月夜。
ちりぢりになった雲が水面のように波を打ち、ところどころで星々を見え隠れさせる。
天蓋の中心に坐するは丸い丸い月。漆黒の闇がそれを遮ろうとするが、その光は何者にも侵すことができず流麗に燦々と瞬いている。
ときおり雲が覆うことがあろうとも、月は雲越しにも尚美しく、霞もがかった月光は優しげに下界に降り注ぐのだ。
それをこうして森の中から見ていると、自分は何故こうして地面に縛り付けられているのか、疑問に思えてくる。
天に浮かぶ森羅万象の根源は、みなすべて自由に浮かび上がっている。なのに自分はどうだろうか。ただ地面を這いずりまわっているだけではないか。何故なのだ。
僕らと、あの美しいものを隔てているのすべてを憎みたい。ああ、どれだけ恋い焦がれようとそこには決してたどり着けないのだ。

一つの綺麗な星が目に飛び込んで来た。月に寄り添い尚輝きを失わぬそれは、実に強くそして困難に立ち向かう意志を表象しているかのように見えた。

「嗚呼……」

もう一つ、気になる星があった。優しげに地を照らし出し、隣に一つ弱弱しく光る星を伴うそれは、一人では目立てない者への慈愛と母性を感じさせる。

二つの星はまるで対極のものがあった。だがしかし、美しさはどちらも勝るとも劣らない。
美しさ、人の胸を打つ像というものは一本線で表せるような単純なものではないのだ。
自らの心象に投射するときの心の昂ぶりは、共に同じ美しさという言葉で形容するのはいささか無理があるように思えた。

「僕は……どうしたいんだろう」
僕は夜でも尚眩しすぎる空から目を放し、自らの墜とされし大地へと目を伏せた。
邪魔になるほど長い髪が垂れさがり、自分の影を作り出す。決して起き上ることのできない影は、縛り付けられる人間の象徴ではないのか。

「ハセヲ……」
僕は口にした。最愛の人の名。絶望に打ちひしがれ、ただ閉じこもっていた彼を、その力強い腕で引き揚げてくれた人。
誰かから本当に必要とされること。それは今までにない経験だった。
恋情の告白や、羨望の眼差しならいくらでも受けた。自分を慕う人間だっていなかった訳じゃない。
でも、違うんだ。それは。
彼らは結局のところ、自分しか見ていないのだ。自分の中に思い描いた僕という存在を見ているに過ぎない。そうとしか思えなかった。
だから、僕はずっと孤独だった。唯一寄り添うべきものは過去でしかなく、それもまた幻影に過ぎなかったと気付いた時、ただ崩れ落ちるしかなかったのだ。
そんなときに僕は、ハセヲは言った。俺にはお前が必要だと。
どこまでもシンプルな言葉。でも、僕が欲しかったのはたったそれだけのものなんだ。

この殺し合いに呼ばれた時、どうしようかと僕は思い悩んだ。
榊とかいう男にも見覚えがあった。が、あんなやつのことは心底どうでもいい。
僕の心を動かすのは――この場にハセヲが居たことだ。
彼がここにいる。僕に彼と殺しあえ……? そう言っているのか。
無理だ。そんなことできる訳がない。もし彼が僕に刃を向けてこようと、僕はありのままの姿でその刃を受け止めよう。
そう決意した矢先、開幕の場で僕は見つけてしまったのだ。
彼女を。

「ミア……」
間違いない。僕が彼女を見間違えるはずがない。あそこに居たのは確実にミアだった。
二本足で立ち、周りに好奇の視線を向ける猫。それを見つけてしまった。
彼女は死んだ筈なのに!

「嗚呼」
かつて僕が愛し、そして喪ってしまった彼女。それがあの場に居たのだ。
まやかしだろうか。そうであると理性は告げる。あのAIDA猫のように、ただ僕を惑わそうとしているのだと。

でも、駄目なんだ。
僕の、僕の何か奥の方にあるものは確信するんだ。あれは間違いなくミアだと。
ミア。ミア。ミア。今すぐ駆け寄って頬ずりをしたい。泣き腫らし、まだ僕がエルクだった頃のように二人で何処かへ冒険したい。
ミアを殺す? もう一度彼女を死なせる。そんなことはできない。できる訳がないじゃないか!

