あらすじ
- 脱出後担任にみっちり説教をくらった怜悟。(慎二郎は飛び降りた瞬間は目撃されなかった)
解放された後も特に気にもせず怜悟は慎二郎と共に下校。
呆れ果てる担任。そこに一人の少女(かなか)がやってくる。
怜悟についての事を聞きにきた少女はそこで怜悟の名前とクラスを知る。
一方夕方に自宅へと帰ってきた怜悟はリビングに隣宅の姉貴分、奈々子がいる事に気づく。
どうやら奈々子は怜悟の夕飯を作りに来たらしく、帰りを待っていたのだと言う。
怜悟は奈々子と一緒に夕飯を食す。
途中、奈々子は「学園はどうか」と聞いてくるが、怜悟は特に何もなくて平凡だと答える。
奈々子は相づちを打ち怜悟の顔を眺めながら「夏休みにいい思い出ができるといいね」と言う。
そんな奈々子の一言に怜悟は今の自分を変えたいと小さく思うのであった。
…………。
【怜悟】「失礼しましたぁーっと」
がらがらと生徒指導室の扉を閉める。
ふと時計を確認してみると、もう45分ほど経ってしまった事に気づいた。
【慎二郎】「よお。たっぷりと絞られたか?」
ずっと教室の前で待っていたのか、慎二郎が声をかけてきた。
【怜悟】「まさか。いつも通りテンプレートみたいな説教だったよ」
【慎二郎】「なはは、そりゃ平賀山だもんな。進歩しねーなあいつも」
平賀山と言うのは先程まで俺にねちねちと説教を垂れていた、俺たちのクラスの担任である。
その口から発せられる数々の説教は、いつもどこかテレビで聞いたものばかりで、やれ俺もこんな事言いたくないだのお前も最高学年としての自覚を持てだの、まるで普通のそれと変わりがない。
俺としてはそんな決まりきった説教なんかで反省するわけもなく、黙々と過ぎる45分間が退屈でしょうがなかった。
【怜悟】「ってかさ、何で俺だけ怒られてんだよ。お前だって共犯だろうに」
【慎二郎】「そりゃお前、俺は運良く人に見られなかったからな。誰かさんと違ってわざわざ目を引く飛び方だってしてねえし」
【怜悟】「……」
【慎二郎】「ま、何にせよ通知表に影響が出なくて良かったわ。危ねぇ危ねぇ」
……人の目を引く飛び方か。
まぁ、あの場合はわざとそういう風に言ったんだから見つかるのも当然か。
これでも慎二郎はその辺はうまくコントロールできているようで、俺としては納得せざるを得ない。
【怜悟】「で、あのカップルはどうなった?」
【慎二郎】「んー?ちゃんとあの後見つかってたぞ。ぜってぇ今も別の教室で厳しい説教くらってんだろうなァ」
【怜悟】「自業自得だな」
【慎二郎】「こっそり外から聞いてたんだけどな、なんか中出しまでしてたっぽいぜ~。しばらく学園には来れねぇな!」
なーっはっはっはと、腹を抱えて笑い出す慎二郎。
俺もそれを聞いて、少しばかりほくそ笑んでしまう。
だ、ダメだ……耐えないと……。
【怜悟】「ふっ……ふふふ……」
けれども我慢のできない感情が口から漏れてくる。
段々とそれは止まらず増幅していくばかりで……。
【慎二郎】「くっくくく……」
【怜悟・慎二郎】「なーっはっはっははははは!!!!」
俺たち二人の下劣とも勝利を勝ち取った帝王イスカンダルのような笑いが廊下中に響き渡る。
俺も慎二郎も腹を抱えて笑いまくった。
【怜悟】「なっ、中って、おまっ、妊娠しちまうだろうが!」
ひーひーと涙目になりながら俺は言葉をこぼす。
【慎二郎】「孕んじまったらぜってぇ2学期から産休じゃねえか、なぁ!?」
【怜悟】「そんで下ろすか産むかで修羅場になるんだろうな!」
【慎二郎】「産めばいいのに!産めばいいのに!」
【怜悟】「産めばいいのに!産めばっ……ダメ!マジ無理!耐えらんねぇ!」
再び大声で笑いまくる俺たち。
慎二郎は反芻するかのように産めばいいのに!と呟いている。
産めばいいのに!
産めばいいのに!
産めばいいのに!
