要因は、光でも音でもなく、――匂いだった。
異様なまでの甘い香りに、目が覚めた。
「…………」
少年が瞼を開く。
殺風景な洋室。天井と蛍光灯が視界に映った。
耳には、コトコトと鍋が鳴る音が入り、強烈に甘い匂いが鼻腔をつく。
上半身を起こすと、毛布が身体からずり落ちた。
どうやら、ベッドに寝かされていたらしい。
軍帽は外され、ベッドの隣に置かれていた。
「あっ、起きたー?」
陽気な声が、聞こえてきた。
声の方を見やれば、見知らぬ少女が、制服の上からエプロンを身につけている。
片手鍋とマグカップを持ち、黒髪の少女が歩み寄る。
「調子はいかがかな? 君、外で気絶してたんだよ?」
匂いの出所が分かった。
少女の持っている鍋だ。
湯気と一緒に、甘い香りがただよってくる。
「……それは何だ?」
少女の質問を無視し、少年は尋ねた。
ん、と少女は目線を鍋に落とす。
そして、少年に笑みかけ、元気な声で答える。
「とろけるモモだよ!」
確かに、鍋から覗くそれは薄い桃色をしていた。
言われてみれば、これは桃の香りだったことに気づく。
少女の眼を見ながら、少年が静かに尋ねる。
「なぜ……、温めた?」
「だってまだ寒いじゃない。もうすぐ四月になるけどさー」
答えながら、少女はマグカップにとろけるモモを注いだ。
そして、それを少年に差し出す。
「ほら、飲んで!
疲れた時は甘いものが一番! 元気が出るよ!」
しかし、少年は受け取ろうとしない。
それどころか、首を横に振って言う。
「……必要ない」
「え、何で?」
きょとんとする制服少女。
黒髪の軍服少年は、カップを見つめながら呟く。
「“怪談”は、……恐怖と死を糧に生きる。
ゆえに飲食物から栄養を摂取する必要性は皆無だ」
「んっ、んん? んーーー?」
少年の言葉に、少女は首をひねりにひねる。
耳が肩につきそうなほどに。
しかし、唐突に少女はぴょこんを首を起こし、
「まあ、とにかく飲めばいいよ! 飲めば!」
大笑いしながら、強引にカップを手渡した。
おそらく、少年の言ったことは理解していない。
少年は、半ば押しつけられるようにカップを渡されて、渋面を作っている。
しかし、返すわけにもいかず、少年は黙って、薄桃色の液体を見下ろしている。
取っ手に指は通さず、カップを包み込むように、両手で持っていた。
陶器は熱をこもっていて、指と手のひらが温かい。
マグカップは赤色で、白いハートが真ん中にプリントされていた。
おそらく少女の私物なのだろう。
「ささぁ、ほれほれ、ぐいーっと!」
「…………。」
少年は、そう勧められ、かなりの時間黙って考えていたが、結局、根負けした。
そっとカップのきわに唇をつけて、わずかに傾け、一口飲む。
少女は、エプロンの裾を握りながら、期待の眼差しで見つめている。
「どう、美味しい!? おかわりいる!?」
「…………。」
口内に、桃の香りと甘みがまとわりつく。
温かいせいか、さらにそれらが強烈に感じられた。
「とろける」という部分も、五割増しほどの印象を受ける。
少年は、顔を上げた。
「なぜ……、温めた?」
今度は咎めるような口調だった。
「……さっき聞いたよね、それ?」
なんとなく責められたような気がして、少女は内心たじたじだったそうな。
しかし、再びカップに口をつける少年を見て、少女は内心ほっとしたそうな。
「――しっかし変な子だねぇ、キミは」
鍋をテーブルに置き、ソファに足を組んで黒髪の少女が座った。
その声を聞きつけ、少年は心底心外そうな顔をする。
「きみも、相当な変人に見えるが」
「あのさぁ! 初対面の人に向かってそれはどうかと思うよ!?」
「その言葉、10秒前のきみに聞かせてやりたいな」
「……かわいくないこと言うなぁ、くそぉ」
事も無げに言う少年を見つつ、唇を尖らせる少女。
頬杖をつきながらそっぽを向く少女に、少年がカップを持ったまま尋ねかける。
「なぜ、おれを変だと思うんだ?」
「あー、いろいろあるねぇ。
夜中に何で一人で気絶してたとか。
子供の癖に、なんで外に出てたとか。
目覚めの第一声が、『ここはどこだ』でも『お前は誰だ』でもなく、
『それは何だ』だったのが、意外だったとか」
まくしたてるように黒髪の少女が言う。
思い出したかのようにエプロンを外し、丸めて部屋の隅に投げた。
弧を描く布を見てから、少年は口を開いた。
「討伐隊に追われていた。おれは“怪談”だから」
「かいだん?」
少女がオウム返しに呟く。
怪談は、小さく頷いてから言葉を付け足す。
「いわゆる人外だよ。おれは赤マントの怪談なんだ。
好きな色を質問して殺すという……」
「あー、あれかぁ、うちの寮生も噂してたなぁ。
死傷者9名だっけ? 小さいのによくやるねぇ、キミ」
「襲撃しなければ、空腹で死ぬからな。
殺さずにはいられないんだ」
言いながら、とろけるモモをもう一口飲む。
舌に残る甘味は、ぬるくなり始めていた。
「ちなみに、第一声は何でさ?」
「この場所にもきみにも興味は無い。
しかし異臭の出所は確かめておくべきだと思った」
「異臭とか言わないでよ!
美味しかったでしょ!? ホットなとろけるモモ!!」
「…………。」
「そういう可哀そうなものを見る目しないでよぉ!」
視線を改めない少年を見て、
溜め息を吐いてから、黒い髪をかきあげながら少女が立ち上がった。
「まあ、聞かれないなら自分で言うしかないやね。
私は人呼んで
【赤色英雄】!!
アカデミー・シーカーズの寮長!!
アカデミーの平和を守るのと、
女の子のスカートめくるのが日課だよ!」
自己紹介と同時に、少女の背後にどこからともなく、赤いヒーロースーツが参上。
二人でびしっとポーズを決めた。
軍服少年は、それを静観し、カップの中身を飲んだ。
いろいろ突っ込みたい気分を押さえつつ、自らも名乗った。
「おや、赤色繋がり。奇遇だねぇ」
「そうだな、至極どうでもいいことだが」
「どうでもいいとか言わないでよ!
なんかこう、運命感じない!?」
「……別に」
がっくりとうな垂れる少女。
背後のヒーローも同じポーズをしていた。
「まあ、あれだよ……。
アカデミーは、生まれながらの能力者が集まる学校。
怪談だろうが人間じゃなかろうが、キミも例外じゃない。
しばらくはここに棲むと良いよ。 寮長の私が許す!
それと、この部屋は、寮の空き部屋だから、好きに使ってね。
なんか足りないものがあったら言ってねー」
そう言って少女は部屋を出て行った。
ヒーロースーツは片手鍋とエプロンを持ち、後を追った。
怪談と、マグカップが部屋に残された。
少年は、寝台の上で呟く。
「まさしく変人だな。
“怪談”を――すでに九つの命を奪った人外を、かくまうだなんて……」
言いながら、少年はカップをサイドテーブルに置き、寝台に寝そべった。
目を閉じると、すぐに睡魔がやってきた。
カップの中身はからになっていた。
―続―
最終更新:2012年06月22日 12:52