でも、ハセヲも居る。僕のハセヲへの想いだって本物だ。
この場で生き残れるのは一人だという。
僕に選べというのか。ミアとハセヲを残酷な天秤にかけろというのか。

僕は何もできなかった。
ただそこにうずくまることしか……






「全く意味の分からない催しですねぇ」
悪態を吐きながら彼は道を歩いていた。
その声はまだ声変わりも迎えて居ない少年のものだったが、容姿は打って変わって禍々しいものだ。
宵闇色の身体に、不気味に光る単眼、そして触手状の腕。統一感がなくどこかチグハグな姿をしている。
彼の名は能美征二。またの名をダスク・テイカ―といった。

「殺し合い? 馬鹿馬鹿しい。そんなものに僕を巻き込まないで下さいよ」
そう言って肩を竦めながらも、彼は開始直後から歩き回っていた。
その目的は他の参加者の発見、そして殺害である。

「はぁ、でもまあこうなっては仕方がありませんね。ウイルスとかいうのもありますし、とりあえず2、3人狩っておきますか」
彼にしてみれば煩雑極まりない作業であったが、別にそうすることに躊躇いはない。
他者などただの踏み台に過ぎないのだ。生き残るのに彼らの命が必要だというなら刈り取るまでだ。
そう思い適当に歩き回っていると、さっそく最初の獲物を見つけた。

それは青年だった。デュエルアバターなどではなく、一見して普通の人間に見えた。ファンタジー風の装いを除けば、だが。
耽美系の整った顔をしたそいつは、うずくまり何やらぶつぶつと呟いている。
目の前の非日常に適応できず、ショックを受けているのだろうか。

「とにかく貴方が最初の犠牲者ですね」
能美はそう言って、触手状の腕で青年を殴り飛ばした。
苦痛の声を上がる。そいつは吹っ飛っとんで、ごろごろと地面を転がった。

「さっさとやられてくださいよ」
その後も能美は彼を殴りつける。胴を、胸を、頭を、顔を、無慈悲に連打する。
奇妙なことに青年は全く抵抗しなかった。殴っている能美のことすら眼中にないのか、ただ茫洋とした顔をして為すがままにやられていた。
時々ぶつぶつと「ハセヲ」だの「ミア」だの言っていて、気持ち悪い。正気があるのかも怪しい。

「一体何を考えてるんだが、ま、その方が楽でいいんですけど」
一しきりダメージを与えた後、能美はトドメを刺すべく青年に近づいた。
その間も青年は一切動く気配がない。
そんな青年に対し、能美は手を振りかぶり――



「ああ、そうか。キミみたいなのも居るんだね、ここには。じゃあ、守らないと……僕の愛する人を」



いきなり青年が口を開いた。
続けて言う。「マハ」と。
次の瞬間、能美を包み込む世界が劇変した。
光がうねり、ポーンという奇妙な音がしたかと思うと、世界が作り変えられていく。
月も星も闇も、全てが消え去り新たな空間が上書きされる。

「な、なんだここは!?」
能美は目を見開き周りを見渡す。
それまで広がっていた筈の森は何処かへ消え去り、代わりあったのは能美の常識を超越した異空間だった。
全てが透き通り、水のようなデータがねじり狂う、この世のものとは思えない光景。
それが、地平線の向こうまでどこまでも続いているのだ。

「守らないと……守らないと……もう喪わない為に」
そして青年の姿もまた変わっていた。
青年は――エンデュランスはもはや人間の姿をしていなかったのだ。
その姿は巨大な猫に似ていた。女性を思わせるしなやか肉体をしたそれは、両手を己の身体を優しげに撫でまわしながら、異形の瞳を能美へと注いでいる。

憑神《アバター》
それはかつてThe Worldに存在したモルガナ八相のデータをサルベージし、PCに組み込む形で作り上げたシステム上は存在しない筈のシステム。
エンデュランスのそれは第六相:誘惑の恋人『マハ』。
一般PCでは本来認識することさえできず、場合によってはプレイヤーの意識さえも奪う力
その姿へとPCを変換し、今まさにその力を振るおうとしていた。

「くっ、くそっ!」
事態についていけない。何だこの空間は。何だあのモンスターは。アイツのスキルなのか?
だがとにかく身の危機が迫っていることを認識する。
能美は触手で攻撃を仕掛ける。だが、弾かれた。マハの放った薔薇のような何かに攻撃を遮られたのだ。