産め
【平賀山】「ごらぁぁぁ高峰に刑部ぇぇっ!!まだ怒られ足りんかぁぁぁ!!」
がらっと小窓を破壊せんばかりに扉が開かれる。
中からはこめかみに青筋を立てた絶賛メタボリックシンドローム真っ盛りの中年男が出てきた。
【怜悟】「せっ、せんせぇ!結局孕んだんですかぁ!?」
【慎二郎】「なっ、何ヶ月っすかぁ!?」
【平賀山】「んなバカな事あるかぁぁぁ!!とっとと帰れぇぇぇっ!!」
先程俺たちが笑っていたよりも遥かにどてかい声で平賀山は叫び始めた。
加えて、顔まで真っ赤にして唾を吐き散らしながらこちらへ近づいてくる。
そろそろ潮時か、と俺が慎二郎の方を見ると……。
【慎二郎】「……(こくり)」
どうやら同じ事を考えていたようだ。
そのまま互いに目で合図をして―――
【怜悟】「さいならっすセンセ~!」
【慎二郎】「また明日~!」
全力で廊下を駆け、階下へと二人揃って向かうのであった。
【平賀山】「待てや貴様らぁぁぁ!廊下は走るなぁぁぁ!」
どすどすと平賀山は地響きを鳴らしながら追いかけてくるのが目に入った。
そんな姿を見ているとまた噴き出しそうになる。
【慎二郎】「センセーだって走ってるじゃないっすか~!」
角まで走りきって、階段に差し掛かった時に慎二郎がお見舞いとばかりに言い返す。
もう平賀山の顔を見ている余裕はないが、きっと今後一週間は笑いのネタになるであろう面構えをしているはずだと俺は思った。
だだだだだ。
階段を駆け下りて俺たちは昇降口へと向かう。
相変わらず後ろからは待てだの覚えていろだの呪詛の言葉が投げかけられるが、とりあえずは無視しておく。
やがて声が止むと、俺たちは下駄箱で息を整えた。
全速力で駆けたものの、距離はそんなにはない。
2、3度深呼吸すればすぐに息は整った。
【怜悟】「ふう……」
【慎二郎】「ったく、あのおっさんもいい年して俺たちに追いつくと思ってんのか?」
【怜悟】「さぁな……でもなんか怒りで我を忘れてる感じがする」
【慎二郎】「それがまたウケるんだなこれが!」
再びぬはははは、と笑い出す慎二郎。
さすがに今回は俺も一緒に笑いまくる事はなかった。
【怜悟】「……んじゃ、帰るか……」
【慎二郎】「……だな」
相槌を打ち、下駄箱を開けて靴を履き替える。
……と、その時。
ギョーーーン!!
【慎二郎】「おー?」
【怜悟】「ん」
ギョーン!!ギャギャギャギャ!!
どこからともなく爆音が明々と響いている。
一見適当に旋律をかき鳴らしているように聴こえた。
けど、いざ聴き入ってみると……。
【慎二郎】「って何だ、軽音部か」
【怜悟】「…………」
……どれも、心を強く揺さぶるサウンドだ。
思わず立ち止まってしまうほど、流れてくる音は魅力的だった。
【慎二郎】「ふぅん……」
【怜悟】「どうした?」
【慎二郎】「いや、もうそんな時期かなーって思ってな」
【怜悟】「そんな時期って?」
【慎二郎】「学園祭だよ、学園祭。夏休み開けたらすぐだろ?」
ああ、なるほど。
夏休みが終わると間髪いれずに始まる、学園祭。
学園全体がお祭りムードになるため他の学園から大勢人がやってくることで有名になっている。
特に文化系の部活は年に数回しかない学園発表なので気合の入れようも他とは違うんだよな。
【慎二郎】「そーいや有志バンドの募集ってまだやってたっけな……」
【怜悟】「あぁ、そうだっけか」
【慎二郎】「お前ギター弾けんだろー?ちょっくら参加する気とかないのか?」
【怜悟】「…………」
言われて、少し考え込んでしまう。
確かにライヴなら何度か足を運んだ事はある。
どのライヴでも、あの高揚感だけは何物にも変えられないだろうな。
【怜悟】「無理無理。第一人がいねーっての」
でも、1人だけじゃどう考えたって無理だろう。
特に音楽に才のある友人もいないし。メンバーを集めるのなんて難しいに決まってる。
【慎二郎】「……」
【慎二郎】「……ま、何しようとお前の勝手だろうけどな」
【怜悟】「そうさせてもらうさ。さ、とっとと帰ろうぜ」
意味深な慎二郎の言葉を尻目に、俺は昇降口を出る。
