありがたい。しかしこんな物を持ち出して大丈夫か?」

「資格のある者しか使えないよう設定してある故、問題ない」

「設定……?」

「この里にも能力者は多数いる」

 つまり、そういう能力者が創造したマジックアイテムということだろうか
 時間素と能力。この組み合わせがあれば世の大抵の事象は実現可能なのかもしれない、と思った

「ちなみに私は自身の千里眼に似た能力を有している。あまり多用しないがな」

 これでレオンが山頂に辿り着いた際に都合よくレアシアが出迎えた謎が解けた
 些細な疑問が解決した所で、レオンはまた1つ疑問を持った

「――なあ、レアシア。君は、里の外に出たいと思ったことはないのか」

「ない」

 即答であった。外の世界に興味を持つことだってあると思ったから、この回答は意外だった
それを表情から読み取ったのか、レアシアが補足する

「この里が与えてくれるものだけで――私は充分に幸福だ」

「……成程」


 やがてレオンは里を出た
 家族を迎えに行く為に
 そして、仲間に別れを告げる為に


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最終更新:2011年09月27日 08:58
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