「愛だ……そう愛のために」
エンデュランスの声が響き渡る。何を言いたいのか、全く要領を得ない。
苛立った能美はスキルを発動し、火炎放射≪パイロディーラー≫を行使する。
放たれた炎が薔薇を燃え尽くし、憑神本体へ炎が到達した。マハが身を捩り痛みを示す。
その様子を見て能美は笑い声をあげる。何だ見てくれだけじゃないか。少々面食らったが、ただの《エネミー》と大差ない。
そう、思った時だった。

「【誘惑の甘き歌声】」
マハから何かが放たれて、ダスク・テイカーのボディを拘束した。
動けない。速度低下系のスキルか。能美は屈辱の声を上げる。

「【妖艶なる紅旋風】」
続けざまに更なる一撃が放たれる。
マハがその身に再び薔薇を纏い、能美に向かって突進してきたのだ。
低速状態のダスク・テイカ―ではそれに反応できない。一撃をまともにくらい、吹き飛ばされる。

「【データドレイン】」
マハの身体が展開され、その身の奥から何かが出てきた。
幾何学的な模様をタイル状に張り付けた場の中心に、エネルギーが集束していく。
ヤバイ。能美は本能的にその危険性を認識する。あれを食らえばお仕舞だと。

「さようなら……名も知らぬ敵。僕の愛する人の為に死んでほしい。
 最愛の――最愛の?」
と、急にマハが動きを止めた。何かに苦悩するかのように頭を抱え出し、集まったエネルギーが霧散していく。
今度は一体何だ。能美は目の前の敵が全く理解できなかった。

「僕は愛する人のために戦っていた筈だ。でも……それは誰? ハセヲ? ミア?
 僕が愛しているのは……一体どっちなんだ」
マハはそこで悲鳴を上げた。能美を無視して暴れ出し、その身体を自ら傷つける。

「僕は……僕は……」
そうして力尽きるまで暴れていると、何時の間にか憑神は解除され、一般空間へと回帰していた。
能美の姿も消えていた。逃がしてしまったようだ。
だが、そんなことはどうでもよかった。エンデュランスは頭を抱え、その森の中にうずくまった。
愛。自分は愛の為に戦っている筈だ。なのに分からなかった。
海よりも深い愛を向けるべき相手が、一体誰なのかが。


【E-5/森/1日目・深夜】

【エンデュランス@.hack//G.U.】
[ステータス]:HP50%、憑神暴走
[装備]:なし
[アイテム]:不明支給品1~3、基本支給品一式
[思考]
基本:「愛する人」のために戦う
1:???
[備考]
※憑神を上手く制御できていません。感情が昂ぶると勝手に発現します。



「はぁはぁ……何ですか、あの狂人は」
何とか逃げ延びた能美は未だ収まらぬ動悸を無理やり抑えようとする。
あの男の情緒不安定な振る舞い。まるで意味が分からなかった。
だがあのスキル――変身スキルに分類されるのだろうか――はとにかく強大だった。

「あれを奪うことができれば……」
能美は思う。あれを自分のものにできればとてつもなく強大な力となる。
自分ならば、あんな狂人などよりよほど上手く扱うことができるだろう。

能美のデュエルアバター「ダスク・テイカ―」
その唯一の必殺技、それが魔王徴発令《デモニックコマンディア》である。
その能力は敵の必殺技、強化外装、アビリティ一つ奪い、永続的に我が物とする強力な略奪スキルだ。
それをあれに使うことができれば、あの強大な力を自分のものにすることもできるかもしれない。

「フフフ……今に見ていてくださいよ。貴方の大切なモノを奪い、その顔を屈辱に歪ませてあげますから」
自分を敗走させた狂人の顔を思い浮かべ、能美は酷薄な笑みを浮かべた。
こんな催しに本気に挑む気など毛頭なかったが、少し事情が変った。手段は選ばない。
先ほどは動転した故に無様な姿を晒してしまった。しかし次はこうはいかない。全てを奪い、確実に息の根を止める。
愛を語る人間などに、自分が負けて良い筈がないのだから。



【E-5/森/1日目・深夜】

【ダスク・テイカ―@アクセル・ワールド】
[ステータス]:HP50%
[装備]:なし
[アイテム]:不明支給品1~3、基本支給品一式
[思考]
基本:他の参加者を殺す
1:憑神そのもの、あるいはそれに対抗できるスキルを奪う。
[備考]
※参戦時期は未定。飛行スキルが使えるかは後の書き手さんにお任せします。


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最終更新:2013年11月04日 21:58