続いて外へと出てきた慎二郎と共に、セミの鳴き声がこだまする外へと歩いて行った。
…………。
【平賀山】「ったく……あ、あいつら……」
脱兎の如く去っていった二人とは対照的に、平賀山は肩でぜえぜえと息をしている。
御年晴れて50歳となった彼には到底育ち下がりの少年二人に追いつけるはずもない。
頭ではわかっているのだが、どうにもあの生意気な態度に憤慨してしまうのだ。
【平賀山】「…………フン」
彼とてできるなら怒りたくはない。
残り少ない学園生活を謳歌する生徒の邪魔などするわけにはいかないのだ。
だがあの生徒―――高峰 怜悟に対しては違う。
個人的な感情ではない、もっと、ちゃんとした理由が―――
【?/かなか】「あの」
【平賀山】「っ!?」
突然の背後からの声に思わず心臓が跳ねた。
考え事をしていたせいか、その存在に全く気づかなかった。
【?/かなか】「す、すみません」
【平賀山】「あ、ああ……何かね?」
振り返って声をかけてきた人物を見る。
どうやら自分に声をかけてきたのは女子生徒だったようだ。
平賀山は焦りながらも返事をする。
【?/かなか】「えと……さっきの人……えっと、髪が短い方の人って、誰ですか?」
【平賀山】「…………?」
少女が発したおかしな質問に、平賀山は思わず首を傾げた。
【平賀山】「あいつの……名前か?」
【?/かなか】「は、はい、そうです」
【平賀山】「……高峰 怜悟だ」
どうしてそんな事を聞くのだろうとは思うが、別段気にする事でもない。
平賀山は事務的な口調で返答する。
【?/かなか】「何組ですか?」
が、続いた質問に平賀山は再び不信感を抱く。
【平賀山】「B組だが……そんな事聞いてどうするんだ」
湧き上がる不信に、思わず逆にこちらが訊ねてしまった。
【?/かなか】「い、いえっ、なんでもないんです。ただ聞きたかっただけですから」
【平賀山】「……。そうか」
否定する少女に、これ以上詮索する必要もない。
そう思った平賀山は、再び生徒指導室へと戻り始める。
【?/かなか】「そっか……高峰くんか……」
最後に、ぽつりと自分の聞いた名前を繰り返し呟く少女を尻目に、教室の扉を閉めた。
みーんみんみんみん。
夕刻。
夏の到来を待ちわびていたかのように一斉にセミが鳴き続けている。
同時にアスファルトからゆらゆらと立ち上る陽炎が、また一層このうだるような暑さを醸し出しているようだった。
そんな中、俺と慎二郎は肩を並べつつ歩いていた。
【怜悟】「あっつ……」
ぽつりと呟いたところで暑さがどうなるわけでもないけれど。
それでも、夕方になってこの気温はどうかしていると思うわけで。
【慎二郎】「んじゃ、また明日な」
傍らで同じように暑さに参っていた慎二郎が言った。
慎二郎の自宅はここからまだ先の所にあり、方角も微妙に違うのでちょうど曲がり角で別れる事になる。
【怜悟】「ああ」
夕日に溶け込むように歩いていく慎二郎の後ろ姿を眺める。
どんどんと遠ざかっていく姿に、俺は一つ息を吐いた。
【怜悟】「…………」
……ふと、空を見上げた。
ほんの数時間前まで、俺はあの空を飛んでいたんだっけか。
ガキみたいに叫んで、ガキみたいにはしゃいで。
本当、何してるんだろうな、俺……。
別に、ああいうバカげた事をやるのが嫌いなわけじゃない。
俺が焦りを感じ始めているのは、もっと、種類の違う……そう、あまりに当たり前すぎて同学年の奴らに相談する事さえ恥ずかしくなってくるものだ。
だからこそ、楽しんでバカをやる気持ちの片隅で、本当にこれでいいのかという疑念が出てくるわけで。
【怜悟】「はぁ……」
結局、悩んでも答えは出ず。
毎日それの繰り返し。一日の終わりに焦燥を感じて、悩み、挫折する。
どうすればいいんだろうかね……。
【怜悟】「―――やめやめ」
頭を振って、先程まで渦巻いていた感情を霧散させる。
とりあえず、今は家に戻って、ゆっくりシャワーでも浴びよう。
そう考えながら、俺は帰路に着いた……。
【怜悟】「……あれ?」
自宅まで差し掛かり、家のドアを開けようと手を伸ばす。
すると、施錠されているはずのドアノブがゆっくりと回転する感覚がした。
【怜悟】「……?」
おふくろが帰ってきたのだろうか、とも思ったが、おふくろはいつも夜勤務のはずだ。
むしろ今ぐらいに家を出るはずなのに、家にいるのはおかしい。
……となると。
【怜悟】「たはは……」
若干、苦笑いがこぼれた。
思い当たる節なんて一つぐらいしかない。
その節に絶対の自信がある俺は、躊躇いもなくドアを開けた。
がちゃり。
【怜悟】「……ただいま」
本来誰もいないはずの家に、ぽつりと呟いた。
もちろん、返ってくる答えを予想しながら。
【?/奈々子】「おかえりー」
予想通り、リビングの方から返事が返ってくる。
俺には聞き慣れていて、つまりは『思い当たる節』の声だ。
靴を脱いで玄関からリビングへと向かう。
がちゃ……。
【怜悟】「……やっぱり」
やっぱり。
眼前に立つ人物を見て、俺は苦笑いをした。
【?/奈々子】「やっぱりってことは……期待通りで嬉しい?」
【怜悟】「俺が嬉しいかどうかは奈々子さんの想像に任せるよ……」
―――東雲 奈々子さん。
我が家の隣に住まいを置いている、俺が小さい頃からの世話焼き係のお姉さん(自称)。
ウチはおふくろが家の空けている時が多いせいか、俺がろくにちゃんとした飯を食わないので時々こうして夜ご飯を作りに来てくれる人だ。
まぁ、実際は調理の勉強のために俺を叩き台にしているらしいが、味が絶望的なパターンが少ないので特に文句はなかったりする。
俺はソファーに肩から提げていた鞄を投げ捨てるように放ると、洗面所へと向かう。
【奈々子】「ふぅ~ん……ね、それって今度はあたしが期待していいってことかな?」
【怜悟】「……いいんじゃない」
【奈々子】「やたっ、ついに怜ちゃんに認められるお姉さんになれたっ」
嬉々とした奈々子さんの声が手を洗っている最中も聞こえてくる。
俺のあの反応を見て尚もポジティヴに考えますか奈々子さん。
……もうどうにでもなれ。
【奈々子】「ねー、怜ちゃーん」
【怜悟】「なんすかー」
【奈々子】「お台所、使ってもい~い?」
気の抜けた口調で陽気に告げる奈々子さんは、いかにも上機嫌といった感じだ。
というか、もう既に使っていらっしゃいますよね、あなた。
再びリビングへと戻った俺を、奈々子さんは満干の笑みで迎えた。
キッチンから何かを焼いた香ばしい匂いが立ち込めているのに気づいた俺は、今日のメニューが何か推測してみる。
ボウルの中によくこねられたニラ入りの肉のかたまりと、それを包むためか薄地の皮が見えた。
その二つから連想される料理は……。
【奈々子】「今日はね、なんと!」
【怜悟】「餃子でしょ」
【奈々子】「ぎょ―――」
【奈々子】「…………」
どうせ今日の夕飯について嬉しそうに話すんだろうな、と直感した。
というわけで先手を打ったつもりだったが、見事にはまってくれたようだ。
【奈々子】「怜悟君、今日ご飯よそで食べてね」
【怜悟】「自宅なのに!?」
【奈々子】「人が楽しみにしていた瞬間を奪うような輩にあたしのご飯は食べさせられません」
【怜悟】「きょ、今日のメニュー言うだけなのに!?」
【奈々子】「わーってないわね怜ちゃん。あたしはね、『奈々子さん、今日の夕飯は何かな?』って言ってもらうのが夢なの。わかる?」
【怜悟】「ちっとも」
【奈々子】「そこは頷きなさいよ。それでね、そうやって、少しでも毎日あたしのご飯を楽しみにしてくれてるんだーって実感がお姉さんは欲しいの!」
【怜悟】「はあ」
【奈々子】「だから飯抜き。そんな無粋な男の子は女の子に嫌われるわよ?てやんでえなのよ?」
それ理不尽。めちゃ理不尽。
ふとテーブルを見やると、既に準備をしていたのか台拭きで綺麗に拭かれていた。
ったく、そんなに重要な事かい。
【怜悟】「すんませんでした」
とりあえず晩御飯がなくなるのは育ち盛りの男子としては痛すぎる。
勉強の名目とは言え奈々子さんが美味しい料理を作ってくれるのには間違いない(ごく稀にミスるけど)。
ここは素直に謝っておいた。
【奈々子】「心が篭もってないわ」
どないしろと!?
【怜悟】「…………」
【奈々子】「わくわく」
【怜悟】「奈々子さん、今日の夕飯何かな~?」
【奈々子】「え~、今日は自信作なので口で言うのはもったいないのよ~」
【怜悟】「…………」
びき、と俺のこみかみに青筋が浮かびかけたが、相手は奈々子さんだ。
こういうやり取りはかなりの割合で頻度が高い。今更怒る必要なんてないじゃないか。
あくまで理性を保ちつつ、俺は奈々子さんの言葉を待った。
【奈々子】「というわけで!」
嬉しそうに言う奈々子さんがいつの間にかドーム状のふたを乗っけたトレーを持ってきていた。
もう中身がなんだかわかっている身分としては全くもって呆れる気分だ。
【奈々子】「じゃーん!今日はなんとっ!餃子よ~怜ちゃん!」
【怜悟】「うわあすごいなあ。おいしそうだなあ」
超棒読みで適当に返事をしておいた。
【奈々子】「でしょ~?これね、ぜーんぶ手包みなの!」
【怜悟】「すごい!この厚さ1ミリを切った包皮を寸分も狂いなく中の具を包み込んでいる……!これはもうご家庭レベルじゃないよ奈々子さん!」
もうヤケクソ気味になって褒めに褒めまくる。
【奈々子】「や~ん手間暇かけた甲斐があったわぁ~」
んで、こんな間抜けな演技にも騙されてる奈々子さん。
両手でほっぺたをつまんで悶えまくっている。
【怜悟】「じゃあさ、早く食べようよ」
放っておくと10分くらいやってそうなので、俺はとっとと盛り付けを促した。
茶碗とお皿は既に出ていたので、あとはよそるだけだろうし。
【奈々子】「そうね、熱いうちに召し上がっちゃいましょ」
よし、上手くいった。
テーブルに次々と料理が運ばれる中、俺は心の中でほっと安堵していた。
……。
…………。
【奈々子】「それじゃ、いただきましょ」
【怜悟】「うん」
ご飯と味噌汁、おかずの餃子がテーブルの上に並んでいる。
俺の真向かいに座った奈々子さんが、両手を合わせた。
【奈々子】「いただきます」
【怜悟】「いただきます」
俺もそれに続いて食膳の挨拶をする。
奈々子さんが召し上がれ♪と言わんばかりの笑みを浴びせてくるので、最初におかずの餃子を口に含んだ。
【怜悟】「むぐ、むぐ……」
【奈々子】「どう?」
【怜悟】「……ん~」
口の中で餃子に歯を突き立てた瞬間、包皮の中に凝縮されていた肉汁が溢れてくる。
が、肉汁が口内を火傷しない程度の絶妙な温度なのは、奈々子さんの配慮によるものなんだろうか。
……単に冷めただけかもしれないけど。
それでも、充分と咀嚼して味を堪能した。
【怜悟】「うん、おいしいよ」
【奈々子】「本当?」
【怜悟】「いや、マジだよ。焼き加減も丁度良くてパリパリしてるし」
【奈々子】「ふふっ……ありがとね、怜ちゃん」
【怜悟】「へ?」
【奈々子】「だって、褒めすぎなんだもの」
そ、そうなのか……。
正直あれくらい褒めないと奈々子さんが拗ねるかと思ったんだが。
【奈々子】「ともあれ苦労した甲斐があったわ~。これでまたレパートリーが増えたわね」
そう語る奈々子さんは、それこそ本当に嬉しそうだった。
俺は滅多に自分で料理なんか作らないし、それを誰かに食べてもらった事もない。
自分が丹精込めて作った料理を美味しいと言ってもらえるのって、そんなに嬉しい事みたいだ。
【怜悟】「奈々子さん、そんなに料理勉強してどうすんのさ」
【奈々子】「え?理由なんてないわよ」
【怜悟】「でも最近頻繁にウチに来てるし」
【奈々子】「そんなの前からじゃない。水臭いなぁ怜ちゃんは」
【怜悟】「ふーん……」
【奈々子】「なになに?そろそろお母さんの手料理が恋しくなってきたの?」
【怜悟】「いや、そういうわけじゃないけどさ……」
【奈々子】「でもね、しばらくは怜ちゃんのご飯は全部あたしが作るからね」
一瞬、箸が止まった。
……今なんて言った?
【奈々子】「なんかね、おばさんが来週から聖○魔Ⅱの全国ライヴに行くらしいのよ」
【怜悟】「はぁ!?」
なんだそりゃ!?
かねてよりおふくろが閣下のファンだったのは知ってたけど、そんなのは初耳だ。
【奈々子】「だから8月終わりまで帰ってこないみたい。あ、心配しないでね?その間の怜ちゃんの面倒はあたしが見るから」
【怜悟】「はぁ……」
【奈々子】「そんなに落ち込まなくてもいいじゃないの。怜ちゃん、一人じゃないんだし」
妙に『一人じゃない』というところを強調して言う奈々子さん。
なんだろうか、この緊張感は……。
でも、実際奈々子さんの家事スキルは悪いわけじゃない。恐ろしい間違いでも起きなければ、大丈夫のはず。
【怜悟】「ま、それもそうか……」
【奈々子】「てなわけで、改めて、これからよろしくね」
【怜悟】「……お世話になります……」
俺は微妙に幸先の不安を感じながら、曖昧にも頷いた。
た、多分奈々子さんなら大丈夫だろう。そう俺は強引に納得する事にした。
……。
【奈々子】「そういえば、最近調子はどう?」
不意に、奈々子さんがそう尋ねてきた。
調子と言うのは紛れもなく、学園生活についてだろう。
奈々子さんも数年前までは花も恥らう女子校生だ。今まさに青春の駆け抜けているであろう年代の俺によくこういった話を持ちかけてくる。
とはいえ。
【怜悟】「ん、特に何もないかな」
なにぶん相手が俺だ。いい回答なんて期待できるわけがない。
生憎俺にはそんな甘酸っぱい青春を送ってるわけでもないので、別段奈々子さんの興味をそそるような話なんてこれっぽっちもないわけで。
【奈々子】「それと同じセリフ、前も聞いた」
【怜悟】「……いや、だってしょうがないじゃん。本当に何もないんだから」
【奈々子】「そうなの?」
【怜悟】「……まぁ、楽しそうな事もないし」
【奈々子】「ふぅん……」
【奈々子】「でも、案外楽しい事ってどこにでもあるのかもしれないよ」
【怜悟】「……そうかな」
【奈々子】「そうよ~。怜ちゃん、あたしみたいに卒業した後で後悔しちゃダメよ?」
【怜悟】「…………」
後悔か……。
このまま卒業して、俺は後悔するんだろうか。
悔いが残るってことは、何かやり残した事があるってことで……。
つまり、今何もしていない俺には後悔なんてするはずがないんじゃないだろうか。
それなのに、こんなにも後悔と言う言葉に、敏感になってる自分がいて。
それってつまり……。
【奈々子】「……探してみれば?」
【怜悟】「え?」
【奈々子】「楽しいこと」
【奈々子】「もう少しで夏休みなんでしょう?時間はあるんだし、ダメ元でやってみたら?」
【怜悟】「……」
【奈々子】「賭けてみたらいいじゃない。最後の青春を全部ぶつけるくらいのをさ」
【怜悟】「奈々子さん……」
俺は、『今』を変えたいと思ってるのだろうか。
【怜悟】「……やって、みようかな」
【奈々子】「……何を?」
奈々子さんは優しく俺に笑いかける。
まるで、俺に答えを出させるように。
そんな奈々子さんの見据える先にいる俺は……少しの躊躇を含みながら、口を開く。
【怜悟】「思い出……探しかな」
【奈々子】「ふふっ、頑張りなよ。青少年」
何かが、俺の心の中で小さく動く、そんな気がした。
最後の夏休み。
俺の心に残る、何かが起こればいいと思った。
最終更新:2007年09月28日 19:46